22 / 39
第6章 終わりの始まり
6-1
しおりを挟む
「ということで、シオン先生はしばらくお休みになるそうです」
ラーチェがそう告げると生徒の一人が即座に、
「クビじゃないんですか?」
何人もの生徒がうなづく。遅刻率九〇パーセントを越えるその実績?から、生徒たちは辞めさせられたのではと思わずにはいられなかった。
「シオン先生ほど優秀な方が辞めさせられるわけありません」
(優秀……)
カチュアにはラーチェのほうがよほど優秀な教師に思えた。授業はわかりやすいし、真面目で優しくて、時には面白い話をして生徒たちを笑わせてくれもする。上級生のキトに聞いても、ラーチェが遅刻したことは今までに無いという。
「もう一度言います。シオン先生ほど素晴らしい魔法士はこの国にもなかなかいません。あなたたちが羨ましいですよ。私も一緒に授業を受けたいくらいです。すこし、時間にルーズなところがありますが、許してあげてくださいね」
(すこし……)
一昨日、授業終了の五分前にシオンが教室に来たことを思い出す。前回の授業で与えられたソークのコントロール実習の続きだから困らなかったが。明らかに確信犯だ。
「院長先生の話ですと、シオン先生は一週間ほど外出されるそうです。それまで先生の代わりに私がこのクラスを受け持つことになりました。よろしくお願いします」
生徒たちの喜びようにラーチェは苦笑する。
「ところで皆さんは今どのあたりを勉強してるんですか?」
ラーチェは全学年に魔法学を教えているが、自分のクラスを持っていない。
各教師によって授業の内容や進め方が異なるということは、カチュアも聞いて知っていた。
ラーチェがカチュアのほうを向いたので『ここ一週間ほどは、ソークを練って小石を浮かす実習をやってます』と答えた。
「え……」
カチュアは両手で水をすくうような形を作り、小石を手のひらに乗せて浮かせて見せた。石は二センチほど上でぴたりと停止している。
「まだ私はちょっとしか浮きませんが……」
「他の人もそれができるのですか?」
「はい。全員できます」
「……ええと」
「どうしたんですか、ラーチェ先生?」
「それって、二年生で行う実習なのです……けど」
◇ ◆ ◇
「こんにちは」
名無しの少女は開いていた絵本のページを閉じて、カチュアを見る。カチュアは少女の隣に座り、図書館で借りた本を開いた。
「今日はいい天気ですね」
「うん」
学院の中庭には五つのベンチが設置されている。しかし日中木陰になるベンチはここ一ヶ所しかなかった。それに校舎から適度に離れているので静かだ。
どういうわけか今日はいつもより早く授業が終わってしまった。
クラスメイトに街に行こうと誘われたが、カチュアは断ってここに来た。読みかけの本の返却日が近づいているからだ。
「本、好きなのですか」
「うん。でもじおおいから、えをみてる」
少女は大きな絵本のページを開いてみせる。そこには母親と女の子が幸せそうに微笑んでいる絵があった。
カチュアはシナから女の子が戦争孤児であること、学院長であるライザの養女としてここにいることを思い出した。
人見知りが激しく、無口で、ここのところは中庭の草をむしることに夢中らしい。変わった子どもだと聞いていた。
「おねえちゃんは、なによんでるの」
「魔法士のランクについての本らしいのですが……昔の字で書いてあるので、難しくてあまり内容はわからないです」
カチュアは女の子がそうしたように本を見せる。
「おわりははじまり」
女の子は表紙の文字を目で追いながら言った。
「いんちょうせんせいがまえによんでた」
「ライザ様が?」
「うん」
「あの、あなたも旧文字が読めるのですか」
「すこしならった」
「『始まりの終わり』って読むのではないのですか」
こくりと頷く。
「ずっとむかしのきゅうもじだと、またよみかたがちがう」
「……え」
女の子は、女の子の言う『ずっと昔の旧文字』の読み方をカチュアに教えた。
若干のルールが付加されるだけで、旧文字さえ読めれば女の子の説明を理解するのは難しくなかった。注意がいる程度だ。しかしそれを知っているのと知らないのとでは、文の意味がまったく違ってしまう。
「ありがとう」
