44 / 98
顕在
第四十四話
しおりを挟む
「今朝妹さんの誕生日だと言って家を出ました。うちの運転手に送らせたんだが途中で下ろしてほしいと頼まれ駅までで別れたそうだ。須賀くんに連絡しているとばかり……」
ほぼ会社で仮眠を取りながらも佐伯から雪の安否は毎日確認していたのに。顔が見たくて伏見会長のところへ行けば会長の困り顔があるだけだった。会長の隣にいる運転手も申し訳なさげに頭を下げる。
雪に持たせている専用のスマホに連絡するも電源が入っていない。充電が切れているのだろうか。雪のスマホにも連絡してみるがそれは同じだった。
妹の誕生日……。自宅へ戻るといつか佐伯に頼んだ雪の調査報告を取り出した。戸籍の写しに確かに妹の名がある。生年月日は確かに昨日だ。
──私にはなにも言わずに、何故。
チョーカーをしていない雪には大学への送り迎えも可能な限り佐伯に送らせていたのに、黙って出て行かれたら対策ができない。
自由にしすぎた。チョーカーをしない理由も早くに問い詰めておくんだった。
焦っていると思われたくなかった、十も若い雪を束縛している大人気ない男だと、αだと思われたくなかった。
本当は彼にチョーカーを贈り、私の傍に置いて片時も離したくない。
……αらしくないことも、雪がΩらしくないことも、そんな二人だったからこの一ヶ月を過ごすことが出来たというのに。
矛盾を孕んだ自身の気持ちに腹が立つ。手にしていた書類を握りしめる。紙がクリャっと皺になる。
私は煮え切らない男だ。
雪は、私を望んでいない。
二日後、本降りになり始めた夜。私の名を呼ぶ叫びにも似た声がした。外は降りしきる雨。その雨音に紛れて確かに聞こえた。あんな悲痛な声は聞いたことがない。胸騒ぎがして急いで声の方へ走り勝手口を開ける。
そこに瀧に凭れて今にも地面に崩れ落ちそうな雪を瀧が懸命に抱き抱えていた。
「──雪っ!!」
私は靴も履かずに雨の中飛び出した。そして手を伸ばしずぶ濡れの二人を支えるように抱き締めた。
「若旦那さま……っ、坊っちゃまが…………っっ!」
「大丈夫だ、ありがとう」
懸命に支えてくれていた瀧に小さく頷き雪を預かる。老いた瀧の体に雪の意識の抜けた肉体は重すぎる。私が横抱きにすると瀧はホッとした表情を浮かべ、よろけながら足元に転がっている自身の傘を拾いそれを畳むと私の後を付いてきた。
「瀧、私は雪を風呂へ入れる。その間に医師を呼べ、βのだ」
「かしこまりました」
「連絡したら、お前も着替えるように」
「私のことなんて……! お早くお風呂場へ!」
「うん」
滝は私の背中を押して風呂場へ押し込んだ。
冷えきった雪を服のまま浴槽に入れると雪の首はぐったりと項垂れる。それを支えて浴槽の縁に頭を寄り掛からせた。湯を出しながら雪の上から跨ぐようにして雪の肌に張り付いた服を引き離して行く。シャツを剥ぐと雪の肌に赤い細い線が覗く。
「…なんだ?」
焦燥感に苛まれ引き裂くように服を肌けさせると真っ白な胸に爪で引っ掻いたような、掻きむしったような跡が無数にあった。昨日か今日できたようなまだ新鮮な色をしている。
「雪、なにが……あったんだ…………」
もくもくとあがる湯気の中でぐったりと目を閉じて答えてはくれない。
一度だけ知る雪の肌とは程遠いものだった。
「雪……、目を開けてくれ、頼む」
湯が溜まるまでに衣服を全て剥がし終えると、私は浴槽に腰掛けた。
青白い頬に手を伸ばすと陶磁器の人形のように生気を失って見えた。唇は真っ青で瞼は重く閉じられている。
医師の診察中雪がうわ言を言ったおかげで意識がないわけではなく、昏睡状態に陥らない限り今の所脳の検査は不要と診断され、解熱剤を点滴し、医師は帰っていった。
ふっと力が抜け、雪の眠るベッドの脇に置いてある椅子に手を掛けて腰をおちつかせると、瀧が湯を張った洗面器を持って現れた。
「私がちゃんと面倒見ますから、ご心配なく」
