うそつきΩのとりかえ話譚

ちゅうじょう えぬ

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二章

18偏見

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 獬の東隣にある邑『かん』へ辿り着くとまず真っ先に笠を買った。それからまだ日は高い時間たったが吹雪が強くなってきたので今日の移動は諦めて宿を取る事に決めた。
「ああすいませんねお客さん。うちオメガには貸してないんですよ、部屋」
 そのあまりに単刀直入な物言いに思わず絶句してしまった。宿の店主がアルファだったのか、ヒヨクがオメガであると一目で看破されてたじろぐ。
「おい、断るにしてもそんな言い方ねぇだろ!」
「よせトキ」
 オメガへの偏見。その存在を知っていたがこれまでヒヨクの中では半分他人事だった。王宮で隠されて育った上にバースも同じように隠してきたせいだ。極端に外の世界と接する機会が失われたせいでヒヨクもヒオも『世間』というものに、王族である事を差し引いても疎かった。
「あなた、その感じ獬の人ですよね? だったらこの辺りじゃオメガに宿を貸すなんて真似する奴が居ないって事くらい知ってるんじゃありません? オメガはすぐ客連れ込んで体を売るから部屋が汚れるんですよねぇ」
「あのなぁ……!」
「トキ! 良い。失礼した。行くぞ」
「あっ、おい! ……くそっ!」
 店主に殴りかかりそうなトキの腕を引き宿を出る。
「すまぬ、俺が迂闊だった」
「違うだろ。土地勘あるのに俺が油断してた」
「そうではない」
「何が?」
「薬をな、切らしてしまったのだ」
「薬……? って、あの煙管の?」
 頷いて懐から印籠いんろうを取り出して改めて中の粉が空になっている事を確かめる。
「発情期の症状を抑え、それ以外で使えばオメガ特有の匂いを抑えてくれる。何故かお主にはほとんど効果が無かったようだが……トキ?」
 ヒヨクの話を聞きながら、トキは抱えていた荷を一度下ろして木製の瓢箪型の入れ物を取り出した。栓を抜き、瓢箪を振って中身を手に落とす。
「丸薬か?」
「そう。あんたの話聞いてなんかどっかで聞いた気がすんなと思ってさ」
 ずいっと手の平に載せられた数粒の丸薬を鼻の辺りまて近付けられる。動きに釣られて匂いを嗅ぐと確かに煙管から昇る煙の匂いとよく似ていた。
「俺がアルファだって、あんたも最初っから気付いてた訳じゃねぇだろ? その種がこれだよ」
「ふむ。これが嘘つきアルファの秘密道具か」
「それ言うか? 同じ穴の狢じゃねぇか」
「筋金入りの嘘つきだからな、嘘では負けぬ」
「言ってろ」
 一粒丸薬を譲って欲しいと頼むとトキはそれを半分に割って手に載せてくれる。まるまる一錠服用してしまうと効果が強すぎるのだそうだ。
「これで分からなくなるものか……?」
「薬が効くまでに時間がかかるしな。先に腹ごしらえして、別の宿を当たってみようぜ」

 都である虎の邑、次に烏、狐ときてここ『犴』と、北へ向かうにつれて少しずつ邑が貧しくなっていく。集落の規模は小さくなり、店や宿のような商店が減り、道行く者たちの顔付きから明るさが消えていく。
 寒さに慣れているが慣れているからこそ辟易としながら吹雪の中を歩きさっさと家に入っていく。
「駄目だやっぱねぇな飯食えそうなとこ。行きは俺、犴はさっさと抜けて狐で宿を取ったんだ。日取りは迫ってるし、雪ん中で立ち往生したくなかったからさ」
 だから犴がここまで旅先として向いていない土地だとは思わなかった、と続ける。
「一軒くらいはあるかと思ったけど、仕方ねぇし宿探そうぜ」
 宿泊を断られた宿から移動する事およそ二十分。それらしい二階建ての建物を見付けると、トキは戸を開けて入っていく。
 店主はジロリとトキを見て、それからヒヨクを見る。疑われているとよく分かる親しみの全くない視線だ。同じ国だというのに親切な人間の多かった烏と比べてこうも違うものかと、王族として考えさせられるものがある。
「そっちの人、オメガ?」
 傍目にトキの体が固くなるのが分かった。明朗快活なトキはいかにも嘘が苦手そうだ。ここは自分が何とかせねばと意気込んで前に出ようとすると、さり気なく手で止められる。
「あんたこそアルファか? それっぽいってだけでカマかけてんなら役所に苦情入れに行くぜ」
 チッと身が竦むほど大げさな舌打ちが聞こえたが、店主は渋々部屋を貸してくれた。ここまでの宿代と比較すると足元を見られたような金額にトキがまた店主を睨んだが、外は吹雪とくれば背に腹は代えられない。
 二階に上がろうとすると階段で女とすれ違った。特に何も気に留めていなかったが後ろをついてきていたトキが目で女を追ったところで女も同時に立ち止まった。ふ、と慣れた様子で女が妖艶に微笑む。身なりはうらぶれておりあまり清潔感が無いが、奇妙な艶がある。恐らくオメガだ、と直感する。バースが同じ相手の匂いは分かり辛いので本当に勘だったが、トキが「嘘つきは俺たちだけじゃねぇってか」と呟いた事で分かった。
「ねぇアルファのお兄さん? あたしここいらじゃ美人だって――」
「悪ぃな。心に決めた奴がいる」
 先に部屋に向かっていようと一段登ったところで足が止まる。
 心に、決めた人?
 それは厄介そうな女を振り払う方便だったのかも知れないが、驚くほどの鋭さを持ってヒヨクの心にトゲを刺した。
「あはは可愛いー。そっちの人も一緒に三人でもいいよ? ちょおっと高くつくけど」
 紅を塗った唇をぐにゃりとつり上げて女が妖しく笑う。さっきの宿の店主がオメガを拒否した理由が形を取ってそこに立っていた。
「いらねぇって」
 それ以上は女がどれだけ目線で秋波を送っても一顧だにせず階段を登りヒヨクの背を押してきた。女は嘘みたいに笑顔を崩してヒヨクを睨むと、音を立てて階段を降りていった。
「宿側は売り上げのいくらかをハネてんだろうな。そんで場所貸ししてんだ多分」
 持ちつ持たれつという言葉がこれほど似合わない例も無い。
「狐のあたりまではこんな事は無かったと思うが……まさか獬もこうなのか?」
「いや、獬はここまでじゃねぇけど。まぁ、北はどこも貧しいからな。蛟が無くなって商売あがった奴もいるって聞くし、家業が駄目んなったら体でも売るしかねぇ。でも歳がいったら女やオメガはやっぱ相手にされにくいんだよ。だから夜鷹よたかが増える」
 よたか、と口の中で呟く。初めて聞く言葉だった。娼館にすら相手にされず、先の女のように各々で商売する場所を見付けて買ってもらう者の事を言うようだ。
 男は外で働き女は家を守るもの。そんな通念と共に、アルファは支配しベータはへつらいオメガは従属する、という価値観が当たり前のように存在する。それらは都から離れれば離れるほど『仁』の心、即ち思いやりに欠けた形となって蔓延っていると聞く。原因は、貧困だ。
 ヒヨクは仮にも王子なので、よくよくアルファの尊さ偉大さと共に、オメガの弱さを教えられてきた。そしてオメガでありながら強いアルファのフリをするため苦心してきた。だが、ふとした時に思うのだ。何故、オメガはこんなにも社会的地位が低いのだろうか、と。本当に全てのオメガがそれに甘んじているのだろうかと。長らく王宮に隠されてきたせいで、こんな異端な考え方をするようになってしまったのかも知れないが、オメガは何もアルファに支配されずとも生きていく事が出来るのではないかと、馬術や武芸を身に付けながら考える事があった。
