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14湯気に煙るもの
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正確には「ルークのせい」と表現するのが正しいのだと知った時、ルークは自分の犯した罪の重さに初めて気が付いた。
瑠夏はルークのせいでその魂と肉体を失い、そして璃久はルークのせいで命を絶った。
自分の腕の中で泣き疲れて眠ってしまった璃久の頭を撫でながら、ルークは考え続けた。
どうして、璃久はそんな苦境に立たされてしまったのだろう。誰が初めに瑠夏が死んだのは璃久のせいだと噂を流したのか。
ンナー、と猫の鳴き声がしてルークは顔を上げる。窓際にお座りをして尻尾を揺らす猫の背を、朝日が照らして猫型の影を床に落としていた。
「魔女の気紛れ……」
ルークが呟くと、黒猫は退屈そうに欠伸をした。それからルークの呟きを肯定するように黄色い目でルークを見ながらニャアと鳴いた。
大聖堂の地下に囚われていた頃、ルークは魔女に願った。
――お願いします魔女様。僕を、同胞を、どうか救う術をお与え下さい。
幾日も同じ事を願った。暴力や凌辱に耐えられず死んでいく仲間を見せられて、生きていくために彼らの血を啜って、ルークは鏡に向かって願い続けた。
鏡は魔女に通じる道具だと昔からの言い伝えがあったからだ。信じていた訳ではなかった。ただ、そう願わなくてはルークはルークを保てなかったのだ。
そうしてある日突然、鏡はルークを異世界へと運んだ。ルークの「自らと同胞を救う術が欲しい」という願いが聞き届けられたのだ。
だけどもしもその時、ルークの願いを叶えるために、『魔女の気紛れ』が璃久の世界でも起きていたとしたら?
鏡の表と裏のように幸福と不幸は常に対になっている。『魔女の気紛れ』によってルークが幸福を得ていたその代償に、ルークには見えない裏側で璃久のもとには不幸が訪れていた可能性はないだろうか。
「何にせよ、僕が君を選んだせいには変わらない、か……」
ルークが璃久を手放すのが惜しくなってしまったせいで、璃久はいらぬ責を負わされて生きていく羽目になったのだ。
どうしたらこの罪を償えるだろう。咄嗟にルークの事を殺せと言ってしまったが、ルークは全てが終わった後でも命を渡せない事情がある。魔女の力を使ったルークは、魔女に魂を捧げなくてはならない。比喩でも何でもなく、本当に魂を取られてしまうのだと言われている。実際のところは誰にも分からないが、世界を越えたばかりか異なる世界から人を連れてくるという尋常ならざる事をやってのけたからには、やはり代償は必要だろう。
魔女に取られる前に、璃久に命も魂も渡してしまおうか?
「いや……」
璃久はそんな人間ではない。誰かを痛めつけて憂さを晴らせるような人間だったなら、あんなにも悩まず済んだのだ。
正義感が強く真面目だったが故に、璃久は自分を責め抜いてしまった。他者にも自分にも責められて心が押し潰された。
そんな彼の心をどうやったら軽くしてあげられるだろう。まだ、彼の心を救う事は出来るのだろうか。
ソファに座ったまま璃久の頭を抱えて、ルークは目を閉じる。
夕方、アルブスが紅茶を入れてくれた。オークス王のもう一人の弟であるハックに頼んだままルークが忘れていたところをアルブスが見付けてきたのだ。
璃久の事は酷い疲れでベッドに行く間もなく眠ってしまったと話してある。涙の跡の残る顔を見るとどうしても起こすのが忍びなく、ソファに横にならせて毛布を掛けた。
紅茶の匂いに誘われてか、アルブスがルークの分を注いでいる間に璃久が毛布を落としながら目を覚ました。
「おはよう、璃久」
外は夕方だが、吸血鬼にとっては朝のようなものだ。おはよう、と腫れぼったい目でぼんやりと呟いてから、テーブルの上の湯気を昇らせる紅茶に目が留まる。
