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ファーストレグ
第27話
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「――くん、お――どう――とわ――ん、兎和くん、大丈夫?」
パチンと音が鳴り、同時にやわらかくて冷たい感覚が両頬に触れる。
それに遅れること少し、茫然自失して虚無の淵をさまよっていた意識が帰還を果たす。
正面を向いて座っていた僕の視界に、真っ先に美月の端麗な顔が飛び込んできた。さらに彼女は、僕の顔を両手で包み込むようにしていた。
「うぉえ……美月? ……あれ、ミーティングは?」
「とっくに終わったわ。まったく生気を感じられなかったけれど、ちゃんと生きている? もしかして体調が悪い?」
「あ、いや……その……」
スタメン落ちしてキミの期待を裏切った、ごめん――なんて言って頭を下げれば、優しい美月はきっと許してくれる。
だが、それは違う気がする。さんざん世話になっているくせに失敗したのだから、きちんと罰を受けないと。
「そう。じゃあ、落ち着くまでここにいましょうか」
美月はおもむろに隣の席へ腰掛けた。続けて視聴覚室の前方へ顔を向け、「私が付き添うので皆さんは戻っていてください」と言う。
僕もつられて視線を動かすと、心配そうな顔の玲音と目があう。その周囲には、比較的仲の良いDチームメンバーたちがいた。
さらに後ろの廊下からは、白石くんを筆頭とした陽キャ軍団が顔をのぞかせ、こちらの様子をうかがっていた。
「わかった、ここは神園に任せる。兎和も何かあったら遠慮なく連絡してくれ。俺は味方だということを忘れるな」
「――いやいや、ここで二人だけを残すのはマズいだろ。神園に何かあったらどうする」
僕の心情に配慮してくれたのか、ありがたくも玲音は皆をつれて場を離れようとした。
ところが、待ったをかけた者がいる。集団より歩み出てきたのは誰あろう、もう一人の白石くんだ。
意中の超絶美少女が、自分以外の男と二人きりになるのを許せないのだろう。もっとも、相手が僕であれば取り越し苦労でしかないが。
「おいおい。シロタカよ、そりゃあ野暮じゃねえか。だいたい兎和は、ヤリチンのお前と違って誠実なんだ。別に二人をここに残したって、そうおかしな話にはならねえよ」
「はァ!? 誰がヤリチンだ……! つーか、関係ないヤツがしゃしゃり出てくんな!」
「俺は兎和のマブダチだぜ? バリバリ関係者だ。で、お前はどうだ? そっちの理屈でも、引っ込むのはお前の方だろ」
「テメエ……黙れ。俺にはチームの代表者として見届ける責任がある! 不祥事があれば全体の問題だ」
対峙してにらみ合う二人。
身長180センチ近い玲音が、やや背の低い白石くんを見下ろす形となる。
空気を裂いて交錯する視線。瞬時に緊張感が高まり、この場に居あわせたメンバーは息を潜めて成り行きを見守った。
贔屓目かもしれないが、玲音の瞳には燃えるような闘志が宿っているかに思えた。
一方、白石くんも負けじと威圧感を放つ。だが、少し戸惑いが見られる。
無理もない。あの南米ハーフイケメンには謎の凄みがある。僕なんて、初めて会話したときに何かの能力者ではないかと勘ぐったほどだ。
するとその直後、玲音は口端を上げて不敵に笑う。余裕のある態度を示し、心理的なプレッシャーをかけたのだ。
そこで、ついに白石くんの肩から力が抜ける。あわせて一息つき、視線を逸らす。
「……まあ、今は見逃してやる。絶対に変なことすんなよ」
渋い表情を浮かべた白石くんは、陽キャ軍団を連れて廊下の向こうへと去っていく。
玲音はその背中を見送った後、静かに息を吐く。次いでこちらに向かってサムズアップしながら、やはり仲間たちと共に立ち去った。
視聴覚室に残ったのは、僕たち二人だけ。
「あれが男の戦いなのね。なんか、迫力満点だったわ」
珍しいものを見られた、と美月はご満悦の様子。
しかしすぐに引き締まった表情でこちらへ向き直るや、優しく「何があったの?」と問いかけてきた。理知的な輝きを秘めた青い瞳に射抜かれる。
どう伝えたらいいのか迷い、視線をそらす……とはいえ、僕なんかの小細工が通じる相手ではない。無言だったにもかかわらず、あっさり内心を悟られてしまう。
「もしかして、スタメンに選ばれなかったから落ち込んでいるの?」
