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第二章 自立

ギルバード侯爵家のメイドになる為に

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「……寂しい」

 私以外に誰もいない家の中、そんな寂れた静寂の中に私の心の嘆きが独り言となって響いた。

 アリアが結婚してからというもの、独り言が多くなったような気がする。いくら分かっていた事とはいえ、寂しいものは寂しい。

「私ってこんなに寂しがり屋だったんだ」

 寂しさのあまり、実家に身を寄せようとも考えたが、それは何とか思い止まった。

 『自分の足で立って、そして歩き出す。結婚するって事は『大人になる』と言う事でもあるのよ』

 あんなに散々偉そうな事をアリアに言った手前、私が寂しさから逃れるような行動を取っては娘に示しがつかない。
 それに、私は私で、『私だけの』自立した人生を歩きたい、という強い思いがあった。
 要は、私自身がやりたいと思った事をやる――という事である。
 何に縛られる事無く、自由に、私の思うままに生きたいように生きる!

 こんな事を考えるようになったのは、今の私が独り身だから、という理由だけでは無い。

 確かに、私がまだ人妻だった頃や、離婚後アリアと一緒にギリギリの暮らしをしていた頃だったらそんな事を考える余裕は無かった。

 『時間が無かった』――理由としてはそれも大きい。
 だが、それに加えて『お金も無かった』。

 ここ数年はアリアも外で働き、それは貴重な収入源となっていた。
 更には家事をこなす役割も。そのおかげで私はいくつもの仕事を掛け持ちする事が出来たのだ。
 故に、独り身になったからといって『時間』と『お金』に余裕が出たわけではなく、むしろ、もっと貧しい生活を強いられていただろう。――アリアの嫁ぎ先が子爵家でなければ。

 そう。今の私には『時間』にも『お金』にも余裕があるのだ。
 
 今回のアリアの結婚にあたって、子爵家から私へ花嫁支度金としてかなりの金額が婚約時の時と結婚直前との2回に分けて支払われた。
 リデイン領への移住は遠慮させて貰ったが、お金に関しては素直に受け取る事にした。事実、生活は苦しかったし、断る理由も無かったからだ。但し、婚約時点で支払われた1回目の支度金には手を付けずに、アリア自身に持たせようと考えていた。
 いくら貴族家へ嫁ぐとはいっても、アリア自身が自分だけの判断で好きに使えるお金というのは無いはず。
 『自分の金』として気兼ねなく使えるお金を持たせてやりたい。そう思うのは貴族社会という未知の世界へ旅立つ娘を思う親心からだった。
 しかし、アリアはアリアで、これからも平民として1人で生きていく私の事が心配だったらしく、曰く、巨額の金を私が受け取る事で娘は安心して嫁ぐ事が出来ると言う。娘もまた私の幸せを願っていたのだ。
 いずれにしても、これから嫁ぐ娘の不安材料に私があってはいけない。結局私は、半ば押し切られる形で花嫁支度金の全てを受け取る事になったのだった。
 
 こうして経済的余裕を得た私は仕事の掛け持ちをやめ、その中で一番条件の良い仕事だけを続ける事にした。
 但し、最後に選んだその仕事でさえ、いずれは辞めるつもりだ。
 何故なら今の私には興味ある就きたい職というものがあり、続ける事にしたその仕事もあくまでその求人が出るまでの繋ぎに過ぎないからだ。



 1ヶ月が経った頃、領都の掲示板にて、

 『【求人】ギルバード侯爵家のメイドを募集します 【応募資格者】ギルバード領民である事 【経験】不問(経験者、貴族階級に知識のある方は選考時に有利) 【年齢】不問(18~27歳の方は選考時に有利) 【勤務地】ギルバード侯爵邸(基本は住み込みでの勤務とし、通いは要相談。但し選考時に不利になり得る) 【採用試験】筆記試験、実技試験、面接 【採用人数】1人』

 ――きた!! 

 年に1度出るか出ないかの、もの凄く貴重な求人。 私はこの求人が出されるのを待っていた。

 そう。かつて、アリアが私へ勧めた職だ。

 一度募集がかかれば応募者が殺到し、採用倍率も恐ろしい事になるとても人気度の高い職種。

 そんな求人に何の知識も無く、若くもない私がそんな狭き門を潜れる訳がないと、勝てない戦いなど挑戦するだけ無駄だと思い、
 何より、それに要する時間がもったいないと、アリアに勧められた時の私は興味を持ちつつも挑戦はしないという判断に至った。

 ――だが、今の私ならば、

 【経験】不問(経験者、貴族階級に知識のある方は選考時に有利)――一応『不問』とはなっているが実質的にズブの素人ではまず採用される事はないだろう。だが、今の私は『ズブの素人』では無い。リデイン子爵家、即ち貴族家との関わり合いを持つようになり、今の私なら『貴族階級に知識のある方』に該当するはずだ。何せ、表面上だけで無く、しっかりと知識として蓄える為に自ら進んで貴族階級について学んだのだから。貴族社会がどういったものか、その教養を得たアリアから。
 
 【年齢】不問(18~27歳の方は選考時に有利)――……う、うるさいわね。いいじゃない。『不問』って書いてあるんだから。おばさんで悪かったわね。 以上!

 【勤務地】ギルバード侯爵邸(基本は住み込みでの勤務とし、通いは要相談。但し選考時に不利になり得る)――かつての私では住み込みは絶対に無理な条件だった。しかし、今の私の身の上では全く問題無い。むしろ好都合だ。給金を私生活にお金を割かずに効率的にお金が貯められる。この職が人気な理由にもなっている。デメリットとしては仕事とプライベートの線引きがどの程度されているのか、という点。こればかりはやってみなければ分からない。一つ確かな事は同僚間での良き人間関係の構築は最重要項目に挙がるだろう。まぁ、ここら辺の事は採用されてからの話だ。

 【採用試験】筆記試験、実技試験、面接――言うまでもなく、ここが一番の肝となる部分だろう。ここで勝算が立たなければ、採用はほぼ無い。まさに、かつての私の事だ。
 でも今ならばその勝算も幾分かは立つというもの。



「エミリアです! 今日から3日間よろしくお願いします!!」

 私の大きく張った声がここ、リデイン子爵邸、玄関ホールにて響いた。
 そして目の前に立つベテランメイドと思しき中年女性に向かって深々と頭を下げる私に彼女はにっこりと微笑んだ。
 
「メイド長のプシラです。今回、わたくし共が伺っておりますのは、ギルバード侯爵家のメイド採用試験を受けられるというエミリア様へ、その試験対策として、わたくし共の持つメイドとしての心得、スキルをお伝えする。その認識で間違いなかったでしょうか?」

「はい!是非とも、よろしくお願い致します!」

 私の返事にプシラ様は頷き、それから私の事を値踏みするかのような目で上から下へと視線を走らせた。

「……なるほど。かしこまりました」

 値踏みの視線の後の呟くような、それでいて意味深なプシラ様からの返しに自然と肩に力が入る。

 ともあれ、侯爵家の使用人という狭き門を平民の私が潜る為の対策案として、リデイン子爵家で実際にメイドとして働く彼女らに教えを請おうと考えたわけだが、正直、この願い入れは駄目で元々のつもりだった。
 それを快く引き受けてくれたリデイン子爵家へは本当に感謝しかない。

 

 プシラ様曰く、採用試験で特に重視される項目は実技試験と面接らしい。この事から実技試験へ対する指導に重きを置くとの事だが、いずれにせよ、『侯爵家使用人』の採用枠を勝ち取るのはかなり難しいとの事。

「まず大前提にメイドの働く環境が貴族邸、即ち貴族社会である以上、所作や言葉使い、身嗜みは常に心掛けて下さい。『見た目』はとても大事な項目になります」

 『見た目が大事』と聞いて私はハッとした。

 プシラ様は端正な顔立ちをした所謂、『美人』。
 そしておそらく、若い頃から長年ここで勤め上げてきた末の今の『メイド長』という立ち位置と思われる。

 プシラ様以外にも私と同年代、もしくは年上と思しきメイドも散見されるが、基本的には若いメイドが多く、そして、プシラ様を含めた年配メイドに共通して見られるのはベテランの風格。おそらくは皆、若い頃からメイドの職に就き、今に至るのだろう。

 もしや、メイドとは美しい者しかなる事が許されない職業とか……。
 
 だとすれば、私のこの歳で、それも侯爵家のメイドを目指すなんて事は私が思っていた以上に無謀な挑戦だったのかもしれない。そう思ったら、

 『いい歳したおばさんがメイド?それも侯爵家の?身の程知らずも甚だしいとはまさにこの事ね』

 まるでそんな心の声が聞こえてくるような、メイド達の私を見る視線が急に痛く感じる。

 そう心を沈ませる私にプシラ様が不思議そうに声を掛けてきた。

「エミリア様?」

「あ、いや……本当、今更なんですが、私のこの歳でメイドを目指す事に抵抗感を覚えまして」

 私の言葉にプシラ様は溜息を吐き、薄っすらと笑みを浮かべながら口を開いた。

「どうやら、わたくしが申し上げた事に対して間違った解釈がなされているようですね」 

 「いいですか?」、そう前置きを挟みつつ、プシラ様は続ける。

「女性の『美しさ』を測る上で歳は決して関係ありません。先程も言いましたが、所作や言葉使い、身なり、心の美しさが重要です。心が美しい者は自然と見目も美しいものです。そして、おそらくご自身ではお気付きではないのでしょうが、エミリア様はそれを誰よりも体現していらっしゃいます」

 「え?」と言った表情の私にプシラ様は更に続ける。

「先程初めてエミリア様と顔を合わせた時、わたくしは感嘆の念を抱いたのですよ?『流石はアリアお嬢様のお母様』だと。アリアお嬢様の美しさはやはり、お母様から受け継がれたものだったと、そう思ったものです。外見的にも内面的にも。これはあくまでわたくし個人の持論ですが、心が醜い者は幾ら生まれながらに美しい容姿であっても、歳を追う毎にその醜さは見た目にも影響してくるものだと、わたくしは思うのです。逆に心が美しい女性はいくつになっても若々しく美しいものだと、まさにエミリア様はその後者に当たると、そう思った次第です」

「そ、そんな、私のような者に……もったいお言葉です」

 平常心を取り繕うも、否が応でも気持ちが上昇していくと同時に自信も湧き上がってくる。
 そんな私の内心を見透かしたようにプシラ様がクスリと笑った。

「あくまでわたくし個人の持論です。皆が皆そうとは言いませんがね」

 プシラ様はそこで一度言葉を区切り、「それにしても――」と、再度言葉を継ぐ。

「ふふ、エミリア様の今の表情とても素敵ですよ? まったく。世の男達はこんな美人を放って何をしてるんだか。もし、わたくしが男だったなら今すぐエミリア様を口説きに掛かります」

「プシラ様……これ以上、揶揄わないで下さい……」

 さっきから頬が熱くてしょうがない。

「エミリア様は本当に分かり易い御方ですね。分かり易い人に悪い人はいないものです。 ささ、それでは採用試験に向けた特訓を始めていきますよ。ビシバシいくので覚悟してくださいね」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 こうして3日間に渡る猛特訓が始まったのだった。
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