「アルブスが入れてくれたんだ。飲む?」
ルークのためにと入れてくれたものだったが、アルブスに目配せをして璃久の前にソーサーを押し出す。アルブスは改めてルークの分と自分の分を注いでから、砂糖が無い事に気付いてキッチンに取りに行った。
寝癖をつけた状態でしばらく紅茶を眺めていた璃久は、やがてカップを手に取り一口飲んだ。
「どう? ダージリンだったかな。紅茶は詳しくなくてあんまり……璃久?」
カップに口をつけたまま制止している璃久の頬が赤くなっている事に気付き呼び掛けるが返事がない。不思議な事にカップを持ち上げた姿勢で固まっている。
昨日はすごく感情的になってたくさん泣いてしまったので、まだ気持ちの整理が出来ていないのかも知れないと考えるルークに、そっとカップを離し目だけで周囲を確認した璃久が聞こえないくらい小さな声で「昨日の事は忘れろ」と言った。
「無理だよ。僕のせいで璃久をずっと悩ませてきたって事だろう? しつこいかも知れないけど、瑠夏の事は君のせいじゃ」
「わ、忘れろ! って、言ってる……」
噛み付くような勢いでカップを口に近付けると、ず、と音を立てて紅茶を啜る。璃久はますます赤くなって耳まで紅潮させている。この段に至って漸く意図を察したルークが「まさか照れてる?」と直球で訊ねると、とうとう首まで赤くなった。
「あんな風に大泣きしてしまうくらい辛かっ」
「それを言うなって言ってるんだよ!」
ぱっとカップを口から遠ざけ璃久が吠える。危ないのでカップを置いてくれと頼み、ルークは居住まいを正す。
「あのね璃久、聞いてほしいんだけど。全てが済んだら僕の事を殺してもいいって話は」
「ルーク。それやめろ。お前のそういう自罰的なところ好きじゃない」
「でも、璃久が苦しんだのは本当に僕のせいだから」
「そうかも知れねぇけど、俺はそうやって責められつづけてしんどかったから、お前に同じ思い、してほしくない」
顔は赤いままで全くルークの方を見てくれないが、その横顔は心無しか憑き物が落ちたように見える。
「もしかしてたくさん泣いて少し吹っ切れた?」
「ル、ウ、ク!」
「痛たたたっ」
怒った璃久が鼻を摘んでくる。摘まれたまま鼻声で抗議するとふふっ、と控えめに笑う声が聞こえてきて璃久と二人で振り返った。シュガーポットを持ったアルブスがルークたちのやり取りを見て思わず吹き出した声だった。
大人気ないやり取りを繰り広げていた二人は急に恥ずかしくなって、いつの間にか近付いていた距離を開けて座り直す。と、アルブスもまさか自分が笑った事に気付かれていたとは思わなかったようで、ほぼ同時にぴゃっと肩を跳ねさせおずおずとシュガーポットをテーブルに置きにくる。
「あ、ああ甘い物が疲れに良いと聞いた事が、あ、ありましたからっ」
脚のついた銀器のシュガーポットの蓋をアルブスが開けたが、残念ながら砂糖は中で溶けて固まってしまっていた。
「紅茶なんてあったんだなこの家。まさか数十年物なんて言わないよな……?」
古くなり過ぎた砂糖が溶けているところを見たからだろう、そう言って璃久は急に疑いだした。半分ほど飲んだカップを手に矯めつ眇めつする璃久にまさかと答えて笑う。
「最近頼んでおいたんだ。璃久は元々人間だったから、人間が口にする物もあった方がいいのかなって思って」
「俺っていつから吸血鬼なんだ? 瑠夏は吸血鬼じゃなくて人間だったんだろ?」
「僕も正確な事は分からなくて」
瑠夏の体で璃久を噛んだ時に璃久も吸血鬼になった事は確かだろう。あの時ルークは吸血衝動を起こしていた。しかし吸血鬼とはあくまでこちらの世界にしか居ないので、本当に吸血鬼になったのはあの鏡から出た瞬間だったのではないか。というルークの推測を語ると、自分で話題を広げたにしては「ふーん」という素っ気ない返事が返ってくる。
