あわいの宦官

ちゅうじょう えぬ

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雲朱編

27変転

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 男は真鍮で出来た烟斗パイプの火皿に刻んだ葉を入れると、灯明皿から火を移す。ジジ、と葉が燃える音がして紫煙が昇り始め、男はゆっくりとそれを肺に吸い込んだ。
「関所を設けて正解だったようだ。数日前にそれらしき男が発つのを見かけた」
「ではやはり」
「探しているのだろう、卜師を」
 沈黙が下りる。それは水を吸って重くなった衣のように男たちの肌に纏わりついた。
 不意に灯明皿の火が揺れる。
「来たか汪巳琅ワンスーラン
 烟斗から吸った煙を愉し気に吐き出した男が名を呼ぶと、汪巳琅は教本の挿絵のように美しく拱手をした。
 型どおりの所作をして見せる汪巳琅を見ていた男は、その目を蔑むように歪めて嗤う。
ワン家は昔、従者にそれはそれは厳しい躾をしていたと聞く。おかげで主従が逆転してからも従者の真似事に困らず済んだな?」
 男が声に出して笑うと、男を中心に周囲を囲んでいた男たちも似たような笑い声をあげる。汪巳琅は笑わなかった。生家を嘲笑われても憤怒せず、悲しまず、淡々と笑いの波が引くのを待った。
 ここには〈ヤン〉と呼ばれている組織に属する人間と、それに協力する官吏たちが顔を揃えている。定期的にこうしてそれぞれの役目を報告するような会を開き始めたのは、〈羊〉の首魁が今の男に変わってからだ。もう七年、いや八年ほどになる。
「……些か躾が行き届き過ぎたようだな」
 男が言うとまたしても周囲が笑い声を出したが、今度は男は笑っていなかった。それに気づいた者からすぐに笑声は消えていき、再び重い沈黙がその場を満たす。
 いくらか静寂が続いた後、それを破ったのはこの中で最も発言力のある、やはり烟斗を持った男だった。
「報告を聞こうか」
「はい。内侍監から許可を得ました。明日付けで宦官の異動になります」
「間に合ったか。ならば関所を越えられた後は雲朱にて捕縛可能だな。──胡平フーピン
 呼ばれて顔を上げたのは、四十路の真面目そうな男だ。首魁の男は胡平に命令する。
「先の会合は何が行われたのか話せ」
「はい。場所は先々代皇弟の私宅に御座います。集められた顔ぶれは──」
 男たちが密談を交わすのを汪巳琅は離れたところで聞いていた。決して会話に混ざる事はなく、時折訊かれた事に答える事だけを徹底する。
 汪巳琅はいつでもそうだった。誰かに与する事なく、反する事なく、静かに静かにただ目の前で起きる事象を、その記憶に残していく。
 それが汪巳琅に出来る唯一の贖罪であった。





 楊美子ヤンメイズーの言った通り日がすっかり暮れる頃に漸く第三採掘場を抜ける事が出来た。ここからまた南東の方へ暫く歩くと、今度は第一採掘場が見えてくるという。そちらは第三とは違い露天掘りがなされ、渦を描くように中心に向かって巨大な穴が空いているという。
「第一は近頃採鉱量がとんと上がらなくてねぇ。廃坑が決まっちまったよ」
 溌剌とした楊美子の気落ちしたような声に三人はすぐには言葉を返してやれなかった。
 ここに来るまで沢の辺りで話した飯炊き女たちや、坑道の中ですれ違ってきた鉄夫たちは合わせて五十をくだらない。第一採掘場の規模は分からないが、職にあぶれる者が一度にたくさん出る事になるのだろう。
「第四の方は? 新しいんじゃなかったか?」
 梅の質問に楊美子は肩を竦める。
「あっちもとっくに定員さ。第三もいつ第一みたいになるか分からないってみんなヒヤヒヤしてる」
 四王には皇帝が領地を与えているので大抵の事は各土地の王の裁量に任される。王の手にも余るような事態ならばもちろん皇帝が手を回す必要があるが、やはり紫沈には熔岩の鉱山事情は届いていない。或いは玲馨が知らないだけの可能性もあるが、採掘場を閉じるという大きな決定が噂も立たないという事はまず考えにくいだろう。
 雲朱側が意図的に情報を封鎖しているのか、それとも紫沈の何某かが雲朱と連携させないよう情報を握り潰しているのか。
 雲朱の怪しい動きが、今日だけでいくつ出てきただろうか。叶うなら一刻も早く戊陽への報告の手紙を書きたいくらいだ。南への旅路は予定外の事だったが雲朱を経由する事になって良かったのかも知れない。怪我の功名というやつだ。
「さぁて、と。あたしはここらで失礼するよ。明日は第一に向かって、そっから雲朱まではまた第一の奴らに案内してもらいな」
 第三採掘場から外に出ると、簡素な作りだが家屋が数軒見えた。第三採掘場は南北に長く坑道が伸びており、それぞれに生活拠点が築かれているそうだ。楊美子は今晩そちらに泊まるからと別れを告げ去っていった。
 鉱夫たちの拠点から少し歩くと、第三採掘場の南側にあった沢の下流に出る。考えてみたら当たり前たが、第三採掘場の働き手たちの家屋は川の近くに建てられていた。
 今夜は川の近くで休み、明日の朝一番に今度は第一採掘場へ向けて出発する。
 夜通し妖魔と戦った疲労が今になってまたぶり返してくる。軽く食事を取って敷物の上に横になると、あっという間に瞼が落ちていった。




 第一採掘場までおよそ丸一日かけて辿り着くと、翌日には楊美子と同じように第一採掘場で炊事をしている女の案内で露天掘りの採掘場を円を描くようにして降りていく。それというのも、もともとこの辺りは地盤が緩くすぐに崩れては補強を長年繰り返してきた。おかげで足場となる部分がごく限られており、円の西に行っては梯子をおりて、今度は北に行ってはまた降りてと、少ない足場を綱渡りするようにして最終的に採掘場の南へ出なくてはならなかった。
 円の反対側を見ればすぐそこに採掘場の終わりがあるのに全く辿り着けないまま昼が過ぎた頃にとうとうすり鉢状の第一採掘場を踏破する。間もなくこの採掘場が閉鎖されるのかと思うと多少なりと感傷は起こったが、疲れと空腹には抗えずさっさと第一採掘場を後にした。
 後はこのまままっすぐ雲朱へと向かうだけだ。食料もほとんど尽きて、最後の一日は水だけで過ごした。
「見えた……! 雲朱の扁額がある!!」
 さっきまで腹が減った喉が乾いたとぐったりしていた風蘭だったが、朱塗りの大きな楼門が見えると一目散に走り出す。
「待て風蘭! お前は──」
 旅券が無いだろう、と叫びかけて寸でのところで踏みとどまった。そんな事を門の近くで叫べば最悪門衛に捕らえられてそのまま牢屋行きだ。旅券がなくては各土地を出る事も入る事も出来ない、つまり浮民の証である。
 事態に気付いた梅がすぐさま風蘭を追い掛け、門に辿り着くより先にその首根っこを掴んで連れ戻した。
「へへっ、旅券の事忘れてた」
「何がもう疲れて一歩も歩けねぇ、だ。走ってたじゃねぇか」
「風蘭、その衣には何か特別な思い入れはあるか?」
「え? いや無いけど」
「そうか。ではそこに真っ直ぐ立って直れ。動くなよ」
 風蘭はポカンと阿呆面で玲馨を見上げながらも言われた通りに両手をきっちり脇につけ、糸で吊るされたかのように背筋をピンと伸ばして立つ。
 玲馨は自分の装備していた剣を抜くと、風蘭の短褐たんかつの胸元を容赦なく切り裂いた。
「ええっ!? なんっ」
「叫ぶな。見られたら意味がなくなる」
 旅券とは木の板に持ち主の身分を彫った物だが、ちょうどそれが収まっていそうな位置に破れが出来て、ペロンと襟が腹に向かって垂れる。剣で裂いたのだと見破られては意味がなくなるので更に襟の周りを手で引きちぎって襤褸をいっそう襤褸に仕立てた。
「風蘭お前は旅券を失くしたのだ。隧道を通った時妖魔に襲われ命からがら逃げ出したところ、襟から旅券がこぼれてしまった。名は……本名ではないのだったな。では風蘭とそのまま名乗れ。姓はルオ。楊美子と私のやり取りは覚えていたな? 風蘭は私たちの異母弟で、今回の旅はお前の母が死に拠り所がなくなったため雲朱の親戚を頼りに来た。覚えたか」
 聞くうち段々と神妙な面持ちに変わっていった風蘭はコクコクと何度も頷いて、それから少々残念そうに無惨に破かれた襟を見下ろす。しかし「後で新しい物を買ってやるから」と言うと現金なもので下も破こうかなどと言い出すので一発頭を叩いておいた。




 紫沈の南門は石で出来た巨大な城塞の一部で、日暮れと同時に鉄格子が降ろされる。一方雲朱の南門は大きな朱塗りの楼門で、紫沈と比較するとずいぶん開放的に見えた。昼夜問わず人の出入りが絶えないとなると、賊にとっては逃げ出しやすかろう。門衛は昼夜問わず気が休まらないに違いない。
 臨時の関所が設けられていたと聞いたので予想していたが、やはり厳しい検問が行われていた。検問待ちの列が楼門からずらりと北に向かって伸びている。
 玲馨たちとは違う行路で雲朱に訪れた者にとっては二回目の検問になるので、列のあちこちから文句の声が上がる。
 門衛たちが面倒になって玲馨たちの事も適当に通してくれないだろうかと祈りつつ、そうこうしているうちに順番が回ってきた。
「荷を検めさせよ」
「旅券も出しておけよ。ん? お前ら妙な取り合わせだな」
 ただの飯炊き女である楊美子でさえ怪訝そうにしたのだから玲馨たちの組み合わせがおかしく映るのは織り込み済みだ。
「実の兄弟なのですが、皆母が違うのです。親戚を頼って雲朱には初めて参りました」
「ふむ……そうか」
 門衛は納得はしていないという顔付きだが後ろが控えているので話しながらも手際よく作業を進めていく。
「おい、旅券を出せと言っただろう」
「あの、オレ、失くしちゃったんです」
 風蘭のよよよとを作るその演技力は貧しいながらもたくましく生き延びてきた技だろうか。だが些かわざとらしい気もする。
「妖魔に追っかけられて衣もボロボロで……」
 うわーんと今にも声を上げて泣き出しそうな少年を相手に強面の門衛もたじろいで、困ったように仲間へと視線を送る。
 あまり目立つのは避けたいが、風蘭の演技で強引に押し通せるものならもっとやれと心の中で念じると、風蘭はじわ……と涙を滲ませた。何て器用な子だろうか。
「あー分かった、泣くな鬱陶しい。兄の方の旅券はあるし子供一人くらい良いだろう。通せ」
 成功だ。一瞬風蘭の口許が笑みの形に釣り上がったような気がしたので、幼い弟を慰めるフリをして肩を抱き寄せ楼門を潜る。
 それから楼門の鮮やかな朱色が見えなくなるまで兄弟を装って進み、角を曲がって人通りの少ない通りに入ったところで大きく息を吐き出した。
「お前……何ださっきのは。気色悪ぃ」
「梅兄さんが稼いだ金をぜーんぶ酒に変えるから火の車の家計を見て泣く泣く紫沈を逃げ出したって妄想」
「はぁ……? 俺はそもそも酒はそこまで──」
 ついつい風蘭に反論しようとした梅を遮って、玲馨は素早く梅の顔の前に手を翳した。すぐに状況を察した梅は言葉を引っ込め剣の柄に手を掛ける。
 大人数の足音が大きな通りの方から徐々に近付いていた。足並みが妙に揃い均一に聞こえる足音は、恐らく訓練されたものだ。雲朱の軍か、そうでなくとも何かの組織に違いない。
 検問をどうにか乗り越えたおかげで収まっていた緊張が再び一気に高まっていく。足音に負けないくらい自身の心音が耳を衝いた。
「──男三人。こいつらか?」
 どうか去ってくれという玲馨の願いを、目の前で一斉に止まった足音と男の声が無残に踏みにじる。
 玲馨たちを見下ろし無感情に確認したその男は、やけに大柄な男だった。熔岩鉱山で働く鉱夫たちが子供に見えてしまうほど鍛えられた体と、三人の中で一番上背がある梅よりも更に頭一つ分高いところにある頭。その後ろにずらりと並ぶのは禁軍兵とは趣の違う鎧姿の武人たち。一目に手練れと分かる雰囲気を醸した彼らは恐らく眼前に迫る男が率いる精鋭たちだ。たった三人では到底太刀打ちできない。
「お前たち」
 高いところから覗き込まれ、圧倒されて三人はゆっくりと後退していく。
「この雲朱へどこからやって来た?」
 紫沈と素直に答えるのは危険だと直感が言う。しかし大男に恐れをなした風蘭が真っ青な顔で「中央から」と口を滑らせてしまう。
「ほう。なら俺が探していた奴らと同じだな。名を言え」
 高圧的に言われ一瞬で頭が真っ白になる。常義の尋問など比ではないほどの本物の迫力に、玲馨は圧倒される。
 何故、こうなった。何が起きている。探していたという事は、関所で行われた人探しとはまさか玲馨たちの事だったのか。ならば三人のうち誰が目的なのか。全員という事はないだろう。
 俄かに混乱した玲馨は、答えるべき言葉が一向に浮かばず口を開いては閉じるを繰り返すしかない。
「言えぬか?」
 大男の目はまっすぐに玲馨を見下ろしている。
 冷たいものが、背筋を流れていった。
「みん──」
「『玲馨』だ。俺が玲馨。そっちは『羅清』で小さいのが風蘭だよ」
 梅の腕が「明杰」と名乗りかけた玲馨の腹の前に制するように出されていた。ぐ、と喉奥で声も言葉も詰まって、情けなさと悔しさでいっぱいになっていく。隣の低いところから風蘭の息が震える音がしていた。
「お前たち、こいつら全員を捕縛しろ」





 どうやら雨季に入ったようだと、薄暗い曇天を紅桃ホンタオ宮の寝所から見上げて嘆息する。
 このところ母である賢妃けんひの体調が思わしくないと聞きつけ、戊陽は離宮である紅桃宮から内廷へ通う日々を過ごしている。紅桃宮は皇帝の居所である黄麟ホアンリン宮よりも内廷から遠く、その上雨季に入ってしまうといっそう内廷へと通うのが億劫になった。
 侍医の話では軽い咳病がいびょうで戊陽の力で快方に向かいだしたそうだ。後は滋養のある物を食べて体力をつければ、じきに根治するという。
 雨の空気に晒され冷えた手をもう片方の手で握りしめる。自分の力が母の役に立てて良かった。
 父を亡くした時、戊陽が倒れるまで力を使っても日に日に弱っていく姿を見て、医者でもないのに自分は死病を悟る事が出来てしまう事に心から恐れた。それ以来、戊陽はこの力を使うのが怖いと感じる事がある。
 山芒シャンマン向青倫シャンチンルンの息子の向峻シャンジンを助けた時もそうだ。目の前で消えていく命を繋ぐ自信などどこにもなくて、弱弱しく脈打つ音がいつ聞こえなくなるのか恐ろしくてたまらなかった。
 それでも、戊陽はこの力を使うべき時には決して惜しまない。戊陽は望まざる帝位に即き、言葉一つで他者を殺してしまう事が出来る立場になった。必要に応じてその決断をしなくてはならない事もあった。
 この先戦が起きるような事があれば、自分は敵を殺せと兵士たちに命じる事もあるだろう。
 だからこそ、戊陽は自分の手の届く者たちの命を我が身可愛さに諦めてしまう事は絶対に出来なかった。他者の命を見捨てた時、それは同時に「戊陽」という一人の男が死ぬ時でもある。
 漏窓から離れ、寝台に腰掛けると体の怠さに瞼が落ちてくる。微力とは言え毎日母のために力を使ってきた疲労が蓄積してしまっている。
 雨のせいで外は薄暗いが時刻はまだ隅中九時~十一時である。一休みして執務に取り掛かろうと決め、そのまま寝台に横になった。
 それから半時辰約一時間ほど過ぎた頃だった。
「陛下、お目覚めになられて下さい。東の刺史より急使が参りました」
 夢心地の中聞こえてくる宦官の声。四郎だ。東の刺史と言われてしばらく考えて、辛新の童顔を思い出し飛び起きる。
「すぐに参る。どこだ?」
「四阿で待たせております」
 衣のあちこちが多少乱れていたが構わず寝所を出て、四郎を伴い庭の一角に建つ六角形の四阿へ向かう。
 紅桃宮の主殿しゅでんから石畳が続いた先に桃の木に囲まれた四阿があり、いつかも見た山芒兵と同じ装具をつけた急使の姿に胸が嫌な風に騒ぐ。
「山芒の兵だな。辛新に何事か起きたのか?」
「はっ。辛新殿より書簡を預かっております」
 こちらを、と言って渡された書簡はほとんど走り書きのようで文字が乱れていた。読みにくいそれを目を凝らして読み進めるうち、戊陽の顔が白くなっていく。
「──四郎、すぐに李将軍に禁軍兵を集めるよう伝えろ。これも共に持て」
 辛新からの書簡を四郎に預ける。これで李将軍にもすぐに事態が伝わるはずだ。
 山芒の使者に休むよう伝え、戊陽は寝所へと取って返す。
 山芒からの急使を四郎が報せに来て、山芒で起きた事態の解決のために李将軍に話を通す。まるで本当にあの時の再現のようでいて、しかしここには玲馨が居なかった。
 山芒に何が起きてこれから戊陽が何をするのか、玲馨にもどうにかして報せなくてはならないだろう。今頃玲馨はどこでどうしているだろうか。「便りの無いのは良い便り」などと言ったものだが、玲馨に命じた内容を思えばそれは決して当てはまらない。敵地──そう、今の戊陽にとって西の東江は敵地と呼ぶべきものになりつつある。そんなところへ内情を探り、その上卜師を探して連れて来いと命じたのだ。どんな危険が待ち受けているかも分からないが、戊陽はただひたすらに玲馨を信じて待つ事しか出来ないのだ。
 戊陽は愛しい人の姿を頭を振って追い出して、宮女に手伝わせて素早く着替える。それから紅桃宮を出る前に母の寝所へと立ち寄った。
「母上、少々よろしいでしょうか」
「おや、今日は十分に陛下には看護をしてもらましたよ?」
「その事では御座いません、母上」
 衝立の向こうから「こちらへ」と招かれる。戊陽が一歩進むと、カチャリと金具がぶつかる音がした。
「母上、私はしばらく城を離れる事になりそうです」
 衝立から姿を現した戊陽を見て、賢妃が息を呑む。
 つい最近も同じように甲冑姿を見たばかりだというのに、また息子が戦地へと赴くというのか。そんな母の嘆きが聞こえてくる。
「東のリエン族が山芒へと攻め入ったようです。山芒の木王には禁軍兵を貸すという約束がありました。故、私も準備が整い次第すぐに出立致します」
「ああ、何という事……」
 肩を丸め咳き込む賢妃を控えていた宮女が支える。戊陽は寝台の傍にひざまずくと母の手を取り、病が早く快復するようにと祈り力を込めた。
「どうしてもあなたが行かなくてはならないのですか?」
「向家の娘はやがて後宮に入る妃となります。我が身可愛さに見捨てる事はしたくないのです」
「そう、そうね」
「敵は寡兵です。必ず生きて戻ります。戻った折には母上の元気なお姿を見せて下さい」
「ええ、ええ……。陛下……戊陽、どうか無事で」
 名残惜しそうにする賢妃の手をそっと離し、立ち上がる。せっかく眠って少し回復していた力が、今のでまた消耗されてしまった。だが、今倒れる訳にはいかない。
 ──練族。何故今になって山芒に侵攻してきたのだ。
 山芒より更に東に広がる高原地帯のあわいに変化があったのかもしれない。もし友好関係を結べるならそれに越した事はないのだが、端緒が開かれてしまっては最早手遅れだろう。
 山芒の状況も気がかりだが、その前に再び「あわい」を通るという事も念頭に置いておかなくてはならない。禁軍兵を援軍に連れていくという事は、つまりまたユエ川を渡るという事だ。今度こそ死者が出ないとも限らない。その上今は雨季である。増水した川の恐ろしさを、戊陽まだ経験した事がなかった。
 不安は次から次へと溢れてくるが城に籠って全てが解決するはずもなく。
 戊陽は再び東の山芒へと向けて出発する。
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