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暗闇
第二十四話
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「おはよう」
「……お、はようございます」
昨夜は気絶するようにそのままベッドで意識を失い、気づいたら朝だった。スマホで時間を確認すると七時。とりあえず昨夜コインランドリーで洗濯した服から見繕い着替えだけすると部屋を出たのだった。
長い廊下の先にガラス戸があって光が差していた。いくつか扉が両側にあるが、目の前にある光を目指して進んだ。そこを開けるとまるでゲームのゴールみたいに視界が開けて大きな空間に出た。
三部屋ほど続き間になった和室で、襖が取り払われているせいか空間を間仕切るものがなく大きなひと部屋のよう。真ん中には重厚感のある絨毯が敷かれ、その上にソファーセットが置かれていた。
そのソファに須賀が居たのだ。途端、ホッとしてしまった。
彼は大きなソファでゆったりと腰掛けて新聞を広げている。前にあるローテーブルには何紙も新聞がありタブレット端末も側に置かれている。
俺を見上げて何か言おうとしたとき、後ろに気配を感じる。須賀の視線もそちらに向いた。
「さぁ、朝食を用意致しますからおすわりくださいましね」
元気の良い声が後ろから掛けられたのだった。振り向くと年配の和服を着た女性だった。背が小さくころころっとふくよかな人で俺に笑いかける。
須賀の家族なのだろうか。一瞬間をおいてしまうと今度は須賀からも声を掛けられまたそちらを向いた。
「私はもう仕事だから、君はゆっくりしていなさい」
「……はい」
上の空で返事をしてしまった。他所の家に来て唯一顔を知る須賀がもうすぐ居なくなるという、とても単純な心細さに声が小さくなってしまったんだ。
「雪、大丈夫か?」
新聞を畳むと立ち上がり俺の頬を撫でた。心配そうにしてくれている。落ち込んだ顔をしてはだめだ。とっさに笑みを繕う。
「あ……、洗面所は、どこですかね、えっと、顔も洗いたいし、トイレも……行きたいです」
「瀧、案内してやってくれ」
須賀はやや大きな声を出して瀧という人を呼んだ。しかし……
「私は忙しいんですよ、若旦那様がなさってください?」
と先程の女性の声が遠くのほうから返され、須賀は頭をポリポリかくと俺を案内してくれた。
洗面所も風呂もトイレも全てがスケールが大きい。そして水回りはモダンにリフォームされていて本当に高級旅館のようだ。……行ったことはないけれど。
「好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「さっきのは女中の瀧だ。元々は私の乳母だったが、祖父が辞めさせたあと私が身元を引き受けて個人的に雇っている」
「あ、あの、ご家族は……」
「ここは私が個人で所有している家だから私と瀧以外はいない。あとは佐伯が出入りするくらいだ、安心していい」
家族が居ないことが安心に繋がるという発想は須賀だけじゃない。まずは家族との対面がすぐではないと知って少しだけホッとすると、俺の頬を指先でなぞられた。
「大丈夫だ、ここは安全だ」
「……はい」
「顔色がよくない、朝食が済んだら風呂に入れてもらい部屋で休みなさい」
それに安全とはΩとしてということでもあるだろう。
「……少しの間お世話になります。宜しくお願いします」
「我々は恋人だ、君の世話をするのは当たり前のことだよ」
須賀が一歩近づいて身を屈めて顔が迫ってくる。思わずぎゅっと目を瞑ると俺の頬にちゅっと柔らかな感触があった。離れていく気配に須賀を見上げるといたずらっぽく片眉が上がっていた。
そこに佐伯さんが迎えに来て、須賀はスーツの上着を羽織ると玄関を出ていった。
顔を洗って先程のリビングへ向かうと魚が焼ける良いにおいが漂っていた。においを辿ると隣のダイニングルームかららしい。覗いてみるとテーブルには和定食のような朝ごはんが並んでいた。
「うわぁ……美味しそう」
焼き鮭、卵焼き、ひじきの煮物、いちご。一瞬で胃が刺激されぐぅっと腹の虫がなった。
「さぁさぁ坊っちゃま、席について召し上がってくださいな」
──坊っちゃまって……俺のこと?
先程の女性が黒塗りのお盆にお椀と瀬戸物の茶碗を乗せてやってきて、とんとテーブルに置かれると朝食が完成した。
出来たての朝ごはんなんて食べるのいつぶりなんだろうと考えて、そんなの無かったと改めて思い出して鼻の奥がツンとする。そんな俺の背中を温かな手のひらが優しく押す。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
そう言われて思わず顔が綻ぶ。お椀を持つと出汁の香りがふわりとした。
──これが幸せだ。
単純なことだけれど、おいしいごはん、出来たてのごはんを食べられることは心を満たしてくれる。それさえ、俺は自身の身体にしてこなかった。二の次にしていたんだ。
「私は瀧って言います、この家のことで困ったことなんかあればなんでもおっしゃってくださいね」
「俺は長谷川 雪です。しばらく厄介になります」
「はい、坊っちゃま。若旦那さまから話は伺っております。しばらくだなんて言わず、ずーーーっといていただいて良いんですよ」
「え? どんなふうに聞いてるんですか?」
思わず聞き返してしまった俺に瀧さんは口に手を当てて「ふふふ」と笑った。
「あ、あの、昨日持ってきた荷物、本を知りませんか?」
後始末をしなければならない。教科書も試しに干してみて使えなければ買い替えないといけない。
──……あぁ、パソコンもだ。とほほ。
「奥の部屋にお運びしておりますよ、あとでご案内しますね。まずはお腹を満たさないと」
「ありがとうございます」
食後、通された部屋には目を疑う光景があった。床に整然と教科書が並べられていたんだ。
「……お、はようございます」
昨夜は気絶するようにそのままベッドで意識を失い、気づいたら朝だった。スマホで時間を確認すると七時。とりあえず昨夜コインランドリーで洗濯した服から見繕い着替えだけすると部屋を出たのだった。
長い廊下の先にガラス戸があって光が差していた。いくつか扉が両側にあるが、目の前にある光を目指して進んだ。そこを開けるとまるでゲームのゴールみたいに視界が開けて大きな空間に出た。
三部屋ほど続き間になった和室で、襖が取り払われているせいか空間を間仕切るものがなく大きなひと部屋のよう。真ん中には重厚感のある絨毯が敷かれ、その上にソファーセットが置かれていた。
そのソファに須賀が居たのだ。途端、ホッとしてしまった。
彼は大きなソファでゆったりと腰掛けて新聞を広げている。前にあるローテーブルには何紙も新聞がありタブレット端末も側に置かれている。
俺を見上げて何か言おうとしたとき、後ろに気配を感じる。須賀の視線もそちらに向いた。
「さぁ、朝食を用意致しますからおすわりくださいましね」
元気の良い声が後ろから掛けられたのだった。振り向くと年配の和服を着た女性だった。背が小さくころころっとふくよかな人で俺に笑いかける。
須賀の家族なのだろうか。一瞬間をおいてしまうと今度は須賀からも声を掛けられまたそちらを向いた。
「私はもう仕事だから、君はゆっくりしていなさい」
「……はい」
上の空で返事をしてしまった。他所の家に来て唯一顔を知る須賀がもうすぐ居なくなるという、とても単純な心細さに声が小さくなってしまったんだ。
「雪、大丈夫か?」
新聞を畳むと立ち上がり俺の頬を撫でた。心配そうにしてくれている。落ち込んだ顔をしてはだめだ。とっさに笑みを繕う。
「あ……、洗面所は、どこですかね、えっと、顔も洗いたいし、トイレも……行きたいです」
「瀧、案内してやってくれ」
須賀はやや大きな声を出して瀧という人を呼んだ。しかし……
「私は忙しいんですよ、若旦那様がなさってください?」
と先程の女性の声が遠くのほうから返され、須賀は頭をポリポリかくと俺を案内してくれた。
洗面所も風呂もトイレも全てがスケールが大きい。そして水回りはモダンにリフォームされていて本当に高級旅館のようだ。……行ったことはないけれど。