「…………僕を罵ってくれ。できるだけ汚い言葉で、二度と立ち直れないくらいに。何なら、そのへんのイスを使ってぶん殴ってくれたら嬉しい」
「また変なこと言いだしたわね。私を犯罪者にでもしたいのかしら」
「違う……僕はゴミカスキショキショモブヤロウなんだ。あれだけ世話になっておきながらこの体たらく。救いようがないだろ」
「もう、自虐しないの。そもそも、まだトラウマ克服の最中でしょ? 永瀬コーチもロングスパンで考えているわよ。それにこう言っては何だけれど、ユニティーリーグのプライオリティは高くない。あくまでU16世代の顔合わせを兼ねた育成リーグだもの」
美月が、永瀬コーチから直接聞いたという話を要約して教えてくれる。
僕のことは『年内に使い物になれば御の字』くらいの感覚で考えており、遅くても高校2年生で主力として活躍できれば問題なし。起用の目処がたたないのはさすがに問題らしいが。
なにより現状では、無理にユニティーリーグでスタメン出場させるメリットが見当たらなかったそうだ。
逆に長時間プレーした場合における精神的負荷の方を心配されてしまった。部内のみで行う紅白戦とは環境が異なるから、と。
「とにかく、焦らずやっていきましょう。大丈夫、私がついているわ。ていうか、サブメンバーなのだから試合に出場する可能性だってまだあるわよね?」
ユニティーリーグ東京の競技規定では、最大25名まで選手登録が認められている。しかしその内ベンチ入りできるのは、スタメン11名、サブメンバー9名、合わせて20名の選手に限られる(監督・コーチなどは別枠)。
では残りの5名は何かというと、怪我などの事態に備えたリザーブメンバー。調子によっては入れ替わるものの基本はベンチ外。他の登録外メンバーも同じく応援に回る。
確かに美月の指摘は間違っていない。サブメンバーであれば、ゲーム展開によっては出番が訪れるかもしれない……それでも、今度ばかりはスタメンに選ばれたかった。叶う期待もあった。
落選理由を聞いて納得はできた。けれど『自分の心が万全な状態だったら』と、どうしても考えてしまう。きっと美月と永瀬コーチを喜ばせることができたはずだ。
家族以外で期待を寄せてくれたのは、二人が初めてだったのに……こんな機会は生まれて初めてだったのに、どうして僕はこういつもダメダメなんだ?
環境が変わって少し前向きにもなれたのに、結局はこのザマ。
怪我が原因であれば、まだずっとマシだった。運がなかったと諦めもつく……だが僕は、プレー自体は可能。ただ全力をだせないだけで。
やれるのに、やれない。進みたいのに、進めない。
心と体が噛み合わずに乖離して、自分という存在がよくわからなくなってくる。そして、そんな不甲斐ないに自分に対する猛烈な嫌悪感を止められない。
美月はさらにあれこれと言葉を尽くして慰めてくれるので、余計に後ろめたさが募る。
ありがたいのに申し訳なく感じ、僕にはどう反応に困ってばかりいた。だから、ある意味助かった。
カーディガンのポケットに収まっていた彼女のスマホが、突然のバイブレーションによって存在を主張し始めたのだ。
「涼香さんだわ。このあと予定があって、車で待ってもらっているの」
「そうか……もう大丈夫だから、気にしないで行ってくれ。あまり待たせちゃ悪い」
スマホを確認した美月に予定を優先するよう告げる。これ以上、時間の浪費はさせられない。
僕も少し落ちつく時間が必要だ。このまま会話を続け、うっかり八つ当たりでもした日にはいよいよ目も当てられなくなる。
「そう…でも、何かあったらすぐに連絡して。一人でふさぎ込んでいるとネガティブな考えばかり浮かぶものよ。通話はむりでも、メッセージはいつでも見られるからね」
「わかった。ありがとう」
心配そうに振り返りつつ、視聴覚室を後にする美月を見送った。
それから僕は、5分か、10分か……ただ脱力して、その場でぼうっと過ごす。ちょっと動く気になれなかった。
しかし、このまま呆けているわけにはいかない。落ち込むにしても、視聴覚室ではまた誰かに迷惑をかけるかも。ならせめて、家のベッドへ潜り込んでからにするべきだ。
溶けた鉛を流しこまれたみたいに体は重いが、どうにか足を動かしてひとまず部室を目指す。荷物を回収しなくてはならない。
階段をくだり、サッカー部専用グランドと通じる渡り廊下に差しかかる。
そして、そこで足を止めた。
「よお、兎和。遅かったな。ちょっと話があるから付き合ってくれよ」
松村くんが、なぜか僕を待ち受けていた。
表情や雰囲気から判断するに、ろくな話じゃなさそうだ。どうやら受難は続くらしい。もう一波乱起きる予感……それも、特大のやつだ。
パチンと音が鳴り、同時にやわらかくて冷たい感覚が両頬に触れる。
それに遅れること少し、茫然自失して虚無の淵をさまよっていた意識が帰還を果たす。
正面を向いて座っていた僕の視界に、真っ先に美月の端麗な顔が飛び込んできた。さらに彼女は、僕の顔を両手で包み込むようにしていた。
「うぉえ……美月? ……あれ、ミーティングは?」
「とっくに終わったわ。まったく生気を感じられなかったけれど、ちゃんと生きている? もしかして体調が悪い?」
「あ、いや……その……」
スタメン落ちしてキミの期待を裏切った、ごめん――なんて言って頭を下げれば、優しい美月はきっと許してくれる。
だが、それは違う気がする。さんざん世話になっているくせに失敗したのだから、きちんと罰を受けないと。
「そう。じゃあ、落ち着くまでここにいましょうか」
美月はおもむろに隣の席へ腰掛けた。続けて視聴覚室の前方へ顔を向け、「私が付き添うので皆さんは戻っていてください」と言う。
僕もつられて視線を動かすと、心配そうな顔の玲音と目があう。その周囲には、比較的仲の良いDチームメンバーたちがいた。
さらに後ろの廊下からは、白石くんを筆頭とした陽キャ軍団が顔をのぞかせ、こちらの様子をうかがっていた。
「わかった、ここは神園に任せる。兎和も何かあったら遠慮なく連絡してくれ。俺は味方だということを忘れるな」
「――いやいや、ここで二人だけを残すのはマズいだろ。神園に何かあったらどうする」
僕の心情に配慮してくれたのか、ありがたくも玲音は皆をつれて場を離れようとした。
ところが、待ったをかけた者がいる。集団より歩み出てきたのは誰あろう、もう一人の白石くんだ。
意中の超絶美少女が、自分以外の男と二人きりになるのを許せないのだろう。もっとも、相手が僕であれば取り越し苦労でしかないが。
「おいおい。シロタカよ、そりゃあ野暮じゃねえか。だいたい兎和は、ヤリチンのお前と違って誠実なんだ。別に二人をここに残したって、そうおかしな話にはならねえよ」
「はァ!? 誰がヤリチンだ……! つーか、関係ないヤツがしゃしゃり出てくんな!」
「俺は兎和のマブダチだぜ? バリバリ関係者だ。で、お前はどうだ? そっちの理屈でも、引っ込むのはお前の方だろ」
「テメエ……黙れ。俺にはチームの代表者として見届ける責任がある! 不祥事があれば全体の問題だ」
対峙してにらみ合う二人。
身長180センチ近い玲音が、やや背の低い白石くんを見下ろす形となる。
空気を裂いて交錯する視線。瞬時に緊張感が高まり、この場に居あわせたメンバーは息を潜めて成り行きを見守った。
贔屓目かもしれないが、玲音の瞳には燃えるような闘志が宿っているかに思えた。
一方、白石くんも負けじと威圧感を放つ。だが、少し戸惑いが見られる。
無理もない。あの南米ハーフイケメンには謎の凄みがある。僕なんて、初めて会話したときに何かの能力者ではないかと勘ぐったほどだ。
するとその直後、玲音は口端を上げて不敵に笑う。余裕のある態度を示し、心理的なプレッシャーをかけたのだ。
そこで、ついに白石くんの肩から力が抜ける。あわせて一息つき、視線を逸らす。
「……まあ、今は見逃してやる。絶対に変なことすんなよ」
渋い表情を浮かべた白石くんは、陽キャ軍団を連れて廊下の向こうへと去っていく。
玲音はその背中を見送った後、静かに息を吐く。次いでこちらに向かってサムズアップしながら、やはり仲間たちと共に立ち去った。
視聴覚室に残ったのは、僕たち二人だけ。
「あれが男の戦いなのね。なんか、迫力満点だったわ」
珍しいものを見られた、と美月はご満悦の様子。
しかしすぐに引き締まった表情でこちらへ向き直るや、優しく「何があったの?」と問いかけてきた。理知的な輝きを秘めた青い瞳に射抜かれる。
どう伝えたらいいのか迷い、視線をそらす……とはいえ、僕なんかの小細工が通じる相手ではない。無言だったにもかかわらず、あっさり内心を悟られてしまう。
「もしかして、スタメンに選ばれなかったから落ち込んでいるの?」
「…………僕を罵ってくれ。できるだけ汚い言葉で、二度と立ち直れないくらいに。何なら、そのへんのイスを使ってぶん殴ってくれたら嬉しい」
「また変なこと言いだしたわね。私を犯罪者にでもしたいのかしら」
「違う……僕はゴミカスキショキショモブヤロウなんだ。あれだけ世話になっておきながらこの体たらく。救いようがないだろ」
「もう、自虐しないの。そもそも、まだトラウマ克服の最中でしょ? 永瀬コーチもロングスパンで考えているわよ。それにこう言っては何だけれど、ユニティーリーグのプライオリティは高くない。あくまでU16世代の顔合わせを兼ねた育成リーグだもの」
美月が、永瀬コーチから直接聞いたという話を要約して教えてくれる。
僕のことは『年内に使い物になれば御の字』くらいの感覚で考えており、遅くても高校2年生で主力として活躍できれば問題なし。起用の目処がたたないのはさすがに問題らしいが。
なにより現状では、無理にユニティーリーグでスタメン出場させるメリットが見当たらなかったそうだ。
逆に長時間プレーした場合における精神的負荷の方を心配されてしまった。部内のみで行う紅白戦とは環境が異なるから、と。
「とにかく、焦らずやっていきましょう。大丈夫、私がついているわ。ていうか、サブメンバーなのだから試合に出場する可能性だってまだあるわよね?」
ユニティーリーグ東京の競技規定では、最大25名まで選手登録が認められている。しかしその内ベンチ入りできるのは、スタメン11名、サブメンバー9名、合わせて20名の選手に限られる(監督・コーチなどは別枠)。
では残りの5名は何かというと、怪我などの事態に備えたリザーブメンバー。調子によっては入れ替わるものの基本はベンチ外。他の登録外メンバーも同じく応援に回る。
確かに美月の指摘は間違っていない。サブメンバーであれば、ゲーム展開によっては出番が訪れるかもしれない……それでも、今度ばかりはスタメンに選ばれたかった。叶う期待もあった。
落選理由を聞いて納得はできた。けれど『自分の心が万全な状態だったら』と、どうしても考えてしまう。きっと美月と永瀬コーチを喜ばせることができたはずだ。
家族以外で期待を寄せてくれたのは、二人が初めてだったのに……こんな機会は生まれて初めてだったのに、どうして僕はこういつもダメダメなんだ?
環境が変わって少し前向きにもなれたのに、結局はこのザマ。
怪我が原因であれば、まだずっとマシだった。運がなかったと諦めもつく……だが僕は、プレー自体は可能。ただ全力をだせないだけで。
やれるのに、やれない。進みたいのに、進めない。
心と体が噛み合わずに乖離して、自分という存在がよくわからなくなってくる。そして、そんな不甲斐ないに自分に対する猛烈な嫌悪感を止められない。
美月はさらにあれこれと言葉を尽くして慰めてくれるので、余計に後ろめたさが募る。
ありがたいのに申し訳なく感じ、僕にはどう反応に困ってばかりいた。だから、ある意味助かった。
カーディガンのポケットに収まっていた彼女のスマホが、突然のバイブレーションによって存在を主張し始めたのだ。
「涼香さんだわ。このあと予定があって、車で待ってもらっているの」
「そうか……もう大丈夫だから、気にしないで行ってくれ。あまり待たせちゃ悪い」
スマホを確認した美月に予定を優先するよう告げる。これ以上、時間の浪費はさせられない。
僕も少し落ちつく時間が必要だ。このまま会話を続け、うっかり八つ当たりでもした日にはいよいよ目も当てられなくなる。
「そう…でも、何かあったらすぐに連絡して。一人でふさぎ込んでいるとネガティブな考えばかり浮かぶものよ。通話はむりでも、メッセージはいつでも見られるからね」
「わかった。ありがとう」
心配そうに振り返りつつ、視聴覚室を後にする美月を見送った。
それから僕は、5分か、10分か……ただ脱力して、その場でぼうっと過ごす。ちょっと動く気になれなかった。
しかし、このまま呆けているわけにはいかない。落ち込むにしても、視聴覚室ではまた誰かに迷惑をかけるかも。ならせめて、家のベッドへ潜り込んでからにするべきだ。
溶けた鉛を流しこまれたみたいに体は重いが、どうにか足を動かしてひとまず部室を目指す。荷物を回収しなくてはならない。
階段をくだり、サッカー部専用グランドと通じる渡り廊下に差しかかる。
そして、そこで足を止めた。
「よお、兎和。遅かったな。ちょっと話があるから付き合ってくれよ」
松村くんが、なぜか僕を待ち受けていた。
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