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第九十一話

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 俺は走った。ハンカチ一枚握りしめて。

「どうなすったんです? そんなに急いで」

 瀧さんが慌てて出迎えてくれた玄関で、膝に手を付いてゼェゼェと息を整えている俺に瀧さんは笑っている。

「ハァハァ……、はや、く……きっ……たくて──……」
「それで全力疾走? にしても若旦那さまはまだお帰りにはなっていませんよ? お水用意しますから上がってくださいな」
「ハァハァ……っ」
「坊っちゃま──っ!?」

 ──あ、やば、目の前がチカチカする……。






 気がつくと須賀の大きなベッドの上にいた。そして、静かな須賀の声がかけられた。

「ヒート明けなんだから体力回復前にこんな無理はするな」
「元親さん……ずっと居てくれたの……?」
「瀧から連絡を受けて仕事を終わらせてきた」
「すみません……」

 須賀がベッドに腰掛けて俺のおでこに触れる。
 
「そんなに急用だったのか? 連絡もできないほどに? どうしたんだ?」
「……うん」

 俺は須賀の手を握ると胸の上にそれを置いた。

「俺が居た横浜の児童養護施設の人が訪ねて来たんだ……」
「────!!」

 須賀の目が見開いた。

「驚くよね、俺も、びっくり……」
「……雪、待て、それは」

 俺より驚いてるような須賀。

「……ねえ、元親さん」
「ん……?」
「伏見さんの亡くなった娘さんて、しずかさんて言うのかな」
「なんで、そう、思う?」
「訪ねて来た人、俺を見てしずかさんって言ったから」

 須賀の目が優しく俺を見つめる。何度も何度も髪を撫でて、なぜか須賀が泣きそうな顔をしている。

「……知りたいか」
「そうだね、…………うん」
「大丈夫か?」
「ん……、だいじょう……ぶ……」
「雪、今は眠ろう」
「元親さんも、……来て」
「あぁ、ここにいるよ、ずっと」
「……ん」

 布団の中に入ってきた須賀の胸に抱きついて眠った。





 朝、目が覚めると須賀の顔が間近にあった。一緒に朝まで寝てくれたんだ、それが嬉しかった。昨日押しかけてろくに話もせず眠ってしまったし迷惑かけたのに……。

「おはよう、……元親さん。ありがと」

 眠っているだろう須賀の頬にちゅっと唇を押し当てると須賀がゆっくりと目を開いた。

「おはよう」

 ふんわりと笑って俺の頬を摘んだ。

「だっこ……」
「あぁ、おいで」

 大きくて厚い胸板に抱きつくとビターな香りがして一気に落ち着いた。

「あぁ……、ここから出たくなくなっちゃうな」
「引っ越して行ったのは雪だぞ」

 甘えるわけにはいかなくて、部屋を借りたんだ。

「いつでも戻ってきていい」
「うん……」




 あの人たちが捕まって、俺があのふたりの子供じゃないことが分かってから、今があれば俺は誰が親だなんて関係ないと思うようになっていた。
 でも、その親がもしかして俺の知ってる人だとしたら、その扉に手を掛けてしまうのは必然だろう。

「俺、来週横浜行ってくる」
「私も行くよ」
「一緒に、来てくれるの?」
「あぁ、一緒だ」

 そして、須賀は仕事を調整してくれて横浜の児童養護施設に連れて行ってくれた。普段仕事を疎かにしない両立する須賀なのに、今日は全てをキャンセルしたという。

「雪以上に大切なものはない」
「ありがとうございます……」

 到着するまで須賀はずっと俺の手を握っていてくれて、そのお陰で落ち着いている事ができた。






 俺が尋ねると、その人は居た。疑っていたわけでは無かったがこの人がいることで、俺はここに居たんだという事実が浮き彫りになった。……実感はゼロだけど。

「この前は本当に突然ごめんなさい。来てくれてありがとう」

 俺が来たことに驚いていたが、先日俺を訪ねてきた日より顔色は良さそうだ。

 水野さんは面談室に俺達を通した。ここからは中庭が見えて小さな子供たちが遊んでいるのが見える。水野さんは向かいに座りひと呼吸すると俺に向き直り、口を開いた。

「あのハンカチは、あなたが生まれる時にあなたのお母さんが用意していたハンカチなんですよ」

 違和感のある『あなたのお母さん』という言葉が、俺の心に突き刺さり、そのまま突き抜けた。

「手刺繍のようなのできっとお母さんが刺繍したのだと思う」

 あのハンカチにはおそらく名前だろう文字が記されている。いったい誰なのか。俺の忘れ物というのはどういうことなのだろうか。


 バッグからハンカチを取り出してそれをテーブルに置いて、俺は気になることを聞いてみた。

「これは、なんと書いてあるんですか」
「有起哉、ゆきや、と読みます」
「ゆきや───……」
「あなたの本当の名前です」

 そう言って水野さんは俯いた。

「俺の? 本当って……?」
「私の手違いで、今の名前である雪にしてしまったんです、本当にごめんなさい……」

 ──手違いって?

 水野さんはより一層申し訳無さそうな顔をする。

 ──でも、俺……。

「俺、……おかしいのかなぁ……」
「え?」
「俺の名前が別にあったって分かって、なんかホッとしてる──……雪って名前、水野さんが付けてくれたんですね」
「えぇ……、ごめんなさい」
「いいえ、あの親に名付けられたんだと思ってたから、そうじゃないって分かって良かった」

 水野さんは驚いたあと、顔をくしゃくしゃにして泣いた。

 あの人が名付けたんじゃない。それに単に冬生まれだから『雪』なんじゃなかった。

 俺を産んだ人が付けてくれた名前があった。手違いがあったとしても、あの人が付けたんじゃないっていう事実が俺を救った。


「なんで……、あなたは……、辛かったの? そうなのね?」
「でも、もう、今は幸せだから大丈夫です」

 水野さんは複雑そうな表情をした。そして俺は手を握られた。須賀の手だった。ハッとして視線を横に向けると須賀は心配そうに俺を見てる。

「雪、大丈夫か?」

 須賀の落ち着いた低い声が、俺を冷静にさせた。

「少し混乱してるけど……大丈夫」

 ──俺の、俺を産んだ母親がこのハンカチを持っていた、俺のために……。





「あなたのお母さんと会ったのはもう随分とお腹が大きくなっていた頃だった。私が勤めている施設にやってきたんです。事情があるΩのシェルターも兼ねていますから……」

 事情を抱えた妊婦のΩ……。それが俺の母親だった。

 駆け落ちして逃げたαの恋人としばらく二人で暮らしていたが恋人が事故で亡くなり、母親はこの施設を頼ってやって来たという。

「Ωひとりで子供を生むのは今の時代でも厳しい。それでシェルターを頼ったんだな……」

 そう言って須賀は俺の背中を撫でてくれた。





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