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暗闇
第三十話
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「……何故、須賀さんが謝るんですか」
長椅子に座る俺の前にしゃがみ俺を見上げたその表情は、青ざめていて心配そうに見える。
「いつの間にか威圧してしまっていた」
「いあつ……」
「苦しかったろう? 本当にすまない」
「いあつってなんですか?」
「え……?」
須賀は俺の答えに驚いてから少し考えてもう一度俺を見た。すっかり眉を下げている須賀が言葉を選ぶようにゆっくりと話し始める。
「αは怒りの感情が湧くとフェロモンを出して相手を威圧するんだ。それは相手の身体を制御したり感情を征服する……、さっき君の母親と話しているとき君がとても苦しそうで、それで自分が威圧してしまっていたことに気づいた……、本当に申し訳ない」
αというのはそんなことをするのか、と初めて聞いたことに俺はポカンとしていたに違いない。
「もしかして喉が詰まるような感じがしたのがそう……だったんですか……?」
「やっぱり苦しかったんだね、……すまない」
何度も何度も申し訳なさそうに眉を下げて謝る須賀は、俺の膝に置いている俺の手を優しく上から包んでいる。
──ちょっと待って。ということは……須賀さんはαということ?
俺は、とんでもないことに今まで気がついていなかった。同じΩに出会ったこともないし、αに至っては伝説か何かだと思っていてαに出会うことなんてないんだと思い込んでいた。
「通常α同士で威圧、威嚇し合うもので、慣れないΩには相当な傷害を負わせてしまうことになる。鼻血を出したり耳から血を流したり、気絶してしまうこともある」
須賀は言葉を選んで説明してくれている。この目の前で跪いて俺を見上げるこの男が、αだという。
「雪……ひとつ確認したいことがある」
既に俺はだいぶ頭が混乱している。須賀から何を聞かれるのだろうかと身構えると、須賀は俺の手の甲を見つめて撫でた。そしてその眼差しが俺に向く。
「私がαだと、君は解っているか?」
──どうしよう。今気づいたなんて。
目を泳がせ黙っている俺に須賀はなんだか納得したような感じで少し表情が和らいだと思うと「解っていなかったか」とはにかんだ。
「自身がΩだということは自覚しているね?」
そう言われ小さく頷いた。
「……分かった。佐伯が待っている。帰ろう。立てるかい?」
少し間があって立ち上がった須賀は、片眉をあげているがその眦は下がっていて柔らかい。俺に差し出される大きな手。どうかしたかと須賀は首を傾げている。俺がそっとその大きな手に自分の手を伸ばすとその手が包まれるように握られた。とてもあたたかい。
須賀は必要以上は聞いてこない。
多分聞きたいことが沢山あるはずだ。須賀のことをαだと認識できないこと。それはΩとして欠陥品だと言っているようなものだから……。
それにあの夜のことも。
内心はホッとしているのに、罪悪感が湧いてズキンと胸が痛む。母のことだって話すにはまだ勇気がない、出来るなら話さないでいたいのだ。
「須賀さん、どこに向かっているんです?」
「ちょっと寄り道だよ」
いつ佐伯さんに伝えていたのだろう、着いたのは海の公園だった。潮が混じる夜風が心地よい。遠くには工業地帯の灯りが見えていた。俺達が降りると佐伯さんは俺達を置いて行ってしまった。
「少し風にあたろう、気分転換だよ」
