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10:初遠征②

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 一夜明けて、優花は神戸港にあるメリケンパークにいた。

 赤いつづみのような形が印象的な神戸ポートタワーを見ながら、のんびりと歩く。
 風が吹くたびに潮の香りがして、気持ちいい。

「天気予報では最高気温は30℃超えるって言ってたけど、なんか涼しいな」

 過去に戻って思ったことだが、真夏でもだいぶ涼しく感じる。

 令和の日本の夏の暑さは、危険なものだった。
 日中、外を歩く時には、日傘と塩分を含んだ飴などは必須アイテムだったし。
 ハンディファンやネッククーラーを使っても、少し外を歩くだけで滝のような汗が流れてくるほど暑かった。

 それが、過去に戻った今は、鞄に入っている扇子でたまにあおぐだけで大丈夫だ。

「本当に温暖化って進んでたんだなー」

 そんなことを呟きながらの散歩。
 そのままハーバーランドまで足を伸ばして、買い物を楽しんだ。


 買い物を終えた優花は、シティーループに乗って異人館に向かうことにした。
 神戸を訪れるたびにお世話になったシティーループに、懐かしさを感じる。

 緑色のレトロな車体が可愛いシティーループは、主要な観光スポットを周遊してくれるバスだ。
 1日乗車券を買うと乗り降りが自由になるので、神戸に訪れた時にはよく使っていた。

 ホテルのチェックインまでの時間とか。
 移動までの空き時間とか。

 このバスに乗って神戸をぐるりと回れば、お手軽に観光ができるし、時間も潰せて一石二鳥なのだ。


 基本、お金がなかったので、優花は遠征の移動にバスを使うことが多かった。
 夜バスとは、夜行バスのことである。バンギャはなんでも略すのだ。

 東京を夜に出発し、早朝に目的地に到着する夜バス。
 運賃は新幹線や飛行機の半分以下になったりするので、懐の寂しいバンギャがよく使う移動手段だ。

 寝ている間に目的地に着くので、とっても便利ではあるのだが……一点だけ問題があった。
 それは、朝、早く着き過ぎてしまうことだ。
 どのバスも、朝の五時とかに目的地に着いてしまうのである。

 そんな時間に空いているのは、24時間営業のファミレスやファーストフード店くらいだ。
 夜バスが着く場所の近くにある飲食店。
 早朝の客席は、時間を持て余した人の溜まり場になりがちだ。

 かく言う優花も、地方地方のあらゆる土地に、行きつけの24時間営業の飲食店があったりする。
 バンギャの行動パターンなど似たようなもので……青薔薇のツアーの時には、キャリーケースを持った派手なお姉さんが早朝の飲食店に集まったものだ。

 だいたい、みんな武装前のスッピンメガネだったりして、ライブハウスで会う時とは別人だったりするまでが、お約束である。


 そんなことを思い出しながらバスに乗っていると、車窓から優花の行きつけのファーストフード店が見えた。
 何回もお世話になったその店を見て、懐かしさがこみ上げる。

 バスは元町もとまち南京町なんきんまち、旧居留地きょりゅうち、三宮駅を経由して、目的地である北野異人館に着いた。
 三宮からそう遠くない位置にある北野異人館街。
 異国の雰囲気を感じる建物が立ち並ぶこの街は、歴史のあるいくつもの異人館が点在している。

 ガイドブックにもよく載っている風見鶏かざみどりやかたは、国の重要文化財にもなっている人気の観光スポットだ。
 その前にある広場は、優花のお気に入りの場所である。
 広場に置かれたベンチには様々な銅像が座っていて、なんだかお洒落なのだ。
 この広場を訪れるたびに、優花はベンチに座り銅像とツーショットで記念撮影するのが楽しみだった。

 広場でのんびり過ごした後、優花は少し歩いた。
 レトロなおもむきのあるやかた、土産屋などを見て回っているだけでも楽しい。

 前回の初遠征の神戸でも、優花はこの場所を訪れている。
 親友と二人でいくつもの異人館を見て回った。
 中には、民族衣装を借りて写真を撮れる館もあり、記念に着てみたのは良い思い出だ。

 そんなことを思い返しながら歩いていると、12時になっていた。


 北野坂まで戻った優花は、昼食を済ませることにした。
 このあたりはお洒落なお店が多く、入り口に置かれたメニューはどれも目を惹かれるものばかりだ。

 いくつもの店を見て回りながら、優花はこぢんまりとしたカフェに入った。入口に置かれた、手書きの黒板メニューに惹かれたからだ。
 店に入ると、ドアに着いたベルが涼しげな音を奏でる。

 案内された窓際の席に座り、真剣な表情でメニューを見つめる。
 どれも美味しそうで迷ってしまう。
 優花は少し奮発して、日替わりの魚のコースを注文した。

 前菜は、焼き野菜の盛り合わせと小さなキッシュ。
 メインは、酸味の効いたクリームソースをかけた白身魚。

 どちらも盛り付けが綺麗で、食べるのが勿体なく感じてしまう。

 美味しい食事を終えた優花は、ジャズが流れる店内でのんびりと食後のコーヒーを飲んでいた。
 窓の外には観光客の姿が見える。

 ──やっぱり、観光も大事だな……。

 前回のバンギャ人生で優花は青薔薇のほとんどのライブに通っていた。いわゆる、全通ぜんつう組ってやつだ。

 そんな優花の一年のスケジュールは、青薔薇が中心だった。
 年に数回あるツアー。それ以外の時期は、バイトに明け暮れてチケット代や遠征費を稼ぐ日々だ。

 ケーキ屋を辞めた後に全通し始めた優花のバイト先は、24時間営業のファミレスである。
 週6とか、週7とかで深夜で入り。店のシフトが埋まらない時には、ランチやディナーもこなした。

