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兆し

第八十六話

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 雪といると、自分の知らない自分に出会う。

 戸惑って、自分が分からなくなりそうだ。

 負の感情に負けない強さをαは持っている。
 それを糧に強くなるのがαだ。

 出る杭は打たれる。
 打たれても、打たれても、這い上がる。

 高貴なα。

 ──そんなものが無価値な世界を作る。






 雪は自分では気がついていないようだが、自分の弱さを認めている。

 オメガ保護法で自分の自由が失われるということを受け入れた時から、それまでに自身のやりたいこと、やり遂げておきたいことが明確だ。

 例えその先の未来が閉ざされても、前へ進む。
 希望を捨てていないように私には見えるんだ。

 αの庇護下に置かれることも好まない。

 雪の中にある僅かなαが、そう生きさせるのかもしれない。

 しかし、そう思うより雪がそう願い、幾度の人生の扉の前で選択してきた雪の意志だと思える。

 ならば、尚更、αの創り上げた世界を壊すことに躊躇いはない。

 それには、ある人物の助けが必要だ。








「須賀くん、よく来てくれた」
「あれから連絡もせず、申し訳ありません」
「会長のこと、残念だった」
「葬儀に来ていただいたそうで」
「勿論だよ」

 伏見氏はΩの夫と共に弔問にやってきたという。葬儀に出なかった私に、佐伯が記帳を確認して知らせてきた。

「それで、今日はそれを言いに来たのではないのだろう?」
「……私には、やるべきことがあります」

 伏見氏にはなんでも見透かされているようなそんな感覚を覚える。まっすぐ見て答えた私に、伏見氏は急に表情を和らげて微笑んだ。

「まぁ、座りなさい。まずは最近の雪くんのことを教えてもらおうかな」

 ソファに凭れ緊張を解いた姿を見せて、私に雪のことを聞き出そうとしている。

「元気にしているかい」
「……でしたら、お会いになりませんか?」

 一瞬驚いてからそのあとでふと笑う。

「会う口実が、浮かばなくてな」
「実は私の私財を有意義に使えと雪に言われまして」
「ほぉ、面白い。どうしたらそんな会話になるのか、そちらが気になるところだ」
「まぁ、その」

 私がつい口ごもると伏見氏はニッコリと笑った。

「αのことだ、雪くんに貢ごうとして断られた、かな」
「ご了察のとうりです」
「雪くんのためならなんでも買って与えたくなるのは分かる。彼に安物は似合わない」
「そのとうりです」
「が、しかし雪くんは、無欲で、雪くんの前ではどんな高価なものも、石ころと同じ」

 伏見氏はそう言って手入れの行き届いた庭を遠い目で眺めた。

「それで、君は何に使うと?」
「考えあぐねております。そこで伏見会長に、使いみちをご教授願えたらと。……雪と共に」
「それは……」

 庭先を見つめていた伏見氏が視線を落とす。そして湯呑みを持ち上げ口に付けた。

「まだ、決心がつきませんか」
「……」

 伏見氏の湯呑みを持つ手が少し震えていることに気がついた。
 私は伏見氏が心の奥底でなにを願って、何を求めているのか探りたいのに、しかし鉄柵のような頑丈な隔たりを作られてしまう。

 私は雪が望まない限り雪の本当の親のこと、伏見氏との関係は調べることはしない。
 しかし、これまでに浮かび上がる事実を照らし合わせれば自ずと点と点は繋がり、ひとつの真実へと導く。

 伏見氏か、それとも雪か、どちらかがその絆を手繰り寄せたとき、そのときに真実が見える。

「雪もあなた方に会えるのを楽しみにしていますから」
「……近いうちに連れてくるといい」
「はい、必ず」
「二人は仲良くやっているんだな」
「お陰様で」
「そうか、良かった。……それで、君のやるべきこととはなんだね」

 私に悟られぬよう小さく溜息をついて湯呑みを置くと、私を見た。それはすっかり伏見家当主の顔をしていた。

「αの創ったこの世界を壊したいと思っています」

 私は、ついにΩである伏見氏にこのことを伝えた。





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