うそつきΩのとりかえ話譚

ちゅうじょう えぬ

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二章

19次の邑へ

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 外では朝日が昇る時刻、トキがむっくりと起き出した。薄っすらと覚醒した意識の中で、ヒヨクを起こさないよう慎重に寝台から降りていく気配を感じ、目が覚めた瞬間から何だかほわほわと胸のところが温かい心地になった。
「おはよう、トキ」
 手探りで火折子を手繰り寄せたトキが熾火になっていたストーブに薪を足して火を強くしている。
「おはよう。起こしちまったか?」
 室内が明るくなって、トキの起き抜けのまだ少し眠たげな顔が見えた。
「お主になら起こされても構わぬ」
「それってどういう意味だよ」
「共に同じ朝を迎えたという気がして、気分が良い」
「お、まえ……っ」
 すっげぇ殺し文句、と呟くトキの声はヒヨクには聞こえなかった。
 窓を塞ぐための木戸を横に引くともう一枚窓には戸がしてあった。寒い地域ならではの工夫というやつだ。戸は押し上げれば開きそうだったがどうせ寒いだけなので諦めた。音を聞く限り吹雪は収まっているようなのでそれで十分だ。
 残り僅かな携行食の餅を温めて朝食にする。このほんのり甘いようなボケた味の餅を食べるのも随分慣れた。携行食は邑によって違う物が売られているが、大抵いた餅を粗めに砕いたものばかりで、旅先ではそれを水に溶いて食べる。火がなくて焼いたりする事が出来なくても困らないよう固形ではなく粉状にしているという。他には漬物もよく手に入れる事が出来た。塩味がこんなにも美味いと感じるとは、王宮の食卓の贅沢ぶりをよく理解した。
「そろそろ行くか」
「うむ」
「次はいよいよ獬だな」
「ああ、楽しみだ」

 トキは期待しない方がいいぜ、と言う。だがこの男が生まれ育った土地と聞いて期待せずにはいられない。
 冬の山歩きは相当危険なので、必ず決まった道を行かなくてはならない。吹雪で進むのは厳禁。ヒヨクの履いていた靴が雪にはあまり適さないという事で犴の邑で服一着と交換してもらった。
 昼を過ぎた頃からぐんと寒くなった。後ろを振り返ると緩やかな傾斜が続いている。もはや本格的な冬という表現では足りない。まさに極寒だ。
 外套の襟をきつく寄せて外気を吸い過ぎないよう気をつけて進む。前に蛟を訪れた時でさえも既に雪が積もっていて十分に寒かったが、あれでもまだ序の口だったのだと思い知る。
 犴から獬まで一箇所だけある休憩小屋に辿り着いたのは日が傾き始めた頃。日が暮れると一段と寒くなる。本来危険なので夜には火が落ち着くように調節するが、ヒヨクがあまりに寒がるので長めに燃えるようたくさん燃料を使ってくれた。
 さすがにトキはよく燃える木を見付けてくるのが上手い。雪で湿っていない枯れ木などこの一面真っ白のどこから見付けてくるのか不思議でならない。コツがあると言って得意げに笑っていた。都に居た時はさておき田舎へ入るととても頼りになる男だ。
「お主が双子に偏見が無い理由は分かるが、オメガの事もあまり気にしておらぬな? 自らオメガに化けてくるくらいだしな。何か理由があるのか?
「俺んち母さんがオメガなんだよ」
 なるほど道理で双子に限らずオメガにも理解があるのだ。
「この国の禁忌と偏見詰め込みましたみたいな家でさ、しかも俺はアルファときた。ベータの親父も合わせて賑やかだろ?」
「ふむ……いや、なるほど」
「あと、獬でのオメガは犴みたいじゃねぇよ? ただ、仕事とかは男と女で分けがちだからオメガの男は苦労するな。時期によって狩りをするから、槍持たされてイノシシの前に立たされてビクビクする事になる」
 想像してゾッとした。
「あっはは、ヒヨクが行かされる訳じゃねぇんだからびびんなって。だからまぁそういう意味じゃ平等だよ。気の毒だけど」
 ヒヨクは柔術を習得している。護身術だ。それでも身につけるのにアルファやベータには無い苦労をした。
 やはり強すぎる気迫や怒気のようなものを感じると、体が危険を感じて勝手に怯えてしまう。気持ちの上では抗おうとしても、本能が怖いと言って逃げ出そうとする。それを抑えつけて技を学ぶのは大変だった。
「オメガって珍しいからあんまみんな分かってねぇんだ。同世代に一人居るかも怪しいし。俺も母さんが居なけりゃ何がそんなに怖くてびびっちまうのかもっと分かってなかったと思うよ」
「お主の中では『違う事』が当たり前なのだな」
「全員が『違う』中で育ったからだよ。環境ってやつ」
 トキは事もなげに言って腐りかけの木の椅子に凭れかかる。トキは敷き物として使うために麻の布を携帯しているが、休憩小屋では専らヒヨクに貸してくれていた。
 何故だろう、家族の事について話し穏やかに笑うトキを見ていると、ふと親切をしたくなった。トキに気に入られたい、と思ったのかも知れない。
「トキ、こちらに参れ」
「へ?」
「椅子は硬いだろう」
「あ、そういう……じゃあ遠慮なく」
 二つに畳んだ敷き物は二人で並んで座るとそれで満員だった。思いの外近くにトキの気配を感じて自分から提案したくせにどぎまぎとしてしまう。
 トキの傍は心地よい。高鳴る胸は時々苦しくなる事もあるが、離れたいとは思わない。こちらから明かす前に色々な事を知られていたせいだと思っていたが、今は違うとはっきり自覚している。
 トキと居る時、ヒヨクは自分をオメガ以外の何かに見せるよう振る舞わなくていい。トキは双子ヒオの話をしても嫌な顔をしない。それは我慢しているとかそういうものではなく、自然と双子というものを受け入れているから嫌悪する感情そのものが湧かないのだ。
 世界がこうあれば、ヒヨクはもっと、楽に生きられたのだろうかと幻想を抱く。だけどヒヨクはセイシンの王子だ。ヒヨクは世界に願うのではなく、世界を変えていくべき者。
 王にはなれないのに? という至極冷たい声が聞こえた。
「トキ、俺は先生を見つけたい」
「ん? おう」
「ヒオを治したい」
 それから、それから自分は、王子であれる間にもっと何かを果たさなくてはいけない。そんな気がしている。
「あれ、寝ちまった?」
 トキの声が水の外から聞こえる音のようにくぐもっていた。寝そうになっているからだ、という事すら考えられなくなるとヒヨクは眠っていた。
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