 ガッツリ稼いだバイト代も、チケット代、ドリンク代、ロッカー代、遠征費、服代。
 ツアーが決まれば、あっという間に消えていく。

 常に貧乏だった優花はせっかく遠征で地方に行っても、ご飯はスーパーやコンビニばかり。ひどい時は、安売りの時に買いだめしたカップラーメンを持参することもあった。
 飲み物を買うお金すら節約して、飲み終わったペットボトルを洗い、ホテルで淹れたお茶を冷まして入れていたくらいだ。

 青薔薇の解散後。
 いくつかのバンドのライブや、フェスなどで遠征するようになった。ツアーの中の数か所、行きたい場所に行く程度の軽い感じの遠征だ。
 そんなわけで、少し懐に余裕のあった優花は、お腹いっぱいご当地グルメを口にした。お酒もいっぱい飲んだ。

 そうして色々な土地に行って、思ったのだ。
 あんなに全国飛び回っていたのに、美味しいものも食べずに……損してたな、と。

 そんな経験をふまえて、今回の優花は無理して全通しないことを決めていた。

 せっかく二度目のバンギャ人生を生きるのだ。

 ライブも。
 観光も。
 グルメも。

 一度目の時にできなかった全てを全力で楽しもうと、優花は思っていた。



 そんな優花は昼食を終えると、急いで京都に移動した。
 今夜は、京都ニューズホールで青薔薇のライブがあるのだ。

 四条通しじょうどおりにある京都ニューズホールは、烏丸からすま駅と京都河原町かわらまち駅のちょうど真ん中くらいの場所にある。
 優花の結構好きな箱の一つだ。

 ニューズには珍しいものがある。
 それは、客席の中央付近の左右にある、謎の長椅子だ。

 もっぱらバンギャの荷物置き場と化しているその長椅子だが、運が良ければ、ライブが始まるまでそこで座れたりすることもある。

 だいたいライブ一本は、二時間くらい。開場から開演までの時間を入れると、二時間半~三時間半程度の時間、立ちっぱなしである。
 ライブの時は厚底の靴を履いている優花にとって、そんなに長い時間、立ちっぱなしでいるのは足への負担がハンパない。
 一瞬でも座れる場所があるっていうのは、本当に嬉しいものなのだ。

 そんなお気に入りの箱の近くには、これまた優花お気に入りのお茶屋さんがあった。
 そのお茶屋さんはいつも行列になっているのだが……もちろん優花は行列に並び、ライブ前の腹ごしらえに抹茶のパフェを食べた。

「ごちそうさまでした!」

 美味しいスイーツで腹を満たした優花は、ご機嫌な表情で少し早めに会場に向かった。


 会場に入ると……
 狙っていた長椅子は、残念ながらインディーズ時代からの古株の有名グループが占領していた。
 あそこに入っていけるファンは少ないだろう。

 右には、ダンプさんたちのグループ。
 左には、メンバーのコスをしているグループ。

 ──わー、あのお姉さんたちがいる。懐かしい。

 左側のコスをしているグループの人たちを見て、顔には自然と笑みが浮かぶ。優花は、この人たちのファンなのだ。

 彼女たちは、友達の友達だった。
 そんなわけで、優花は何度か一緒に写真を撮ってもらったことがある。
 すぐ近くでお姉さんたちの衣装やメイクを見て、感動したものだ。

 メンバーが着ているのとそっくりな衣装は、毎回手作りしているのだそうだ。
 髪も、ツアー前にメンバーと同じ色に染めているのだという。
 そんなことを気さくに教えてもらい、感動したことを覚えている。

 CDをリリースする度に、新しい衣装を作ってライブへ参戦する。本当に気合いが入っていて、彼女たちはすごいのだ。


 優花は大好きな彼女たち。
 しかし、彼女たちは古株……それも、青薔薇が全く人気のなかった、初期時代からのファンである。
 そのため、なかなか迫力のある一面も持ち合わせている。

 現在、優花の視線の先では……古株同志の対決が繰り広げられている。
 青薔薇ファンの間で有名な古株のグループはいくつかあるが、どこもだいたい仲が悪いのだ。

 左右に陣取ったどちらのグループも、互いに聞こえるように大きな声で自慢話を投げ合っている。

「昨日、一檎ったら照れちゃって……」
『こないだ、一檎に差し入れしたんだけど……』

「これ、入り待ちの時に牡丹様にサインもらって……」
『たまたま牡丹に会って、喋ったんだけど……』

 ──めっちゃ、バンギャしてる。

 優花は開演前の待ち時間。
 無関心を装いながら女の戦いを見守り、心の中で苦笑いした。


 京都ニューズホールはキャパ250人の小さめの箱だが、8割埋まっているくらいだろうか……。
 ほどほどに人が入っている。

 この日も30分押しで始まったライブは、これまでよりも会場が熱く、数曲で背中に汗をかいたのがわかった。
 だいたい同じセットリストだったものの……今日は『道化師のロンド』をやらなかったのは……まぁ、あれだ。
 きっと、大人の事情というやつだろう。

 終演後に見かけたダンプさんは、一檎のピックを拾ったらしく、大変ご機嫌だった。

 そんな彼女を見て、優花は苦い笑みを浮かべたのだった。
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