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運命の子
第三十七話
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「ご、ごめんなさい……っ! うぅっ、ひっく……っ」
「大丈夫だよ」
「ごめんなさい……! 暗いのはイヤ……っ!……イヤっっ!」
「雪……?」
強く抱きしめても雪は私の胸を押して突っ張る。何かに心を囚われているように怯え震え、耐えている。それでも雪の力は到底私には敵わない、私はすぐに抱き返し雪を落ち着かせる。
「雪、大丈夫だ、泣くな」
「ごめんなさい……俺が……わるいんです……っ」
今度は私のシャツを掴み顔を埋めて声を上げて泣き始めた。自分が悪いとうわ言のように繰り返す雪を、私はただ黙って私の体温を分け与えるように胸に抱き背中を撫でる。
どのくらい経っただろう。泣き疲れ雪の体重はすっかり私に預けられる。眠ったのかもしれない。ようやく雪の呼吸が整いはじめ、たまにしゃくりあげることもあるがだいぶ収まった。その様子に私はようやく安堵のため息を漏らし、雪が目覚めないようそうっと体勢を崩し胸に抱いたままベッドに寄りかかった。
私はそこから窓を見つめて叩きつける雨を眺めていた。
雪がもぞっと動いた。
「すが…さ……」
私を呼ぶその声は掠れている。
「少し雨は落ち着いてきたぞ」
「……」
雪には雨よりこの暗闇だろうか。
「雪、床は寒いだろう、ベッドに入りなさい」
「…………いや」
「体が冷えるぞ」
「……だってっ、そうしたら須賀さん、帰ってしま……」
「私はここにいるよ、置いていかない」
ぎゅっと私のシャツを掴むその指は血色がない。私はその手に自分の手を被せやんわりと握りシャツから離すと、その指先にキスを落としてから雪を抱き上げた。
瀧が毎日整えているふかふかの布団の中に雪を沈めると私はベッドサイドに腰掛けた。雪は体ごとこちらに向いて私に手を伸ばしたかと思うと腰に手を回したのだ。
「怖いのか?」
「……」
腰に回された細い腕をさすってやると縋る力は弱まったものの、どけることはなかった。私はさっきふと思い出した昔の記憶を話すことにした。
「私がまだ本家にいた頃、小学生の頃だな。近くの大きな木に雷が落ちて停電が起こったんだ。使用人たちは慌てて懐中電灯を持って状況確認に躍起になっていたが、瀧だけは違ってな」
「どう、……していたんです?」
「私の部屋に来て『停電なら寝てしまえば同じですから、目を瞑って早くお休みください』ってそれだけ言って帰ってしまったんだよ」
「え? 本当に?」
雪は驚いた顔を私に向けてから微笑した。
「瀧さんらしい、……のかな。俺にはまだそんなこと言えるほど知り合えてはいないけど」
「実に瀧らしいエピソードだよ」
「そっか……」
そう呟くとまた怯えたような表情に戻る雪。今夜の堤の話も堪えているのかもしれない。まだ十九の彼に何が理解できるだろう。雪の髪を指で鋤きながらその柔さを味わう。
「……俺らしさって、なん、でしょう」
「君らしさ?」
「俺は、……俺という証明ができません」
やはり雪はそれを口にした。今はこの話を避けるべきか、それとも気が紛れるのだろうか、それなら、と私は深くベッドに腰掛けた。
「あんなこと言われて面食らったろう。あぁいうものは人生をかけて答えを見つけるもんだ。見つからないこともあるだろう」
「もし堤さんのいうとおり、人間がデータに成り代わるのなら、俺は……」
雪が、雪である証明。
「……Ωである俺も消えます」
少しの間を開けて雪は呟いた。
「たしかにな、αの世界もガラリと変わるかもしれん、身体的な個性はフラットになるからな」
「俺は自分がΩだと知って、自分が知りたくてその研究がしたくて、大学に行って……」
その先、身体的な性差や区別の無い世界が待ち受けていると知れば、勇ましく前進していた雪も足踏みしてしまうだろうか。
「研究をしたいんだろう?」
「そうなれたらって。……でもΩのこともαのことも無知な俺が何を言ってるのかなって思いました。その……αの……」
「αが怖くなったか?」
「い、いえっ、αは絶対的に全てに優れているということは分かっています」
戸惑う表情にαへの恐怖が芽生え始めている。自然と震える雪の手を握ると雪がこちらを見た。
