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二章
27候補戦
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春、某日。体調が思わしくなかった王の回復を待って『王太子』となる者を決める『候補戦』が開催された。
それは前年の番候補戦に残った四人のオメガたちを招集し『相』の試験の再試という形で行われた。
試験の内容は、『番を見つける事』
玉座の間に集められた宮廷の官僚たちは今回の候補戦の仔細を知らされておらず、何故自分たちがこの場に集められたのかも分からなかった。王太子を決めるための試験ならまだしも、『候補戦』とはこれいかに。王には隠し子でもおられたのかと玉座の間はいつにも増して騒々しい。
官僚たちが玉座の間の中央を空けて左右に分かれて並ぶと、王の座す玉座の前に二人の赤毛の青年が現れた。
「なんと……!」
誰かの息を飲む音、驚嘆の声、猜疑と侮蔑の視線とが青年二人を取り囲む。
「これより、番選別の試験『相』を執り行う」
玉座を挟んで上手に立った青年が言うと、下手に立った青年が言葉を引き取る。
「四人の候補者は、各々の心に従い我らのどちらか一方の前に立て」
玉座から見て左から順にシカ、ツキヒ、トキ、ミスイが並んでいる。シカはまるでこの試験が『出来レース』だとでも言わんばかりのだらけた態度で、全くやる気が感じられない。ツキヒは大勢の官僚に囲まれて見るからに怯えていた。
ツキヒとミスイは話し合い、互いの誤解を解く事が出来ていた。ツキヒには執権を握ろうとする廷臣の息がかかっており、ツキヒを通してヒオを操ろうという目論見があったのだ。その事が王の耳に入り、一人の廷臣が宮廷から姿を消す事になった。それはヒオにとって決して簡単な道のりではなかったのだが、それはまた別のお話。
シカとツキヒはその場から一歩も動かず臣下の礼を取り頭を下げた。自分たちはこれ以上進まないという意思表示だ。
トキとミスイはまるで示し合わせたかのように同時に歩き始める。二人にはヒヨクとヒオ、どちらがどちらち立つかを伝えていない。しかし、玉座の前でそっくりな格好をした王子の元に向かって、淀みなく二人の足は進んでいく。
王子の二人は梅の花の刺繍を施した真っ赤な衣装に身を包んでいた。髪を後ろに撫でつけて、目尻に紅を差し、威風堂々とした立ち姿は官僚たちには見分けがつかない。二人の間に透明の板を置けば、双方どちらかが鏡像に見えるほどに瓜二つ。
トキとミスイが官僚たちの並ぶ間を抜けて玉座に進む間もざわめきは消えない。しかし二人は官僚たちの蔑むような目など意にも介さずそれぞれの思う番の前に辿り着いた。
トキとミスイは懐から小さな何かを取り出した。木彫りの鶯に染料で色を付けた人形だ。
梅に鶯。それは調和の喩え。番という生涯を連れ添う二人によく似合う花と鳥。しかし、それぞれが手にした鶯は少しだけ色が違っていた。トキの持つ鶯の羽は緑に塗られ、ミスイの鶯の羽には見慣れない青い染料が塗られている。青の染料は、このセイシンの国には無い色だ。
二人は別々の王子へと鶯を渡した。鶯を受け取った王子たちは自身の番と横に並んで官僚たちを見渡す。
「名をヒオと申す。私はベータに生まれた双子の弟だ」
青い鶯を抱えた青年が声を張る。官僚たちの中に今にも罵声を浴びせてやろうと構える者が見えたがそれを許さないというように続けてヒヨクが声を高くする。
「俺の名はヒヨク! 俺は十二の時に自身を失った。侍女の顔、幼少の思い出、嘗て父より賜った言葉。それらを失った。しかし俺は大事な物を取り戻し、この王宮へと戻って参った」
それは自分が王位継承権を持つ、王子の一人であるという事実。
胸に思い切り空気を吸い込むと、最後の方は息が震えた。
「俺は、双子の兄のヒヨク! オメガに生まれたが王となりこの国を導く役目をどうか俺にも預けてほしい」
ざわり、と観衆から一番のどよめきが起こり、ヒヨクの隣でトキが身じろぐのが分かった。小声でトキに「堪えてくれ」と言うと「分かってる」と悔し気な声が返ってくる。
