瑠璃色の吸血鬼は異世界で死を誓う

沖弉 えぬ

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21決戦を前に

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 目が覚めると、横になった視界に居間にあるソファの背中とテーブルの足、壁に沿って並んだサイドチェストと壁に飾った絵画が見えた。
 見慣れた景色だと安心しかけた璃久の耳に、おぞましい声が聞こえてきて安堵を打ち砕く。
「思ったよりお早いお目覚めで」
 棚橋、と言いかけた璃久の頭を騎士の一人が掴んで無理矢理体を起こさせた。ソファの横に両膝で立たされる。腕は後ろで縛られており、髪を掴まれると後頭部が激しく痛んだ。
 殴られて気絶させられて、どうやらそのまま屋敷に連れてこられたらしい。そして、テーブルを挟んだ向こうに、いつもはアルブスが座っているソファに肥満体を凭れさせる大司教の姿があった。
「何、で……っ」
 ガンガンする頭で必死に考える璃久の目に見知った人物が映った。
 璃久の腹を刺した男だった。その男のおかげで状況への答えが導かれた。
「ほう、思いの外賢いようだな。お前の想像通り、信徒が私に悪しき吸血鬼が居ると告解してきたのだ。黒髪黒目の吸血鬼に唆されて、息子の『還命の儀式』から逃げてしまったと。黒髪に覚えはなかったが、外で自由にさせている吸血鬼などこの屋敷にしかおらぬからなぁ」
 何が自由かと叫ぼうとするとズキンと頭に痛みが走って声にならなかった。悔しくてたまらなくて頭に血が上っていく。頭の痛みも強くなっていく。だけどそんな事よりも大司教の膝の上に乗せられぐったりと大司教に凭れているルークを目にして璃久は怒りで全身を膨らませた。
「おお、おお、恐ろしい。まるで獣のようだな」
 大司教に何を言っても無駄な事は分かっていたので、無視して腕を縛る縄を解こうと身を捩る。
「何だつまらんな。もっと食ってかかってくるかと思ったが」
 大司教の言葉を無視して腕を動かしていると、パアンッと騎士に頭を叩かれた。それだけでぐわん、と目が回り、上半身を折り曲げて床に頬を擦り付ける。
「まぁ待てまだ殺すな。この下衆はルークに手を貸していたようだからなぁ」
 大司教がルークに何かをするのだという予感が働き言うことを聞かない体に懸命に力を込める。顔を上げて大司教の方に行こうとしたが、腕ごと体を縛られた縄を引っ張られて呆気なく膝を突く。
「見ていなさい。悪しき吸血鬼を服従させるために編み出した奇跡の魔術を」
「あ……い、や……っ」
 項垂れていたルークがパッと顔を上げ、血相を変えて頭を振り乱す。ほんの微かにだが、広げさせられた腿の付け根の辺りで布越しに『悪魔の印』が放つ光が透けていた。
「やめろ」
 顎が砕けそうなほど歯を食い縛り悲痛な表情を浮かべ、嫌だと首を振るルークを大司教は平手打ちにした。それだけでルークは大人しくなってしまう。
「ルークを放せ!」
「見えておらんのか? この淫らな吸血鬼は自ら私の足に跨っているのだ」
 大司教の言う通りルークは縛られてたりはしていない。だが嫌がるルークの様子を見て誰が彼の意思だと思うだろう。脅されているのだ。恐らくは、璃久の命を楯に取られている。
 大司教が指に嵌めた真っ赤な宝石のついた指輪をひと撫でする。と、ルークは目をぎゅっと閉じて何かを耐えるようにする。頬は赤く上気して息が上がっており、それはまるで、性的な興奮を覚えているように見える。そして『まるで』ではない事を、璃久は知っている。
「ふ……う……っ」
 ルークの体が突然ビクリと跳ねた。股の間に何かがじわりと滲んで白いズボンを濃く染めていく。
「ルークに触んなぁっ!!」
