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人の価値
第十八話
しおりを挟む『君はΩなんだ』
車がアパートに着くまで俺の頭の中でリフレインし続けた。
何故俺をΩだと分っているのか。考えられることは、俺のことを調べた時に分かっていた、これが一番可能性が高いだろう。
Ωからは一番遠い身体だし、あれから一年抑制剤を服用している。もう俺からはフェロモンなんて出ていない。
Ωとして扱ってくれることが辛いなんて、初めてだ。
車が俺のアパートに着くと佐伯さんがするより先にドアのロックを解除してドアを開けた。すると後ろ手に左手が掴まれる。
「雪、もう少し話をしないか?」
このままこの手を振り払ったほうがいいだろうか。冷凍庫に頭を突っ込んで冷やしたほうがいいくらいに子供みたいな発言をして須賀を責めてしまったんだから。戸惑っていると、そこに冷静な佐伯さんの低い声がした。
「前から誰か来ます」
声と同時に掴まれていた手がぐいっと引っ張られ俺の体が須賀の胸に寄せられる。佐伯さんは運転席から外に出ると俺のドアを外からドンっと閉めた。そしてそのまま前から来る人物に警戒しているようだ。いったい誰が来たのかと目を凝らすとその人物に見覚えがあった。
「須賀さん、あの人は管理人です」
「管理人? 君のアパートの?」
「はい、なにかあったのかもしれません」
もしかしてとバッグからスマホを取り出すと不動産屋の名前で着信が三件もあった。それを見せると須賀は俺の上に乗るようにして俺側のパワーウィンドウのボタンを押し窓を開けた。
「佐伯」
「はい」
「このアパートの管理人だそうだ」
鼻がくっつきそうなほど近くにある須賀の横顔に胸が跳ねる。事務的に佐伯さんに伝えると、須賀が居直りさっき感じた須賀の体重があっという間に無くなり少しだけ寂しさがこみ上げた。
佐伯さんにドアを開けてもらい外へ出ると管理人が俺に気づいて慌てた様子で近づいてきた。
「あ、長谷川さんだね!」
高齢の管理人の男性は高級車と俺とを交互に見ながら驚いた様子だったが、思い出したようにハッとし話し始めた。
どうやら上の階の人がお風呂の水を出しっぱなしにして寝てしまい、階下の俺の部屋が浸水したらしい。
アパートを見上げると、隣で聞いていた佐伯さんも一緒に見上げていた。ポタポタと、外階段へ漏れる音が聞こえる。
「どうした?」
「いえ、なんでも」
後ろから須賀の声がして思わず何でもないと隠した。
「トラブルか?」
「上の階の住人が漏水させたようです」
「佐伯さん!!」
あっさり佐伯さんが告げ口した。
中に入ると想像以上にビショビショだった。間取りは同じのため俺の部屋も風呂場と洗面所とキッチンのある一角が特にひどい、だがそもそもワンルーム、濡れていないところを探すほうが難しい。
靴下を脱いで裸足になり一番気がかりだったノートパソコンを確かめた。
「……やっぱり濡れてる……。はぁ……レポートあと少しで完成だったのに」
ひとまず乾いているタオルを見つけてそれに包んでバッグに詰める。死んでないことを祈るしかない。
「これは無残だな」
他人からそう言われると案外冷静でいられていることに気づく。いつの間にか付いてきた須賀が玄関から部屋の中を見回していた。
「テレビもベッドもない、本当にここに住んでいるのか?」
確かに生活感がまるでない部屋。あるのは布団くらいだ。
俺は次に心配している押入れを開けて中を確認した。須賀から貰った品々も見事に濡れていた。
「ごめんなさい、濡らしてしまいました」
「いい。それより君の大切なものはどうなんだ? 無事なのか?」
「パソコンは……濡れていました。動作確認は出来ていませんが」
「濡れているときに起動はさせないほうがいい、あとは?」
「あとは……」
大学の教科書とノート……。無残にびしょびしょになっている。救えるかは分からないが押入れに仕舞ってある大きなボストンバッグにどんどん突っ込んだ。上京したときに使ったバッグで久しぶりに目にして気持ちが沈む。
しかし今はそんな気持ちになっている場合ではない。濡れていない服たちはまた別のバッグに手早く詰め込んでいく。
「しばらく住めんな、行くところは?」
「…………なんとかします」
「なんとかするくらいなら私の家に来い。しばらく住めばいい」
「いやです」
須賀を睨み返そうと振り向くと、須賀の手のひらがこちらを向いていてもう片方の手がコートのポケットからスマホを取り出していた。待てということだ。
「私だ。……あぁ、話してくれ」
電話の向こうの人に話しながら須賀は部屋を出ていってしまった。
俺の部屋は二階でこのままでは一階にも迷惑をかけるかもしれない。水たまりが出来ているところにバスタオルを敷いて吸わせている間もう一枚のタオルでその周りを拭く。濡れた布団はとりあえずバルコニーに移す。下を見るとそこにはまだ車があった。
ひとまず床を拭き終えると水を吸ったタオルを流しで絞り未使用のゴミ袋に詰めた。濡れてしまっている服ももう一枚の袋に詰め込む。
ボストンバッグたちを一旦外の廊下に持ち出し、濡れた服の入ったゴミ袋をサンタのように担ぐと鍵をかけ下に降りる。すると佐伯さんが運転席から出てきた。
「お手伝いがあれば」
「大丈夫です、コインランドリー近いんで。俺は気にしないで帰ってください、ありがとうございました」
佐伯さんはすごく気を遣ってくれて、無理に俺に何かしようとはしない、部屋にも絶対に入らない人だ。
コインランドリーで仕上がるのを待つ間、スマホが鳴った。
『あんた! レストラン辞めたって? 友達の娘さんの結婚式に東京来ててレストラン行っていい気分で食事したってのに最後で恥かかされたわよ! いつもお前のツケにしてるってのに、どうなってるのよ!』
「……辞めたんだ」
『辞めた? 次の仕事見つけてから辞めたんでしょうね?』
「……見つかってないよ、勉強が忙しいんだ」
『勉強を言い訳にしていいと思ってるのね』
「……」
『五万よ! お友達の分も払ったんですからね、送金しといて頂戴よ? プツッ──』
キンキンとした声に脳が拒絶反応を起こして吐き気がする。
「な…んで……」
店内にある椅子に座って足を掛けて膝を抱いた。泣かない、絶対に泣かない。
人生なるようにしかならない、はずだ。
乾燥が終わった服は温かくふわふわしていた。
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初めて挑戦しましたオメガバース作品です。この世界にもαとΩが居たらどんな世界なのだろうと思って書きはじめました。『Maybe Love』の九条吾妻くんと、そのお父さんが友情出演致しました。須賀の幼馴染の堤の恋の話最後の恋煩いもあります。合わせてお楽しみください。
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