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最終章 それぞれの想い
突然の出来事
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「――エミリア」
背後から呼ばれた私の名前。
子爵様の声だ。しかし、同時に感じた違和感。
そう。子爵様は普段私の事をそう呼ばない。
いつもなら、
――『母君』。
これが私への呼称となっていたはずだ。そう思いながら私は恐る恐る振り返る。
「……はい」
比較的線の太い体型ではあるものの、決して太っているというわけではい。筋肉質のがっちりとした体型だ。
紺青色の髪はオールバックに整えられ、深みのある顔立ちに刻むシワは時の流れを感じさせる。
私から見た彼――ハワード・リデイン様は、40代半ば、威厳的で風格ある男性といった印象だ。
アリアの結婚後、度々ここを訪れるようになってから割と子爵様とは砕けた間柄になっていた。
その中で子爵様がよく口していた事。
アリアが嫁いできた事をどんなに自分が喜んでいるのか、どんなに大事に思っているのかを、まるで私へ伝えるかのように話し、それはおそらく彼が私に『娘の事は心配いらない。これからはリデイン家の大事な嫁としてしっかりと守っていく』と、そう伝えたかったのだろうと思う。
平民から貴族の世界へと嫁いで行ったアリアの事を親である私が心配しないわけが無い。
そういった私の煩慮を思い、子爵様は少しでもそれを払拭させようとしてくれていたのだと思う。私としても、その気持ちは素直に嬉しいと思ったし、同時に安心もした。
そんな心のやり取りが交わされる場、子爵様、マルク様、アリア、私と、歓談するその席にマルク様の母――つまりはリデイン子爵夫人の姿は無かった。
子爵様の奥様は2年前に亡くなっており、今の子爵様は独り身。
しかし、亡くなった奥様への愛情は未だ健全の様子で、どれ程美しかったか、どれ程素晴らしい女性だったかを身振り手振りで語る子爵様の姿は見ていてとても微笑ましかった。
きっと、ふたりは深く愛し合っていのだろう。そう思うとちょっぴり羨ましくも思えた。
子爵様は一見すると近寄り難いような雰囲気を纏っている。
だが、実は穏やかで優しい人柄をしていて、更にお茶目な一面も持ち合わせる。
目と目を合わせ、会話をする度にいつも、なるほど、とその瞳の奥からも彼の優しい人柄は感じ取れていた。
しかし今、彼から受ける視線、その紺青色の瞳からはそれらが感じ取れない。
全く違う印象――
何だろう……この感じ……
いつもの『父』的な印象とは違く、まるで、『男』が女を『女』として見るかのような……。
私の瞳へ、恍惚とした艶かしい視線が一点に注がれる。
そして、子爵様は次なる言葉を紡ぎ出そうと、口を開いた――
「エミリア――いつからか、私は貴女に魅入られてしまったようだ……」
「……え?」
その衝撃的言葉は私の思考を止め、そのせいで理解にまで及ぶ事が出来ない。
でも、その衝撃もいずれは和らいでいき、遠退いていた思考力が戻ってくる。
そして、丁度その頃に、
「――この私の妻となって欲しい」
子爵様は私にそう告げた。
まずは、それを子爵様から私へ宛てられたプロポーズと理解。
そして更に思考を継ぎ、
――えっ?ちょっと待って。と、いう事は……
今、この瞬間に、私と子爵様との結婚が決まった――否、既に決まっている事を理解する。
そう。貴族から平民への持ち掛けに対して平民の意思は尊重されない。
瞬間、様々な感情が一気に湧き立つ。
――困惑、戸惑い、焦り、諦め、恥心、嬉しみ、悲壮感……
それら感情は複雑に絡み合い、もはや収集不可能。これといった反応も示せずにただただ茫然自失に立ち尽くすのみ。
そんな私に子爵様はハッとしたように視線を揺らし、表情を曇らせた。
「……驚かせてすまなかった。……其方の今の気持ちを聞かせて欲しい」
今の気持ち――分からない。そんな答え、出せるわけがない。
「……今はまだ、その……何と言っていいか……申し訳ありません」
「そうか……いや、私が悪かった。すまない。今の其方に聞くべきではなかった。……ただ、私は其方の心まで欲しいと思っている。それだけは知ってて欲しい」
「…………はい」
ギルバード邸までの帰路、夕陽に焼ける景色を馬車の窓から眺めていると、自然とあの時の事を思い出す。
「――――」
想起されてゆく鮮明な記憶――そして想い……
「……旦那様。」
私は小さく呟いた。
「……今、何と?」
「はい。この度私はリデイン子爵様より結婚を申し込まれました。それ故、退職を余儀なくされた現状をまずはクライン様へ報告を、と思いまして……」
「なんと、まぁ……」
驚いたように目を見開き、言葉を失うクライン様。
まぁ、当然の反応といえばそうなのかもしれない。
ただでさえ平民と貴族との結婚は珍しい。それも親子揃って同じ貴族家への嫁入りはさすがに、前例すら無いと思う。
正直、まだ私の中で心の整理はついていない。湧き立つ全ての感情は未だ複雑に絡み合い、心情としては相変わらずな混沌ぶりだ。
ただ、そんな中でもはっきりと嬉しいと思える事はある。
それはアリアとの関係性についてだ。
貴族と平民という立場になってしまってからというもの、いくら割り切ってはいるつもりでも、やはり娘へ使う敬称、敬語には抵抗感があった。そして、それはアリアも同じ。
あくまで親子の姿勢を崩すつもりは無くとも、そのよそよそしい礼節は正直鬱陶しいと思っていた。
気兼ね無い親子関係に戻れる事は私にとって最大級の喜びだ。
「……正直、残念です」
言ったのはクライン様。
「?」
私はその言葉に疑問符を浮かべる。
「優秀な人材を失うのは本当に残念な事です。貴女にはいずれメイド長に就いて欲しいと思っていたので……」
まさか、ここまで頼りにされていたとは思わず、嬉しさ反面、悲しみが胸を締め付ける。
もっとこの仕事を続けたかった。苦労して得た私の居場所、見つけた生き甲斐、充実した毎日、それら全てを手放す事が本当に嫌で、残念で仕方がない。
「……そうだったのですね。期待に応える事が出来ず申し訳ありませんでした」
事態の根源である子爵様の事を恨むつまりは毛頭無い。誰も悪くない。それは分かっている。
でも悔しい。私はクライン様に頭を下げた。
「貴女が謝る事などひとつもありませんよ。ところで、こちらの方ではいつまで働けるのでしょうか?」
「いえ。まだそこまでは……」
「そうですか。こちらとしましては、次の人材を確保しなくてはいけませんので、可能な限り長く職務に就いて頂ければ幸いです」
「はい!もちろん、そうさせて頂くつもりです」
こうして、私は残されたメイドとしての、ひいてはギルバード邸での日々を大事に大事に過ごそうと決意するのだった。
背後から呼ばれた私の名前。
子爵様の声だ。しかし、同時に感じた違和感。
そう。子爵様は普段私の事をそう呼ばない。
いつもなら、
――『母君』。
これが私への呼称となっていたはずだ。そう思いながら私は恐る恐る振り返る。
「……はい」
比較的線の太い体型ではあるものの、決して太っているというわけではい。筋肉質のがっちりとした体型だ。
紺青色の髪はオールバックに整えられ、深みのある顔立ちに刻むシワは時の流れを感じさせる。
私から見た彼――ハワード・リデイン様は、40代半ば、威厳的で風格ある男性といった印象だ。
アリアの結婚後、度々ここを訪れるようになってから割と子爵様とは砕けた間柄になっていた。
その中で子爵様がよく口していた事。
アリアが嫁いできた事をどんなに自分が喜んでいるのか、どんなに大事に思っているのかを、まるで私へ伝えるかのように話し、それはおそらく彼が私に『娘の事は心配いらない。これからはリデイン家の大事な嫁としてしっかりと守っていく』と、そう伝えたかったのだろうと思う。
平民から貴族の世界へと嫁いで行ったアリアの事を親である私が心配しないわけが無い。
そういった私の煩慮を思い、子爵様は少しでもそれを払拭させようとしてくれていたのだと思う。私としても、その気持ちは素直に嬉しいと思ったし、同時に安心もした。
そんな心のやり取りが交わされる場、子爵様、マルク様、アリア、私と、歓談するその席にマルク様の母――つまりはリデイン子爵夫人の姿は無かった。
子爵様の奥様は2年前に亡くなっており、今の子爵様は独り身。
しかし、亡くなった奥様への愛情は未だ健全の様子で、どれ程美しかったか、どれ程素晴らしい女性だったかを身振り手振りで語る子爵様の姿は見ていてとても微笑ましかった。
きっと、ふたりは深く愛し合っていのだろう。そう思うとちょっぴり羨ましくも思えた。
子爵様は一見すると近寄り難いような雰囲気を纏っている。
だが、実は穏やかで優しい人柄をしていて、更にお茶目な一面も持ち合わせる。
目と目を合わせ、会話をする度にいつも、なるほど、とその瞳の奥からも彼の優しい人柄は感じ取れていた。
しかし今、彼から受ける視線、その紺青色の瞳からはそれらが感じ取れない。
全く違う印象――
何だろう……この感じ……
いつもの『父』的な印象とは違く、まるで、『男』が女を『女』として見るかのような……。
私の瞳へ、恍惚とした艶かしい視線が一点に注がれる。
そして、子爵様は次なる言葉を紡ぎ出そうと、口を開いた――
「エミリア――いつからか、私は貴女に魅入られてしまったようだ……」
「……え?」
その衝撃的言葉は私の思考を止め、そのせいで理解にまで及ぶ事が出来ない。
でも、その衝撃もいずれは和らいでいき、遠退いていた思考力が戻ってくる。
そして、丁度その頃に、
「――この私の妻となって欲しい」
子爵様は私にそう告げた。
まずは、それを子爵様から私へ宛てられたプロポーズと理解。
そして更に思考を継ぎ、
――えっ?ちょっと待って。と、いう事は……
今、この瞬間に、私と子爵様との結婚が決まった――否、既に決まっている事を理解する。
そう。貴族から平民への持ち掛けに対して平民の意思は尊重されない。
瞬間、様々な感情が一気に湧き立つ。
――困惑、戸惑い、焦り、諦め、恥心、嬉しみ、悲壮感……
それら感情は複雑に絡み合い、もはや収集不可能。これといった反応も示せずにただただ茫然自失に立ち尽くすのみ。
そんな私に子爵様はハッとしたように視線を揺らし、表情を曇らせた。
「……驚かせてすまなかった。……其方の今の気持ちを聞かせて欲しい」
今の気持ち――分からない。そんな答え、出せるわけがない。
「……今はまだ、その……何と言っていいか……申し訳ありません」
「そうか……いや、私が悪かった。すまない。今の其方に聞くべきではなかった。……ただ、私は其方の心まで欲しいと思っている。それだけは知ってて欲しい」
「…………はい」
ギルバード邸までの帰路、夕陽に焼ける景色を馬車の窓から眺めていると、自然とあの時の事を思い出す。
「――――」
想起されてゆく鮮明な記憶――そして想い……
「……旦那様。」
私は小さく呟いた。
「……今、何と?」
「はい。この度私はリデイン子爵様より結婚を申し込まれました。それ故、退職を余儀なくされた現状をまずはクライン様へ報告を、と思いまして……」
「なんと、まぁ……」
驚いたように目を見開き、言葉を失うクライン様。
まぁ、当然の反応といえばそうなのかもしれない。
ただでさえ平民と貴族との結婚は珍しい。それも親子揃って同じ貴族家への嫁入りはさすがに、前例すら無いと思う。
正直、まだ私の中で心の整理はついていない。湧き立つ全ての感情は未だ複雑に絡み合い、心情としては相変わらずな混沌ぶりだ。
ただ、そんな中でもはっきりと嬉しいと思える事はある。
それはアリアとの関係性についてだ。
貴族と平民という立場になってしまってからというもの、いくら割り切ってはいるつもりでも、やはり娘へ使う敬称、敬語には抵抗感があった。そして、それはアリアも同じ。
あくまで親子の姿勢を崩すつもりは無くとも、そのよそよそしい礼節は正直鬱陶しいと思っていた。
気兼ね無い親子関係に戻れる事は私にとって最大級の喜びだ。
「……正直、残念です」
言ったのはクライン様。
「?」
私はその言葉に疑問符を浮かべる。
「優秀な人材を失うのは本当に残念な事です。貴女にはいずれメイド長に就いて欲しいと思っていたので……」
まさか、ここまで頼りにされていたとは思わず、嬉しさ反面、悲しみが胸を締め付ける。
もっとこの仕事を続けたかった。苦労して得た私の居場所、見つけた生き甲斐、充実した毎日、それら全てを手放す事が本当に嫌で、残念で仕方がない。
「……そうだったのですね。期待に応える事が出来ず申し訳ありませんでした」
事態の根源である子爵様の事を恨むつまりは毛頭無い。誰も悪くない。それは分かっている。
でも悔しい。私はクライン様に頭を下げた。
「貴女が謝る事などひとつもありませんよ。ところで、こちらの方ではいつまで働けるのでしょうか?」
「いえ。まだそこまでは……」
「そうですか。こちらとしましては、次の人材を確保しなくてはいけませんので、可能な限り長く職務に就いて頂ければ幸いです」
「はい!もちろん、そうさせて頂くつもりです」
こうして、私は残されたメイドとしての、ひいてはギルバード邸での日々を大事に大事に過ごそうと決意するのだった。
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