うそつきΩのとりかえ話譚

ちゅうじょう えぬ

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二章

28梅に鶯

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「はぁ、すげぇ匂い……」
 部屋に入った途端、トキはヒヨクの体をきつく抱き締めて耳の下あたりに鼻を突っ込んだ。すう……っと思い切り匂いを嗅がれて羞恥心で頭がくらくらしてくる。
「ま、待てトキ、ええい待たぬか!」
 首筋を唇で吸い始めたので腕を思い切り突っ張ると、無理矢理剥がされたトキが唇を尖らせる。
「まだお預けされんの、俺? 正直めっちゃ我慢してきたつもりなんだけど?」
「お、お主は良いのか? 色々な事がお主の意思とは関係の無いところで次々と決まって、拒否権など無いままここまできてしまったのだぞ?」
「何だよそれ。もしかして俺が嫌々あんたの番役やってるとか、そんな風に思ってる?」
「嫌々、とまでは思っておらぬが、しかし、お主には……」
 想い人がいる。
 暖かい春の風が吹き始め、山から雪解け水がさらさら流れ始める春に至るまで、ヒヨクは多忙に身をやつす事になった。
 王の体調は想像以上に思わしくなく、またヒオも無理は出来ない状況。およそ四ヶ月に渡って政の中枢で立ち回っていたのはヒヨクだった。その間トキはと言えば一度故郷の獬に戻り晴れ着を新調し、木彫りの鶯を作るために様々な木材を用いて試行錯誤した。ミスイの伝手で南の国から仕入れた染料とよく合う木材を探し、また杢目と鶯の顔や羽などの模様のかみ合わせが良い部分を見つけてようやく二羽の鶯が完成した。
 四ヶ月の間、二人は一度も会わなかった。やり取りは手紙だけ。始めのうちは返事がすれ違うほど互いにしょっちゅう手紙を書いていたが、佳境が迫るにつれて手紙の数も減っていき、寂しい毎日を過ごしてきた。
 だがそう思っていたのはきっとヒヨクだけだ。トキは故郷に想い人を残して来ていて、今もヒヨクの発情期に中てられてこそいるものの、それはアルファとしては当然の生理現象だ。発情期中は性交渉を行えば強い性衝動をある程度散らす事が出来るため、トキは甲斐甲斐しくも発散に付き合ってくれようとしているのだ。何より一度、ヒヨクはトキに自分の想いを伝えている。優しいトキは同情で抱いてくれようとしているのかも知れない。
 そんな風に思うと胸の奥がきゅっとつままれたように痛む。叶わぬ恋とはこんなにも切ない。
 トキの申し出はありがたい事だが、一度でもトキに抱かれてしまえば最早、己の恋情を抑える事は出来なくなるだろう。それこそ権力に物を言わせて自分のところに閉じ込めてしまおうとするかも知れない。
 名残惜しいが、トキとはこれでお別れだ。トキが望むなら官僚として取り立てる未来もあろうが、今はいっとき離れて暮らす生涯の友として、ヒヨクはトキを鳥籠から出してやらねばならない。
 ヒヨクはトキが手ずから彫った鶯の彫刻を取り出して部屋に飾る。棚の上には小さな掛け軸がありちょうど梅の水墨画だった。花弁の色は墨色だが、梅は梅。木彫りの鶯にも多少は似合うだろう。
「何か……あんた自分の中で勝手に完結してねぇか?」
「何が勝手か。お主と俺は友だ。始めにそう決めたではないか」
「決めたって何だよ。友達って決めてなるもんなのかよ?」
 トキは何だか怒っている様子だ。いつの間にか気の置けない仲になったトキとはよく軽い口論になる事はあったが、それはほんの戯れのようなものだ。本気で言い合いになったのは、ヒヨクが卑屈な考え方を曲げられなかった獬の邑での事と、王子としての未来を話したその二つだけだ。
 せっかく全てが良くなろうとしているのに、物別れにはなりたくないと努めて冷静に振る舞う。