「好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「さっきのは女中の瀧だ。元々は私の乳母だったが、祖父が辞めさせたあと私が身元を引き受けて個人的に雇っている」
「あ、あの、ご家族は……」
「ここは私が個人で所有している家だから私と瀧以外はいない。あとは佐伯が出入りするくらいだ、安心していい」
家族が居ないことが安心に繋がるという発想は須賀だけじゃない。まずは家族との対面がすぐではないと知って少しだけホッとすると、俺の頬を指先でなぞられた。
「大丈夫だ、ここは安全だ」
「……はい」
「顔色がよくない、朝食が済んだら風呂に入れてもらい部屋で休みなさい」
それに安全とはΩとしてということでもあるだろう。
「……少しの間お世話になります。宜しくお願いします」
「我々は恋人だ、君の世話をするのは当たり前のことだよ」
須賀が一歩近づいて身を屈めて顔が迫ってくる。思わずぎゅっと目を瞑ると俺の頬にちゅっと柔らかな感触があった。離れていく気配に須賀を見上げるといたずらっぽく片眉が上がっていた。
そこに佐伯さんが迎えに来て、須賀はスーツの上着を羽織ると玄関を出ていった。
顔を洗って先程のリビングへ向かうと魚が焼ける良いにおいが漂っていた。においを辿ると隣のダイニングルームかららしい。覗いてみるとテーブルには和定食のような朝ごはんが並んでいた。
「うわぁ……美味しそう」
焼き鮭、卵焼き、ひじきの煮物、いちご。一瞬で胃が刺激されぐぅっと腹の虫がなった。
「さぁさぁ坊っちゃま、席について召し上がってくださいな」
──坊っちゃまって……俺のこと?
先程の女性が黒塗りのお盆にお椀と瀬戸物の茶碗を乗せてやってきて、とんとテーブルに置かれると朝食が完成した。
出来たての朝ごはんなんて食べるのいつぶりなんだろうと考えて、そんなの無かったと改めて思い出して鼻の奥がツンとする。そんな俺の背中を温かな手のひらが優しく押す。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
そう言われて思わず顔が綻ぶ。お椀を持つと出汁の香りがふわりとした。
──これが幸せだ。
単純なことだけれど、おいしいごはん、出来たてのごはんを食べられることは心を満たしてくれる。それさえ、俺は自身の身体にしてこなかった。二の次にしていたんだ。
「私は瀧って言います、この家のことで困ったことなんかあればなんでもおっしゃってくださいね」
「俺は長谷川 雪です。しばらく厄介になります」
「はい、坊っちゃま。若旦那さまから話は伺っております。しばらくだなんて言わず、ずーーーっといていただいて良いんですよ」
「え? どんなふうに聞いてるんですか?」
思わず聞き返してしまった俺に瀧さんは口に手を当てて「ふふふ」と笑った。
「あ、あの、昨日持ってきた荷物、本を知りませんか?」
後始末をしなければならない。教科書も試しに干してみて使えなければ買い替えないといけない。
──……あぁ、パソコンもだ。とほほ。
「奥の部屋にお運びしておりますよ、あとでご案内しますね。まずはお腹を満たさないと」
「ありがとうございます」
食後、通された部屋には目を疑う光景があった。床に整然と教科書が並べられていたんだ。
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初めて挑戦しましたオメガバース作品です。この世界にもαとΩが居たらどんな世界なのだろうと思って書きはじめました。『Maybe Love』の九条吾妻くんと、そのお父さんが友情出演致しました。須賀の幼馴染の堤の恋の話最後の恋煩いもあります。合わせてお楽しみください。
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