最後の恋煩い

Gemini

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第一章

第十話 ルーカスの正体

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 翌日、イスタンブールのホテル内のレストランに三紀彦は居た。
 昨夜日本大使館から元親と共にタクシーでイスタンブールの滞在先へ戻ってきたのだ。気分は強制送還だ。アナトリアで二泊する予定だったのに。

「まだ一泊もしていないんだぞ!」

 そうタクシーで怒りを露わにすると、元親にギロリと睨まれた。

「あぁ、電話に出るんじゃなかったよ。……こっちは雪とワインで乾杯をと……くそっ」
「それはごめんて、雪クンにも直接謝らせてくれよ」
「それは雪に会いたい口実じゃないだろうな」
「はぁ……」

 三紀彦は、大いにため息をついた。

「すまなかったよ、ホント」

 三紀彦は頬杖をついて車窓を眺めた。真夜中でその先は何も見えず、窓ガラスに元親の端正な横顔が写り込んでいるだけだ。
 ──ホントに憎らしいほどに美しいアルファだ。







「ランチとか、……んとだるい」

 タクシーでホテルに戻ったのは夜中の二時を過ぎていたと記憶している。風呂から上がると元親がワイン片手に部屋にやってきて付き合わされた。『雪は伏見氏に任せてきたから』とやってきたのだ。どうやら三紀彦に呼び出された時に伏見氏に雪クンを預けてホテルを出たらしい。部屋にひとりで置いておくことも許さないほどに、元親は雪クンが大切だ。
 しかし目覚めたのは元親からのモーニングコールだった。いや、叩き起こされた。元親の姿は既に無く、朝方戻ったのだろうかと、二日酔いの鉛のように重い身体を無理やり起こすとシャワーを浴びた。そうしてすぐにこのレストランへやってきたところだ。


 入り口のラウンジで三紀彦は二日酔いの頭をさすった。

「すみません、水をくれますか」
「かしこまりました」

 ウエイターから水をグラスに注がれるのを待っていると、ちょうど元親と雪クンがやってきた。

「お、私達より早く着いたな」と元親は意外な顔をした。

 イスタンブールで最も格式高いホテルのレストラン。予約された席には、元親とその婚約者の雪クンと、雪クンの祖父母である伏見夫夫が相介した。
 詳細は語らずだが伏見氏はよくトルコへ出張に来ているらしい。伏見家は代々オメガの伝統ある家系で、アルファを含めた経済界でもトップに君臨している謎多い家柄だ。
 
 知った顔と異国で待ち合わせとは。なんとも不思議な気持ちで三紀彦はポタージュを啜った。

「堤、あれを見ろ」
「ん? なんだい?」

 隣にいる元親が少し近寄って囁いた。元親の視線を辿るとそこには驚くべき光景が広がっていた。

「まさか……」

 ルーカスがレストランに現れたのだ。それも後ろに何人もの部下らしき人を引き連れてこちらに向かって歩いてくる。

「あ……」

 三紀彦より早くすっと立ち上がったのは元親だった。そんな元親にルーカスが挨拶の握手を差し出した。

「昨夜は友人を助けて頂いて感謝します」

 二人が握手をすると、元親はいつまでも茫然自失としている三紀彦を見て怪訝そうな顔をした。三紀彦は慌てて立ち上がった。

「昨夜はどうも……ありがとうございました」
「よく眠れましたか?」

 ルーカスはにこっと笑った。

 ──こんな貼り付けたような笑顔ができるのか。

「ご家族ですか?」

 ルーカスがテーブルを見渡した。

「ゆ、友人と、その家族です」

 三紀彦が紹介するとルーカスは手前に座っている伏見夫夫を見やった。

「あなた方をどこかでお見かけしたことがあると思ったらミスター伏見ではありませんか」

 なんとルーカスは伏見夫夫のことも知っているようだ。

「私を知っているのですか」

 伏見氏は驚く様子もなくルーカスと握手した。上位オメガである伏見家はアメリカでも有名なのだろうか。それとも興味か。

「私も君のお父上を存じ上げていますよ。ベルギーでよくお会いする。よかったら一緒にどうですか」

 伏見氏は立ち上がり隣の席に促すような仕草をした。するとルーカスは脱帽し伏見氏に敬意を示した。

「職務中なもので」と丁重に断ったのだ。
「そうか、そうですね。ではまたいつかお会いしたときには必ずですよ」
「えぇ、承知しました。では」

 ルーカスは再び制帽を被ると一礼しこの場を去った。三紀彦は最後までルーカスを見つめていたが、視線をくれることはなかった。ルーカスのあとを部下たちがぞろぞろと付いていく後ろ姿を、少し寂しい気持ちで見送った。



「堤、いい加減座れ」
「あ、うん」

 元親にそう冷たくそう言われて突っ立っていたことに気がついた。力なく三紀彦はふらりと椅子に座った。

「怪我でも気になるか?」
「え?」
「私が迎えに行ったとき手当てをしていただろう」
「あー、うん。腕の怪我はそんなに酷くなかったから大丈夫だと思う」
「大丈夫」
「うん、大丈夫」

 元親がじっと見つめてくる。別に変な回答はしていないはずだと、三紀彦はポタージュの残りに手を付けた。


「あのお方は、軍人さんなんですか? 制服が素敵でしたね」
「あれはアメリカ将校だよ」

 フルートの音色のような声の雪クンが会話を促すと、元親が雪クンの後ろ髪に触れながら愛おしそうに見つめて教えた。

 そうだ。ルーカスは濃い深緑の軍服を着ていたのだ。アメリカ将校の、しかも位の高いバッジを付けていた。
 昨日のラフなTシャツ姿とは対象的に、緊張感のある出で立ちをしていた。三紀彦には詳細にはその地位や見分けは分からないが、後ろに何人も引き連れていたことからすると、位が高いことは確かだ。

「将校? それは地位のようなもの?」

 雪クンが首を傾げ元親に聞いた。三紀彦もじっと耳を傾ける。

「肩のバッジで分かる、エリート中のエリートだよ。戦場では指揮を取り、兵士たちを統率するんだ」
「戦場? そんな命がけなことを……」

 眉をひそめ不安げな表情をすると、反対側に座っている伏見氏が雪クンの手を取った。

「きっと彼は戦地へは赴いても戦場へは決して出ない。戦うのは兵士だからね」

 それでも雪クンは伏見氏に心配げな視線を向けていると、伏見氏は同情するように小さくため息をつく。

「悲しいかな戦争は未だ世界のどこでも起こっているんだよ」

 雪クンは小さく頷いた。

「日本人は忘れがちだが、このトルコの周りでもアフガニスタンやシリアで紛争は続いている」
「アメリカは首を突っ込みたがりですよ」

 呆れたように元親はそう言って肩を竦めた。

「そういえばお祖父さま。先程の方のお父様とお知り合いだと……」
「あの方のお父上はアメリカの陸軍参謀総長であられる。サマーオール氏だ。何度かベルギーの会議でお会いしたことがある」
「サマーオール参謀総長の子息か」

 元親は背もたれに寄りかかり顎に手を置いた。

「あぁ、しかし、最近の噂ではエリートから外れているとのことだよ」
「へぇ、そうなのですか」
「お父上とは反りが合わないのかもしれん」

 その言葉に元親はピクリと眉を上げた。

「案外、君と話が合うかもしれないよ?」

 伏見氏が片眉を上げて元親に言うと、元親が苦笑いをする。

「まぁ、次の大統領選挙で政権が変われば戦争が少しは減るでしょう」

 伏見氏は話を終わらせると、ウエイターを呼んだ。


 三紀彦は肩に見た古傷を思い出していた。ルーカスは軍人だったのだ。
 元親の言うとおりエリートは戦場に立たないのならあの傷はなんだろう。若い頃やキャリアを詰む前なら有り得るのだろうか。

「あまり、近づくなよ?」
「え?」
「お前はアルファだが自由気ままにし過ぎていて、あまりにこの世界に無関心だ。下手に付き合うにはアルファの世界を知らなさすぎる」
「はいはい。僕はただの天才形成外科医ですからね」

「ふふ」雪クンが笑った。鈴の音のようにコロンコロンと破顔させるのだ。

 やれやれと首を振り、婚約者へは優しい眼差しを向ける。雪クンのまつ毛に引っかかった前髪を指先で解いてやると、雪クンは頬をピンクに染めて元親を見つめるのだった。





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