「雪、自分の証明が身体的なことではなくて存在という精神的なことだと、どう捉える?」
「存在……?」
「この世に自分一人だったら『存在している』と言えるだろうか」
「長谷川雪が、誰と時間を共有したか。今夜食事を楽しんだことも君の脳が記憶している。そして私も堤もそれを共有した」
「はい……」
「もし私や堤が君を知らないと言ったらどうなる? 食事にも行ったことがない、知らないよって」
「存在……が、なくなる」
「つまり記憶とその共有だ。仮に私が先に逝くことになるとしよう。君が、堤が、瀧が私のことを語らえば私は存在し得るんだ」
「みんなの記憶の中に……」
「それが不老不死さ」
「でも俺も逝ったら」
「忘れられていくことも同じく必要だよ、それがこの世の理だしね」
「……忘れたくない、です」
雪は顔半分隠れるように布団に埋めて小さな声で言った。
「記憶を取り出してデータ化すれば残すことは可能だ、そして幸せだった記憶だけの世界にいつでもアクセスできる。いやな現実から逃げることができる。そこに陶酔することができるメタバースがあったらどうだろう。先に亡くした愛した人にもそこでなら会える」
「……」
「人はどうしてもそこに逃げるんだ。現実は辛い。現実を見たくないからもうどうしようもない、堤の話のように最後には肉体から離れてしまう。この流れは坂道を転がるように加速してる。止められないんだ」
「須賀さん……俺はイヤだよ」
「そうだな、君はちゃんと現実を生きてる」
「須賀さんもでしょう?」
「あぁ、私はこの体で君とはこうやって体温を感じていたいからな」
「……っ!!」
「なにもしないよ、ただこうしていよう、解消はまた先のようだ」
スマホで電力会社のホームページを見るとまだまだ停電の解消の見込みはない。私は観念してベッドヘッドに凭れて足を放り投げた。
「瀧の言うとおり、目を瞑ってしまえばおんなじさ」
片眉を上げて冗談交じりに言えば、布団からチラリと目元だけ出していた雪が目を閉じる。
同じベッドに居るのは一年前のあの夜以来だ。
αとΩであっても、あの夜のように理性を忘れて抱き壊す衝動はない。本能ではなく理性で雪を愛おしいと思わせてくれる貴重な時間だ。
「大丈夫だよ」
「ごめんなさい……! 暗いのはイヤ……っ!……イヤっっ!」
「雪……?」
強く抱きしめても雪は私の胸を押して突っ張る。何かに心を囚われているように怯え震え、耐えている。それでも雪の力は到底私には敵わない、私はすぐに抱き返し雪を落ち着かせる。
「雪、大丈夫だ、泣くな」
「ごめんなさい……俺が……わるいんです……っ」
今度は私のシャツを掴み顔を埋めて声を上げて泣き始めた。自分が悪いとうわ言のように繰り返す雪を、私はただ黙って私の体温を分け与えるように胸に抱き背中を撫でる。
どのくらい経っただろう。泣き疲れ雪の体重はすっかり私に預けられる。眠ったのかもしれない。ようやく雪の呼吸が整いはじめ、たまにしゃくりあげることもあるがだいぶ収まった。その様子に私はようやく安堵のため息を漏らし、雪が目覚めないようそうっと体勢を崩し胸に抱いたままベッドに寄りかかった。
私はそこから窓を見つめて叩きつける雨を眺めていた。
雪がもぞっと動いた。
「すが…さ……」
私を呼ぶその声は掠れている。
「少し雨は落ち着いてきたぞ」
「……」
雪には雨よりこの暗闇だろうか。
「雪、床は寒いだろう、ベッドに入りなさい」
「…………いや」
「体が冷えるぞ」
「……だってっ、そうしたら須賀さん、帰ってしま……」
「私はここにいるよ、置いていかない」
ぎゅっと私のシャツを掴むその指は血色がない。私はその手に自分の手を被せやんわりと握りシャツから離すと、その指先にキスを落としてから雪を抱き上げた。
瀧が毎日整えているふかふかの布団の中に雪を沈めると私はベッドサイドに腰掛けた。雪は体ごとこちらに向いて私に手を伸ばしたかと思うと腰に手を回したのだ。
「怖いのか?」
「……」
腰に回された細い腕をさすってやると縋る力は弱まったものの、どけることはなかった。私はさっきふと思い出した昔の記憶を話すことにした。
「私がまだ本家にいた頃、小学生の頃だな。近くの大きな木に雷が落ちて停電が起こったんだ。使用人たちは慌てて懐中電灯を持って状況確認に躍起になっていたが、瀧だけは違ってな」
