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第三章 ギルバード侯爵家のメイド

貴族令嬢はこれだから嫌いなんだ(ウイリアム視点)

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 俺が『侯爵』を名乗るようになったのは今から8年前。当時王国を襲った最強最悪の魔物である黒龍を俺が率いる騎士団が討伐した事により、国を救った英雄として王から俺は『侯爵』を、他の団員達も『子爵』や『男爵』、『伯爵』などと言った爵位を授けられた。
 そして俺は王都に次ぐ第2の都ギルバードの領地を与えられた。

 ギルバード領に住む領民の数はおよそ1万人。世界的にも見ても屈指の規模を誇るが、そもそも規模の話などはどうでも良くて、大小関わらず人々の暮らしを貧しくするも、豊かにするも、領主の経営手腕にかかっている事、これが何よりも重要な事。
 与えられた領地に住む人々に明るい暮らしをさせてやる事、これが今の俺に課せられた責務だ。
 しかし、その肝心の領地経営があまり上手くいっていない。

 その原因となっているのが、領内全体へ行き届くはずの金が部分的にしか回っておらず、つまり富裕層の金は富裕層の中だけで回り、中間層、貧困層まで降りて来ないとうい事だ。
 
 とりあえずは中間層の者達は良いとして、問題は貧困層だ。
 彼等の生活は一日一日をなんとか生き抜いているといった状況で極めて過酷な生活を強いられている。

 この状況はギルバードを第2の都として国が治めていた頃からの長年の課題であって、俺が領主となった現状でもその状況は改善していない。
 富裕層だけが私腹を肥やし、貧困にあえぐ者達は全領民の半数を占める。因みに中間層は約4割程で、富裕層はたったの1割。このたった1割の狭い範囲だけでギルバードの経済(金)のほとんどが回っているのだからその貧富の格差ときたらそれはもう大きくかけ離れ、文字通り天と地ほどの差がある。
 つまり、富裕層に集中し過ぎている金を何とかしてギルバード領全体に行き渡らせたい。そうすれば貧困に苦しむ者も完全にいなくなる、とまではいかないにせよ少なくはなるはずである。

 俺はそんな思いを巡らせながら執務室でひとり、ここ最近の領内の金の動きが記された書類を睨んでいると、

 ――コンコン

「入れ」

 扉がノックされ、俺は視線を書類へやったまま入室を促した。

「お仕事中、誠に失礼致します旦那様。 紅茶をお待ち致しました」

 ん? 聞き慣れない声だ。
 視線を書類から外し、声の主の方へと視線を移す。

「あぁ、ありがとう。 そこへ置いててくれ」

 新しくメイドを雇ったのか。

 入室してきたのは見慣れないメイドだった。
 この屋敷の使用人の人事は全て執事であるクラインに任せてある為、俺が新しくメイドを雇った事を知るのはいつもこの時点だ。

「かしこまりました」

 新人メイドは俺の言葉に慎ましくも気品溢れるお辞儀をすると、手に持ったティーセットを執務机の前の低いテーブルの上へと置いて、少し身を屈めながらカップへ紅茶を注ぎ始めた。
 
 見たところ20代後半、俺と同年代といったところか。年相応の落ち着いた雰囲気を漂わせる彼女を、気が付くと俺は食い入るように見つめていた。

 落ち着きあるブラウンカラーの髪はメイドらしく後ろで纏められていて、髪色と同色の瞳に美しく整った顔立ち。そして、最初に一瞬だけ見せた柔らかな微笑み。

 美しい人だな。
 まず俺は彼女を見てそう思った。

 飾らない美しさ?とでも言おうか。
 元々持つ彼女の容姿の美しさとは別に、まるで清流のような清らかで澄み切った印象を彼女から受けた。
 見てるだけで疲れが癒えていくような、存在そのものが美しいと感じるこんな女性は初めてだ。
 
