24 / 98
暗闇
第二十四話
しおりを挟む
「おはよう」
「……お、はようございます」
昨夜は気絶するようにそのままベッドで意識を失い、気づいたら朝だった。スマホで時間を確認すると七時。とりあえず昨夜コインランドリーで洗濯した服から見繕い着替えだけすると部屋を出たのだった。
長い廊下の先にガラス戸があって光が差していた。いくつか扉が両側にあるが、目の前にある光を目指して進んだ。そこを開けるとまるでゲームのゴールみたいに視界が開けて大きな空間に出た。
三部屋ほど続き間になった和室で、襖が取り払われているせいか空間を間仕切るものがなく大きなひと部屋のよう。真ん中には重厚感のある絨毯が敷かれ、その上にソファーセットが置かれていた。
そのソファに須賀が居たのだ。途端、ホッとしてしまった。
彼は大きなソファでゆったりと腰掛けて新聞を広げている。前にあるローテーブルには何紙も新聞がありタブレット端末も側に置かれている。
俺を見上げて何か言おうとしたとき、後ろに気配を感じる。須賀の視線もそちらに向いた。
「さぁ、朝食を用意致しますからおすわりくださいましね」
元気の良い声が後ろから掛けられたのだった。振り向くと年配の和服を着た女性だった。背が小さくころころっとふくよかな人で俺に笑いかける。
須賀の家族なのだろうか。一瞬間をおいてしまうと今度は須賀からも声を掛けられまたそちらを向いた。
「私はもう仕事だから、君はゆっくりしていなさい」
「……はい」
上の空で返事をしてしまった。他所の家に来て唯一顔を知る須賀がもうすぐ居なくなるという、とても単純な心細さに声が小さくなってしまったんだ。
「雪、大丈夫か?」
新聞を畳むと立ち上がり俺の頬を撫でた。心配そうにしてくれている。落ち込んだ顔をしてはだめだ。とっさに笑みを繕う。
「あ……、洗面所は、どこですかね、えっと、顔も洗いたいし、トイレも……行きたいです」
「瀧、案内してやってくれ」
須賀はやや大きな声を出して瀧という人を呼んだ。しかし……
「私は忙しいんですよ、若旦那様がなさってください?」
と先程の女性の声が遠くのほうから返され、須賀は頭をポリポリかくと俺を案内してくれた。
洗面所も風呂もトイレも全てがスケールが大きい。そして水回りはモダンにリフォームされていて本当に高級旅館のようだ。……行ったことはないけれど。
「好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「さっきのは女中の瀧だ。元々は私の乳母だったが、祖父が辞めさせたあと私が身元を引き受けて個人的に雇っている」
「あ、あの、ご家族は……」
「ここは私が個人で所有している家だから私と瀧以外はいない。あとは佐伯が出入りするくらいだ、安心していい」
家族が居ないことが安心に繋がるという発想は須賀だけじゃない。まずは家族との対面がすぐではないと知って少しだけホッとすると、俺の頬を指先でなぞられた。
「大丈夫だ、ここは安全だ」
「……はい」
「顔色がよくない、朝食が済んだら風呂に入れてもらい部屋で休みなさい」
それに安全とはΩとしてということでもあるだろう。
「……少しの間お世話になります。宜しくお願いします」
「我々は恋人だ、君の世話をするのは当たり前のことだよ」
須賀が一歩近づいて身を屈めて顔が迫ってくる。思わずぎゅっと目を瞑ると俺の頬にちゅっと柔らかな感触があった。離れていく気配に須賀を見上げるといたずらっぽく片眉が上がっていた。
そこに佐伯さんが迎えに来て、須賀はスーツの上着を羽織ると玄関を出ていった。
顔を洗って先程のリビングへ向かうと魚が焼ける良いにおいが漂っていた。においを辿ると隣のダイニングルームかららしい。覗いてみるとテーブルには和定食のような朝ごはんが並んでいた。
「うわぁ……美味しそう」
焼き鮭、卵焼き、ひじきの煮物、いちご。一瞬で胃が刺激されぐぅっと腹の虫がなった。
「さぁさぁ坊っちゃま、席について召し上がってくださいな」
──坊っちゃまって……俺のこと?
先程の女性が黒塗りのお盆にお椀と瀬戸物の茶碗を乗せてやってきて、とんとテーブルに置かれると朝食が完成した。
出来たての朝ごはんなんて食べるのいつぶりなんだろうと考えて、そんなの無かったと改めて思い出して鼻の奥がツンとする。そんな俺の背中を温かな手のひらが優しく押す。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
そう言われて思わず顔が綻ぶ。お椀を持つと出汁の香りがふわりとした。
──これが幸せだ。
単純なことだけれど、おいしいごはん、出来たてのごはんを食べられることは心を満たしてくれる。それさえ、俺は自身の身体にしてこなかった。二の次にしていたんだ。
「私は瀧って言います、この家のことで困ったことなんかあればなんでもおっしゃってくださいね」
「俺は長谷川 雪です。しばらく厄介になります」
「はい、坊っちゃま。若旦那さまから話は伺っております。しばらくだなんて言わず、ずーーーっといていただいて良いんですよ」
「え? どんなふうに聞いてるんですか?」
思わず聞き返してしまった俺に瀧さんは口に手を当てて「ふふふ」と笑った。
「あ、あの、昨日持ってきた荷物、本を知りませんか?」
後始末をしなければならない。教科書も試しに干してみて使えなければ買い替えないといけない。
──……あぁ、パソコンもだ。とほほ。
「奥の部屋にお運びしておりますよ、あとでご案内しますね。まずはお腹を満たさないと」
「ありがとうございます」
食後、通された部屋には目を疑う光景があった。床に整然と教科書が並べられていたんだ。
「……お、はようございます」
昨夜は気絶するようにそのままベッドで意識を失い、気づいたら朝だった。スマホで時間を確認すると七時。とりあえず昨夜コインランドリーで洗濯した服から見繕い着替えだけすると部屋を出たのだった。
長い廊下の先にガラス戸があって光が差していた。いくつか扉が両側にあるが、目の前にある光を目指して進んだ。そこを開けるとまるでゲームのゴールみたいに視界が開けて大きな空間に出た。
三部屋ほど続き間になった和室で、襖が取り払われているせいか空間を間仕切るものがなく大きなひと部屋のよう。真ん中には重厚感のある絨毯が敷かれ、その上にソファーセットが置かれていた。
そのソファに須賀が居たのだ。途端、ホッとしてしまった。
彼は大きなソファでゆったりと腰掛けて新聞を広げている。前にあるローテーブルには何紙も新聞がありタブレット端末も側に置かれている。
俺を見上げて何か言おうとしたとき、後ろに気配を感じる。須賀の視線もそちらに向いた。
「さぁ、朝食を用意致しますからおすわりくださいましね」
元気の良い声が後ろから掛けられたのだった。振り向くと年配の和服を着た女性だった。背が小さくころころっとふくよかな人で俺に笑いかける。
須賀の家族なのだろうか。一瞬間をおいてしまうと今度は須賀からも声を掛けられまたそちらを向いた。
「私はもう仕事だから、君はゆっくりしていなさい」
「……はい」
上の空で返事をしてしまった。他所の家に来て唯一顔を知る須賀がもうすぐ居なくなるという、とても単純な心細さに声が小さくなってしまったんだ。
「雪、大丈夫か?」
新聞を畳むと立ち上がり俺の頬を撫でた。心配そうにしてくれている。落ち込んだ顔をしてはだめだ。とっさに笑みを繕う。
「あ……、洗面所は、どこですかね、えっと、顔も洗いたいし、トイレも……行きたいです」
「瀧、案内してやってくれ」
須賀はやや大きな声を出して瀧という人を呼んだ。しかし……
「私は忙しいんですよ、若旦那様がなさってください?」
と先程の女性の声が遠くのほうから返され、須賀は頭をポリポリかくと俺を案内してくれた。
洗面所も風呂もトイレも全てがスケールが大きい。そして水回りはモダンにリフォームされていて本当に高級旅館のようだ。……行ったことはないけれど。
「好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「さっきのは女中の瀧だ。元々は私の乳母だったが、祖父が辞めさせたあと私が身元を引き受けて個人的に雇っている」
「あ、あの、ご家族は……」
「ここは私が個人で所有している家だから私と瀧以外はいない。あとは佐伯が出入りするくらいだ、安心していい」
家族が居ないことが安心に繋がるという発想は須賀だけじゃない。まずは家族との対面がすぐではないと知って少しだけホッとすると、俺の頬を指先でなぞられた。
「大丈夫だ、ここは安全だ」
「……はい」
「顔色がよくない、朝食が済んだら風呂に入れてもらい部屋で休みなさい」
それに安全とはΩとしてということでもあるだろう。
「……少しの間お世話になります。宜しくお願いします」
「我々は恋人だ、君の世話をするのは当たり前のことだよ」
須賀が一歩近づいて身を屈めて顔が迫ってくる。思わずぎゅっと目を瞑ると俺の頬にちゅっと柔らかな感触があった。離れていく気配に須賀を見上げるといたずらっぽく片眉が上がっていた。
そこに佐伯さんが迎えに来て、須賀はスーツの上着を羽織ると玄関を出ていった。
顔を洗って先程のリビングへ向かうと魚が焼ける良いにおいが漂っていた。においを辿ると隣のダイニングルームかららしい。覗いてみるとテーブルには和定食のような朝ごはんが並んでいた。
「うわぁ……美味しそう」
焼き鮭、卵焼き、ひじきの煮物、いちご。一瞬で胃が刺激されぐぅっと腹の虫がなった。
「さぁさぁ坊っちゃま、席について召し上がってくださいな」
──坊っちゃまって……俺のこと?
先程の女性が黒塗りのお盆にお椀と瀬戸物の茶碗を乗せてやってきて、とんとテーブルに置かれると朝食が完成した。
出来たての朝ごはんなんて食べるのいつぶりなんだろうと考えて、そんなの無かったと改めて思い出して鼻の奥がツンとする。そんな俺の背中を温かな手のひらが優しく押す。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
そう言われて思わず顔が綻ぶ。お椀を持つと出汁の香りがふわりとした。
──これが幸せだ。
単純なことだけれど、おいしいごはん、出来たてのごはんを食べられることは心を満たしてくれる。それさえ、俺は自身の身体にしてこなかった。二の次にしていたんだ。
「私は瀧って言います、この家のことで困ったことなんかあればなんでもおっしゃってくださいね」
「俺は長谷川 雪です。しばらく厄介になります」
「はい、坊っちゃま。若旦那さまから話は伺っております。しばらくだなんて言わず、ずーーーっといていただいて良いんですよ」
「え? どんなふうに聞いてるんですか?」
思わず聞き返してしまった俺に瀧さんは口に手を当てて「ふふふ」と笑った。
「あ、あの、昨日持ってきた荷物、本を知りませんか?」
後始末をしなければならない。教科書も試しに干してみて使えなければ買い替えないといけない。
──……あぁ、パソコンもだ。とほほ。
「奥の部屋にお運びしておりますよ、あとでご案内しますね。まずはお腹を満たさないと」
「ありがとうございます」
食後、通された部屋には目を疑う光景があった。床に整然と教科書が並べられていたんだ。
94
お気に入りに追加
906
あなたにおすすめの小説
イケメンがご乱心すぎてついていけません!
アキトワ(まなせ)
BL
「ねぇ、オレの事は悠って呼んで」
俺にだけ許された呼び名
「見つけたよ。お前がオレのΩだ」
普通にβとして過ごしてきた俺に告げられた言葉。
友達だと思って接してきたアイツに…性的な目で見られる戸惑い。
■オメガバースの世界観を元にしたそんな二人の話
ゆるめ設定です。
…………………………………………………………………
イラスト:聖也様(@Wg3QO7dHrjLFH)
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
お世話したいαしか勝たん!
沙耶
BL
神崎斗真はオメガである。総合病院でオメガ科の医師として働くうちに、ヒートが悪化。次のヒートは抑制剤無しで迎えなさいと言われてしまった。
悩んでいるときに相談に乗ってくれたα、立花優翔が、「俺と一緒にヒートを過ごさない?」と言ってくれた…?
優しい彼に乗せられて一緒に過ごすことになったけど、彼はΩをお世話したい系αだった?!
※完結設定にしていますが、番外編を突如として投稿することがございます。ご了承ください。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜
MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね?
前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです!
後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛
※独自のオメガバース設定有り
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる