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第三章 ギルバード侯爵家のメイド

俺の女(ウイリアム視点)

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 ギルバード領は決して貧しい領国ではない。むしろ領内を流れる金の規模で言うなら王都に次ぐ。

 しかし、その経済的潤いは富裕層の範囲でしか回っておらず、領民の皆が皆、豊かな暮らしをしているわけでは決してない。

 ――貧富格差。

 俺はこの難題を何とかしようと、色々と改善策を打ち出し、講じてはいるのだが、残念ながらこれといった成果は未だ出せていない。

「旦那様。ここ一週間の領内の経済状況です」

「あぁ、ありがとう」
 
 領内における金の消費は全て管理されており、それを元に領内での金の流れの詳細が具現化できる。それが定期的に俺のもとへ届けられるのだ。
 俺はその最新が記された書類をクラインから受け取るとすぐにその内容に視線を走らせた。

「やはり、今回もダメだったか……」

 どうやら最近講じたばかりの改善策も、これまでと同じく功を奏さなかったようだ。
 俺は深く溜息を吐いた。

 元々騎士団長として名を馳せた俺はどちらかといえば脳筋タイプ。そんな俺に領地経営はやはり無理な話か……。

 魔物から国を守ったという、武力の面での功績が讃えられての叙爵だったが、最近、領主としての己の手腕に疑問を感じているところだ。

 ギルバードと聞けば普通、経済都市や商業に賑わう繁華街的なイメージを持つ者が多い。しかし、その裏には貧富格差という実態がある事も有名で、ギルバードは昔から『かりそめの経済都市』という位置付けだ。

 そんなギルバードの領主となった当初こそ、俺は何とかこの常態化した憂いを断ち切り、この地に本当の意味で安寧と豊かさをもたらさんと意気込んだものだが、なるほど、常態化してしまった『利益主義』という穢れは中々に厄介で、その立ちはだかる壁に傷ひとつ付ける事すら出来ていない現状に、当初燃え盛っていた俺の志しは今や、蝋燭の灯火の如く力無く揺れているだけ。
 それでも何とかその壁に風穴を空けるべく、喰らい付くように己の知識を高め、思考力を磨き、知恵を絞る事へ全霊を尽くす。

 ただ、いくら努力しようが結果がついて来なければ意味がない。

 極論、『頑張る』や『努力』といった事は誰にでも出来る。貧困に喘ぐ領民からしたらそんな事はどうでもいい。過程などどうでもいい。重要なのは結果だ。

 とはいえ、俺の代わりなどいない。

 ここギルバードは王都に次ぐ第2の都とも呼ばれている。そのような土地を統治するのには勿論それなりの『格』がいる。つまり、高位な爵位を持つ者でないと、国からの承認が得られない。
 故に、結局は俺が領主として今後も在り続けるだろう。

 仮に代わりが立てられたとしても、代わって采配を振るうその者がこの問題を解決に導くとも限らないのだが。

 ともあれ、執務室に籠もってあれこれ考えていても後ろ向きな思考しか出てこない。

「……少し出て来るか」

 俺は凝り固まった頭を休める為、執務室から出た。
 


「おや? 旦那様、お出掛けですか?」

 玄関扉へ一直線に歩く俺にクラインが目を見張りながら声を掛けてきた。

「あぁ」

 俺は歩みを止めないまま簡単に返す。

「護衛は……」

 続く言葉にも同じように対応。

「要らない。少し出て来るだけだ。すぐに戻る」

 爵位を持つ者はどこへ行くにも護衛が付くのが普通だ。だが、俺の場合は必要ない。そしてその理由は誰もが納得するもので。

「左様でごさいますか。では、お気をつけて」

 クラインの見送りの言葉を背中に受けながら玄関扉へ歩み寄る俺の動きを察知したメイド2人が素早く両開きの玄関扉の左右それぞれに立つ。
 そして俺の接近に応じるようにメイド2人が扉を開こうとした丁度その時、

 ――あ。
 
 『メイド』を見て、ふと思い出したように俺は初めて歩く足を止めて背後のクラインへ振り返り、何故か、もの凄く気掛かりだった、ある事を聞くべく、クラインのもとへ早足で歩み寄る。

「……あぁ、そういえばクライン」

「はい。如何されましたか?」

「この前新しく雇ったメイドの事だが……」

「エミリア、でこざいますか?」

「あぁ。最近見ないと思ってだな……」

「エミリアは昨日から休暇中で外泊しております」

「――何?外泊だと?」

 『外泊』と聞いて胸の奥で何かが蠢めく。

「えぇ。確か、実家へ帰ると申しておりました。今日までが休暇ですので、おそらく明日の早朝には戻るかと」

 しかし、クラインのこの言葉ですぐにソレは落ち着いた。

「……そうか、明日の朝か……」

 (待ち遠しい)