「トキよ落ち着け。俺はそなたのために申しておる。故郷に戻れば年頃の女子たちがいるだろう。お主のような若者を放っておく女子はそうはおるまい。自信を持て。それとも相手は男のオメガか? なればオメガとしていくつか助言をしても構わぬぞ」
「はぁ……?」
 鶯を置いた棚から振り返ると予想外にも近いところにトキが迫っていた。驚いたヒヨクは体勢を崩して背後の棚に両手をつくと、トキがその手を棚に縫い留めるようにして手を重ねてくる。ヒヨクの足の間に体を収めたトキの顔はさっきよりもずっと近い。すぐ目の前にある緑の瞳には怒気が滲む。
「トキは、俺の事好きって言ったよな?」
「っ……! よく、覚えておったな、そんな事」
「そんな事だぁ……?」
「い゛っ!?」
 ゴチン、と固い骨のぶつかる音。額に額を思い切りぶつけられて視界が揺れた。痛みに閉じた瞼を開くともはや焦点の合わないくらい近くに鮮やかな鶯色の瞳が滲んでいる。
「あんたの好きは、どれ?」
「ど、どれとは」
「ヒオの事好きなのと一緒?」
「違う。それはない」
「じゃあ……ってあんた友達いる?」
「目の前におるではないか」
「あー!! っもう! 埒明かねぇ! いいか、俺は今からあんたの口を吸う! 俺は友達とはこんな事しねぇ。『好きな人』とだけだ!」
 えっ、という感嘆は音にならずに掠れた吐息となって漏れていった。頬に手を添えられて、耳元を指で撫でられて、トキは極力ゆっくりゆっくり事を進めようとしている。ヒヨクに考える間と、逃げる隙を与えてくれているのだ。
 ヒヨクの足の間にあるそれは布の上からでも分かるほど膨らんでいる。きっとこの密閉された部屋の中にはトキの言う梅の花に似たヒヨクの匂いが充満している事だろう。発情期のオメガを前に獣性に溺れず、あまつさえ選択をこちらに委ねて耐える姿はあまりにも、あまりにもいじらしくて。
「んっ!?」
 ヒヨクはトキの唇が触れるより先に自らそれを押し当てた。すぐに離れると、軽く触れただけではあっという間に熱も消えていく。
 お互いの目を見たら、後はもう言葉はいらなかった。
「んっ……、は…………っ」
 歓喜に震える吐息が口付けの合間に漏れだす。何度も何度も角度を変えて唇を合わせ、胸がいっぱいになって息を吸おうと口をうっすら開けた瞬間舌が入り込んでくる。びっくりしたのは最初だけで、おずおずとヒヨクも舌を差し出すと、ぬっとりと重く意思のある動きがヒヨクの舌に纏わりついて、そのまま食べられてしまうのではないかと思うほど舌をねぶられる。
「っはぁ、ま、て、息が」
「無理」
「んんっ」
 トキはヒヨクに口付けながら無意識に腰をゆらめかせている。時折服が擦れて、その都度ヒヨクは小刻みに腰を跳ねさせた。
「初めて、だよな……?」
「当たり前だ」
「そ、か。俺も」
 何の確認だったんだろうと思う間もなくすぐに口を塞がれる。酸欠を起こしそうな頭で、ヒヨクがトキの最初で最後であればいいと思った。

 寝台に縺れるようにして倒れ込み、トキはヒヨクの首筋に強く吸いつきながら襟に指をかける。少し変わった作りをした服に手間取るトキに手を貸し自ら服の前を緩めると「鼻血出そう」と情けない事を呟きながら、唇での愛撫の箇所をだんだんと下に下げていく。
 まずは鎖骨に吸い付き窪みを舌で抉るようにして、次は胸。体の中央を縦に伸びる骨に添ってちゅっちゅっと小鳥のように啄んでいたが、ふと頭を持ち上げたトキはある一点を見つめてぼうっと呟く。
「俺覚えてんだよなぁ、あんたが自分でする時、ここ弄ってた事」
「何を言っ、あっ」
 言葉の途中でくりっと胸の赤い粒を指で押しつぶされた。甲高い声が鼻から抜けるとトキの目を溶けた欲が満たす。
「あっ、そこ……そこ、は……っ」
 乳首を摘ままれるときゅうっと臍の辺りが持ち上がる感覚がする。
