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顕在

第四十四話

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「今朝妹さんの誕生日だと言って家を出ました。うちの運転手に送らせたんだが途中で下ろしてほしいと頼まれ駅までで別れたそうだ。須賀くんに連絡しているとばかり……」

 ほぼ会社で仮眠を取りながらも佐伯から雪の安否は毎日確認していたのに。顔が見たくて伏見会長のところへ行けば会長の困り顔があるだけだった。会長の隣にいる運転手も申し訳なさげに頭を下げる。

 雪に持たせている専用のスマホに連絡するも電源が入っていない。充電が切れているのだろうか。雪のスマホにも連絡してみるがそれは同じだった。




 妹の誕生日……。自宅へ戻るといつか佐伯に頼んだ雪の調査報告を取り出した。戸籍の写しに確かに妹の名がある。生年月日は確かに昨日だ。

 ──私にはなにも言わずに、何故。

 チョーカーをしていない雪には大学への送り迎えも可能な限り佐伯に送らせていたのに、黙って出て行かれたら対策ができない。

 自由にしすぎた。チョーカーをしない理由も早くに問い詰めておくんだった。

 焦っていると思われたくなかった、十も若い雪を束縛している大人気ない男だと、αだと思われたくなかった。

 本当は彼にチョーカーを贈り、私の傍に置いて片時も離したくない。

 ……αらしくないことも、雪がΩらしくないことも、そんな二人だったからこの一ヶ月を過ごすことが出来たというのに。

 矛盾を孕んだ自身の気持ちに腹が立つ。手にしていた書類を握りしめる。紙がクリャっと皺になる。

 私は煮え切らない男だ。


 雪は、私を望んでいない。










 二日後、本降りになり始めた夜。私の名を呼ぶ叫びにも似た声がした。外は降りしきる雨。その雨音に紛れて確かに聞こえた。あんな悲痛な声は聞いたことがない。胸騒ぎがして急いで声の方へ走り勝手口を開ける。

 そこに瀧に凭れて今にも地面に崩れ落ちそうな雪を瀧が懸命に抱き抱えていた。

「──雪っ!!」

 私は靴も履かずに雨の中飛び出した。そして手を伸ばしずぶ濡れの二人を支えるように抱き締めた。

「若旦那さま……っ、坊っちゃまが…………っっ!」
「大丈夫だ、ありがとう」

 懸命に支えてくれていた瀧に小さく頷き雪を預かる。老いた瀧の体に雪の意識の抜けた肉体は重すぎる。私が横抱きにすると瀧はホッとした表情を浮かべ、よろけながら足元に転がっている自身の傘を拾いそれを畳むと私の後を付いてきた。

「瀧、私は雪を風呂へ入れる。その間に医師を呼べ、βのだ」
「かしこまりました」
「連絡したら、お前も着替えるように」
「私のことなんて……! お早くお風呂場へ!」
「うん」

 滝は私の背中を押して風呂場へ押し込んだ。



 冷えきった雪を服のまま浴槽に入れると雪の首はぐったりと項垂れる。それを支えて浴槽の縁に頭を寄り掛からせた。湯を出しながら雪の上から跨ぐようにして雪の肌に張り付いた服を引き離して行く。シャツを剥ぐと雪の肌に赤い細い線が覗く。

「…なんだ?」

 焦燥感に苛まれ引き裂くように服を肌けさせると真っ白な胸に爪で引っ掻いたような、掻きむしったような跡が無数にあった。昨日か今日できたようなまだ新鮮な色をしている。

「雪、なにが……あったんだ…………」

 もくもくとあがる湯気の中でぐったりと目を閉じて答えてはくれない。

 一度だけ知る雪の肌とは程遠いものだった。

「雪……、目を開けてくれ、頼む」


 湯が溜まるまでに衣服を全て剥がし終えると、私は浴槽に腰掛けた。

 青白い頬に手を伸ばすと陶磁器の人形のように生気を失って見えた。唇は真っ青で瞼は重く閉じられている。

 



 医師の診察中雪がうわ言を言ったおかげで意識がないわけではなく、昏睡状態に陥らない限り今の所脳の検査は不要と診断され、解熱剤を点滴し、医師は帰っていった。

 ふっと力が抜け、雪の眠るベッドの脇に置いてある椅子に手を掛けて腰をおちつかせると、瀧が湯を張った洗面器を持って現れた。

「私がちゃんと面倒見ますから、ご心配なく」

 瀧はタスキをかけており、それからも部屋とキッチンとを往復している。先程裸足で外に飛び出した私の泥の足跡もすっかり掃除されていた。

「瀧、すまない」
「若旦那様が気に病むのは坊っちゃまのことだけでいいんです、みんなが坊っちゃまの心配をなさればお優しい坊っちゃまは気を遣ってきっと目を覚ましてくださいますから」
「そんな道理、……脅しじゃないか」

 ふと、ため息なのか笑いなのか息が漏れた。喉に詰まっていたものがポンと出るように少し楽になる。瀧のこの性格に何度助けられただろうか。瀧も本当は心配でならないはずだ、あの傷も見ている。




 雪には当然目覚めてほしい、私を見つめて笑いかけてほしい。

 しかしあの傷を見てしまった今、目覚めれば雪を問いたださなければならない。実家でなにがあったんだと。



 私のスマホはポケットの中で震え続けている。佐伯だろうか、取引先だろうか。仕事は山のように溜まる一方だった。



 愛する人がこんな姿では、仕事にも手がつかないだなんて。

 何故、αである私がこんなにも無能なのだ。






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