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αの世界
第二十ニ話
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「運命を探すのにこんなに手こずるとはね」
ワイングラスを傾けて私を揶揄うような目つきで話すのは幼馴染の堤だ。堤は私の一夜の相手のことを『運命のΩ』といい、よく酒のつまみにしている。堤もαで外科医だ。
この日老舗のホテルのレストランを訪れていた。私用でこのような形式張ったホテルは使わないのだが、堤の論文が医学雑誌に掲載された祝いに飯を奢れと連れて来られたのだった。
老舗らしくいつもの可もなく不可もない味。
ワインはニ○一六年のル・パン。
目の前には小憎らしい幼馴染の顔。
あの夜からすっかり一年が経って、もうじき彼と会った春がやって来ようとしている。
いつか昔に聞いたことがある『運命の番』
お互い抗うことの出来ない相手という意味だ。自分の運命の相手に出会うと、一瞬でこの人だとわかるという。Ωは自身からフェロモンを発しαはラット状態になり本能に従いΩを自分のものにして、その項を噛む。
とても動物的で短絡だ。私は運命よりもっと理性で恋愛がしたい。
けれど、αとして抗えない運命というものがあるのなら死が互いを分かつまで、一生を添い遂げられるのだろうか。
他の何者にも惑わされず、邪魔もされない。番いだけを愛し抜ける、そしてその愛を同じだけ返してくれる。
そんな愛が、そんな完璧とも言える愛がこの世に果たしてあるのだろうか。
手がかりは私の記憶の中にだけある彼のフェロモン。堤や佐伯に頼ろうともその術は無く、捜索は難航していた。
あの夜、私はΩの項を咬まなかった。堤のいう運命なら理性を保ったというのはおかしい。あれほどの強い衝動に駆られて、咬まなかったんだ。
「彼は運命ではないのかな」
「えらく弱気だね、どうしたの?」
「あの夜のことは、まるで昨日のことのように覚えているというのにな」
堤は弱気な私を見て面白そうだ。
「ここはβで溢れてる。Ωとの二度目の偶然なんて、天文学的数字だろうな」
「βの世界で生きているΩ……」
「Ωにもそっちなりのワケがあってここで生きているんだろう。政府が把握できているのはここで生きてるΩだけ。検査で引っかけて管理しようとしてる。保護法なんて作りやがって……とっ捕まえて繁殖させるだなんて人道的におかしい」
堤は少し苛立ってグラスを飲み干した。
「厚生省のΩのリストが見られれば早いんだが、ガードが固い」
「Ωの総統に会うほうが、手っ取り早いんじゃないか?」
「総統に?」
「お前ならツテがあるだろう」
堤の言うツテを探りながらワイングラスを揺らして遠心力でその水面がくるりと回ったとき、ワイングラスを持った手が止まる。
「……居た」
「元親、どうかしたか?」
「しーっ……」
「ん?」
堤を黙らせると、意識を集中させる。
一瞬香ったんだ。
淡い炭酸がふつふつと湧き上がるような……蒼い夏のひとときのような……なんとも形容しがたい風景が概念として浮かんだ。
──彼だ、間違いない。
レストランの中を瞳孔を収縮させてあたりを見張る。聴覚も研ぎ澄ませ集中する。
──この男でもない! あの男でもない! どいつもこいつも香水と柔軟剤の偽物の香りばかりだ!
強い人工的な香料に眉間あたりがキリキリと痛み始める。しかし諦めたくない、私は席を立った。
「ほどほどにな~」
堤は手のひらをひらひらとさせて私を見送った。
客でないなら従業員だ。制止する支配人をどけて厨房に入り込む。シェフたちは突然乱入してきた客に驚き戸惑いながらも調理を続けている。百人くらいが慌ただしく働いていた。匂いは強くなっている。
さらに集中して料理のいい香りの漂う厨房の中でΩのフェロモンを拾った。
──いた!
αの黒目が収縮しある男を捉えた。
ふんわりとした美しい栗毛が目元まで覆い、透き通るような白い頬は少し上気して薄いピンク色をしている。
脳が存在を認知すると全身が粟立つ。喉が熱く渇望した。全身の血管が脈々と波打つようだ。自分のものにしたい、奥底から湧き上がる本能。
黒の蝶ネクタイをしたボーイ姿のΩにやはりチョーカーはなかった。
働いているレストランから身元が判った。
長谷川 雪。大学在学中の十九歳で、あのレストランでアルバイトをしている。家族構成は母親と妹がひとり。彼が十二歳の時母親が再婚し、その養父はいくつか会社を経営していて裕福な家庭であることが伺える。
これならアルバイトなど必要のない階級だ。週に六日シフトに入っているとはどういうことなのだろう。人生経験を踏ませるには忙し過ぎやしないだろうか。
「雪……」
ホテルの厨房で見つけたとき、声を掛けたかった。しかし追ってきた堤に肩を掴まれた。「今のお前はひどい顔をしている、彼が怯えたらどうする」と止められたんだ。
Ωを守るはずのチョーカーをせず暮らしている君。
なぜなんだ。
君の香りがするんだ、番ってはいない。
早く、君に会いたいよ。
ワイングラスを傾けて私を揶揄うような目つきで話すのは幼馴染の堤だ。堤は私の一夜の相手のことを『運命のΩ』といい、よく酒のつまみにしている。堤もαで外科医だ。
この日老舗のホテルのレストランを訪れていた。私用でこのような形式張ったホテルは使わないのだが、堤の論文が医学雑誌に掲載された祝いに飯を奢れと連れて来られたのだった。
老舗らしくいつもの可もなく不可もない味。
ワインはニ○一六年のル・パン。
目の前には小憎らしい幼馴染の顔。
あの夜からすっかり一年が経って、もうじき彼と会った春がやって来ようとしている。
いつか昔に聞いたことがある『運命の番』
お互い抗うことの出来ない相手という意味だ。自分の運命の相手に出会うと、一瞬でこの人だとわかるという。Ωは自身からフェロモンを発しαはラット状態になり本能に従いΩを自分のものにして、その項を噛む。
とても動物的で短絡だ。私は運命よりもっと理性で恋愛がしたい。
けれど、αとして抗えない運命というものがあるのなら死が互いを分かつまで、一生を添い遂げられるのだろうか。
他の何者にも惑わされず、邪魔もされない。番いだけを愛し抜ける、そしてその愛を同じだけ返してくれる。
そんな愛が、そんな完璧とも言える愛がこの世に果たしてあるのだろうか。
手がかりは私の記憶の中にだけある彼のフェロモン。堤や佐伯に頼ろうともその術は無く、捜索は難航していた。
あの夜、私はΩの項を咬まなかった。堤のいう運命なら理性を保ったというのはおかしい。あれほどの強い衝動に駆られて、咬まなかったんだ。
「彼は運命ではないのかな」
「えらく弱気だね、どうしたの?」
「あの夜のことは、まるで昨日のことのように覚えているというのにな」
堤は弱気な私を見て面白そうだ。
「ここはβで溢れてる。Ωとの二度目の偶然なんて、天文学的数字だろうな」
「βの世界で生きているΩ……」
「Ωにもそっちなりのワケがあってここで生きているんだろう。政府が把握できているのはここで生きてるΩだけ。検査で引っかけて管理しようとしてる。保護法なんて作りやがって……とっ捕まえて繁殖させるだなんて人道的におかしい」
堤は少し苛立ってグラスを飲み干した。
「厚生省のΩのリストが見られれば早いんだが、ガードが固い」
「Ωの総統に会うほうが、手っ取り早いんじゃないか?」
「総統に?」
「お前ならツテがあるだろう」
堤の言うツテを探りながらワイングラスを揺らして遠心力でその水面がくるりと回ったとき、ワイングラスを持った手が止まる。
「……居た」
「元親、どうかしたか?」
「しーっ……」
「ん?」
堤を黙らせると、意識を集中させる。
一瞬香ったんだ。
淡い炭酸がふつふつと湧き上がるような……蒼い夏のひとときのような……なんとも形容しがたい風景が概念として浮かんだ。
──彼だ、間違いない。
レストランの中を瞳孔を収縮させてあたりを見張る。聴覚も研ぎ澄ませ集中する。
──この男でもない! あの男でもない! どいつもこいつも香水と柔軟剤の偽物の香りばかりだ!
強い人工的な香料に眉間あたりがキリキリと痛み始める。しかし諦めたくない、私は席を立った。
「ほどほどにな~」
堤は手のひらをひらひらとさせて私を見送った。
客でないなら従業員だ。制止する支配人をどけて厨房に入り込む。シェフたちは突然乱入してきた客に驚き戸惑いながらも調理を続けている。百人くらいが慌ただしく働いていた。匂いは強くなっている。
さらに集中して料理のいい香りの漂う厨房の中でΩのフェロモンを拾った。
──いた!
αの黒目が収縮しある男を捉えた。
ふんわりとした美しい栗毛が目元まで覆い、透き通るような白い頬は少し上気して薄いピンク色をしている。
脳が存在を認知すると全身が粟立つ。喉が熱く渇望した。全身の血管が脈々と波打つようだ。自分のものにしたい、奥底から湧き上がる本能。
黒の蝶ネクタイをしたボーイ姿のΩにやはりチョーカーはなかった。
働いているレストランから身元が判った。
長谷川 雪。大学在学中の十九歳で、あのレストランでアルバイトをしている。家族構成は母親と妹がひとり。彼が十二歳の時母親が再婚し、その養父はいくつか会社を経営していて裕福な家庭であることが伺える。
これならアルバイトなど必要のない階級だ。週に六日シフトに入っているとはどういうことなのだろう。人生経験を踏ませるには忙し過ぎやしないだろうか。
「雪……」
ホテルの厨房で見つけたとき、声を掛けたかった。しかし追ってきた堤に肩を掴まれた。「今のお前はひどい顔をしている、彼が怯えたらどうする」と止められたんだ。
Ωを守るはずのチョーカーをせず暮らしている君。
なぜなんだ。
君の香りがするんだ、番ってはいない。
早く、君に会いたいよ。
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初めて挑戦しましたオメガバース作品です。この世界にもαとΩが居たらどんな世界なのだろうと思って書きはじめました。『Maybe Love』の九条吾妻くんと、そのお父さんが友情出演致しました。須賀の幼馴染の堤の恋の話最後の恋煩いもあります。合わせてお楽しみください。
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