僕の名前を

茗荷わさび

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枸櫞の香り

第十五話

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 すやすやと巴が無防備に眠っている。
 俺は窓から月を見ながらさっきの記憶を思い出そうとしていた。

 巴の涙を見たとき、蘇った記憶。

 消えかけている幼い記憶。

 同じ目をした人を俺は知ってる。




 放課後になると俺は区の境界ギリギリにある大きな公園で遊んでた。午後5時を知らせる歌が流れるとみんな散り散りになり家路につく。

 けれどその子は俯いてブランコに乗っている。
 俺とおんなじ、家に帰らなくてもいい。

 寂しそう。
 悲しそう。

「あそぼーよ」
「え…………?」

 俺はその子の隣に座ってブランコをこいだ。
 多分泣いてる。

「西小じゃないの?」
「ボクは東小学校だよ」

 その子は答えてくれた。

「名前は? オレは長政」
「ながまさ?」
「うん」
「ボクは……」



 口に手を当て目を瞑り、記憶の紐を辿る。




「待って! ながましゃ……」

 年齢を聞けば同い年だというのに俺よりだいぶ小さくて細くて、今となれば舌っ足らずで言葉も危うかった。慌てると「ながましゃ」って呼ぶのが可愛くて鬼ごっこばっかしてた。

「言えてねーじゃん」
「言ってる! ながまさだろ」
「おぉ……」

 前髪が目のギリギリ上で切り揃えられて艶のある黒髪がサラサラで、俺の茶色い癖っ毛をライオンみたいって茶化してた。
 でも俺のこのライオンみたいな髪もこの子が屈託なく笑ってくれるのなら役に立ってるんだ。

 他のやつは外国人とか、好奇の目を向けてくる。でもその日から俺のコンプレックスはチャームポイントになった。

 毎日毎日その公園に行って、ヒーローごっこしたり、折り紙持っていったりその子を楽しませるために一生懸命になった。けれど、別れというのはある日突然にやってくる。

「てんきんって知ってる?」
「てんきん?」
「お父さんが引っ越しするからって、学校も通えないし、ここにも来れない………うぅ」

 その子が耐えきれずに泣いた。

「ボク、お母さんが居なくて寂しかった」
「お母さんいないの?」
「うん、でも……ながましゃに会って……寂しくなくなったのに……うぅ…っ」
「オレもママしかいないんだ」
「そうなの?」
「だから同じだね」
「運動会もひとりだった? 参観も、母の日も……」

 俺は言葉に詰まった。
 全く同じじゃなかった。
 だから俺は笑っていられるし、この子は泣いているんだ。

 何回も振り返りながらバイバイって小さい手が。
 泣き顔で俺に笑ってて。
 俺はその背中に何回もその子の名前を呼んだ。




 俺は涙を流していた。

「……長政?」

 寝癖の顔がこっちを心配そうに見てる。俺の顔を見て慌てて布団から出てきて俺に駆け寄る。

「どうしたんだよ……」

 俺は背を丸めて巴の胸に縋るように抱き寄せた。


 トモくん、トモエくん

 俺はそうその背中に叫んで見えなくなるまで手を振っていた。

 あれは確かに巴だ、俺達は会ってた。




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