「双子は一人の人間の前生の業が分かたれた姿だという言い伝えがある。善と悪、吉と凶、どちらか一方がわざわいとなると恐れられてきた。しかし俺は皆に問う。なにゆえ一人の人間が二つに分かれるような事があるというのか。俺とヒオ。我らは似て非なる別の人間。違う体、違う意思、違う相手を想い、違う道をゆく。同じものは、この国の行く末を担う覚悟のみ」
詭弁だという声が聞こえた。その通りだ。しかし、双子が吉凶の象徴であるというのもまた古い因習に過ぎない。双子がよく国を治めた前例があれば人々は双子こそ王の証と手のひらを反すだろう。
なるのだ、前例に。ヒヨクとヒオが双子の王としてこのセイシンから悪習を取り去るのだ。
「我らは二人で王太子となる」
ヒヨクの言葉を合図に、二人は玉座に座る王を振り返る。
「陛下、あなた様の子はここまで育ちました。それぞれに違うものを得ながらも、互いを思いやる気持ちは変わらぬままでした」
再びヒオの言葉をヒヨクが引き取る。
「主となる者が二つになると相争うというなら、主となる物を二つに分ければ良いのです。内と外、互いに手を取り合い広く国を見る事が出来る。間の事は番たちが取り持ってくれるでしょう」
王の言葉はない。それにヒオが珍しく焦れたように言葉を掛ける。
「陛下、どうしても王太子を一人にお決めになられるというなら、僕ではなくヒヨクをどうか」
「この期に及んで何を申すかヒオ!」
「僕には真の番は作れません。体の弱い僕では世継ぎを作るのも難しい。そのような者を玉座に据えれば国は不安定になります」
「王よ、それはなりませぬ。双子を忌避する因習を払うためには、我ら二人が揃わねばならぬのです!」
落ち窪んだ目の下にクマを幾重にも作った王は、一つきりの漆器の箱を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。王は随分窶れて見えた。幼い頃はこの人が恐ろしいもののように見えていたが、今はそうは思わない。王とてただの人。もうその針の筵のような玉座に座り続けなくとも良いのだ。
そんな思いが通じたのかは分からない。王は手で侍従に何か指示を出すと、すぐに瓜二つの漆器の箱を持って侍従が戻って来た。
「……お主らの為政者としての自覚を見定めるため、今ひとときの間、王太子は兄のヒヨク、弟のヒオの二人とする」
王の言葉に喜んだのは、ごく一部の者たちだけであった。多くは非難を飛ばし、兵士に取り押さえられる者まで出てくる始末。想定していた事だったが、官僚たちの反駁は凄まじく、今日からしばらくの間王はそれらを宥めるためにまた目の下をいっそう黒くさせる事になるのだろう。
だがそれらを支えていくのがヒヨクとヒオの責務だ。
「この場を解散とする」
誰の声にも耳を貸さず、王は退室した。官僚は声を荒げたが、やがて周囲に説得されて彼らもまた玉座の間を去っていく。
「俺たちの出番は終わりで良いですかね、両殿下」
シカとツキヒがほっと肩を下ろしながら四人の方へと寄ってくる。
ツキヒには勝手な理由で嫉妬してしまったので申し訳なく思い「すまなかった」と謝罪すると、キョトンとしてから「謝られるような事なんて!」と恐縮する。
「何、お主にも無理をさせたと思ったのだ」
「いいえっ、ミスイちゃんのためなら私は何でもやります!」
「ツ、ツキヒちゃん!」
「左様か」
本当に見当違いな嫉妬だったようだ。
「いやぁトキ! 俺の見る目は確かだったなぁ。やってくれたね!」
シカがトキの肩を抱いて脂下がると、トキはふんと鼻を鳴らしてシカににやりとして返す。
「これからは俺にそんな気安い口は利けなくなるからな?」
「へぇ? ほーう?」
それはシカなりのトキへの祝福といった雰囲気だった。
「それじゃ俺らは下がりますかね」
「ではまた皆様、次は婚礼でお会いしましょう」
丁寧に挨拶をして帰ったツキヒの言葉に、四人のうち何人かが顔を赤くした。
四人だけがこの場に残ると、人いきれがしそうなほどだった玉座の間はしんとして途端に広く感じた。その少し侘しいような気配に漸く終わったのだという実感が追い付いてくる。
「こんな事になるなんて思ってもみなかったわ」
素直なミスイの感想に男たちが緊張を解くように笑い出す。
「僕は冷や冷やしたよ。ベータの僕には判断材料になる匂いが分からないから、ミスイが間違ってヒヨクの方に行ってしまうかと心配だった」
「まぁヒオ様酷い。ミスイがどれだけヒオ様の事をお慕いしているか、全く分かっておられませんのね」
人目を憚らずいちゃいちゃし始める二人はこの数ヶ月の間に随分仲を深めたようだ。
今日のこの日が候補戦の決着に選ばれたのには理由が二つある。
まずは梅と鶯の似合う季節である春である事。次にヒヨクが発情期である事だ。ヒヨク自身には分からないがトキによるとヒヨクが発情期を迎えると梅の花のような甘い香りがするのだという。発情期の間薬を使わずに居れば玉座の間の端に居ても匂いが分かるというのでこの日が選ばれた。
もちろん薬を使って疑似的に発情期のような状態にする事も考えた。トキがバースを隠すために使っていた薬は使い方を誤ると強い興奮作用をもたらす。しかしそれではまた『嘘』を使う事になるような気がして首を左右に振った。双子で、そしてオメガである事。それらを皆に明かすという日にヒヨクは自分自身のままでこの場に臨みたかったのだ。
「別にヒヨクが発情期じゃなくても俺見分けつくのに」
「俺とヒオの一番分かりやすい違いだからな。我らに味方してくれる廷臣らの言う事を聞いておくのも家臣孝行というやつだ。慎重を期したかったのだろう」
「ふーん。それで? この後はヒヨクの部屋に行けばいい?」
手を取られ、強い力で腰を抱かれる。兆しかけた互いのものが軽く触れあって、緊張のおかげで堪えていられた発情期の熱があっという間に弾けていく。
「僕のミスイの前で下品な事はやめて下さいよ、トキ」
「……俺、忘れてねぇぞ。番候補戦であんたが張がた――」
「さ、ほらほら早くヒヨクを部屋に連れて行っておあげなさい。そのために数日働かなくてもいいように根を詰めたんですから」
トキとまとめてぐいぐい背中を押されて玉座の間を追い出される。一人事情を分かっていないミスイはポカンとして男たちのやり取りを見送った。
それは前年の番候補戦に残った四人のオメガたちを招集し『相』の試験の再試という形で行われた。
試験の内容は、『番を見つける事』
玉座の間に集められた宮廷の官僚たちは今回の候補戦の仔細を知らされておらず、何故自分たちがこの場に集められたのかも分からなかった。王太子を決めるための試験ならまだしも、『候補戦』とはこれいかに。王には隠し子でもおられたのかと玉座の間はいつにも増して騒々しい。
官僚たちが玉座の間の中央を空けて左右に分かれて並ぶと、王の座す玉座の前に二人の赤毛の青年が現れた。
「なんと……!」
誰かの息を飲む音、驚嘆の声、猜疑と侮蔑の視線とが青年二人を取り囲む。
「これより、番選別の試験『相』を執り行う」
玉座を挟んで上手に立った青年が言うと、下手に立った青年が言葉を引き取る。
「四人の候補者は、各々の心に従い我らのどちらか一方の前に立て」
玉座から見て左から順にシカ、ツキヒ、トキ、ミスイが並んでいる。シカはまるでこの試験が『出来レース』だとでも言わんばかりのだらけた態度で、全くやる気が感じられない。ツキヒは大勢の官僚に囲まれて見るからに怯えていた。
ツキヒとミスイは話し合い、互いの誤解を解く事が出来ていた。ツキヒには執権を握ろうとする廷臣の息がかかっており、ツキヒを通してヒオを操ろうという目論見があったのだ。その事が王の耳に入り、一人の廷臣が宮廷から姿を消す事になった。それはヒオにとって決して簡単な道のりではなかったのだが、それはまた別のお話。
シカとツキヒはその場から一歩も動かず臣下の礼を取り頭を下げた。自分たちはこれ以上進まないという意思表示だ。
トキとミスイはまるで示し合わせたかのように同時に歩き始める。二人にはヒヨクとヒオ、どちらがどちらち立つかを伝えていない。しかし、玉座の前でそっくりな格好をした王子の元に向かって、淀みなく二人の足は進んでいく。
