寡黙な剣道部の幼馴染

Gemini

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喪失

第十一話

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 暗く、とても寒い。
 俺は裸足で氷上に立っている。一歩踏み出せばパキパキと小さく音を立ててひび割れて、それが氷全体に広がっていく。思わず後ずさり周りを見渡すと遠くで兄貴が笑っていた。両親たちに囲まれて楽しそうにしている。俺のことなんか誰も見ていない。次第に氷面にできたひびは深くなりこちらへ突き進んで来る。やがてそのひびは足元までやってくると俺は湖の底に落ちていった。

 そんな夢ばかりを繰り返し見る。




「同じ夢か。お兄さんの命日だったし潜在的に思い出しているのかもしれないね」

 ソファーに座り俺の話をじっと穏やかな表情で聞いていた医師が、話し終えるとカルテに何か書き込んだ。

「眠れているかい?」
「いえ、薬があれば、眠れます」
「そうですか」

 医師はカルテをペラリと捲る。

「処方された量より多く飲んではいけないよ、今回は前回より少なめに出すから」


 俺は心療内科を出た。通い始めて三年になる。アキレス腱を断裂して剣道をすっかり止めてしまった時、異変に気がついた父が俺をここに連れてきたんだ。
 最近はひどいとき以外は飲まずにいられていた。智さんとの再会からまたあの夢を見るようになってしまった。再会出来て嬉しいはずなのに、何故また苦しめてくるのだろう。

『間違ってるよ!……いや、間違ってないんだけど……、プラスでお前も幸せじゃないと』

 七回忌で言われた智さんの言葉が頭の中で繰り返される。



 
 俺は兄貴みたいにならないといけないのに。
 そもそも俺と兄貴は性格は真逆で、兄貴は太陽みたいな笑顔でみんなを幸せにする人。頭脳明晰、剣道も強すぎて警視庁にまで稽古に行ってた。医者じゃなくて警察の高官になればいいのにとよく言われていた。冗談でも俺にそんなことを言う人はいない。俺はうまく笑うことも出来ない無愛想な弟。

 ひとりの部屋に戻ると、衝動的に薬を一気に飲み込みベッドに倒れるように寝転んだ。
 
 同級生からも後輩からもみんなから慕われてた。みんなが兄貴を中心に生きてるみたいな。俺はずっと兄貴の付属品。いや、透明人間だ。無関心、好きでもなければ嫌いでもない。そんなやつ居たっけ、の存在。

 智さんも兄貴のまわりに居るうちのひとりだった。高校で転校してきて同い年の兄貴はすぐに友達になった。兄貴は智さんの境遇を母から聞いて気にかけるようになって、智さんもそれに応えるようにすぐにこの町に馴染んだ。

 けど、智さんは他のやつとは違った。
「有馬くんは何年なの?」俺を兄貴の弟だと知っていた。名前を呼ばれていきなりの二足発進で俺は心臓が破裂するかと思った。名前で呼ばれた。「将馬の弟」じゃなかった。

「……小五です」
「へぇ! 大っきくない? 背の順、後ろの方?」
「一番うしろ……」
「一番後ろなの? すげー! 憧れ!」

 それは兄貴にも負けない、ひまわりのような笑顔だった。

「ん? なに?」

 そこへ、兄貴がやってきた。

「有馬って背の順一番後ろなんだね」
「俺だってずっと一番後ろだ」
「なんで、そこ競うかな」

 無邪気な笑顔はすぐに兄貴に向けられて、俺の物じゃなくなる。ひゅっと首元が締め付けられるみたいな感覚に背筋に汗が流れた。直に分かった。あれは兄貴の威嚇だった。

 ふたりは相思相愛。聞いたことはないけど雰囲気では分かってた。兄貴が智さんの肩を組むといつも嬉しそうに兄貴の顔を見上げてた。俺はそんな智さんをずっと兄貴の後ろで見てた。

 俺は兄貴がいなくなって欲しいと思ってたんだ。




 やたらと昔を思い出してムカついて、ベッドから起き上がるとトイレに駆け込んだ。

「ハァハァ……はぁ……っ……………っ」

 膝に顔を埋めて声を殺した。





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