うそつきΩのとりかえ話譚

沖弉 えぬ

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二章

24王になるための条件

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 一体どうしてカク先生に拒まれてしまったのだろう。一人で考えても答えが見つからず宿でトキにカク先生について知っている事を話す。
「俺がカク先生と最後に会ったのは十一歳の頃だ。ヒオの療養についてカク先生が南部へ行くと、俺には代わりの宮廷医がつけられた」
 その一年後、小さな病もほとんどしなくなったヒオは一時的に王宮に戻ってくる事になったがカク先生は南部に残った。そしてヒヨクとヒオの出奔事件が起こりヒヨクが重傷を負い、ヒオも軽い傷を負った。ヒヨクの容態を心配したヒオはもともと一月の滞在予定だったところを引き延ばし、半年間王宮で過ごした後で南部へとまた療養のために王宮を去った。
 以降六年間でヒオが王宮に戻って来たのは一度のみ。昨年の秋ごろに王宮へ戻るとこれを聞きつけた一部の廷臣によって翌年の秋、つまり今年、実り多き秋にあやかり番の候補となるオメガを募る触れを出す事が決まった。
「手紙でやり取りしてたんだろ? あの医者についてヒオは何て言ってたんだ?」
「特別な事は何も。手紙にカク先生の事が綴られている事もあったが、行方が知れなくなったのはヒオが去年、王宮に戻ってきた後の話だと俺は思っておった」
「……下手したら、六年前にはもうヒオんとこから居なくなってたかも知れねぇって事か」
 重い沈黙が下りた。考えもしなかった事だ。仮にカク先生がヒオの元を去っていたのだとしたら、ヒオはカク先生の逃亡を手助けしたという事になる。ヒオがカク先生を助けたいと思う事情があったと、そういう事だろうか。
「明日、もう一度先生のところへ参る。トキは」
「行くに決まってんだろ」
 明日、嫌な思いをするという予感がある。そう思ってしまうほど先生の様子は取り付く島もなかった。トキはそれに付き合う義務はないが、それでも構わないという。もうトキに来るなとは言わなかった。

 海の上に浮く、茅を葺いた木造の家が三軒並んでいる。その一番海側がカク先生の家だ。扉の前に立ち、深呼吸をしてから一回、二回扉を叩く。ややあって「はーい」という少し高めの声で返事があった。出てきたのは若い――とは言えヒヨクよりも一回りは上に見える――男。視界の端に気になるものを見つけてヒヨクの視線が自然と下に下がった。
「あ、やっぱりもう目立ちますよね。ちょっと恥ずかしいな」
 男は言って腹を撫でる。大きく出っ張った、新たな命の宿った腹だった。
 腹を撫でてはにかむ表情に、カク先生がここに居る理由の全てが詰まっている気がした。
「うちの人に用ですよね? ……失礼ですが、火の大邑の方ですか?」
「あ、ああそうだ」
「わぁ、都会の人だ。も昔は都に居たんだって。その時のお知り合いですか?」
 逡巡した。そうだと答えればこの人の良さそうな男はきっとカク先生に会わせてくれようとするだろう。家の奥から人の気配がしないので、外出しているカク先生が戻ってくるまで待たせてもらえそうだ。だが、ヒヨクは「いや」と言って片手を広げて前に出す。
「役所の者に腕の良い医者を訊ねたらここを教えられたのだ。先生とやらが不在なら、また出直してこよう」
 男は山吹色の髪を揺らして首を傾げる。光の角度によっては黄金にも見えるその髪の色はとても美しく、まるで男の朗らかな心根を表しているかのようだ。
 案の定、中で待てと言われたがそれも丁重に断ると、戸惑うトキを連れて自分も後ろ髪引かれる思いで海から離れていく。
「いいのか?」
「トキも見たであろう。あの腹と笑顔を。ヒオがカク先生を逃がしその事を俺にすら話さなかった理由はあれで十分分かった」
「でも、ヒオの体の事だってあるだろ? カク先生にしか分からない薬の調合があるって……ヒオだって命がかかってるの――」
「だからこそだ!!」
 今カク先生を王宮に連れ戻せばヒオの専属医としてつきっきりで体調管理を任される事になる。伴侶とこれから生まれてくる子供とカク先生は引き離される事になる。そんな事をヒオが承知するはずがなかった。
「ヒオを、助けたい。だが、そのために誰かの犠牲があってはならぬのだ……!」
 潮風が目に染みて、目の縁が熱くなる。たまらず俯いた。トキがヒヨクを抱きしめる。ごめん、という掠れた声が耳元でした。
 冬でも海辺は都よりもずっと暖かい。トキに抱きしめられると、もっと温かくなる。大丈夫、大丈夫だと何度も言い聞かせた。トキが居れば、自分は大丈夫なのだと。

 馬の手綱を持ち、海岸沿いを歩いていた。途方に暮れて、行く当てもなく、波の音を聞く。
 トキと手を繋いでいた。手袋も必要ないくらい、南部の邑はあたたかい。トキが居て、馬が居て、これからどこへでも行けるような気がしてふと顔を上げた。海を渡って異国を目指すのもいいかも知れないと、突拍子もない事を思いついた時、向こうから歩いてくる男に気付いた。
「カク先生……」
 役所のある中央の方に行っていたようだ。人の手で植えられ規則正しく並んだソテツの葉を潜るようにして出てきて、ヒヨクを見つけるとさっと顔色を変えて身構えたが、昨日と違って何かを決心したような様子でこちらへ歩いてくる。波の音に混じってさらさらした砂を踏みしめる音が近付いてきて、ヒヨクとトキの前で立ち止まる。
「ヒヨク様、先日の非礼をお詫び申し上げます」
 深く頭を下げるカク先生に「よい」と言って顔を上げさせた。
 もうここには二度と来ない事を告げて、そのままカク先生と別れようとすると呼び止められる。
「あの子は、コウというのですが、コウは病でした。体の弱い子なんです。私が傍にいなくては、いつ病に連れていかれるかも分からないです……!」
 だったらヒオはどうなる? ヒオなら死んでも構わないというのか。
 それらの言葉を飲み込んで、振り返らずに告げる。
「我らは二度と会わぬ。それだけだ」
 無意識のうちに繋いだ手を握りしめると、トキが強く握り返してくれる。カク先生のついてくる足音は聞こえない。無理矢理王宮に連れて帰ってヒオに毒でも盛られたらたまらないと思った。カク先生に限ってそんな事はしないと思いたいが、人間魔がさしたら何をするか分からない。もしも伴侶と子を人質に取られたら思い切った事をしてしまおう、そんな雰囲気がカク先生から漂っていた。
 だからこれで良い。これで、ヒヨクの旅は終わったのだ。そしてそれは、ヒヨクが都に戻る日が近い事を意味していた。
 このまま何も成し遂げられないまま都に戻らなくてはならないと思うと、急激に脱力感が襲ってきて足を動かす事さえ億劫になってくる。トキとも別れなくてはならない。彼の両親と無事にトキを帰すと約束したのだ。
 何か方法はないかとあまり上手く働かない頭で考えていた。繋いだ手のあたたかさだけがあらゆる感覚の中ではっきりとしている。この手を離さずに、ヒオも救えるような、そんな奇跡のような方法が、何か。
「なぁ」と声を出したのはトキだった。ヒヨクが黙っていた間、トキもまた考え事をしていたようだ。
「何でヒヨクが王になったら駄目なんだ?」
 それはオメガだからだ。言わせるつもりかと非難する気持ちが生まれると、ヒヨクの言いたい事を察したトキが違う違うと慌てて首を振る。
「ヒオがアルファならまだ分かるって話だよ。ベータとオメガで、何でベータが優先されるんだろうって思ったんだ」
「大いに違う。ベータは孕ませる事が出来るが、オメガは自ら孕む事しか出来ぬ。もしオメガの王に子が出来れば政務に穴が開く。それはほんのいっときであろうと玉座を空にするのと同義なのだ」
「それこそヒヨクが出産するまでの間、ヒオに任せればいいじゃねぇか」
「王が双子であると知られてもか?」
「あ……そ、っか」
 最後はどうしても双子だからという袋小路に行き当たる。いくら双子でも互いの真似をし続けるのには限度がある。嘘はいつか必ず知られる。ツキヒと番う事を民に知らしめ、いよいよ本格的にヒオが王子として立ち回り始めれば、ヒヨクに出番は回ってこなくなるだろう。
 オメガが王になったという記録も無い。前例の無い事というのは誰でも慎重になる。気弱で華奢で臆病なオメガはそも王に向かないというのが一般的な考え方だ。知勇を兼ね備えたアルファでなければ国は成り立たないと誰しもが思っている。
 もはや考えるのが嫌になった。けれどトキは諦めない。ぼんやりして歩くヒヨクに食い下がってくる。
「でも、でもさ、ヒヨクは事故に遭うまで自分は兄だと思って生きてきたんだろ? いつかは俺は王になるんだって考えなかったのか?」
「考えた。考えたに決まっておる。だが、父上は決めてしまわれたのだ。例えヒオの体に負担になろうとも、ヒオを世継ぎにすると」
 もうこの話はいいだろうと手を振りほどこうとすると、それ以上の力でぎゅっと手を握り、繋ぎ留められ、あてどなく進んでいた足が止まる。
 ここで止まりたい。カク先生のように愛する人と逃げ出して、穏やかに暮らしたい。
「でもそれ、問題を先延ばしにしてるだけだろ」
 ヒヨクが心の中で思った事を、偶然にもトキが否定する。そうだ、これは逃避だ。
「この先ヒヨクにしろヒオにしろ子供を作って、その子供がまた双子でどっちもアルファじゃなかったらどうするんだよ? そうやって騙し騙し王様やっていつか嘘がバレた時の方がずっと性質が悪い。そんな事になる前に堂々とオメガで双子だけど王様やってますって言っちまった方がいいだろ!」
「そ、それをして、もし駄目だったらどうする?」
「駄目だった時のために家族が居るんだろ。せっかく双子なんだから、今までみたいに支え合っていけばいいじゃねぇか!」
「双子だから支えられぬのだ!」
「だったら双子だって世界に言っちまえ!」
 海が照り返す陽光を受けてキラキラとトキの目が光る。眩しいくらいのトキの目に射抜かれて、ヒヨクの弱い心が顔を出す。
 本当にそんな夢物語のような事があっていいのだろうか。
「双子は、どちらか一方がわざわいを告げる凶兆で」
「ホントにそう思ってんのか?」
「で、でも、オメガは、オメガはただ子を産むためだけのバースだ」
「子を産めるバースだ。はき違えんな」
「……誰にも見放され、一人になってしまうかも知れぬ」
「俺が居る」
 トキが居れば、大丈夫。いつからか何度もそうやって心の中で唱えるようになっていた。
 トキが居れば、ヒヨクは王にすらなれてしまうかも知れない。握られた手から、トキのキラキラと輝く瞳から、溢れんばかりの信頼が伝わってくる。
 胸が熱い。全身が熱い。自分が諦めなくてはならなかったものが実は違っていたのかも知れないという、思考が開けていく感覚にかつてないほど高揚している。
 俺はもしかして、この手を離さなくてもいいのだろうか?
 何かを言わなくてはと思って口を開いた時だった。馬蹄の音がして、「ああ!!」という少女の大声がヒヨクたちに向かって放たれた。
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