 そして今、この邑の何とも言えないさもしい環境を見て、王子である自分と多くの民とで何が違うのだろうという疑問が新たに生まれた。
 しかしトキはよくこう言う。「あんたはどっからどう見ても王子様だよ」と。皮肉ではなく、親愛の籠もった可笑しげで柔らかな言い方だ。
 では王子とは、王とは、何なのだろう。民の先導者、統治者、天の御子、表現は色々あるしいずれ玉座に即く者としての教育は受けてきた。
 王は、なぜ、アルファでなくてはならなかったのだろう。最初の王がアルファだった。ただそれだけで、アルファの統治を絶対にする必要はどこにもないというのに。
「トキ」
 思考が行き止まりに来ると、何故か口は勝手にトキの名を呼んでいた。トキの考えを聞きたいと思ったのだろうが、何をどう説明したら良いか分からず上手く言葉が出てこない。
「どうした、黙りこくって」
 器用に片方の眉毛を持ち上げてトキが小さく笑う。考え込みすぎてヒヨクが変な顔になっていたのかも知れない。
 俺は、どうすればいい?
 漠然とした事を聞きかけた時、隣の部屋から奇妙な声が聞こえてきた。声の感じから先ほど階段ですれ違った女だと分かる。これは――。
「……壁薄すぎだろ」
「そうだな……」
 女が商売をしている声だ。恐らくヒヨクたちがこの部屋に泊まっている事を知っていて当て付けのように声を高くしている。
 作った声とはいえ艶めかしいのに違いはなく、段々と恥ずかしくてたまらなくなってくる。最早真面目に悩んでいるような気分ではなくなってしまった。
「あんの女ぁ……! ヒヨク!!」
「な、何だ!!」
 トキの声に釣られてついヒヨクも大声で答えると、トキはヒヨクの腕を引いて寝台の上に座らせた。そうだ、忘れていたが、この部屋には寝台が一つしかない。他が満室だったのか店主の意趣返しかは分からないが、今夜は寝台を共に使うかどちらかが床で寝るしかない。
「寝るぞ」
「お、俺は床で」
「許すと思うか? どうしてもって言うなら俺が床で寝る」
「それはならん!」
「だろ? 諦めろ。こんな寒い日に床で寝たら体がおかしくなっちまう」
「分かった、分かったから腕を引っ張るなっ」
 寝台に腰掛けた状態から片腕を掴んでずるずる引きずられ、根負けして身を委ねるとトキの腕の中に捕まってしまった。
「さ、寒いし。こうしたら、あんたも温かいだろうし」
 何も言っていないのにトキは勝手に言い訳をする。
 可笑しくて、トキの厚い胸板に額を預けて笑うと、トキが突然腰をくの字に曲げて引く。
「何だ? お主が寒いからとくっついてきたのではないか。何を逃げて、お、る……」
 自分の軽率な行動に失敗したなと思う。トキの腰の当りに兆した硬い感触を見付けてしまい、一気に全身が熱くなった。
「こ! これは、別に隣の音でこうなった訳じゃねぇから!」
 では、つまり、それって?
 トキの言い訳のその先の意味を考えて更に顔まで熱くなる。もうとてもではないが顔を上げられない。
 これだけ近付くと否が応にもトキのアルファの匂いが鼻を衝く。意識した瞬間、自分の腰にも熱が集まってくるのを感じて身悶える。
 発情期でなくとも、トキを相手にするとヒヨクの体はこうなってしまうらしい。焦りも羞恥もあるが、そうなる自分の事が嫌ではない。寧ろ、トキになら、なんて考えてしまう自分が居る。
「トキ、俺はお前になら」
 あっは~ん、という気の抜ける声が漏れ聞こえたのはヒヨクが心の中に生まれたものを素直に伝えようとした、まさにその瞬間だった。がっかりして、トキの胸に手を当てたまま嘆息する。
「ヒヨク、今何か言ったか?」
「……いいや、もう眠ろう、トキ」
「何か疲れてねぇ? 大丈夫か?」
「問題ない」
 実際に疲れはある。慣れない雪の中を転ばないようずっと気を張りながら歩いているので、目を閉じていれば全身の気怠さが意識される。
 トキの匂いや熱、自分の腰に蟠る劣情が気になっていたのはほんの五分程度の事だった。すぐに疲れが眠りの魔物を連れてヒヨクの意識をひと飲みにしてしまう。
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