俺に気を遣ってくれているのだろうか。須賀は俺の少し前を歩いている。キレイな夜景より今は大きな背中を見ていたい。
「あの……、お金のことですが」
「あのお金は私が渡したんだから君が気に病むことではない」
「そんな訳にはいかないです」
「あぁやっていつもお金をせびりに来るのか? バイトをしているのはそのせいか?」
「…………」
「君の胃薬も、睡眠薬も母親が原因か?」
それだけではないんだけれど、要因すべてをさらけ出すわけにはいかない。黙っている俺に振り返ると何も言わずスーツの上着を脱いだ。
「君と母親は別の人格だ、親の行いに子供が償う必要はない」
「でも、お金ですから」
「いいから。忘れてくれ」
須賀は脱いだ上着を俺の肩に掛けてくれた。
「まだ夜風は冷たい」
「……すいません」
「謝ってばかりだな、君は」
コートの上から俺の肩に手を置いて何か考えている。
「私が怖いか?」
「えっ?」
ゆっくり肩を撫でられて須賀を見上げると気遣わしげな目と合う。昨夜が過ぎった。俺はこの手を振り払ってしまったんだ。
「怖いか?」
「いいえ! 怖いだなんて、もう……」
俺は顔をぶるぶると横に振った。しかし須賀はハッとして腕を離した。
「……怖いかなどど聞いて、まるで脅しているようだな、すまん」
バツが悪そうに腕を組んで俺に触れないとでも示しているようだった。
「出会った頃は……と言ってもつい最近ですが、契約を持ち掛けられたときはすごく怖かったです、須賀さんがどんな方なのかも分からなかったですし」
「うん」
「でも、今は優しそう……だなって思ってます」
「まだ断定はしてないんだな」
須賀はあははと笑った。眉がすっかり下がっている。
「君からの信頼を得るまで君に嫌なことはしない」
「でも、それでは契約が……っ」
違反になってしまう。
「君は面白い」
そう言って笑うと前に振り向き俺に背を向けた。そのまままたゆっくりと歩き出す。俺は肩に掛けられた上着に顔を近づけすんと匂いを嗅いでみる。
αのフェロモンとはどういうものなのだろう。Ωの抑制薬を止めたら須賀のフェロモンが感じられるんだろうか。……いや、その前からじゃないか。俺は発情期さえ迎えていないΩ。薬で抑えているからじゃない。
「はは……」
Ωだと自覚はしてる、それは検査でそう言われたから。自分自身どこにもその欠片は見当たらない。
長椅子に座る俺の前にしゃがみ俺を見上げたその表情は、青ざめていて心配そうに見える。
「いつの間にか威圧してしまっていた」
「いあつ……」
「苦しかったろう? 本当にすまない」
「いあつってなんですか?」
「え……?」
須賀は俺の答えに驚いてから少し考えてもう一度俺を見た。すっかり眉を下げている須賀が言葉を選ぶようにゆっくりと話し始める。
「αは怒りの感情が湧くとフェロモンを出して相手を威圧するんだ。それは相手の身体を制御したり感情を征服する……、さっき君の母親と話しているとき君がとても苦しそうで、それで自分が威圧してしまっていたことに気づいた……、本当に申し訳ない」
αというのはそんなことをするのか、と初めて聞いたことに俺はポカンとしていたに違いない。
「もしかして喉が詰まるような感じがしたのがそう……だったんですか……?」
「やっぱり苦しかったんだね、……すまない」
何度も何度も申し訳なさそうに眉を下げて謝る須賀は、俺の膝に置いている俺の手を優しく上から包んでいる。
──ちょっと待って。ということは……須賀さんはαということ?
