うそつきΩのとりかえ話譚

ちゅうじょう えぬ

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一章

1母、突然の決心

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 朝目が覚めると一枚残らず緑の葉が全て落ち切った白樺の木が、まっさらな雪で厚化粧をされていた。もちろん白樺だけではない。外に出てみると、急勾配の茅葺屋根から庭の小さな畑に犬小屋の屋根まで何もかもを真っ白に塗りつぶしてしまっている。昨晩は随分吹雪いていたので今朝の銀世界は概ね予想通りだ。
 雪国に生まれて十八年。見慣れた純白の雪は、これから半年近く続く重労働とひもじい日々が約束される白い悪魔の襲来である。
 建付けの悪い扉をガタガタやっていると屋根からどさどさっと音を立てて雪が滑り落ちてきた。木の板で作った雪囲いに当たって小さな雪の山が出来上がる。
「今年は早いなぁ」
「親父、おはよう」
「小屋ぁ見に行くのか?」
「うん、パッと行ってくる」
「気をつけろよー」
 呑気な事だ。
 一家で林業を営むトキの家は自宅から少し離れた林の中に切った木を保管しておくための資材小屋を持っているのだが、昨晩念のために雪囲いをしてきて正解だったと、陽光を受けてちらちらと瞬く積雪を見て思う。
 父親はとにかくお気楽者で、人間が暮らしていくには厳しい雪国に生まれ育ったとはとても思えないくらいのんびした人だ。
 寝ぼけ眼で手を振ってくる父親に呆れつつ、トキは羊の毛皮で作った上着の合わせをきつく締める。
 年々雪が降り始める日が早くなり、年々雪が深くなっていく。少し前に、豪雪が原因で近くのむら廃邑はいゆうになったばかりだ。トキたちの暮らす邑もうかうかしていると同じ轍を踏む事になりそうだ。
 のんびり歩いていると寒くて仕方がないので小屋まで駆け足で行く。一晩でブーツの半分以上まで雪が積もっており、気を付けていないと時々雪に足を取られて転びそうになった。本当に今年は積もるのが早い。
 十分ほどでナラの木の林に到着する。当たり前だがナラ林も目が痛くなるほど真っ白だった。資材小屋にもふかふかの雪が積んでおり、入口の傍に立てかけておいたスコップで雪を退かしてから扉を開ける。本格的な雪かきは後回しだ。
 トキは小屋の中の隙間を念入りに布や端材で埋めていく。そうする事でなるべく小屋の中に湿気がこないようにするのだ。木は木材として切り出した後に湿気を吸って反りが出てしまったりすると一気に使い勝手が悪くなる。しかし、自分の今している事に果たして意味があるのかは分からなかった。
 小屋の中に転がされた買い手がつかなかった木材を見て溜め息をつく。毎年南部の邑に売っていた木材が今年になって急に売れなくなったのだ。南部の邑は海の向こうの国と交易をしているので、異国から木材を買い付けているのではないかという話だ。
 今やっている作業も無駄になるのかと思うとやる気がどんどん失われていく。溜め息が止まらなくなって、気分を入れ替えるために小屋の外に出た。
 空は生憎の曇天。そのうちまた雪が降ってきそうだと思うや否や、綿雪がちらちらとトキの鼻先を掠め始める。いわんこっちゃない。はあーっとかじかんだ手に息を吐きかけて手袋を嵌め直し、小屋の中に戻ろうと振り返った瞬間、視界の端に何かとてつもなく不自然なものが映り込んだ気がして動きを止めた。
「なんだ……?」
 ナラ林の向こうで極彩色の何かが揺れていた。何、と言わず、あれは人だ。最初人に見えなかったのは、その人の髪の色がこの雪景色には全く相応しくない淡い紅色をしていたからだ。
 一面の純白に、まさに梅の花びらのような紅梅色の髪だけが鮮やかに色づいている。紅白の対象的な色彩にいっときの間、視線を釘付けにされた。
 それは男だった。痩躯の体つきに立て襟の袍を着て、その上から前開きの上着を羽織っている。こちらでは見かけない装いだというような事を考えながら、思考の大部分は判断力を失っていた。
 トキは男の容貌にすっかり視線を奪われていたのである。
 こ、好みだ……!
 細くて角度のついた眉に少し気の強そうな吊り上がった目尻、鼻は小さく口も小さいおかげで目の印象がとても強く残る顔立ちだ。ふわっとした柔らかそうな髪が雪混じりの風に煽られると、梅の花弁が舞い上がっているみたいで美しい。
 トキの体が見えない何かに引っ張られるようにして一歩踏み出す。ザクッと雪を踏みしめる音が思いの外大きく響くと、『火』の大邑だいゆうの者が好んで身に付ける大ぶりの赤い耳飾りが揺れて、男がトキの方を見た。髪と同じような薄紅色の眼光に射抜かれて、ドキドキと胸が高鳴る。正面から見た顔はますますトキの好みの顔をしていて、声を掛けてみたいという衝動に駆られた。が、男はトキを見るなり大きな目を更に大きく見開いて、身を翻してしまう。
「あっ」
 待って、という言葉を発するよりも早く、男は林の向こうに消えてしまった。あまりにも素早い逃亡はまさに野生のそれ。
 トキはしばらくの間、仕事も忘れて茫然と男の消えていった木々の隙間を見つめていた。



【うそつきΩのとりかえ話譚】



「そりゃあ火の大邑のモンだろうねぇ」と父がお碗を片手に適当な事を言う。
 トキたちが暮らすこの〈セイシン〉という国は二十八の小邑しょうゆうとそれらを七つに分けた大邑から成る。邑という言い方をする時はもっぱら小邑の事を指しており、トキたちの住まう邑の名をかいちといった。
 父の言う大邑とは七曜を元に分けられた区分で、それぞれに四つの小邑が属している。『火』の大邑とは国王の住まうセイシンの京師、つまり首都がある地域だ。
「そんな都会からこんな鄙びたところに来る奴なんていねぇだろ」
 トキが父の皿から豆を一粒奪うと、父も負けじとやり返す。十二歳になった双子の妹たちが、兄と父の行儀の悪い攻防をくだらなさそうな目で見守っている。そこに男共のやり取りにはもはや慣れきった母を加えてヒキツ家の日常が完成だ。
みずちのところの人じゃないの?」
 双子の姉トーサが賢しらな顔をして言うと、すぐにトーサの味方をする妹のトーウが「きっとそうだよ!」と援護射撃。双子を敵に回すと姦しいのなんの、このヒキツ家の女王は二人居るのだ。
「でもよぉ、蛟んとこのモンは方方ほうぼう親戚を頼ってみんな越しちまったって話だぞ?」
 昨年の事である。雪解けの春を迎えると、獬の隣の邑が丸っと一つ消えていた。
 獬の隣村である蛟という邑は雪山の麓に集落を築いていたが、邑の背後にある山の尾根から発生した大規模な雪崩が麓の邑まで流れつき、ほぼ邑全体を埋没させた。ここ数年で北部を覆う雪の量が増えており、一昨年の豪雪が雪崩発生の原因だったのではないかと獬で噂が回った。
 生き残った邑人たちはごく僅かで邑の再建を早々に諦めると、それぞれの縁を頼って邑を出てしまった。
 蛟の邑はトキたちの住む獬から西に位置する邑だ。木材小屋のあるナラ林も家から見て西にあるのでトーサは赤髪の青年が蛟の人間だと思ったのだろう。邑から出た事の無い双子の妹たちの世界はとても狭い。
「ねぇお母さんは? お母さんはどう思う?」
 トーウが隣に座る母の足を軽く叩く。終始無言を徹底している母は一番最後に夕食を食べ始めたにも関わらず、一番椀の中身が減るのが早い。「お母さん忙しいの」が口癖の母は父とは対象的に行動全てに無駄がなくてとにかくせっかちだ。今手につけている事、を片付けてからでないと別のことをしたくないという人なのだ。
 そんな母だが別に怒りっぽいという事はない。親の足を叩くというトーウの行儀の悪い行動はちゃんと叱ってから、トーウの質問に答える。
「そうねぇ。もしかしたら、やんごとない人かも?」
 双子がハテナ? という顔をする。父が笑って「偉い人って意味だ」と双子に説明する。
「ほら、王子のオメガ探しのお触れが出てるでしょ。あれねぇ、長い事田舎で療養してた王子が都に戻ってくるのに合わせてるんじゃないかって話なのよ。ま、病弱な王子様がこんな北国に居るはずないんだけどね」
 ふーん、とトーウは気のない返事をする。自分から母を会話に引き込んだくせに彼女の興味は既にこの話題から逸れてしまったようだ。
 それぞれの話を聞きながらトキは今朝見かけた紅梅色の髪の男の事を思い出していた。
 セイシンの国民は、大邑ごとに異なる外見、異なる文化を持っている。獬の邑を含む『木』の大邑は国の北に位置しており一年の半分ほどが雪に覆われた豪雪地帯だ。主に羊毛を使った織物と質の良い木材を売って生計を立てており、白い肌、黒い髪、緑の目が特徴だ。あと、背が高い。
 トキは誰が見ても一目で木の大邑出身である事が分かるほど、木の大邑の特徴を宿している。
 一方、ナラ林で見た紅梅色の髪は父の言った通り火の大邑の人間の特徴だ。頭髪の色は紅梅という梅の花の色にそっくりで、『火』の大邑の出身である事から大抵赤毛、赤髪と表現された。
 しかしあれは、と雪景色に舞う紅梅の髪とその瞳を脳裏に思い描く。炎のような苛烈な色ではなく、まさに春の花のように華やかな色合いだった。雪と梅、相反する季節が奇妙なようでいて色彩の取り合わせは良く、強く印象に残っている。また景色の主役であった赤毛の青年がトキの目には完璧な容姿に映っていた点も大きい。トキが詩人ならやはり梅の花に例えて詩を書いたのだろう。
 外見にばかり見惚れて深く考えなかったが、歳の頃はトキと同じ十代後半。ベータなら伴侶を、アルファやオメガなら番探しを始める年頃である。あの男も誰かを娶るのに相応しい年頃だという事だ。そう思うと、急につまらないような気分になる。いくら好みだったからといって、ただ見かけただけの何の縁もない男の恋愛事情に何故やきもきせねばならないというのか。青年の事は忘れる事にして、意識を食事に戻す。どうせ再会する事もあるまい。
 トーサとトーウが好き嫌いをして、それを見た父が「残してもいいぞ」と甘やかすのを横からトキが叱って、いつものヒキツ家の日常。そんな中、母の口から飛び出してきたそれは藪から棒というものであった。
「それでねぇ、母さんね」
 ちん、と音を立てて母が箸を皿に置く。案の定、一番最初に夕食を食べ終えた母は、至って朗らかに事を告げる。
「しばらくこの家、出て行こうと思うの」
 青天の霹靂だった。
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