「それで、誰に貰ったって?」
やはり推測では納得してもらえないよなと思っていると、璃久の拗ねたような声がして思考から戻ってくる。
「紅茶の事? 協力者が居るんだよ」
「……協力者な。そいつにも、体使ってんのか?」
「使ってない! 使ってないよ」
「嘘?」
「ホント! 誓って、絶対ホント」
疑り深い黒い目を真っ直ぐ見上げて真剣に伝えると「ならいいけど」と疑いを引っ込めた。
あれ? と思う。一体何が「ならいいけど」になるのか。
「璃久が使った痛み止めとかも持ってきてもらったんだ。ハインス殿下が娼館にいるらしいって情報もね。で、でも本当に何もしてないから!」
本当は何度も誘惑を試みたのだが失敗続きだった事は黙っておく。
「何度も言わなくていいって。別に会うななんて言わないし」
「そ、そうだね……?」
本当は、会ってほしくない、という事か。
「貴重な王族側の情報源だから、会うなって言われると困っちゃうかも」
「へーえ」
「……璃久、もしかして会ってほしくない?」
恐る恐る訊ねてみると、自分の膝で頬杖をついた璃久が半分目を閉じて不満なような拗ねたような視線をくれる。
「俺、番犬だから」
よく分からないが璃久の中ではそういう事になったらしい。
ともあれ、想像していたほど璃久が昨晩の事に堪えていなかったのは幸いだった。
ふと正面に座っていたアルブスが、お盆で口元を隠しながらはわはわしているのに気付く。ルークが視線を向けるとまた肩を跳ねさせ頬を赤らめる。
「あのっ、お風呂沸かしておきますね。お二人とも昨晩は戻られてそのままだった様子ですので。ぜ、ぜ、是非お二人で一緒に入られて下さい!!」
言い逃げするように脱兎の如く駆けていったアルブスの背中にルークは一拍遅れて叫ぶのだった。
「一緒には入らないからね!?」
*
吹っ切れたのか、と言われて、きっとそうなのだろうと素直に思う事が出来ていた。璃久の胸の奥底で蟠っていた「璃久のせいではなかったはずだ」という思いを、他でもない本人から掬い上げられ認められれば疑り深い璃久でも気が楽になった。
何より、身も世もなく声を上げて泣いたのが一番効いたような気がする。もう何年泣いたり笑ったりまともにしていなかったか分からない。思えば怒りという感情とも疎遠だった。そうやって感情を曝け出して、まさに吹っ切れたのだ。
そうすると何故、瑠夏の体を死なせなくてはならなかったのか、という事がやはり気になった。魂とやらが消えていたからだとルークは言うが、他にも原因があるんじゃないかと指摘するとルークは「いつか話す」と言って答えるのを避けた。
それこそが璃久が心のどこかで否定しきれなかった「瑠夏が死んだのは璃久のせい」だったのではないかと思っていただけに、否定されるとやはり真実が気になった。
それから、オークスにどんな無体を強いられたのかという事も気掛かりだった。だがそれを語らせるのは彼の嫌な記憶を揺り起こす事に他ならない。ルークから切り出さない限りは、そっとしておくべきなのだろう。大司教にされている事だって、本当なら根掘り葉掘り聞いて今すぐにでも大司教を殴りに行きたいところだ。
何はともあれ、波乱はあったがまた一歩、ルークの目的を達成するために前進した事にはなるのだろう。最初こそハインスの印象は最悪だったが、帰る頃には彼の感触は随分良くなっていた。どうも璃久が全力を込めてオークスの頭を殴ったのがよっぽど気に入ったらしかった。
ルークとハインスの話を聞いて、ルークたち吸血鬼を救うためには大司教だけを排除したのでは成し遂げられないと分かった。王であるオークスも吸血鬼の奴隷化のような状況に加担しているのだ。大司教の身近な人間も、吸血鬼という美しい容姿の慰み者を与えられて大司教に与している。