俺は、とんでもないことに今まで気がついていなかった。同じΩに出会ったこともないし、αに至っては伝説か何かだと思っていてαに出会うことなんてないんだと思い込んでいた。
「通常α同士で威圧、威嚇し合うもので、慣れないΩには相当な傷害を負わせてしまうことになる。鼻血を出したり耳から血を流したり、気絶してしまうこともある」
須賀は言葉を選んで説明してくれている。この目の前で跪いて俺を見上げるこの男が、αだという。
「雪……ひとつ確認したいことがある」
既に俺はだいぶ頭が混乱している。須賀から何を聞かれるのだろうかと身構えると、須賀は俺の手の甲を見つめて撫でた。そしてその眼差しが俺に向く。
「私がαだと、君は解っているか?」
──どうしよう。今気づいたなんて。
目を泳がせ黙っている俺に須賀はなんだか納得したような感じで少し表情が和らいだと思うと「解っていなかったか」とはにかんだ。
「自身がΩだということは自覚しているね?」
そう言われ小さく頷いた。
「……分かった。佐伯が待っている。帰ろう。立てるかい?」
少し間があって立ち上がった須賀は、片眉をあげているがその眦は下がっていて柔らかい。俺に差し出される大きな手。どうかしたかと須賀は首を傾げている。俺がそっとその大きな手に自分の手を伸ばすとその手が包まれるように握られた。とてもあたたかい。
須賀は必要以上は聞いてこない。
多分聞きたいことが沢山あるはずだ。須賀のことをαだと認識できないこと。それはΩとして欠陥品だと言っているようなものだから……。
それにあの夜のことも。
内心はホッとしているのに、罪悪感が湧いてズキンと胸が痛む。母のことだって話すにはまだ勇気がない、出来るなら話さないでいたいのだ。
「須賀さん、どこに向かっているんです?」
「ちょっと寄り道だよ」
いつ佐伯さんに伝えていたのだろう、着いたのは海の公園だった。潮が混じる夜風が心地よい。遠くには工業地帯の灯りが見えていた。俺達が降りると佐伯さんは俺達を置いて行ってしまった。
「少し風にあたろう、気分転換だよ」
俺に気を遣ってくれているのだろうか。須賀は俺の少し前を歩いている。キレイな夜景より今は大きな背中を見ていたい。
「あの……、お金のことですが」
「あのお金は私が渡したんだから君が気に病むことではない」
「そんな訳にはいかないです」
「あぁやっていつもお金をせびりに来るのか? バイトをしているのはそのせいか?」
「…………」
「君の胃薬も、睡眠薬も母親が原因か?」
それだけではないんだけれど、要因すべてをさらけ出すわけにはいかない。黙っている俺に振り返ると何も言わずスーツの上着を脱いだ。
「君と母親は別の人格だ、親の行いに子供が償う必要はない」
「でも、お金ですから」
「いいから。忘れてくれ」
須賀は脱いだ上着を俺の肩に掛けてくれた。
「まだ夜風は冷たい」
「……すいません」
「謝ってばかりだな、君は」
コートの上から俺の肩に手を置いて何か考えている。
「私が怖いか?」
「えっ?」
ゆっくり肩を撫でられて須賀を見上げると気遣わしげな目と合う。昨夜が過ぎった。俺はこの手を振り払ってしまったんだ。
「怖いか?」
「いいえ! 怖いだなんて、もう……」
俺は顔をぶるぶると横に振った。しかし須賀はハッとして腕を離した。
「……怖いかなどど聞いて、まるで脅しているようだな、すまん」
バツが悪そうに腕を組んで俺に触れないとでも示しているようだった。
「出会った頃は……と言ってもつい最近ですが、契約を持ち掛けられたときはすごく怖かったです、須賀さんがどんな方なのかも分からなかったですし」
「うん」
「でも、今は優しそう……だなって思ってます」
「まだ断定はしてないんだな」
須賀はあははと笑った。眉がすっかり下がっている。
「君からの信頼を得るまで君に嫌なことはしない」
「でも、それでは契約が……っ」
違反になってしまう。
「君は面白い」
そう言って笑うと前に振り向き俺に背を向けた。そのまままたゆっくりと歩き出す。俺は肩に掛けられた上着に顔を近づけすんと匂いを嗅いでみる。
αのフェロモンとはどういうものなのだろう。Ωの抑制薬を止めたら須賀のフェロモンが感じられるんだろうか。……いや、その前からじゃないか。俺は発情期さえ迎えていないΩ。薬で抑えているからじゃない。
「はは……」
Ωだと自覚はしてる、それは検査でそう言われたから。自分自身どこにもその欠片は見当たらない。
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