「ふっ、ひくひくしてる」
「ま、待て、今触るな」
 トキの目を見れば分かる。オメガの濃密な発情の気配と匂いに陶酔したアルファは、もはややめろと言っておさまる従順な生き物ではないと。
 トキの手が服ごとヒヨクの硬いそこを握り込んだ。びくりと腰が震え、ほんの少し擦られただけで精を漏らしてしまう。
「は……敏感すぎ……」
「言うな」
 あまりの恥ずかしさに腕で顔を覆う。
 トキはぐっしょりと濡れてしまった袴を脱がせ、再び緩く首を持ち上げ始めたそこに何の躊躇もなく舌を這わせた。
「ひあっ」
 汚いから放してほしい、そんな理性的な言葉は劣情の藻屑になって消えていく。トキの愛撫は決して器用なものではなかっただろう。けれどトキが自分のためにしてくれているという事実がただただヒヨクを高めていく。
 ぐじゅっ、と濡れた感覚と音が後孔からしてトキの指が秘部に伸びたのが分かった。オメガのそこは発情期に入るといっそう濡れやすくなる。指の一本くらいはすんなりと飲み込んでしまい、中をかき混ぜられる感覚に息を詰める。
「痛い?」
「問題、ない」
 痛みはない。それどころかある一点を指が引っかけていくと、腰の奥の方に奇妙な疼きが走って声が出そうになる。手の甲を口に当て、必死で声を抑えて目をつむる。
 しばらくすると指が増えた。恐らく二本入っており、関節を使ってぐにぐに中を押しながら広げられている。そこは筋肉に包まれているから、揉めばやがて弛緩する。快感に繋がるものは未だ拾えていないが、トキが中で良くなってくれたらそれだけでヒヨクにとって最良だ。
 しばらく続いたぎこちない愛撫は指が三本入ったところで一度止まる。どうかしたのかと思ったのも束の間、口元を覆っていた手を掴まれ退かされた。
「顔、見せろよ」
「い、いやだ」
「分かんないから。俺、童貞だから! いいのか悪いのか、顔見ないと分かんねぇ」
「俺の事はいい」
「良くねぇの!」
 頭の上にヒヨクの両手を重ねて縫い止められてしまう。どうしてか、そうして自由を奪われるとヒヨクの胸はドキドキと高鳴った。
 トキは片腕を塞いだままもう片方の手で腿を撫で、再び濡れそぼったそこに指を入れると同時に口付けをされる。意識が口の方に持っていかれるのかさきほどよりも更に指の動きはぎこちなくなったのに、口付けの合間にヒヨクから漏れる声には甘さが混ざり始めていた。
「どこが好き?」
「っ……言わない」
「言わないと分からないから。入り口の方? 奥?」
「い、りぐち……」
 言ったそばから指が浅い所を探り始め、それはすぐにヒヨクの官能をくすぐる場所を見つけてしまう。ひっ、と半分息を飲むような反応をすると、トキはそこを執拗に責め始めた。
「ふっ……ぅ、あっ……」
 声が我慢出来ない。トキの唇が遠ざかって塞ぐものがなくなってしまうといよいよ堪えきれなくなって、弦をつま弾くように快感の蕾を弾かれ「あっ、あっ」と嬌声が跳ねる。
「出る、出るから、もうやめっ」
「出して」
 途中から要領を得てしまったトキはヒヨクを上手に追い詰めた。ぴゅっと薄い白濁を出し、陰茎を扱かず達するという今までにない感覚に何も考えられなくなる。
 胸を大きく上下させて呼吸を繰り返すトキの尻に、いつかも見た太く長い怒張がちゅ、と優しく口付けするようにあてがわれた。
 大きい。自分の薄い胸の先、腹のその先の谷間に狙いを定めているトキの屹立はとても立派だ。入るだろか。しかし不安は思った以上に無い。それよりも、腹の奥からどろどろと纏わりつくような強い欲求の、あれが欲しくてたまらないと訴える声の方が大きすぎて不安も恐怖も消えていく。
「入れる、けど……多分、止めらんねぇと思う」
 ごめん、と言われたのと同時だった。ぬ、ち、と窄まりを押し広げながら指とは比較にならないほどの質量が腹の中に押し入ってくる。つい腹に力を籠めるとその方が案外そこは緩くなるようで、トキの顔から苦悶が和らぐ。
