最後の恋煩い

Gemini

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第一章

第一話 学会

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 「ふぁぁ……」

 大きく開けた口を隠すこともしないで、堤 三紀彦みきひこは大欠伸をすると重い瞼を擦った。うたた寝に最適な薄暗い会場で、前方の巨大スクリーンには最先端技術を駆使した手術の映像が流れている。
 腕時計を見ると、まだ終了予定時間まで一時間ほどある。学術集会のぶ厚い資料を閉じると、三紀彦は会場を後にした。

 ドイツで年一度開かれる大きな医学会議。
 それに出席するついでにベルギー、スペイン、イタリアの会議にも顔を出して来いと長兄からの無茶ぶりの命を受け、絶賛ヨーロッパ外遊中だ。だからこそもう真面目に聞いていられなかった。
 三紀彦は会場の外へ出て、大きな空を見上げると大きく腕を伸ばしてぐっと背伸びをした。

「まったく、自分たちが行きたくないからって、末っ子にこういうこと押し付けるんだよな」

 三紀彦の家は代々学者や医師の家系で、そこの三男坊に生まれた。家督争いにも巻き込まれることもなく、家を出て形成外科医としてマイペースに生きているアルファだ。

 外遊最後の国であるイタリアはミラノで、三紀彦はまもなく冬の到来を告げる北からの強い風にコートの襟を立てる。そうして大通りに出るとすぐにタクシーを捕まえた。

「やぁ、一段と冷えるね」
「ミラノじゃ当り前だよ。じきに雪さ」
「雪?」

 ならばこんなに寒い日には滞在中ですっかりお気に入りとなったホワイトラテを飲むべきだ。行き先を運転手に告げるとタクシードライバーは「あいよ」と頷いた。
 車が動き始めると、三紀彦は徐に内ポケットからスマホを取り出した。スマホの画面に着信が一件という表示が出ている。それだけ確かめると再びそれをポケットにしまった。





 
「もしもしおばあちゃん?」

 三紀彦は滞在先のホテルの部屋に戻った。

「電話に出られなくてごめんね」
『いいのよ。忙しかったんじゃない? もうホテルなの?』

 さっきの着信は三男坊へのおばあちゃんからのラブコールだった。
 末っ子は甘えん坊だというが、それは周りの大人がかわいがり過ぎることに原因があるんじゃないかって思う。だって三十路を過ぎた大人の孫に電話かけてくるんだから。でも三紀彦はそれを全く嫌がらない。心配されることに悪い気は起らないし、何より自尊心を満足させてくれるものだから。

「謝らなくていいよ。大丈夫、おばあちゃんの大好きな紅茶もしっかり買えたから」
『いつものが買えたの? わぁうれしい! 三紀彦、お腹は壊してない?』
「うん。腹も壊してないよ」
『そう、よかった。水が合うのね。やっぱりおばあちゃんも一緒に行きたかったわっ! もうっ!』

 心から残念そうにそう悔やまれると、三紀彦は参った。
 海外旅行が大好きな祖母は本当について来ようとしていたのだった。三紀彦が祖母に強く言えないせいもあって、祖母は本気だった。しかし今回は何ヶ国にも渡る。学会の邪魔になるからと父が説得してようやく止めたとう経緯がある。

「今度はさ、二人でニースへでも行こうよ」
『そんなの詰まらないわ、もっと刺激が欲しいのよ!』
「あはは! ならエジプトは?」
『エジプト? そうねぇ……考えてみたらおじいさんと新婚旅行で行ったきりだわ、そうね、そうしましょう!』

 電話の先ですっかり明るい声に変わる祖母の声を聞いて、三紀彦は安堵して笑みを零した。自分の祖母ながらかわいい人だ。いつまでもこのようにしていてほしいと三紀彦は願う。

『ねぇ、明日にはまた出るのよね?』
「そう、朝一番の便。またトルコに着いたら電話するからね。日本は今何時?」
『そうね……、あぁそろそろ十一時だわ』
「あぁ、そんな時間か。もう寝ないとだよおばあちゃん」
『そう?……もっと話していたいのだけれど』
「そんなこと言わないで。今夜は韓ドラ観てないでちゃんと寝てね、じゃあ切るよ。……うん」

 旅行が趣味で年に何回も海外へ行くが、仕事でとなるとやはり窮屈で仕方がない。そろそろ祖母の作るご飯も恋しくなってくる。帰国したらすぐに祖母の家に行こうと決めた。

 三紀彦はスーツケースにお土産を詰めると、パスポートと旅券を取り出した。日本を出て今日で十日目。学会も終えて、明日からはずっと行ってみたかったところへ一人旅だ。

 三紀彦は旅券に自身の名前が印字されていることを確かめる。明日はいよいよトルコに移動する。友人の須賀元親とその婚約者の雪クンとも合流する。二人が旅行に行くという話を聞いた時、自分もその頃ヨーロッパへ行くと話をしてしまったが故に、異国の地で待ち合わせということになったのだった。しかも雪クンのお祖父様である伏見氏も同行されると聞いている。
 家族旅行に他人の自分が混じっていいものか考えたが到底今更であり、元親が婿殿の顔をしているのを見るのも面白そうだと思うことにした。つまり冷やかしだ。





 
 翌日、イスタンブール空港に降り立つと少し肌寒い。
 ミラノよりは暖かいと見込んできたが、どうやらここにも早めの冬が到来するらしい。予約しているホテルに着くまでは我慢だと、トランクを受け取るとタクシー乗り場へと向かった。
 ゲートをくぐりタクシー乗り場まであと少しというところで長い行列を見つけた。これじゃあかなり待つことになるんだろう。バスに乗るか悩んだが、自身の横にある大きなトランクを眺めてそれは迷惑になりそうだと、あっさり諦めてタクシーの列の最交尾に付いた。





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