王子の二人は梅の花の刺繍を施した真っ赤な衣装に身を包んでいた。髪を後ろに撫でつけて、目尻に紅を差し、威風堂々とした立ち姿は官僚たちには見分けがつかない。二人の間に透明の板を置けば、双方どちらかが鏡像に見えるほどに瓜二つ。
トキとミスイが官僚たちの並ぶ間を抜けて玉座に進む間もざわめきは消えない。しかし二人は官僚たちの蔑むような目など意にも介さずそれぞれの思う番の前に辿り着いた。
トキとミスイは懐から小さな何かを取り出した。木彫りの鶯に染料で色を付けた人形だ。
梅に鶯。それは調和の喩え。番という生涯を連れ添う二人によく似合う花と鳥。しかし、それぞれが手にした鶯は少しだけ色が違っていた。トキの持つ鶯の羽は緑に塗られ、ミスイの鶯の羽には見慣れない青い染料が塗られている。青の染料は、このセイシンの国には無い色だ。
二人は別々の王子へと鶯を渡した。鶯を受け取った王子たちは自身の番と横に並んで官僚たちを見渡す。
「名をヒオと申す。私はベータに生まれた双子の弟だ」
青い鶯を抱えた青年が声を張る。官僚たちの中に今にも罵声を浴びせてやろうと構える者が見えたがそれを許さないというように続けてヒヨクが声を高くする。
「俺の名はヒヨク! 俺は十二の時に自身を失った。侍女の顔、幼少の思い出、嘗て父より賜った言葉。それらを失った。しかし俺は大事な物を取り戻し、この王宮へと戻って参った」
それは自分が王位継承権を持つ、王子の一人であるという事実。
胸に思い切り空気を吸い込むと、最後の方は息が震えた。
「俺は、双子の兄のヒヨク! オメガに生まれたが王となりこの国を導く役目をどうか俺にも預けてほしい」
ざわり、と観衆から一番のどよめきが起こり、ヒヨクの隣でトキが身じろぐのが分かった。小声でトキに「堪えてくれ」と言うと「分かってる」と悔し気な声が返ってくる。
「双子は一人の人間の前生の業が分かたれた姿だという言い伝えがある。善と悪、吉と凶、どちらか一方がわざわいとなると恐れられてきた。しかし俺は皆に問う。なにゆえ一人の人間が二つに分かれるような事があるというのか。俺とヒオ。我らは似て非なる別の人間。違う体、違う意思、違う相手を想い、違う道をゆく。同じものは、この国の行く末を担う覚悟のみ」
詭弁だという声が聞こえた。その通りだ。しかし、双子が吉凶の象徴であるというのもまた古い因習に過ぎない。双子がよく国を治めた前例があれば人々は双子こそ王の証と手のひらを反すだろう。
なるのだ、前例に。ヒヨクとヒオが双子の王としてこのセイシンから悪習を取り去るのだ。
「我らは二人で王太子となる」
ヒヨクの言葉を合図に、二人は玉座に座る王を振り返る。
「陛下、あなた様の子はここまで育ちました。それぞれに違うものを得ながらも、互いを思いやる気持ちは変わらぬままでした」
再びヒオの言葉をヒヨクが引き取る。
「主となる者が二つになると相争うというなら、主となる物を二つに分ければ良いのです。内と外、互いに手を取り合い広く国を見る事が出来る。間の事は番たちが取り持ってくれるでしょう」
王の言葉はない。それにヒオが珍しく焦れたように言葉を掛ける。
「陛下、どうしても王太子を一人にお決めになられるというなら、僕ではなくヒヨクをどうか」
「この期に及んで何を申すかヒオ!」
「僕には真の番は作れません。体の弱い僕では世継ぎを作るのも難しい。そのような者を玉座に据えれば国は不安定になります」
「王よ、それはなりませぬ。双子を忌避する因習を払うためには、我ら二人が揃わねばならぬのです!」
落ち窪んだ目の下にクマを幾重にも作った王は、一つきりの漆器の箱を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。王は随分窶れて見えた。幼い頃はこの人が恐ろしいもののように見えていたが、今はそうは思わない。王とてただの人。もうその針の筵のような玉座に座り続けなくとも良いのだ。
そんな思いが通じたのかは分からない。王は手で侍従に何か指示を出すと、すぐに瓜二つの漆器の箱を持って侍従が戻って来た。
「……お主らの為政者としての自覚を見定めるため、今ひとときの間、王太子は兄のヒヨク、弟のヒオの二人とする」
王の言葉に喜んだのは、ごく一部の者たちだけであった。多くは非難を飛ばし、兵士に取り押さえられる者まで出てくる始末。想定していた事だったが、官僚たちの反駁は凄まじく、今日からしばらくの間王はそれらを宥めるためにまた目の下をいっそう黒くさせる事になるのだろう。
だがそれらを支えていくのがヒヨクとヒオの責務だ。
「この場を解散とする」
誰の声にも耳を貸さず、王は退室した。官僚は声を荒げたが、やがて周囲に説得されて彼らもまた玉座の間を去っていく。
「俺たちの出番は終わりで良いですかね、両殿下」
シカとツキヒがほっと肩を下ろしながら四人の方へと寄ってくる。
ツキヒには勝手な理由で嫉妬してしまったので申し訳なく思い「すまなかった」と謝罪すると、キョトンとしてから「謝られるような事なんて!」と恐縮する。
「何、お主にも無理をさせたと思ったのだ」
「いいえっ、ミスイちゃんのためなら私は何でもやります!」
「ツ、ツキヒちゃん!」
「左様か」
本当に見当違いな嫉妬だったようだ。
「いやぁトキ! 俺の見る目は確かだったなぁ。やってくれたね!」
シカがトキの肩を抱いて脂下がると、トキはふんと鼻を鳴らしてシカににやりとして返す。
「これからは俺にそんな気安い口は利けなくなるからな?」
「へぇ? ほーう?」
それはシカなりのトキへの祝福といった雰囲気だった。
「それじゃ俺らは下がりますかね」
「ではまた皆様、次は婚礼でお会いしましょう」
丁寧に挨拶をして帰ったツキヒの言葉に、四人のうち何人かが顔を赤くした。
四人だけがこの場に残ると、人いきれがしそうなほどだった玉座の間はしんとして途端に広く感じた。その少し侘しいような気配に漸く終わったのだという実感が追い付いてくる。
「こんな事になるなんて思ってもみなかったわ」
素直なミスイの感想に男たちが緊張を解くように笑い出す。
「僕は冷や冷やしたよ。ベータの僕には判断材料になる匂いが分からないから、ミスイが間違ってヒヨクの方に行ってしまうかと心配だった」
「まぁヒオ様酷い。ミスイがどれだけヒオ様の事をお慕いしているか、全く分かっておられませんのね」
人目を憚らずいちゃいちゃし始める二人はこの数ヶ月の間に随分仲を深めたようだ。
今日のこの日が候補戦の決着に選ばれたのには理由が二つある。
まずは梅と鶯の似合う季節である春である事。次にヒヨクが発情期である事だ。ヒヨク自身には分からないがトキによるとヒヨクが発情期を迎えると梅の花のような甘い香りがするのだという。発情期の間薬を使わずに居れば玉座の間の端に居ても匂いが分かるというのでこの日が選ばれた。
もちろん薬を使って疑似的に発情期のような状態にする事も考えた。トキがバースを隠すために使っていた薬は使い方を誤ると強い興奮作用をもたらす。しかしそれではまた『嘘』を使う事になるような気がして首を左右に振った。双子で、そしてオメガである事。それらを皆に明かすという日にヒヨクは自分自身のままでこの場に臨みたかったのだ。
「別にヒヨクが発情期じゃなくても俺見分けつくのに」
「俺とヒオの一番分かりやすい違いだからな。我らに味方してくれる廷臣らの言う事を聞いておくのも家臣孝行というやつだ。慎重を期したかったのだろう」
「ふーん。それで? この後はヒヨクの部屋に行けばいい?」
手を取られ、強い力で腰を抱かれる。兆しかけた互いのものが軽く触れあって、緊張のおかげで堪えていられた発情期の熱があっという間に弾けていく。
「僕のミスイの前で下品な事はやめて下さいよ、トキ」
「……俺、忘れてねぇぞ。番候補戦であんたが張がた――」
「さ、ほらほら早くヒヨクを部屋に連れて行っておあげなさい。そのために数日働かなくてもいいように根を詰めたんですから」
トキとまとめてぐいぐい背中を押されて玉座の間を追い出される。一人事情を分かっていないミスイはポカンとして男たちのやり取りを見送った。
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