 ヒヨクの腰をしっかりと抱いてトキの侵入が続く。やがて尻に下生えが触れたような感触があった。
「入っ……たか?」
「入った……!」
 ゆっくりと時間をかけて、トキのものが根本までしっかりと埋まると、何だか気が抜けてお互いに息をついた。ふ、とどちらともなく笑い出し、見つめ合う。
「トキ、好きだぞ」
「……知ってる」
「トキはどうなのだ? 俺はお主の言葉を聞いておらぬ」
「…………る」
「何だ?」
「愛してる!!」
 紅を差したみたいにトキの頬が一瞬で朱に染まり、太い眉毛が怒ったように角度をつける。ヒヨクが声を立てて笑うとよりいっそう恥ずかしそうに眉根が寄る。そういう顔もこれはこれで好ましいが、トキの穏やかな笑い方がいっとう好きだ。両手でトキの頬に触り、眉間の皺を親指で押して広げようとすると、トキの目に再び欲情した火が灯るのが分かった。緑の瞳の中で、薄紅の瞳も炎のように揺らめいている。
 深く深く口付けをした。全身で繋がって、上手くいかなければ互いに助けて、我を忘れたように何度も絶頂する。日が暮れ、何も見えなくなっても二人は体を重ね続けた。

「もう無理だ、俺……足がっくがく」
「俺も。だが、まだあるぞ、トキ」
 トキが挿入したままヒヨクを後ろから抱きしめる形で横になって休んでいる時に、ヒヨクは思い切って言う事にした。
 いつから願い始めたのかは定かではない。気付いたらもう、そうして欲しいとしか思っていなかった。けれど、トキには想い人がいると勘違いして我慢してきた事でもある。
 これはオメガの番候補戦から始まった出会いだ。その一つの締めくくりには、絶対に欠かせないものがある。
 ヒヨクはうなじに汗で張り付いた自分の髪の毛を、後ろに回した手で掻き上げる。
「ヒヨク……」
 意味を理解してくれたようだ。
「お主に初めてここを噛まれそうになった日、あのまま噛まれてしまえば良かったのにと思った事がある」
 ヒヨクのそこには、ヒヨクからは見えないがもう怖いくらいに赤い印が散りばめられている。行為の最中トキが何度もそこに舌を這わせ唇で吸っては、歯を立てないように理性を総動員して耐えていたのに気付いていた。
 アルファの本能に負けて噛むのが嫌だったのだろう。ヒヨクは負けてくれていいのに、と思っていた。
「いいんだな?」
 舌の這う感触に背筋がゾクゾクする。
「お主以外に俺の番はおらぬよ、トキ」
 息を吸う音がして、歯が立てられる。
「ぐ……っ」
 痛い。皮膚にぬかるんでいく歯は容赦なく肉を刺して血を溢れさせた。これは最初の『相』の試験の日、ヒヨクを噛むまいとして己の手を噛んだトキが感じた痛みそのものだ。同じものを共有するのだと思うと、何だか痛みさえも特別のようなものに思えてくる。
 ふ、と微かに痛みが引いていくと同時に歯が離れ、傷跡を伝う血を舐められたのが分かった。くすぐったさに肩を竦めてどうにか首を回してトキを見る。いつどの段階でそうしたのか蝋燭に火が灯っているおかげでお互いの顔は十分見えた。トキの唇はヒヨクの赤い血で化粧が施されていた。その様子はいつもの健康的なトキとは対極の妖艶な姿で、誘われるようにして口付けをする。
「まるで獣だな」
 トキも自分も。
「あんたの前では獣になっちまう」
 ぐぐ、と尻に挟まったものの力を感じて信じられない思いでトキを見ると、へらりと笑って言うのである。
「もう一回」
 若い一組の番はその後夜が明けるまで睦み合った。
 何度も想いを交わし、もう二度と離れまいと体をぴったりと添わせて、胸が満たされる心地よさを感じながら眠りに就く。
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