 ん? 今、何か言ったか? 俺。

 ふっとクラインが笑みを浮かべる。

「な、なな、何だ?」

 何かを見透かすようなクラインの目に、自分でも不思議な程に何故か狼狽える。

「……いえ。何でも。 ただ、旦那様がメイドを気に掛けるなど、そんな事今まで無かったのに、と思いまして」

「……エミリアは見たところ優秀な人材だ。そんな彼女に早々に退職されては残念だからな。雇い主として従業員に気を掛ける事は当たり前だ」

「本当にそれだけですか?」

 疑惑の視線を強め、一歩こちらへ踏み出すクライン。対して一歩引きながらたじろぐ俺。

「あ、当たり前だ。」
 
「そうですか。……では旦那様、質問です。メイド長の名前は?」

「――!?」

 唐突に投げ掛けられたクラインの問いに思わず口籠もる。

「……正解はアシェリーです」

 知らない。答えを聞いても、顔すら思い浮かばない。

「では、次の質問です」

「――!?」

 クラインの追撃の合図にまたしてもたじろぐ。

「彼女は今日、屋敷に仕事に来て――?」

 そこまで言ってクラインはその後を俺へ投げ掛ける。眉を上げて「ん?」と言った表情で。

 大丈夫。さっきとは違って今度は2択だ。

 俺は自信無さ気に呟くように「いる……」と答えた。

「不正解です。アシェリーは既に退職しております。それも、ひと月も前の事です」

「…………」

 額の汗が頬を伝う。

「旦那様。」

「……な、何だ」

「旦那様の見立て通り、確かに、エミリアは優秀な人材でございます。なので、私はゆくゆくは彼女を『メイド長』にと考えております。故に、くれぐれもには手出しされないようよろしくお願い致します。それに、彼女は平民でございます。旦那様には貴族の格式を重んじて頂かなければなりませんので、どうか御理解の程を」

 『私の部下』と言うクラインに反論するように俺は、

「――うるさい! エミリアは俺の女だ!!」

 本当は『エミリアは俺の従者だ』と言うつもりだった。しかし、実際に口から衝いて出た言葉はソレだった。

 思わず声を張ったせいでクラインはもちろん、周囲のメイド達も動きを止めて唖然といった表情で俺を見る。

 頬を伝っていた汗は顎に集まり雫となってポタポタと床へ落ちているのが感触で分かる。俺は無言で玄関へ振り向き自分の手で玄関扉を開いたのだった。



 外へ出た俺はひとり早足で庭園の遊歩道をひた歩く。
 
 日が傾き始め、空の向こうは薄っすらと赤い。俺は高鳴る鼓動を胸に思慮を巡らす。

 何故あんな事を口走ったのか……。ただ言い間違えただけ?

 いや、俺はエミリアのあの凛とした美しさ、慎ましさ、心の強さに惹かれているのではないだろうか?

 彼女を見ると無意識のうちに目で追ってしまうし、紅茶の給仕に部屋へやって来る時なんかは特に嬉しく思う。
 ただ、紅茶を運んで来るだけ。それを心待ちにしている自分が不思議だった。
 考えてみれば、ここ最近の俺の心は知らず癒やしを得ていたように思う。
 その要因と考えた時、エミリアという存在へ行き着くのは極々自然な考えだろう。

「……これは厄介な事になってしまったな」

 今の出来事で、使用人達の間で俺のエミリアへ対する想いは周知されてしまった。
 エミリアの耳にもその事は当然伝わるだろう。

 思わず気恥ずかしさが込み上げてくる。
 次にエミリアと顔を合わせる時に俺は一体どんな顔をしたらいいのだろうか。

 そんな事を思いながらも、自然と歩く方向は最近のお気に入りの場所へ。

 さっきまで薄っすらだった夕焼け模様も目的地に着く頃には濃いものへと変わっていた。

 少し高い丘の辺りから見下ろす形での絶景に感嘆が漏れ出る。

 黄金色に輝く太陽の一部は海の地平線に隠れ、オレンジ色の光が空を埋め尽くし、海にもその色が反射している。

 太陽の光を受けた砂浜は金色に輝いていて、まるで宝物が埋まっているかのように感じる。波が静かに寄せては返す様子は、まるで自然界のリズムに合わせて踊っているかのよう。そんな夕焼けの美しさに心を奪われ、先程の焦燥感がゆっくりと柔らいでいく。

 そんな絶景の中にひとつの人影を視界に捉える。

 波打ち際にて、スカートを両手で少し摘み上げながら素足で無邪気に波を蹴り上げる女性。
 蹴り上げた水飛沫は太陽の光を帯びてキラキラと女性の周りを舞う。
 
 その光景の美しさに思わず息を飲む。
 直後、その女性の顔を捉えた時に鼓動がドクンと、高く跳ねた。

 俺は彼女の近くへ歩み寄ると、背後から声を掛けた。

「――エミリアか?」

 俺の声にハッとしたように振り返った美貌は金色の太陽をバックに、もはやその光景はどう表現しようにも伝えきるのは難しい。
 そんな美しい光景――エミリアに俺の心の全ては奪われていた。
 
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