それら膿を完全に出し切ってしまうためには教団だけではなく、国家という巨大な組織にメスを入れなくてはならなかった。
瑠夏はルークのせいでその魂と肉体を失い、そして璃久はルークのせいで命を絶った。
自分の腕の中で泣き疲れて眠ってしまった璃久の頭を撫でながら、ルークは考え続けた。
どうして、璃久はそんな苦境に立たされてしまったのだろう。誰が初めに瑠夏が死んだのは璃久のせいだと噂を流したのか。
ンナー、と猫の鳴き声がしてルークは顔を上げる。窓際にお座りをして尻尾を揺らす猫の背を、朝日が照らして猫型の影を床に落としていた。
「魔女の気紛れ……」
ルークが呟くと、黒猫は退屈そうに欠伸をした。それからルークの呟きを肯定するように黄色い目でルークを見ながらニャアと鳴いた。
大聖堂の地下に囚われていた頃、ルークは魔女に願った。
――お願いします魔女様。僕を、同胞を、どうか救う術をお与え下さい。
幾日も同じ事を願った。暴力や凌辱に耐えられず死んでいく仲間を見せられて、生きていくために彼らの血を啜って、ルークは鏡に向かって願い続けた。
鏡は魔女に通じる道具だと昔からの言い伝えがあったからだ。信じていた訳ではなかった。ただ、そう願わなくてはルークはルークを保てなかったのだ。
そうしてある日突然、鏡はルークを異世界へと運んだ。ルークの「自らと同胞を救う術が欲しい」という願いが聞き届けられたのだ。
だけどもしもその時、ルークの願いを叶えるために、『魔女の気紛れ』が璃久の世界でも起きていたとしたら?
鏡の表と裏のように幸福と不幸は常に対になっている。『魔女の気紛れ』によってルークが幸福を得ていたその代償に、ルークには見えない裏側で璃久のもとには不幸が訪れていた可能性はないだろうか。
「何にせよ、僕が君を選んだせいには変わらない、か……」
ルークが璃久を手放すのが惜しくなってしまったせいで、璃久はいらぬ責を負わされて生きていく羽目になったのだ。
どうしたらこの罪を償えるだろう。咄嗟にルークの事を殺せと言ってしまったが、ルークは全てが終わった後でも命を渡せない事情がある。魔女の力を使ったルークは、魔女に魂を捧げなくてはならない。比喩でも何でもなく、本当に魂を取られてしまうのだと言われている。実際のところは誰にも分からないが、世界を越えたばかりか異なる世界から人を連れてくるという尋常ならざる事をやってのけたからには、やはり代償は必要だろう。
魔女に取られる前に、璃久に命も魂も渡してしまおうか?
「いや……」
璃久はそんな人間ではない。誰かを痛めつけて憂さを晴らせるような人間だったなら、あんなにも悩まず済んだのだ。
正義感が強く真面目だったが故に、璃久は自分を責め抜いてしまった。他者にも自分にも責められて心が押し潰された。
そんな彼の心をどうやったら軽くしてあげられるだろう。まだ、彼の心を救う事は出来るのだろうか。
ソファに座ったまま璃久の頭を抱えて、ルークは目を閉じる。
夕方、アルブスが紅茶を入れてくれた。オークス王のもう一人の弟であるハックに頼んだままルークが忘れていたところをアルブスが見付けてきたのだ。
璃久の事は酷い疲れでベッドに行く間もなく眠ってしまったと話してある。涙の跡の残る顔を見るとどうしても起こすのが忍びなく、ソファに横にならせて毛布を掛けた。
紅茶の匂いに誘われてか、アルブスがルークの分を注いでいる間に璃久が毛布を落としながら目を覚ました。
「おはよう、璃久」
外は夕方だが、吸血鬼にとっては朝のようなものだ。おはよう、と腫れぼったい目でぼんやりと呟いてから、テーブルの上の湯気を昇らせる紅茶に目が留まる。
「アルブスが入れてくれたんだ。飲む?」
ルークのためにと入れてくれたものだったが、アルブスに目配せをして璃久の前にソーサーを押し出す。アルブスは改めてルークの分と自分の分を注いでから、砂糖が無い事に気付いてキッチンに取りに行った。
寝癖をつけた状態でしばらく紅茶を眺めていた璃久は、やがてカップを手に取り一口飲んだ。
「どう? ダージリンだったかな。紅茶は詳しくなくてあんまり……璃久?」
カップに口をつけたまま制止している璃久の頬が赤くなっている事に気付き呼び掛けるが返事がない。不思議な事にカップを持ち上げた姿勢で固まっている。
昨日はすごく感情的になってたくさん泣いてしまったので、まだ気持ちの整理が出来ていないのかも知れないと考えるルークに、そっとカップを離し目だけで周囲を確認した璃久が聞こえないくらい小さな声で「昨日の事は忘れろ」と言った。
「無理だよ。僕のせいで璃久をずっと悩ませてきたって事だろう? しつこいかも知れないけど、瑠夏の事は君のせいじゃ」
「わ、忘れろ! って、言ってる……」
噛み付くような勢いでカップを口に近付けると、ず、と音を立てて紅茶を啜る。璃久はますます赤くなって耳まで紅潮させている。この段に至って漸く意図を察したルークが「まさか照れてる?」と直球で訊ねると、とうとう首まで赤くなった。
「あんな風に大泣きしてしまうくらい辛かっ」
「それを言うなって言ってるんだよ!」
ぱっとカップを口から遠ざけ璃久が吠える。危ないのでカップを置いてくれと頼み、ルークは居住まいを正す。
「あのね璃久、聞いてほしいんだけど。全てが済んだら僕の事を殺してもいいって話は」
「ルーク。それやめろ。お前のそういう自罰的なところ好きじゃない」
「でも、璃久が苦しんだのは本当に僕のせいだから」
「そうかも知れねぇけど、俺はそうやって責められつづけてしんどかったから、お前に同じ思い、してほしくない」
顔は赤いままで全くルークの方を見てくれないが、その横顔は心無しか憑き物が落ちたように見える。
「もしかしてたくさん泣いて少し吹っ切れた?」
「ル、ウ、ク!」
「痛たたたっ」
怒った璃久が鼻を摘んでくる。摘まれたまま鼻声で抗議するとふふっ、と控えめに笑う声が聞こえてきて璃久と二人で振り返った。シュガーポットを持ったアルブスがルークたちのやり取りを見て思わず吹き出した声だった。
大人気ないやり取りを繰り広げていた二人は急に恥ずかしくなって、いつの間にか近付いていた距離を開けて座り直す。と、アルブスもまさか自分が笑った事に気付かれていたとは思わなかったようで、ほぼ同時にぴゃっと肩を跳ねさせおずおずとシュガーポットをテーブルに置きにくる。
「あ、ああ甘い物が疲れに良いと聞いた事が、あ、ありましたからっ」
脚のついた銀器のシュガーポットの蓋をアルブスが開けたが、残念ながら砂糖は中で溶けて固まってしまっていた。
「紅茶なんてあったんだなこの家。まさか数十年物なんて言わないよな……?」
古くなり過ぎた砂糖が溶けているところを見たからだろう、そう言って璃久は急に疑いだした。半分ほど飲んだカップを手に矯めつ眇めつする璃久にまさかと答えて笑う。
「最近頼んでおいたんだ。璃久は元々人間だったから、人間が口にする物もあった方がいいのかなって思って」
「俺っていつから吸血鬼なんだ? 瑠夏は吸血鬼じゃなくて人間だったんだろ?」
「僕も正確な事は分からなくて」
瑠夏の体で璃久を噛んだ時に璃久も吸血鬼になった事は確かだろう。あの時ルークは吸血衝動を起こしていた。しかし吸血鬼とはあくまでこちらの世界にしか居ないので、本当に吸血鬼になったのはあの鏡から出た瞬間だったのではないか。というルークの推測を語ると、自分で話題を広げたにしては「ふーん」という素っ気ない返事が返ってくる。
「それで、誰に貰ったって?」
やはり推測では納得してもらえないよなと思っていると、璃久の拗ねたような声がして思考から戻ってくる。
「紅茶の事? 協力者が居るんだよ」
「……協力者な。そいつにも、体使ってんのか?」
「使ってない! 使ってないよ」
「嘘?」
「ホント! 誓って、絶対ホント」
疑り深い黒い目を真っ直ぐ見上げて真剣に伝えると「ならいいけど」と疑いを引っ込めた。
あれ? と思う。一体何が「ならいいけど」になるのか。
「璃久が使った痛み止めとかも持ってきてもらったんだ。ハインス殿下が娼館にいるらしいって情報もね。で、でも本当に何もしてないから!」
本当は何度も誘惑を試みたのだが失敗続きだった事は黙っておく。
「何度も言わなくていいって。別に会うななんて言わないし」
「そ、そうだね……?」
本当は、会ってほしくない、という事か。
「貴重な王族側の情報源だから、会うなって言われると困っちゃうかも」
「へーえ」
「……璃久、もしかして会ってほしくない?」
恐る恐る訊ねてみると、自分の膝で頬杖をついた璃久が半分目を閉じて不満なような拗ねたような視線をくれる。
「俺、番犬だから」
よく分からないが璃久の中ではそういう事になったらしい。
ともあれ、想像していたほど璃久が昨晩の事に堪えていなかったのは幸いだった。
ふと正面に座っていたアルブスが、お盆で口元を隠しながらはわはわしているのに気付く。ルークが視線を向けるとまた肩を跳ねさせ頬を赤らめる。
「あのっ、お風呂沸かしておきますね。お二人とも昨晩は戻られてそのままだった様子ですので。ぜ、ぜ、是非お二人で一緒に入られて下さい!!」
言い逃げするように脱兎の如く駆けていったアルブスの背中にルークは一拍遅れて叫ぶのだった。
「一緒には入らないからね!?」
*
吹っ切れたのか、と言われて、きっとそうなのだろうと素直に思う事が出来ていた。璃久の胸の奥底で蟠っていた「璃久のせいではなかったはずだ」という思いを、他でもない本人から掬い上げられ認められれば疑り深い璃久でも気が楽になった。
何より、身も世もなく声を上げて泣いたのが一番効いたような気がする。もう何年泣いたり笑ったりまともにしていなかったか分からない。思えば怒りという感情とも疎遠だった。そうやって感情を曝け出して、まさに吹っ切れたのだ。
そうすると何故、瑠夏の体を死なせなくてはならなかったのか、という事がやはり気になった。魂とやらが消えていたからだとルークは言うが、他にも原因があるんじゃないかと指摘するとルークは「いつか話す」と言って答えるのを避けた。
それこそが璃久が心のどこかで否定しきれなかった「瑠夏が死んだのは璃久のせい」だったのではないかと思っていただけに、否定されるとやはり真実が気になった。
それから、オークスにどんな無体を強いられたのかという事も気掛かりだった。だがそれを語らせるのは彼の嫌な記憶を揺り起こす事に他ならない。ルークから切り出さない限りは、そっとしておくべきなのだろう。大司教にされている事だって、本当なら根掘り葉掘り聞いて今すぐにでも大司教を殴りに行きたいところだ。
何はともあれ、波乱はあったがまた一歩、ルークの目的を達成するために前進した事にはなるのだろう。最初こそハインスの印象は最悪だったが、帰る頃には彼の感触は随分良くなっていた。どうも璃久が全力を込めてオークスの頭を殴ったのがよっぽど気に入ったらしかった。
ルークとハインスの話を聞いて、ルークたち吸血鬼を救うためには大司教だけを排除したのでは成し遂げられないと分かった。王であるオークスも吸血鬼の奴隷化のような状況に加担しているのだ。大司教の身近な人間も、吸血鬼という美しい容姿の慰み者を与えられて大司教に与している。
それら膿を完全に出し切ってしまうためには教団だけではなく、国家という巨大な組織にメスを入れなくてはならなかった。
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