カチュアと女の子は、それぞれ自分の本を読むことに戻る。風はなく、空気は暖かく、洗濯にも昼寝にも読書にも適した日和だった。
カチュアは女の子のおかげですらすらと文章を読むことができた。本の内容は難しい。それでも格段に理解しやすくなった。
「ねえ、おねえちゃん」
「はい?」
カチュアは、本にしおりをはさむ。
「これつくりかた、しってる?」
絵本を閉じて、表紙をカチュアに向ける。
『てづくりのまほう』というタイトルの下に、寄り添って眠る母と子の大きな絵が描いてあった。本には学院の図書館の管理番号が書いてある。女の子もカチュアと同じように図書館で本を借りたらしい。
「これ?」
「うん」
女の子の小さくて細い指は、娘を包み込むようにして眠る母親の頭のあたりを指していた。
カチュアは、それを見て女の子に、
「はい、知っていますよ」
「ほんとう?」
「私があなたくらいだったとき、作ったことがあります」
その言葉に女の子は目を大きくして興味を示す。人見知りが激しくて無口だと聞いていたが、カチュアの印象はたいぶ違っていた。
「こんど、おしえてほしい」
「はい。いつでも言ってください。今からでもいいですよ」
「こんどがいい」
「わかりました。私の名前は──」
「かちゅあ」
女の子は言った。
「え、どうして?」
「いんちょうせんせいとはなしてたとき、わたしいた」
カチュアは院長室でライザに初めて対面したときのことを思い出してみる。極度の緊張のせいであの場にライザの他に誰かがいたかなんて覚えていなかった。
「ごめんなさい。気づかなくて」
「うん」
きにしないで、と女の子は言った。
「ありがとう」
さっき本の読み方を教わったことも含め、心の底からの感謝を微笑みで表す。その笑顔に女の子も笑みを浮かべる。そして両腕に絵本を抱えて抱きしめ、
「わたしも、ありがとう」
と、はにかみながら言った。
ラーチェがそう告げると生徒の一人が即座に、
「クビじゃないんですか?」
何人もの生徒がうなづく。遅刻率九〇パーセントを越えるその実績?から、生徒たちは辞めさせられたのではと思わずにはいられなかった。
「シオン先生ほど優秀な方が辞めさせられるわけありません」
(優秀……)
カチュアにはラーチェのほうがよほど優秀な教師に思えた。授業はわかりやすいし、真面目で優しくて、時には面白い話をして生徒たちを笑わせてくれもする。上級生のキトに聞いても、ラーチェが遅刻したことは今までに無いという。
「もう一度言います。シオン先生ほど素晴らしい魔法士はこの国にもなかなかいません。あなたたちが羨ましいですよ。私も一緒に授業を受けたいくらいです。すこし、時間にルーズなところがありますが、許してあげてくださいね」
(すこし……)
一昨日、授業終了の五分前にシオンが教室に来たことを思い出す。前回の授業で与えられたソークのコントロール実習の続きだから困らなかったが。明らかに確信犯だ。
「院長先生の話ですと、シオン先生は一週間ほど外出されるそうです。それまで先生の代わりに私がこのクラスを受け持つことになりました。よろしくお願いします」
生徒たちの喜びようにラーチェは苦笑する。
「ところで皆さんは今どのあたりを勉強してるんですか?」
ラーチェは全学年に魔法学を教えているが、自分のクラスを持っていない。
各教師によって授業の内容や進め方が異なるということは、カチュアも聞いて知っていた。
ラーチェがカチュアのほうを向いたので『ここ一週間ほどは、ソークを練って小石を浮かす実習をやってます』と答えた。
「え……」
カチュアは両手で水をすくうような形を作り、小石を手のひらに乗せて浮かせて見せた。石は二センチほど上でぴたりと停止している。
「まだ私はちょっとしか浮きませんが……」
「他の人もそれができるのですか?」
「はい。全員できます」
「……ええと」
「どうしたんですか、ラーチェ先生?」
「それって、二年生で行う実習なのです……けど」
◇ ◆ ◇
「こんにちは」
名無しの少女は開いていた絵本のページを閉じて、カチュアを見る。カチュアは少女の隣に座り、図書館で借りた本を開いた。
「今日はいい天気ですね」
「うん」
学院の中庭には五つのベンチが設置されている。しかし日中木陰になるベンチはここ一ヶ所しかなかった。それに校舎から適度に離れているので静かだ。
