2 / 42
第一章 ブラウンヘアの男
第二話
しおりを挟む
あの初顔合わせからあれよあれよと入籍して、新婚の父親が契約したのは駅近の4LDKの高層マンションだった。数年もしたら息子たちが巣立っていくことを考えて賃貸にしたという。
これまでより都会に近づいたが逆に郊外にある高校からは電車で20分も遠くなってしまった。その分早く出なければならないしラッシュに揉まれることになる。
それに引き換え、父親は都心にある会社に通勤しやすくなった。今まで俺が我慢して通勤してたんだと言われてしまえばあと一年通うだけの自分は何も言えない。
「再婚とはいえ新婚だろ、二人で暮らせよ」
「そんなわけにいくかよ」
「なんで、僕はこのままひとりでいい。この家でひとり暮らさせてくれよ」
「向こうが気にしてるんだ、わがままを言うな」
わがまま?
このままこの家で今までの日々を、詰まらない日々を過ごしていきたいと言うのは僕のわがままなのか。
「長政くんと三人で暮らしてお前だけひとりというわけにはいかない、そうだろ。それにさっきからなんだ、ひとり、ひとり、って、寂しかったのか。俺は働いているんだ、嫌味を言うくらいなら絢子と暮らせることを幸せに思ったらどうだ」
絢子、そうだ、そんな名前だった。
父親は早口で捲し立てている。
僕は分からなくなった。
仮にこの気持ちが寂しいというものであれば、その寂しさは継母が埋めてくれるものなのか。
寂しいという気持ちはいったいどこから来るのだろう
元々あったものが無くなったから寂しいのか
元々ないものを探して寂しいのか
何が無いから寂しいのだろう
早くこの家から出よう。
この父親から離れたい。受験する大学をどこか遠い地方にしてしまえばいいんだ。一層のこと北海道とか、九州にしてしまおうか、国立なら奨学金を申請してあとはバイトでなんとかしよう。ひとり暮らしをせざるを得ないそういう状況にしてしまえばいいんだ。
翌日、父親が呼んだ引越し業者が打ち合わせにやってきた。父親は不在で、僕に押し付けたということだ。営業に渡された見積書を見れば家具や家電製品はすべて処分することになっていた。
全ては不用品。
この家も、暮らした過去も、きっと僕も。
「すっきり住まわれてますねー」
「え?」
「引っ越し屋としては助かります」
物がないと言いたいらしい。
17年暮らした家なのに、生活感がない。引越し業者が帰ったあと自室に戻り、業者が置いていったダンボールをひとつ組み立ててみる。
そうか、最初から持っていきたいものなんてないや。
引っ越し当日は、さすがに父親がいた。引っ越し業者が手際よく不用品を持ち出していく。僕の部屋からも学習机やベッドなども持ち出されてしまい、荷物は段ボール十個だけ。
それなりに愛着はあったが新しいものを用意するからと言われれば、それでいい。どうでもよかった。
父親の運転で新居のマンションへ向かうと、今度は家具屋の作業員が手際よく新調した家具を運び込んでいるところだった。
中に入ると初めて会った時とは違うラフな格好にエプロンを付けて継母は作業員に指示を出していた。
「おはよう!巴くん!」
「……はよう…ございます」
緊張で口篭った僕に、辛気臭いんだよと後ろから父親が追い抜いてダイニングルームに入っていった。父親は継母に手伝って荷解きをし始めた。
楽しそうに笑ってる。
「おにーちゃん、パパと仲良くないの?」
後ろから声がしてビクッと身体が跳ねた。長政が廊下の壁に凭れかかっていた。いつからそこに居たんだ?
「あ、脅かすつもりはなかったんだけど」
長政が少し申し訳なさげに言ったから腹が立った。
「……パパ?」
「俺はママのことママって呼んでるから」
その理屈、ガキだな。
「この二部屋が俺とおにーちゃんの部屋だってさ、どっちがどっち使う?」
「別にどっちも同じだろ」
「違うよ、窓がこっちは一個で、こっちは二個」
長い指がピースサインをして二個を表している。
「おにーちゃん決めていいよ」
「は? 僕はどっちでもいいよ」
「おにーちゃんだから先に……」
この無駄な遠慮にイラッとする。
長政の言葉を遮るように無視して自分に近い方のドアノブに手をかけた。
「……分かった。じゃ俺はこっちね」
長政はもうひとつの部屋に入っていった。
「はぁ……」
まじで人と暮らすってストレスだな。
ガチャリと中に入るといきなり風が吹いて思わず目を細める。大きな掃き出し窓が開いていてカーテンが風で煽られていた。後ろ手でドアを閉めると、風が穏やかになりカーテンもおとなしくなる。
見回すと他に窓は無くこの掃き出し窓だけ。カーテンの隙間から顔を覗かせると広いバルコニーがあった。さらに窓の外に顔を出し左右を確認すると右側にバルコニーが続いていてそこにもうひとつ掃き出し窓がある。
……まさかだが、あいつの部屋とバルコニーで繋がっている。
それを理解すると直ぐに顔を引っ込めて窓を閉めた。すぐにカーテンも閉めた。振り返り窓に凭れる。
改めて部屋を見回すと新しい学習机とベッドかあり、ベッドに布団一式が乗っていた。可もなく不可もない。
引っ越し業者が帰っていくと少し静かになる。
父親たちは買い物へ出かけていった。僕は五分とかからないで運び込まれた十個の段ボールを一つずつ開けていく。
服はクロゼットにしまい、本は本棚がないから学習机に乗り切らない分は部屋の端に並べた。
壁の向こうから、ガタガタと物音が聞こえる。
長政がいるということが分かる。
人と暮らすということ。
もう明日からは新学期、高校三年になる。
これまでより都会に近づいたが逆に郊外にある高校からは電車で20分も遠くなってしまった。その分早く出なければならないしラッシュに揉まれることになる。
それに引き換え、父親は都心にある会社に通勤しやすくなった。今まで俺が我慢して通勤してたんだと言われてしまえばあと一年通うだけの自分は何も言えない。
「再婚とはいえ新婚だろ、二人で暮らせよ」
「そんなわけにいくかよ」
「なんで、僕はこのままひとりでいい。この家でひとり暮らさせてくれよ」
「向こうが気にしてるんだ、わがままを言うな」
わがまま?
このままこの家で今までの日々を、詰まらない日々を過ごしていきたいと言うのは僕のわがままなのか。
「長政くんと三人で暮らしてお前だけひとりというわけにはいかない、そうだろ。それにさっきからなんだ、ひとり、ひとり、って、寂しかったのか。俺は働いているんだ、嫌味を言うくらいなら絢子と暮らせることを幸せに思ったらどうだ」
絢子、そうだ、そんな名前だった。
父親は早口で捲し立てている。
僕は分からなくなった。
仮にこの気持ちが寂しいというものであれば、その寂しさは継母が埋めてくれるものなのか。
寂しいという気持ちはいったいどこから来るのだろう
元々あったものが無くなったから寂しいのか
元々ないものを探して寂しいのか
何が無いから寂しいのだろう
早くこの家から出よう。
この父親から離れたい。受験する大学をどこか遠い地方にしてしまえばいいんだ。一層のこと北海道とか、九州にしてしまおうか、国立なら奨学金を申請してあとはバイトでなんとかしよう。ひとり暮らしをせざるを得ないそういう状況にしてしまえばいいんだ。
翌日、父親が呼んだ引越し業者が打ち合わせにやってきた。父親は不在で、僕に押し付けたということだ。営業に渡された見積書を見れば家具や家電製品はすべて処分することになっていた。
全ては不用品。
この家も、暮らした過去も、きっと僕も。
「すっきり住まわれてますねー」
「え?」
「引っ越し屋としては助かります」
物がないと言いたいらしい。
17年暮らした家なのに、生活感がない。引越し業者が帰ったあと自室に戻り、業者が置いていったダンボールをひとつ組み立ててみる。
そうか、最初から持っていきたいものなんてないや。
引っ越し当日は、さすがに父親がいた。引っ越し業者が手際よく不用品を持ち出していく。僕の部屋からも学習机やベッドなども持ち出されてしまい、荷物は段ボール十個だけ。
それなりに愛着はあったが新しいものを用意するからと言われれば、それでいい。どうでもよかった。
父親の運転で新居のマンションへ向かうと、今度は家具屋の作業員が手際よく新調した家具を運び込んでいるところだった。
中に入ると初めて会った時とは違うラフな格好にエプロンを付けて継母は作業員に指示を出していた。
「おはよう!巴くん!」
「……はよう…ございます」
緊張で口篭った僕に、辛気臭いんだよと後ろから父親が追い抜いてダイニングルームに入っていった。父親は継母に手伝って荷解きをし始めた。
楽しそうに笑ってる。
「おにーちゃん、パパと仲良くないの?」
後ろから声がしてビクッと身体が跳ねた。長政が廊下の壁に凭れかかっていた。いつからそこに居たんだ?
「あ、脅かすつもりはなかったんだけど」
長政が少し申し訳なさげに言ったから腹が立った。
「……パパ?」
「俺はママのことママって呼んでるから」
その理屈、ガキだな。
「この二部屋が俺とおにーちゃんの部屋だってさ、どっちがどっち使う?」
「別にどっちも同じだろ」
「違うよ、窓がこっちは一個で、こっちは二個」
長い指がピースサインをして二個を表している。
「おにーちゃん決めていいよ」
「は? 僕はどっちでもいいよ」
「おにーちゃんだから先に……」
この無駄な遠慮にイラッとする。
長政の言葉を遮るように無視して自分に近い方のドアノブに手をかけた。
「……分かった。じゃ俺はこっちね」
長政はもうひとつの部屋に入っていった。
「はぁ……」
まじで人と暮らすってストレスだな。
ガチャリと中に入るといきなり風が吹いて思わず目を細める。大きな掃き出し窓が開いていてカーテンが風で煽られていた。後ろ手でドアを閉めると、風が穏やかになりカーテンもおとなしくなる。
見回すと他に窓は無くこの掃き出し窓だけ。カーテンの隙間から顔を覗かせると広いバルコニーがあった。さらに窓の外に顔を出し左右を確認すると右側にバルコニーが続いていてそこにもうひとつ掃き出し窓がある。
……まさかだが、あいつの部屋とバルコニーで繋がっている。
それを理解すると直ぐに顔を引っ込めて窓を閉めた。すぐにカーテンも閉めた。振り返り窓に凭れる。
改めて部屋を見回すと新しい学習机とベッドかあり、ベッドに布団一式が乗っていた。可もなく不可もない。
引っ越し業者が帰っていくと少し静かになる。
父親たちは買い物へ出かけていった。僕は五分とかからないで運び込まれた十個の段ボールを一つずつ開けていく。
服はクロゼットにしまい、本は本棚がないから学習机に乗り切らない分は部屋の端に並べた。
壁の向こうから、ガタガタと物音が聞こえる。
長政がいるということが分かる。
人と暮らすということ。
もう明日からは新学期、高校三年になる。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
66
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる