Maybe Love

Gemini

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吾妻という男

第十話

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「もうこんな時間か」

 図書館の壁掛け時計を見ると二十時を回っていた。

 一緒に来た吾妻とは資料室の前で別れていた。お互い終わる時間が未定だったため、一緒に帰る約束はしていない。

「お腹もすいたし帰ろうかな」

 伊都は荷物をまとめいつものように本を抱え貸し出し口で本を借りると出口へ向かう。すると吾妻も分厚い法律の本を抱えて資料室から出てきた。伊都に気がつくと眉を下げて笑顔になる。

「伊都、これ借りたら終わりだから待ってて。バス停まで送る」
「うん」



 このところ、吾妻はバス停まで送ってくれるようになった。
 バス停まで肩を並べて歩くふたり。

「腹減ったな」

 吾妻が胃のあたりを擦りながら言った。

「伊都は? お手伝いさんが作って待っててくれてるのか?」
「ううん、もうこの時間だとデリバリーが届いてるはずだからそれ食べるんだ」
「勝手に届くのか?」
「レストランに行けるときは行ってそっちで食べるんだけど、二十時までに店に行かないと自動的に家にデリバリーしてくれることになってるんだよね」
「ん? お手伝いさんは帰っちゃうのか?」

 話を聞きながら眉を寄せて考え巡らせている吾妻。

「今の家にはお手伝いさんはお願いしていないんだ」
「今の家にはって?……そういえば家から大学まで遠いだろ、バス通学大変じゃないのか?」
「今、近くのマンションから通ってるから大丈夫だよ、実家は貸し出してるんだ」
「マンション……?」

 吾妻が急に足を止める。それに気づいた伊都は振りかえる。

「もしかして独り暮らししているのか?」
「うん、大学に入ったときからね」
「伊都が? 独り暮らし?」
「小さいときから母さんは家には居ないし独りには慣れてるよ、まぁお手伝いさんはいたけど」
「伊都が独り暮らしね……」
「……なんだよ」

 眉を上げて不適な笑みを浮かべている吾妻に肘で小突く。

「で、大抵はデリバリー?」
「うん」
「……甘やかされてんなぁ。まぁ自炊してるって言われても信じないけど」

「吾妻も今度遊びに来て、……といってもなにがあるわけじゃないけど」
「いく、いきたい。今日は?行っていいか?」
「あ、うん、いいけど」
「よし!!」

 吾妻のテンションがいきなりあがって少し驚いてしまった伊都。よほどお腹がすいているのだろうか。

「じゃぁバス停じゃなくて駐車場向かおう」

 吾妻が翻す。こっちと手招きする。

「駐車場?」
「俺はいつも車で来てるから」
「そうなの?」

 てっきり電車で来ていると思っていた伊都は到着してさらに驚いた。

「一般駐車場を月極で借りてるの!?」
「だって大学の敷地内の駐車場は職員専用で学生は駄目だって」
「そりゃそうだと思う」
「イギリスは車で通学オッケーだったし、日本の電車複雑で混んでるし無理」

 それで大学の近くの駐車場を借りているだなんて。

「自分の車がまだ届かなくて親父の車借りてんだ。じゃ乗って」

 吾妻が歩み寄った車は青いスポーツカーだった。体を詰め込むように運転席に乗り込む吾妻。吾妻にはスポーツカーの席はキツイようだ。もちろんとっても似合っているけれど。

「シートベルトした?」
「したよ」
「では、ナビをお願いできますか?」
「はは! どんなシチュエーション?」
「王子をご自宅にお送りしないと」
「やめてよ」

 片方の眉を上げニヤニヤしてこちらを見る。
 ディズニー映画の王子様のような眉の上げ方、伊都はその笑顔を見るのがとても好きだ。

「ほ、ほら、えっととりあえず大通り出て」
「了解」


「それで? どんな店なの?」
「デリバリーの料理のこと?」
「うん」
「イタリアンかな。母さんの友人のレストランなんだけど、オーガニック専門店でとても美味しいよ」
「へぇ、楽しみだな」