 紅茶を注ぎ終えた彼女はこちらへ向き直り、口を開いた。

「今日よりこちらで働かせて頂く事になりましたエミリアと申します。よろしくお願い致します」

 彼女――エミリアは再び綺麗なお辞儀をした。

「あぁ。ウイリアム・ギルバードだ。こちらこそよろしく頼む」

 顔を上げたエミリアは、にこっと柔らかな微笑みを作ると、

「では、失礼致します」

 そう言って最後にもう一度お辞儀をして退室して行った。その直後、

「失礼致します旦那様――」

 エミリアと入れ替わるように今度は執事のクラインがやって来た。

「ウルフグッド伯爵とウルフグッド伯爵令嬢がお見えになりました」

「あぁ、分かった」

 俺が領地経営の次に頭を悩ませてせいる事、それは世継ぎ問題だ。つまり、周りが俺に「結婚しろ」とうるさいわけだ。

 俺は溜息を一つ吐くと重い腰を上げ、クラインが仕組んだであろう縁談の場へと向かった。



 応接間の扉を開けるとそこには2人の男女がソファに腰掛けていた。
 俺はテーブルを挟んで向い側のソファに腰を下ろす。

「お待たせして申し訳ない、ウルフグッド伯爵卿」

「いえいえ、とんでもございませんギルバード侯爵様。此度は我が可愛い娘――」

「ミーアですわ! よろしくお願い致しますわ!」

 伯爵の紹介を待たずして割り込んできた声。伯爵の隣りに座っていた伯爵令嬢、名前をミーアと言うらしい。

 貴族の間で今流行の金髪巻き髪にくりっとした目が特徴的な如何にも『貴族!』といった風貌をしている。年の頃合いは20歳か、それよりも少し下といったところだろうか。

 俺への強引な自己紹介の後、ミーアは嬉々とした表情で伯爵へ振り向いた。

「それにしてもイケメンですわね!お父様! わたくし、この侯爵様の事、誠に気に入りましたわ!」

 そして、俺はこういう女が大の苦手だ。

「侯爵様! 我が娘ミーアを、何卒よろしくお願い致します!」

「…………」

 頭を深々と下げる伯爵。俺は無言で眉を顰める。

「お父様、そんなにも頭を下げなくてもこのわたくしが拒まれるわけがございませんわ! ねぇ?侯爵様? 結婚式はいつに――」

「悪いが、この話は無かった事で頼む」

 一体その自信はどこから来るのやら。繰り返すが、俺はこういう女が苦手……いや、嫌いだ。
 俺はミーアの言葉を切って捨て、早々に席を立とうとすると、

「……え? なんで?」

 唖然といった表情で固まるミーア。
 その様子を見て俺は思い直す。
 
 俺との縁談の為にここまで来て貰い、それを一方的に逃げるように立ち去るのはいくら相手が格下貴族とはいえあまりに傲慢な振る舞いで失礼にあたる。
 せめて、彼女に対して思った事は正直に伝え、きっぱりと断るのが礼儀だろう。

 俺は再び腰を落とし、しっかりと向き合ったかたちで口を開く。

「大変失礼な事を言うようだが、私は貴女と結婚したいとは思えそうもない。足労掛けさせた事、大変申し訳なく思うが、お引き取り願いたい。では、私はこれで失礼する」

「……え……」

 容赦ない俺の言葉にミーアの固った表情が更に固まる。そして、その隣りで伯爵はガックリと項垂れている。

 俺は今度こそ席を立った。

「ちょっと待って! 侯爵様――」

 ミーアの声を振り切るように彼女へ背を向け、応接間から退室しようとした丁度その時、壁際で俺へ頭を下げるエミリアの姿が視界に入った。

「エミリア、すまないがあの2人を屋敷の外まで案内してやってくれ。見送りまで頼む」

 そう言うと、エミリアは「かしこまりました」と綺麗なお辞儀をした後ミーアの方へと歩み寄って行った。

 やれやれ、まったく……結婚、結婚と、囃し立てるのも勘弁してほしいものだ。
 そう思いながら俺は大きく溜息を吐こうとした、その時だった。

「――ただの使用人の分際でこのわたくしに帰れと!?」

 振り返ると、ミーアがエミリアへ向け怒鳴り声を上げていた。しかし、エミリアはそれに怯む事なく冷静に対処する。

「大変失礼致しましたミーア様。しかしながら、当家の使用人として主から『お客様を屋敷の外まで案内しろ』と申し付けられた以上、それに従う他ないのです。どうか御理解くださいませ」

「――何ですって!?」

 ミーアは怒鳴り声と共にハンカチをエミリアへ投げつけた。

「そこまでです、ミーア嬢。これ以上の暴言は許しません。当家の使用人への暴言は当家へ対する冒涜と同義。これ以上当家の使用人を貶すならば当家は全力でウルフグッド伯爵家を潰しに掛かるがそれでもよろしいか?これも『侯爵家』としての威厳を保つ為だ。何卒ご理解を」

「な……」

 俺の言葉に青ざめるウルフグッド伯爵。その横では怯む伯爵令嬢。

 俺はミーアへ視線を移す。

「ミーア嬢。 使用人エミリアへ謝罪を」

「――っ!?」

 俺の言葉に驚いたように眼を見開くミーア。

「使用人エミリアへ謝罪をしないのならば、先程の事を実行に移すまで」

 俺はミーアの顔を、目を睨むように見つめた。

「ひっ」
 
 ミーアのうわずった悲鳴が小さく響くと、咄嗟に俺から視線を逸らし下を向く。

「ミーア。 謝罪しろ」

 伯爵がミーアへ小さく促す。ミーアは悔しそうに奥歯を噛み締めたように顔を歪め、ゆっくりとエミリアへ体を向けると、

「……ご、ご……ごめん、なさい……」

 ミーアは怒りにも似たような表情、震えた声で謝罪を口にし、それにエミリアはお辞儀で返した。

 貴族が平民へ頭をさげる。
 貴族としてのプライドが特に高そうなミーアにとって、これ以上の屈辱は無いだろう。

「うむ。では、今日のところはこれでお引き取り願おう。そして、この縁談は無かった事で。足労だけかせさせてすまなかったな」

「いえ、こちらこそ娘が無礼を働いた事、深くお詫び致します」

「…………」

 俺の言葉に深く頭を下げるウルフグッド伯爵。その横では無言で視線を落とすだけのミーア。

 人格者として名高いウルフグッド伯爵の娘だからと、クラインがあまりにしつこかった為、仕方なく臨んだこの縁談だったが、俺とて結婚の必要性は感じている身、正直ウルフグッド伯爵の娘ならばと、少なからず期待感もあった。が、この有様。結局、貴族令嬢へ対する嫌悪を深めただけとなった。

 傲慢で、横柄で、無神経で、わがままで、嫉妬深い……貴族令嬢とはこんなのしかいないのだろうか。
 そう悲観した時、ふとエミリアの顔が浮かんだ。

 ミーアに侮辱された彼女は気に病んでいないだろうか。俺はエミリアのいる使用人宿舎へと足を向けた。
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