どういうわけか今日はいつもより早く授業が終わってしまった。
クラスメイトに街に行こうと誘われたが、カチュアは断ってここに来た。読みかけの本の返却日が近づいているからだ。
「本、好きなのですか」
「うん。でもじおおいから、えをみてる」
少女は大きな絵本のページを開いてみせる。そこには母親と女の子が幸せそうに微笑んでいる絵があった。
カチュアはシナから女の子が戦争孤児であること、学院長であるライザの養女としてここにいることを思い出した。
人見知りが激しく、無口で、ここのところは中庭の草をむしることに夢中らしい。変わった子どもだと聞いていた。
「おねえちゃんは、なによんでるの」
「魔法士のランクについての本らしいのですが……昔の字で書いてあるので、難しくてあまり内容はわからないです」
カチュアは女の子がそうしたように本を見せる。
「おわりははじまり」
女の子は表紙の文字を目で追いながら言った。
「いんちょうせんせいがまえによんでた」
「ライザ様が?」
「うん」
「あの、あなたも旧文字が読めるのですか」
「すこしならった」
「『始まりの終わり』って読むのではないのですか」
こくりと頷く。
「ずっとむかしのきゅうもじだと、またよみかたがちがう」
「……え」
女の子は、女の子の言う『ずっと昔の旧文字』の読み方をカチュアに教えた。
若干のルールが付加されるだけで、旧文字さえ読めれば女の子の説明を理解するのは難しくなかった。注意がいる程度だ。しかしそれを知っているのと知らないのとでは、文の意味がまったく違ってしまう。
「ありがとう」
カチュアと女の子は、それぞれ自分の本を読むことに戻る。風はなく、空気は暖かく、洗濯にも昼寝にも読書にも適した日和だった。
カチュアは女の子のおかげですらすらと文章を読むことができた。本の内容は難しい。それでも格段に理解しやすくなった。
「ねえ、おねえちゃん」
「はい?」
カチュアは、本にしおりをはさむ。
「これつくりかた、しってる?」
絵本を閉じて、表紙をカチュアに向ける。
『てづくりのまほう』というタイトルの下に、寄り添って眠る母と子の大きな絵が描いてあった。本には学院の図書館の管理番号が書いてある。女の子もカチュアと同じように図書館で本を借りたらしい。
「これ?」
「うん」
女の子の小さくて細い指は、娘を包み込むようにして眠る母親の頭のあたりを指していた。
カチュアは、それを見て女の子に、
「はい、知っていますよ」
「ほんとう?」
「私があなたくらいだったとき、作ったことがあります」
その言葉に女の子は目を大きくして興味を示す。人見知りが激しくて無口だと聞いていたが、カチュアの印象はたいぶ違っていた。
「こんど、おしえてほしい」
「はい。いつでも言ってください。今からでもいいですよ」
「こんどがいい」
「わかりました。私の名前は──」
「かちゅあ」
女の子は言った。
「え、どうして?」
「いんちょうせんせいとはなしてたとき、わたしいた」
カチュアは院長室でライザに初めて対面したときのことを思い出してみる。極度の緊張のせいであの場にライザの他に誰かがいたかなんて覚えていなかった。
「ごめんなさい。気づかなくて」
「うん」
きにしないで、と女の子は言った。
「ありがとう」
さっき本の読み方を教わったことも含め、心の底からの感謝を微笑みで表す。その笑顔に女の子も笑みを浮かべる。そして両腕に絵本を抱えて抱きしめ、
「わたしも、ありがとう」
と、はにかみながら言った。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
婚約破棄……そちらの方が新しい聖女……ですか。ところで殿下、その方は聖女検定をお持ちで?
Ryo-k
ファンタジー
「アイリス・フローリア! 貴様との婚約を破棄する!」
私の婚約者のレオナルド・シュワルツ王太子殿下から、突然婚約破棄されてしまいました。
さらには隣の男爵令嬢が新しい聖女……ですか。
ところでその男爵令嬢……聖女検定はお持ちで?
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる