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第一章

第5話 君の事は愛せない

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「入ってもよいだろうか」

 扉越しにヴィルドレット様の声が聞こえると、私はその瞬間『黒』の事を諦め、いつもの『白』に全てを託す事にした。

 この期に及んで夫となる人の前で装う事もないだろう。ありのままの私を曝け出してこそ、夫婦の契りを交わすというもの。(まだ夫婦じゃなけど……)
 ならば、『白』を身につけた私こそがありのままの私――むしろ好都合だ。

 大丈夫。ヴィルドレット様なら『白』ごと私を愛してくれるはずだ。 たぶん……

 不安要素を無理矢理潰し、「大丈夫」と心の中で何度も自分に言い聞かす。
 目を瞑り、一呼吸挟むと多少なりの胸の高鳴りは治った。

 ゆっくり目を開けた私は「よし」と小さく呟き、そして扉を開く――

「はい……」

 

 ◎



 寝台の端に腰掛ける私と対面する形でヴィルドレット様は側にあった椅子に腰を落とした。

 私は目の前にあるヴィルドレット様の顔貌を直視する勇気が持てず、その後ろの向こうでゆらゆら揺れ動く蝋燭の火の灯りに目線を逃がしたまま――

 ドクン、ドクン、ドクン……

 心臓の鼓動が大きく響き、身体は小刻みに震える。

 なんだか恐い……

「ハンナ嬢、まずは我がエドワード家へ嫁いで来てくれた事を感謝する。ありがとう」

「ひ、いえ……と、とんでもありません! ふ、不束者ですが、どうか末永くよろしくお願いします!」

 ヴィルドレット様の第一声にビクっとなって、肩に力が入る。

 未だ蝋燭の火を一点に見つめる私の視界の片隅には、半身を乗り出してこちらを見つめるヴィルドレット様の姿がぼんやりと映る。

 これ以上逃げてはいけないと、私は自らを叱咤し、恐る恐る焦点をヴィルドレット様の顔の方へとすべらせていく。
 
 暗がりの中、オレンジ色の灯に照らし出されたヴィルドレット様の容貌はとても美しく魅惑的で、私を見据えるグリーンの瞳は後ろの蝋燭の火と並んで妖美に輝いていた。

「ハンナ嬢……」

 ヴィルドレット様は目を細めて私の名前を呼んだ。

 何かとは言わないが、私は覚悟を決め、息を呑み、真剣な表情で返事をする。

「――はい」

 私の全てを捧げるつもりで……恐いながらも一世一代の決意と誠心誠意を込めた眼差しをヴィルドレット様へと向ける。

 しかし、何故かヴィルドレット様は逃げるように私から視線を外し、一度目を伏せ、すぐに視線を元に戻したその表情は心なしか険しく見えた。

 え? もしかして、今の私の視線、重すぎた? 

 いつの間にか眉間に力が入っている事に気付いた私はハッと目を見開く。

 たぶん、ヴィルドレット様は私の眼差しからギラギラした何かを感じ取ったのだろう。
 まるで肉食獣に睨まれたウサギのように、震えて怯えて、視線を逸らしたに違いない。

 一体私はどんな貌で睨んでいたのだろうと思うと、恥ずかしくて顔が熱くなる。しかし、悶えてる場合ではない。
 私は慌てて弁明に走る。

「……あ、いや……こ、これは違うんです――」

「明日の結婚式を前に君に言っておかなければならない事がある」

 しかし、ヴィルドレット様の低い声音がそれを遮った。

 明らかに室内に流れる空気が変わり、その不穏な空気に私は再び息を呑む。

 一呼吸挟み、佇まいを正し、改めてヴィルドレット様を見る。 今度は眉間に力を抜いて。

「……はい。何なりとお申し付け下さい」

「この先、私が君を愛する事は無い。それでも、君は私の妻となってくれるか?」

「……はい?」

 言っている意味が分からなかった。

 え? 何? どういう事? 
 愛する事はしないけど、妻にはなってくれ――って事?

 結婚=愛し合う事。そう思っていた私は困惑した。

 そして、たった今まで私の心を支配していたあの乙女心は霧散した。
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