「どう、……していたんです?」
「私の部屋に来て『停電なら寝てしまえば同じですから、目を瞑って早くお休みください』ってそれだけ言って帰ってしまったんだよ」
「え? 本当に?」
雪は驚いた顔を私に向けてから微笑した。
「瀧さんらしい、……のかな。俺にはまだそんなこと言えるほど知り合えてはいないけど」
「実に瀧らしいエピソードだよ」
「そっか……」
そう呟くとまた怯えたような表情に戻る雪。今夜の堤の話も堪えているのかもしれない。まだ十九の彼に何が理解できるだろう。雪の髪を指で鋤きながらその柔さを味わう。
「……俺らしさって、なん、でしょう」
「君らしさ?」
「俺は、……俺という証明ができません」
やはり雪はそれを口にした。今はこの話を避けるべきか、それとも気が紛れるのだろうか、それなら、と私は深くベッドに腰掛けた。
「あんなこと言われて面食らったろう。あぁいうものは人生をかけて答えを見つけるもんだ。見つからないこともあるだろう」
「もし堤さんのいうとおり、人間がデータに成り代わるのなら、俺は……」
雪が、雪である証明。
「……Ωである俺も消えます」
少しの間を開けて雪は呟いた。
「たしかにな、αの世界もガラリと変わるかもしれん、身体的な個性はフラットになるからな」
「俺は自分がΩだと知って、自分が知りたくてその研究がしたくて、大学に行って……」
その先、身体的な性差や区別の無い世界が待ち受けていると知れば、勇ましく前進していた雪も足踏みしてしまうだろうか。
「研究をしたいんだろう?」
「そうなれたらって。……でもΩのこともαのことも無知な俺が何を言ってるのかなって思いました。その……αの……」
「αが怖くなったか?」
「い、いえっ、αは絶対的に全てに優れているということは分かっています」
戸惑う表情にαへの恐怖が芽生え始めている。自然と震える雪の手を握ると雪がこちらを見た。
「雪、自分の証明が身体的なことではなくて存在という精神的なことだと、どう捉える?」
「存在……?」
「この世に自分一人だったら『存在している』と言えるだろうか」
「長谷川雪が、誰と時間を共有したか。今夜食事を楽しんだことも君の脳が記憶している。そして私も堤もそれを共有した」
「はい……」
「もし私や堤が君を知らないと言ったらどうなる? 食事にも行ったことがない、知らないよって」
「存在……が、なくなる」
「つまり記憶とその共有だ。仮に私が先に逝くことになるとしよう。君が、堤が、瀧が私のことを語らえば私は存在し得るんだ」
「みんなの記憶の中に……」
「それが不老不死さ」
「でも俺も逝ったら」
「忘れられていくことも同じく必要だよ、それがこの世の理だしね」
「……忘れたくない、です」
雪は顔半分隠れるように布団に埋めて小さな声で言った。
「記憶を取り出してデータ化すれば残すことは可能だ、そして幸せだった記憶だけの世界にいつでもアクセスできる。いやな現実から逃げることができる。そこに陶酔することができるメタバースがあったらどうだろう。先に亡くした愛した人にもそこでなら会える」
「……」
「人はどうしてもそこに逃げるんだ。現実は辛い。現実を見たくないからもうどうしようもない、堤の話のように最後には肉体から離れてしまう。この流れは坂道を転がるように加速してる。止められないんだ」
「須賀さん……俺はイヤだよ」
「そうだな、君はちゃんと現実を生きてる」
「須賀さんもでしょう?」
「あぁ、私はこの体で君とはこうやって体温を感じていたいからな」
「……っ!!」
「なにもしないよ、ただこうしていよう、解消はまた先のようだ」
スマホで電力会社のホームページを見るとまだまだ停電の解消の見込みはない。私は観念してベッドヘッドに凭れて足を放り投げた。
「瀧の言うとおり、目を瞑ってしまえばおんなじさ」
片眉を上げて冗談交じりに言えば、布団からチラリと目元だけ出していた雪が目を閉じる。
同じベッドに居るのは一年前のあの夜以来だ。
αとΩであっても、あの夜のように理性を忘れて抱き壊す衝動はない。本能ではなく理性で雪を愛おしいと思わせてくれる貴重な時間だ。
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