 信号待ちのたびに吾妻は伊都を見て話をする。

「それに、日替わりで僕のこと飽きさせないように作ってくれるから楽しいし、美味しいし、ここ以外浮気できない」
「胃袋も掴まれているわけか」

 吾妻は眉を下げて微笑む。

「あ、信号青だよ」
「あぁ」




 高層マンションの地下駐車場の来客用スペースに車を停めるとエントランスのある階までしか行かないエレベーターに乗る。来客用スペースからは直接住居エリアには行かない設計になっているという。

 エントランスのある階で降りると目の前に警備室がありその受付を通らないとエントランスに入ることができない。伊都が電子キーで解錠すると警備員は優しい笑顔だけを向ける。すると広い空間が現れた、ようやくエントランスホールだ。

「おかえりなさいませ、楠様。デリバリーが届いておりますよ」
 コンシェルジュが荷物を持ってくる。

「ありがとうございます」
「伊都、俺が持つよ」
「うん」

 荷物を受け取りエレベーターホールに行くと階層ごとに乗るエレベーターが分かれていた。ひとつのエレベーターのパネルに再び電子キーをかざすとエレベーターのドアが開く。

「吾妻、乗って」

 伊都は吾妻を促す。

「伊都、ここ伊都のお母さんが決めたんだろ」
「分かるの?」
「この高度なセキュリティー、お母さんのおもーい愛を感じる」
「あはは! 重い愛? たしかに」
「俺も安心だ、伊都のお母さんの気持ちわかる」
「でも火事とかなったらどうしようって思うときある」
「たしかにな」

 エレベーターは伊都の住む階層に直通だった。

「リビングで座ってて」
「俺も手伝うよ」
「いいよ」
「俺は客のつもりじゃないから」
「……うん」
「もてなすとかそういうの俺には要らないよ。俺らはそういう仲じゃないだろう?勝手にしたいってわけじゃない、俺に気を遣うなってことだ。一緒にやりたいんだ」

 わかったか?と片方の眉毛をあげ保冷バッグから手際よくパックを取り出す吾妻。

「皿は適当に出していいか?」
「うん」

 カップボードを指差す吾妻に伊都は頷いた。

 料理をふたりで皿に盛る。吾妻はサラダを下に敷いてからチキンを並べたり、料理をしている人の手つきで伊都は驚いた。

「うまそうだな。伊都は毎日これ食べてるのか、幸せだな」
「いつもはパックのまま食べちゃうんだけど、お皿に移すとやっぱり違うね」
「独り暮らしはそんなもんだ」

 料理をテーブルにならべて二人は向かい合って座った。

「さぁ食べよう」
「いただきます」


 このマンションに越してきて4年目。吾妻に遊びに来てと気軽に声をかけたけど、この部屋に誰かが来たのは初めてで、この部屋で誰かと食卓を囲むなんて想像もしていなかった。ましてやその相手が吾妻だなんて。

 いつもテレビを見ながら、味なんて感じなかった料理が今日は特別な料理に感じる。人の心がこんなにも感覚を変えてしまうだなんて。


「ねぇ、吾妻、イギリスの寮のごはんはどうだったの?」
「じゃがいもばっかですぐ飽きて自炊始めた」
「中学生で?」
「うん。だって主食がじゃがいもだよ?飽きるよ」

 いつもの片方の眉を上げてわざと睨むような表情をする。

 揶揄うように眉をあげてみせるのも、
 優しく眉をさげて笑うのも
 表情豊かな吾妻に伊都は血が通っていくようなじんわりとした温かさを感じていた。

 そしてその眉の仕草がどうにも愛おしい。

「じゃがいもって飽きる?」
「飽きる、すぐ飽きる」
「そうかな、美味しいじゃん」
「いや、飽きる」
「チップスが有名だよね」
「それだって一ヶ月もしたら飽きる」


 向かい合い顔を寄せ合いふたりで大笑いした。





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