最後の恋煩い

Gemini

文字の大きさ
上 下
6 / 24
第一章

第六話 おばあちゃん似

しおりを挟む
「日本人は往々にして大人しいものだろう?」
「人によりけりだとは思うけど」
「まぁ……それはそうだが、往々にだ」

 ルーカスはコーヒーカップに口を付けた。
 三紀彦は手前に置かれたコーヒーカップを両手に包むと、冷えた指先にその温度を移す。コーヒーの表面をじっと眺めながら三紀彦は微笑した。ルーカスは三紀彦の変化に気がついてか、カップをソーサーに戻すと三紀彦が話し始めるのを静かに待っている。

「僕の祖母は天真爛漫でね。自分の心のままに生きるような人なんだ。そういうところがよく似ていると言われる」
「素敵なお祖母様じゃないか」
「だろう? 僕もそう思ってる。……でもそう言う兄貴たちの顔は迷惑そうな顔をしているからきっと褒めてないんだと思うなぁ」

 三紀彦はカラリとした笑顔を作った。ルーカスはじっと黙ったままだ。

「僕の祖母のお母さん、つまり僕の曾祖母はオメガだったらしい。曽祖父にはたくさんの番いがいて、曾祖母は明るくて聡明な女性だったけど精神衰弱で死んだんだと、三十歳にも満たなかったらしい」

 淡々と話す三紀彦の口調はまるで物語でも読んでいるかのようだった。

「お前はアルファなんだからアルファ男に振り回されない強い女になれと言っていたらしい。そう育った祖母が選んだ人は変わり者の物理学者でさ」
「物理学者……姓は同じく堤?」

 ルーカスが目を見張った。

「あぁ……そうだけど」
「ノーベル物理学賞を取った?」
「あぁ、そう!」
「一度パーティーでお見かけしたことかある。隣にいた女性も覚えているよ、着物だったからね。それが君のお祖母様なんだね」
「へぇ、僕と関わりのないところで祖父母に会っていたのか」

 三紀彦は感心した。世界は案外狭いということなのか。

「見かけた程度だがな。君のお祖父様の功績は後のニュートリノの研究に繋がっていく革新的なアプローチだった」
「へぇ、もしかしてルーカスも物理学者なの?」
「いや、違う。違うが物理に拘らずノーベル賞を受賞するほどの研究者は尊敬に値するだろう」
「へぇ……ありがとう。そんなこと言ってくれることあんまないからびっくり。へぇ……」
「ない? 何故だ。日本人同士こそ評価しあわないのか?」

 ルーカスが眉をひそめる。

「僕にそんなことを言ってくれるの、ってことかな。元親くらいだよ」
「その友人はちゃんとお祖父様を評価なさっている」

 三紀彦はどこか遠くを見つめ、ふと笑った。

「評価……どうかな。『あの偉大な堤教授からお前みたいな凡人の孫が生まれたのは由々しき事態だ』って感じ?」

 三紀彦は口をへの字にして眉毛を上げて、その幼馴染を気取ってみせた。ルーカスは驚いていた。

「そいつはそういう奴なんだ。僕もそこは自覚している。勿論おばあちゃんが悪いってわけじゃない。僕はおばあちゃん似だってだけ。……それでいいんだ。アルファにも色んなやつが居てもいいだろう?」
「……」

 ルーカスは何か言いたげだったが、口を閉じた。
 ルーカスはアルファで、纏うフェロモンからして上位だ。三紀彦の幼馴染の須賀元親という人物と同じフェロモンがするからだ。元親は日本の財閥で国内であれば彼より上に立つものは居ないだろう。

 ルーカスがどういう人物かは分からない。敢えて知ろうとは思わない。もう夜には分かれてまた知らない人になるからだ。ただ、上位アルファであろうルーカスから祖父のことを褒められて、少しだけ気が晴れたような気分になれた。ルーカスといる時間がもう少し長く続けばいいと思い始めていた。



 すっかり常温になってしまったコーヒーを啜ると、真っ直ぐで真面目そうなルーカスの視線とぶつかる。まるで心を読み取られてしまいそうで喉がひくつく。

 ルーカスはどんな職業なのか、家族はいるのか。普段なら会話の流れで聞いたに違いない。そうすれば今後もルーカスとの接点を得られる。この男が何者なのかも分かる。この後も会うことができる可能性が上がる。
 でもルーカスも三紀彦にそれを求めては来ない。祖母のことも元親のことも、自分から話題を提供しているだけに過ぎないんだ。三紀彦にはルーカスの心は読むことができない。
 三紀彦は改めてルーカスを見る。どこか他人事のようにルーカスを見つめている自分がいた。

 ルーカスは上位アルファで、三紀彦もアルファだ。惹かれるものがなんなのか、説明がつかなかった。趣味の合う友達とひと括りにしてしまえば簡単だ。
 このままで別れよう。ルーカスもそれを望んでいるに違いない。現に互いの人生を詮索しあわないこの状況は、悪くない。そう決めると、三紀彦の胸は途端にちくりと痛みを感じた。

 陽が傾き始めて、カフェテリアの高窓から差し込む柔らかい日差しは、ルーカスの横顔を赤く照らしていた。



 
 カフェテリアを出る頃には陽もすっかり落ちて気温がぐんと下がっていた。ルーカスは腰に巻いてあったジャンパーを着込む。ついにルーカスともお別れだ、そう思いながらそれを後ろから見ていた三紀彦に、ルーカスが振り向いた。
「この際だから最後まで楽しみたいな、どうだろう」
 思いがけず誘ったのはルーカスの方だった。閉館時間間際、ぞろぞろと見物人たちがゲートに向かう中、ルーカスはその流れの中で立ち止まっている。

「夕飯、一緒にどうだ?」
「えっ」
「まだ私に飽きていなかったら……だが」

 飽きるだなんて、と三紀彦は否定する。なぜそのように思っているのだろうか。もしや三紀彦は自分が楽しくない顔をしていたのかと考え巡らせるが、どうしたって今日一日楽しかったことしか覚えていない。

「まだ一緒に居たいよ」
「……え?」
「もし気を悪くしたのなら僕のせいだと思う。でも今日一日楽しかったんだよ。本当に。だから飽きていなかったらって表現はおかしい」
「……。そうか」
「うん。それともいきなり日本語下手になったか?」

 いたずらっぽく返すとルーカスは困ったように黙った。

「お腹はペコペコだよ」
「また……昼間のレストランへでも行くか?」
「あんたのおすすめは?」
「トルコ料理以外がいいか?」

 ルーカスは考え巡らせはじめるが、三紀彦はルーカスの腕を掴むとそれをやめさせた。驚いたルーカスは三紀彦を見下ろす。

「トルコへ来ているのにトルコ料理食べないのもったいない! 毎食でも食べるべきだ」
「は……はは、……あはは!」

 ルーカスは突如声高く笑った。

「君には本当に驚かされる。参った」
「で? おすすめの店は検討ついている?」
「いや」
「じゃあ僕に任せて!」

 そういって三紀彦は含み笑いを浮かべて、出てきたカフェテリアへと戻って行った。
 





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】トルーマン男爵家の四兄弟

谷絵 ちぐり
BL
コラソン王国屈指の貧乏男爵家四兄弟のお話。 全四話+後日談 登場人物全てハッピーエンド保証。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

運命の人じゃないけど。

加地トモカズ
BL
 αの性を受けた鷹倫(たかみち)は若くして一流企業の取締役に就任し求婚も絶えない美青年で完璧人間。足りないものは人生の伴侶=運命の番であるΩのみ。  しかし鷹倫が惹かれた人は、運命どころかΩでもないβの電気工事士の苳也(とうや)だった。 ※こちらの作品は「男子高校生マツダくんと主夫のツワブキさん」内で腐女子ズが文化祭に出版した同人誌という設定です。

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

ある意味王道ですが何か?

ひまり
BL
どこかにある王道学園にやってきたこれまた王道的な転校生に気に入られてしまった、庶民クラスの少年。 さまざまな敵意を向けられるのだが、彼は動じなかった。 だって庶民は逞しいので。

アルファとアルファの結婚準備

金剛@キット
BL
名家、鳥羽家の分家出身のアルファ十和(トワ)は、憧れのアルファ鳥羽家当主の冬騎(トウキ)に命令され… 十和は豊富な経験をいかし、結婚まじかの冬騎の息子、榛那(ハルナ)に男性オメガの抱き方を指導する。  😏ユルユル設定のオメガバースです。 

猫カフェで恋は飼えない

凪玖海くみ
BL
高梨英士は忙しい日々の合間に、ふと訪れた猫カフェ『ねこふく』。 そこには個性的な猫たちと、どこか無愛想で不器用な店主・一ノ瀬廉がいた。 猫たちと戯れるうちに通い始めた英士は次第にその廉の不思議な魅力に気づいていく。 しかし、少しずつ近づくようでいて、どこか距離を保ったままの二人――。 猫たちが紡ぐ、ささやかで心温まる物語。

処理中です...