瀧はタスキをかけており、それからも部屋とキッチンとを往復している。先程裸足で外に飛び出した私の泥の足跡もすっかり掃除されていた。
「瀧、すまない」
「若旦那様が気に病むのは坊っちゃまのことだけでいいんです、みんなが坊っちゃまの心配をなさればお優しい坊っちゃまは気を遣ってきっと目を覚ましてくださいますから」
「そんな道理、……脅しじゃないか」
ふと、ため息なのか笑いなのか息が漏れた。喉に詰まっていたものがポンと出るように少し楽になる。瀧のこの性格に何度助けられただろうか。瀧も本当は心配でならないはずだ、あの傷も見ている。
雪には当然目覚めてほしい、私を見つめて笑いかけてほしい。
しかしあの傷を見てしまった今、目覚めれば雪を問いたださなければならない。実家でなにがあったんだと。
私のスマホはポケットの中で震え続けている。佐伯だろうか、取引先だろうか。仕事は山のように溜まる一方だった。
愛する人がこんな姿では、仕事にも手がつかないだなんて。
何故、αである私がこんなにも無能なのだ。
ほぼ会社で仮眠を取りながらも佐伯から雪の安否は毎日確認していたのに。顔が見たくて伏見会長のところへ行けば会長の困り顔があるだけだった。会長の隣にいる運転手も申し訳なさげに頭を下げる。
雪に持たせている専用のスマホに連絡するも電源が入っていない。充電が切れているのだろうか。雪のスマホにも連絡してみるがそれは同じだった。
妹の誕生日……。自宅へ戻るといつか佐伯に頼んだ雪の調査報告を取り出した。戸籍の写しに確かに妹の名がある。生年月日は確かに昨日だ。
──私にはなにも言わずに、何故。
チョーカーをしていない雪には大学への送り迎えも可能な限り佐伯に送らせていたのに、黙って出て行かれたら対策ができない。
自由にしすぎた。チョーカーをしない理由も早くに問い詰めておくんだった。
焦っていると思われたくなかった、十も若い雪を束縛している大人気ない男だと、αだと思われたくなかった。
本当は彼にチョーカーを贈り、私の傍に置いて片時も離したくない。
……αらしくないことも、雪がΩらしくないことも、そんな二人だったからこの一ヶ月を過ごすことが出来たというのに。
矛盾を孕んだ自身の気持ちに腹が立つ。手にしていた書類を握りしめる。紙がクリャっと皺になる。
私は煮え切らない男だ。
雪は、私を望んでいない。
二日後、本降りになり始めた夜。私の名を呼ぶ叫びにも似た声がした。外は降りしきる雨。その雨音に紛れて確かに聞こえた。あんな悲痛な声は聞いたことがない。胸騒ぎがして急いで声の方へ走り勝手口を開ける。
そこに瀧に凭れて今にも地面に崩れ落ちそうな雪を瀧が懸命に抱き抱えていた。
「──雪っ!!」
私は靴も履かずに雨の中飛び出した。そして手を伸ばしずぶ濡れの二人を支えるように抱き締めた。
「若旦那さま……っ、坊っちゃまが…………っっ!」
「大丈夫だ、ありがとう」
懸命に支えてくれていた瀧に小さく頷き雪を預かる。老いた瀧の体に雪の意識の抜けた肉体は重すぎる。私が横抱きにすると瀧はホッとした表情を浮かべ、よろけながら足元に転がっている自身の傘を拾いそれを畳むと私の後を付いてきた。
「瀧、私は雪を風呂へ入れる。その間に医師を呼べ、βのだ」
「かしこまりました」
「連絡したら、お前も着替えるように」
「私のことなんて……! お早くお風呂場へ!」
「うん」
滝は私の背中を押して風呂場へ押し込んだ。
冷えきった雪を服のまま浴槽に入れると雪の首はぐったりと項垂れる。それを支えて浴槽の縁に頭を寄り掛からせた。湯を出しながら雪の上から跨ぐようにして雪の肌に張り付いた服を引き離して行く。シャツを剥ぐと雪の肌に赤い細い線が覗く。
「…なんだ?」
焦燥感に苛まれ引き裂くように服を肌けさせると真っ白な胸に爪で引っ掻いたような、掻きむしったような跡が無数にあった。昨日か今日できたようなまだ新鮮な色をしている。
