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1 いつもの朝、いつもの憂鬱。

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~1  いつもの朝、いつもの憂鬱~

 きっちり閉めたはずのカーテンの隙間から、眩しい朝の光が漏れている。

  ベッドの片隅でスマホが派手な音をたてながら震えている。

  あやはスマホに手を伸ばす。
しばらくしてスマホを捕まえて、スヌーズをタップした。

つかの間の静けさ。
つかの間のまどろみ。

  あやが求めたものはそれだけだったが、頭がズキズキ痛くて、しぶしぶベッドに起き上がり、スヌーズを解除した。

「眩しいな…カーテンきちんと閉めとけば良かった。」

  あやはカーテンの隙間から伸びる光の筋が自分の顔に当たってるのに苛立ちを感じながら、カーテンに手をかけた。
 ジャッ。
カーテンは物凄い勢いで左右に開かれた。眩しい初夏の太陽の光があやを包む。

「暑っついなー…。」

  あやは光を浴びながら軽く背伸びをした。ズキズキしていた頭がクラクラする。

「やば、朝起きて熱中症とかシャレになんないよ。」

 そう呟いてみるが、頭が回らず、体も鉛のように重くて動く気にならない。

「あやちゃーん!まだ寝てるのー?」

  階下から母親の間延びした声がした。

「早く起きてらっしゃーい!遅刻するわよ~」

  その声にあやはますます苛立ちながら、窓を開け空気の入れ替えをした。梅雨の名残を感じさせる7月の湿気を帯びたぬるい風があやの漆黒のセミロングの髪を撫でていった。

「あやちゃーん!?」
「もう、うるさいよ!起きてるよ!」

 あやはまだ頭痛のする頭を抱えながら、窓を閉めレースのカーテンを手荒に閉めると、ふうーっと長いため息をついた。そして部屋のドアの前に立って、ドアノブに手をかけたまま、しばらく動かずにいた。

「どんな顔していけばいいのよぉ…だる。」

 それでも気を取り直して、今度はすぅーっと息を吸い込むと、勢い良くドアを開け、階段を一気に駆け下りた。

「あやちゃん!階段は静かに降りるようにいつも言ってるでしょ!?危ないわよ。」

「はいはい。」

 あやは母親のいつもの口癖の注意を受け流して、まっすぐ冷蔵庫に向かった。
 冷蔵庫の扉を少し乱暴に開けると、中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。歩いて2階の部屋へ戻りながらキャップを開けて冷たいミネラルウォーターをグッと飲む。すると少しズキズキしていた頭の痛みが和らぐ。

「あやちゃん、朝ごはんは?」

「要らない。」

「成長期なんだからちゃんとたべなきゃだめでしょ?」

「ダイエットだよ!」

 あやが朝ごはんを食べない理由は他にあった。父親が不倫して家庭内離婚で、母親と父親は仮面夫婦だった。それでも最初は形だけは保っていた南條家では、朝ごはんはダイニングテーブルに一応父親と母親、そしてあやが座っていた。でも、次第に子供として何も知らないフリをして席につき、淡々と朝ごはんを食べている自分が偽善じみていて嫌になっていった。
 そしてある日、あやは腹の底から自分でもわからない抑えていた感情が込み上げてきて、気がつくと思わず手を握りしめてドン、と静かにテーブルを叩いていた。あやは泣かなかったが、微かに震えていた。
 それ以来父親、母親はバラバラに朝食を取るようになり、腫れ物に触るようにあやを避けるようになった。それ以来、あやはしばらくの間、広いダイニングテーブルで母親の用意した朝食を大人しく食べていたが、次第に食べなくなった。
 家族がいるのに1人で食べる朝食なんて…。繊細な一面を持つあやは耐えられなかった。

「パンと目玉焼きくらい食べなさい!」

 珍しく母親に捕まってしまった。母親にダイニングテーブルに無理矢理座らされると、焼きたてのトーストと目玉焼きが運ばれて来た。あやはふくれっ面ながらもトーストに齧り付いた。そして母親を観察した。母親はキッチンで洗い物をしている。父親に裏切られてから、少し不安定で、あやにやたらとベッタリしたり、突き放すように当たり散らしたり、あやはもうそんな母親にウンザリしていた。同じ女として最初は哀れみを感じたり、父親の前で庇ったりしたが、それも長期化して子供を巻き込まれたら堪らない。

「それに最近過干渉気味なんだよね…。」

 あやは心の中で呟いた。あやの母親に対する反発は反抗期のそれでもあったが、ちょっといびつなものになってしまっていた。

「お母さん痩せたかな?」

 あやは母親の後ろ姿を割と冷静に観察してそう感じた。
 あやはトーストを食べ終わると、目玉焼きを食べ始めた。塩コショウがかけてある母親の作る半熟の目玉焼きがあやは大好きだったのだ。本当は…。

「ごちそうさまぁー!」

「あら、あやちゃんサラダは?」

「いらな~い。」

 あやは体を反らすように母親に背を向け、ミネラルウォーターのペットボトルを持って2階へ駆け上がった。2階は階段を上がって向かって左側にあやの部屋が、向かって右側に両親の寝室があった。最近父親は1階のリビングのソファーで寝ていることが多い。まだそれはマシな方で、一晩帰って来ない日も少なくはない。
 あやは自分の部屋に急いで駆け込むと、内側から鍵をかけた。あやが子供の頃この家を建てた時、父親は最初あやの部屋に鍵をつけることに反対した。でも、あやは譲らなかった。あやは鍵をつけてもらって正解だったと今でも思う。
 鍵をかけて安心したのか、あやはベッドに倒れ込むように身を沈めた。そうしてしばらく天井を見上げてぼんやりしていると、すぐにふわふわと睡魔が来る。その頃には頭痛は治まっていた。
 その時LINEの着信音が鳴った。あやはチッと舌打ちすると、ペットボトルをベッドの上に放り出し、仕方なくスマホをチェックする。

「8時に迎えに行くね♡」

 ミキだ。あやがスマホをこまめに見るようになったのもミキのせいだ。今日だって今7時40分にミキから送られたLINEを読まずに未読のまま放っておいたら、ミキのご機嫌は最悪になる。
 
「わっ!!もう40分!?」

 あやは慌てて起き上がると、部屋の鍵を開け、また1階の洗面所に慌てて降りていった。母親の注意する言葉なんて耳に入ってこない。あやダッシュで洗顔・歯磨きを済ますと、髪を癖直しウォーターでさっと直した。

「ああ、すっぴんでも日焼け止めは塗らないと!」

 あやは顔から首、手足に素早く日焼け止めミルクを塗ると、再び2階に駆け上がった。

「あやちゃん!その足音どうにかならないの?それに危ないって何度言ったらわかるの?」

 少し苛立ちを隠せない母親の声を背中で聞いて、再び自分の部屋に戻ったあやは、ちょっと幼稚なイチゴ柄のパジャマを脱ぎ捨て、ソフトブラから普通のあまり飾りっけのない白のブラをつけ、高校の制服のブラウスに袖を通した。それから膝丈のブルーのタータンチェックのスカートを履き、胸元に紺色のリボンをつけた。
 鞄の中にテキスト類とノート、筆記用具の入ったペンケースを突っ込んだところで、窓の外から甲高い声が聞こえた。

「あやー!8時に迎えに行くって言ったじゃーん!?」

 あやはレースのカーテンを慌てて開けて、窓から下を見ると、不機嫌そうなよく日に焼けたミキの姿が見えた。

「これはマジヤバい!」

 あやは紺色のバッグにミネラルウォーターのペットボトルを放り込んで、左手に鞄を持ち、1階へと階段を下りて行った。
 玄関でローファーを履いていざ外へ出ようとすると、また母親に捕まった。

「今度は何!?ミキが待ってるんだよ!」

「お弁当よ!バッグにいれてあげるから!」

 母親はさっとバッグの中にお弁当を入れると、ファスナーを閉めた。

「行ってきまーす!」

 あやは勢いよく玄関を開けると、外は眩しいくらいの晴天だった。

「あやー!遅ーい!」

 ミキがこっちこっちというふうに自転車に腰掛けたまま手を振った。

 -その時、ミキの顔の周りで何かがキラッと光った。
 
 あやは、まさかと思って心臓がドキッとした。

「どうしたの?あや?」

 気がつくとミキはすぐそばに来ていた。すると、その光ったものはミキがつけていた大きめのフープのピアスであることがあやにもわかった。

 -ああ、良かった。"ヒカリ”じゃなくて。

 あやは安心すると、バッグからペットボトルを取り出してミネラルウォーターを飲んだ。緊張で喉がカラカラになっていたのだ。
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