 思い切り体を捻って騎士の手から逃れようとしたが、怪我を負った璃久では鍛えられた騎士には到底敵わず赤子のように簡単に床に倒されてしまう。顔を大司教の方に向けたまま頭の横を靴で踏まれて体重を掛けられると踏まれた耳に激痛が走る。
「り……」
 ルークの声がする。再び霞み始めた視界で何とかルークの顔を見ようとして、踏みつけてくる足に抵抗して頭を浮かせようとする。
『逃げて』
 ルークの口が続けて動く。
『蝙蝠』
 そうだ。璃久は蝙蝠にさえなってしまえばこの縄から抜け出す事が出来る。頭に血が上っていたせいでそんな簡単な事も思い付かなくなっていた。
 しかしそれではルークを助けられない。そもそも体が万全だったとしても複数の騎士を連れた大司教を相手に、ルーク一人で手に負える状況ではなかった。
 璃久が迷っているうちに、大司教の手がルークのシャツのボタンを外しにかかる
「前を触らず達するなど、まるで女のようだな、ルーク」
 その台詞を聞いた瞬間、璃久は決断していた。
「うわっ! 何だ!?」
 縄の手応えが突然消えて、騎士が狼狽える。騎士の声に驚き大司教の手も止まっていた。
 璃久は蝙蝠になって縄から抜け出した。この姿でも何とかルークを助けられないかと振り返る璃久に、ルークは目を細める。彼は笑おうとしていた。安心したのか、それとも安心させるためなのか。
 ――どうして、こんな時に笑えるんだよ。
「ルーク! 絶対に助ける!!」
「あの蝙蝠は……! ええい早く捕まえろ! 逃げた蝙蝠が先の黒髪の男だ!! 追え!!」
 待てと言って追いかけてくる騎士の手を躱し、高く満月に向かって飛び上がっていく。そうだ今日は満月なのに大司教は信徒の密告を聞くと大事な祈りの日も無視してすぐさまルークの所へやってきた。もう大司教は己の務めを放棄する事すら厭わない。あの男は聖職者ですらなくなった。
 璃久が高く飛び上がるとすぐに騎士は璃久に追い付けなくなった。そのまま夜闇を飛び続け、もはや騎士の誰も璃久を目視出来なくなると、娼館を目指してフラフラしながら飛んでいく。今ならまだ娼館にナジーブラの私兵が残っているはずだ。ナジーブラ本人は居なかったがオークスを捕らえる事になるとあって警戒のために私兵を置いていた。



 休まず飛び続けて、深夜にも関わらず光を漏れさせる瀟洒な館を見付けて窓を叩いた。
 ギョッとした顔でハインスが窓を開けてくれる。
「どうし――」
「ルークが大司教に捕まった! 頼む助けてくれ!」
 人間に戻りながら言うとハインスは更に驚いて顔を歪める。
「まずはリックの手当てが先みたいだな」
「そんな事してる暇ねぇよ」
「あんたに案内してもらわなきゃルークさんの屋敷が分からねぇの。その道中で血流しすぎて死なれちゃどうしようも無ぇだろ」
 血と言われて璃久は初めて自分が頭から血を流している事に気が付いた。道理で真っすぐ飛べないはずだ。
 焦る璃久を宥めすかして頭に布を巻いて応急処置を施し、ハインスが指示を出して残っていた私兵を集めると、璃久はルークの屋敷に取って返した。
 途中、周囲をうろつく騎士たちを何とかやり過ごして屋敷に飛び込んだが、時既に遅く、大司教もルークも姿を消していた。
「くそ……!」
 せめてどこかにアルブスが隠れてはいないかと屋敷中を回ると浴槽のバスタブの中に、湯に半分浸かりながらアルブスが必死に息を潜めているところを見付ける事が出来た。
「ル、ルーク様に、異変があったら隠れるようにと、い、言われて……っ」
 全身を大きく震えさせるアルブスは体が冷めきっていた。娼館から戻ってきたルークと璃久のために湯を沸かしてくれていたのだ。その途中、二人が捕まった状態で戻ってきて慌ててバスタブに隠れたアルブスは、璃久がこうして戻ってくるまで冷めて冷たくなった水に浸かりながらも息を潜めていた。
 濡れたアルブスの体を抱き締める。恐ろしさにポロポロと涙をこぼすアルブスの頭を撫でて、それでも彼に訊かなくてはならない事がある。
「ルークがどこに連れてかれたか分かるか?」
 アルブスは弱々しく首を振る。分からないと答えたが、「でも」と言葉を続ける。
「大聖堂の、地下牢かも知れません。あそこが、一番檻が頑丈ですから……」
 浴室の壁を殴りつけると音にアルブスがびくっとする。
「悪いアルブス。すぐにお前の主人を取り返してくる」
「おーい待て待てリック。いや番犬さんよ。一人で行ったって殺されるのがオチだぜ?」
 屋敷の中を一緒に探してくれていたハインスが、微かに額に汗を掻きながら手に持った蝋燭を璃久とアルブスに向ける。「少年くんは見つかったか」と言うハインスにアルブスが頭を下げて答えた。
「じゃあ兵を貸してくれんのかよ」
「駄目だ。爺さんから預かってる奴らに死ねなんて命令は出せない」
「分かった。一人で行く。悪いな最後まで付き合えなくて」
「馬鹿馬鹿、もっとよく考えろ。俺、爺さんが吸血鬼を運ぶ仕事をしようとしてたって話したろ?」
「それが今何の関係があんだよ!!」
 璃久がたまらず怒鳴るとハインスはやれやれと肩を竦める。璃久には大人ぶろうとするハインスの戯れに付き合ってやる暇はない。
「ルークさんはそう簡単には殺されないだろって話だろ」
「何だって? 俺を止めるために適当言ったって無駄だぞ」
「違うってのに」
 冷静さを欠いてまともにハインスに取り合おうとしない璃久だったが、アルブスが寒さに我慢ならずくしゃみをしてしまうと、さすがに着替えさせてやるべきかと一旦彼を連れて二階へ移動する。
「あの、リック様。僕も今あなた様がルーク様を助けに行ってはいけないと思います」
「お前まで……」
 恐怖が足に来てしまっているのか上手く立てないアルブスがよろけながらも服を出して着替え始める。改めて首にある『悪魔の印』を見てしまい、せめてアルブスだけでも捕まらなくて良かったと思うと幾分冷静さが戻ってくる。
「リック様が死んでしまわれては、例え同胞を助けてもルーク様は報われません。いえ、きっとリック様の後を追ってしまわれます。そうなっては僕が困ってしまいます。ルーク様もリック様も居なくなってしまっては、僕は一体誰にお仕えすればよろしいのでしょう?」
 じわ、と一度止まった涙がアルブスの目を濡らしたが、アルブスは袖で目元を雑に拭って気迫を込める。
「ハインス殿下のお話を聞きましょう」
 璃久の手を取るアルブスには、璃久にはない覚悟が宿っていた。
「はいはい呼ばれて飛び出てハインス殿下だぞ。そっちのおチビちゃんの方がよっぽど落ち着いてるじゃねぇか」
 勝手に部屋に入ってきたハインスは、アルブスの部屋をさっと見渡してからそのまま説明を続ける。
「吸血鬼を探して他国にまで手を伸ばしてるって事は、この国の吸血鬼が死にすぎて足りなくなってんだよ。大司教のお気に入りで、こんな屋敷に住まわせるくらいには気に入ってるルークさんを簡単に殺す訳ないって」
「でも、その間にもルークは辛い目に遭ってる」
「分かってるよ。だから大司教をさっさと法廷に引きずり出して、正面から叩くんだ。それがルークさんの宿願でもあるだろ」
 いくらか落ち着いてきた璃久の頭でもハインスの言うことが理に適っている事は理解出来ていた。それでも今すぐにでも飛び出したい自分を上手く説得出来なくて、イライラと室内を歩き回って最後に自分の太腿を強く殴って漸く気持ちが固まった。
「……分かった」
「そうこなくっちゃな。まずはここから撤退するぞ」
 自力で歩く力が戻ってきたアルブスを連れ、璃久たちは屋敷を離れた。
 一刻も早くルークを取り戻すために何が出来るかを考えながら、璃久は娼館への道をひた走る。
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