「雪、なにが……あったんだ…………」
もくもくとあがる湯気の中でぐったりと目を閉じて答えてはくれない。
一度だけ知る雪の肌とは程遠いものだった。
「雪……、目を開けてくれ、頼む」
湯が溜まるまでに衣服を全て剥がし終えると、私は浴槽に腰掛けた。
青白い頬に手を伸ばすと陶磁器の人形のように生気を失って見えた。唇は真っ青で瞼は重く閉じられている。
医師の診察中雪がうわ言を言ったおかげで意識がないわけではなく、昏睡状態に陥らない限り今の所脳の検査は不要と診断され、解熱剤を点滴し、医師は帰っていった。
ふっと力が抜け、雪の眠るベッドの脇に置いてある椅子に手を掛けて腰をおちつかせると、瀧が湯を張った洗面器を持って現れた。
「私がちゃんと面倒見ますから、ご心配なく」
瀧はタスキをかけており、それからも部屋とキッチンとを往復している。先程裸足で外に飛び出した私の泥の足跡もすっかり掃除されていた。
「瀧、すまない」
「若旦那様が気に病むのは坊っちゃまのことだけでいいんです、みんなが坊っちゃまの心配をなさればお優しい坊っちゃまは気を遣ってきっと目を覚ましてくださいますから」
「そんな道理、……脅しじゃないか」
ふと、ため息なのか笑いなのか息が漏れた。喉に詰まっていたものがポンと出るように少し楽になる。瀧のこの性格に何度助けられただろうか。瀧も本当は心配でならないはずだ、あの傷も見ている。
雪には当然目覚めてほしい、私を見つめて笑いかけてほしい。
しかしあの傷を見てしまった今、目覚めれば雪を問いたださなければならない。実家でなにがあったんだと。
私のスマホはポケットの中で震え続けている。佐伯だろうか、取引先だろうか。仕事は山のように溜まる一方だった。
愛する人がこんな姿では、仕事にも手がつかないだなんて。
何故、αである私がこんなにも無能なのだ。
96
お気に入りに追加
906
あなたにおすすめの小説
イケメンがご乱心すぎてついていけません!
アキトワ(まなせ)
BL
「ねぇ、オレの事は悠って呼んで」
俺にだけ許された呼び名
「見つけたよ。お前がオレのΩだ」
普通にβとして過ごしてきた俺に告げられた言葉。
友達だと思って接してきたアイツに…性的な目で見られる戸惑い。
■オメガバースの世界観を元にしたそんな二人の話
ゆるめ設定です。
…………………………………………………………………
イラスト:聖也様(@Wg3QO7dHrjLFH)
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
お世話したいαしか勝たん!
沙耶
BL
神崎斗真はオメガである。総合病院でオメガ科の医師として働くうちに、ヒートが悪化。次のヒートは抑制剤無しで迎えなさいと言われてしまった。
悩んでいるときに相談に乗ってくれたα、立花優翔が、「俺と一緒にヒートを過ごさない?」と言ってくれた…?
優しい彼に乗せられて一緒に過ごすことになったけど、彼はΩをお世話したい系αだった?!
※完結設定にしていますが、番外編を突如として投稿することがございます。ご了承ください。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜
MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね?
前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです!
後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛
※独自のオメガバース設定有り
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる