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第23話 呪い

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「お早うございます、桜居さん」

「朝からすみません」

 詠が湯飲みと急須を乗せた盆をもって部屋に入ってくる。
 俺と神主さんの表情を窺いながら、2つの湯飲みを置き、急須からお茶を注ぐ。

「……」

 湯飲みを手に取り、熱いお茶を一口飲む。
 神主さんに対して話をどう切り出せばいいのか、そのことに意識が集中しているせいで、お茶の味はわからなかった。

 着物姿の神主さんは、背筋を張り、美しい黒髪を束ねてまっすぐ背中に伸ばしている。昨夜の神事の疲れは顔に出ていない。

「神事はどうでしたか?」

 部屋を出た詠の足音が遠くなってから、神主さんのほうが先に口を開く。
 その話し方は冷静そのもので、別に俺が神事を見ていたことを咎めているわけではないらしい。

「幻想的で美しい行事だと思いました。でも、」

 俺は言いよどむ。
 率直に自分の感想を話すべきなのだろうか。

「どうぞ続きを。あなたは村の人間ではありませんし、ここには私しかいません。遠慮なさらずに言ってください」

「神事の、散っていく桜の花の美しさに圧倒されながらも──なんて言うか、心の片隅には怖さがありました。昨日の夜、どんな託宣があったのかはわかりませんが、あの瞬間に人の死が告げられているのだとしたら──そう思うと、とても怖かったです。それと、村の人たちが包帯を巻いていましたよね。なにか意味があるのでしょうけど、俺の目にはすごく奇妙に映りました」

「……そうですか」

「村の事情もわからない人間が好き勝手なこと言ってすみません」

「いえ、いいのよ。以前ここに来た方も同じようなことを言っていましたし」

「黒川葉子、ですか?」

「ええ」

「彼女は俺の知り合いなんです」

「……娘が話してくれました。私は黒川さんのことを知っているあなたがここにいらしたという事に、なにかしら運命のようなものを感じています」

 目を伏せ、無駄のない動きで湯飲み茶碗を取り、お茶を飲む。

「そうでしょうか」

「ええ」

 運命か。
 俺にはそうは思えない。

 どうしても俺には、今回の件を運命という便利な言葉で片付けてしまうことができなかった。なにかが引っかかる。

「……」

「今日はどのような御用で?」

 疑問はひとまず頭の隅に追いやっておく。俺は単刀直入に本題を切り出した。

「村の人たちは、一生この村を出ることはできないのでしょうか」

 その言葉に、神主さんはわずかに眉をひそめる。

「できません」

 神主さんは、俺の問いを強く否定した。

「では、どうしてあなたや沙夜たちの母親は、たとえ一時的だったとしても村を出ることができたんですか」

「私やあの子たちの母は例外なのです」

「……例外?」

「たまたま運がよかったというだけのことです。普通の村人たちは、外の世界に出ることはできません」

「では、あなた方は一生、」

「そうです。この村から決して出ることはできません。絶対に」

「世の中には病気でも懸命に生きてる人たちが大勢いるのに、なんでそんな諦めた言い方をするんですか」

「病気? これは『呪い』です」

 そう言うと、神主さんは正座したままの姿勢で、自らの着物の前をはだけはじめた。雪のように肌理きめの細やかな白い肌が露になる。

「な……」

 神主さんの突然の不可解な行動に目を逸らそうとしたが、ゆるやかな双丘の下──腹の部分に俺の目は釘づけとなった。

 それは、闇。

 頭の中が真っ白になった。腹に大きな穴が開いているのだ。でももしこんな、腹部全体に大きな穴が開いているとしたら、人間が生きていけるはずがない。

 あまりの異常さに感覚がついていけない。
 傷、などではない。

 腹の表層が別の空間に繋がっているような、そんな感じにも見える。穴(便宜上穴と呼ぶことにするが)には底というものがなくて、体内の臓器などはまるで見えない。闇の中で果てしなく様々な種類の黒色が混ざり合っていた。

「……う」

 激しい吐き気──気道がきつく締めつけられ、胃の中のものが這い上がってきそうになる。喉がつかえて、正常に呼吸ができなかった。

 これが、呪い?

 どろりとした液体のような闇が目前で蠢いている。
 ふと、穴の中で、黒い、粘液にまみれた蜘蛛やムカデといった蟲が絡み合っているような錯覚を覚える──わからない、闇の陰影によってそう見えてしまっただけなのかもしれない。

 だが、一度思い浮かんだその心象は、なかなか頭から離れなかった。映像に続いて、ぐちゅぐちゅという粘液質な蟲が絡み合う音が耳に入ってくる。

 たぶん実際に音がしているのではない、と思う。
 ついに俺は耐えられなくなり顔を背けた。

「……どうしました? これを直視できないあなたが、私たちに対してなにを言うことができるのでしょうか」

「……」

「私たちは人として生まれながら、人に拒絶され続けてきました。膿なのです。この村の一人一人は、本来人間が分かち合うべき膿の塊……私もそうです。私はこうして生きていますが、村人の平均寿命は三十歳にも満たないのです。村人は沙夜を除いて全員呪いに蝕まれています。程度の違いさえあれ、誰もが例外なく呪われた体で生まれてくるのです。ですが、この村には、呪いを抑える不思議な力があります。村人たちはこの土地を離れることができません。顔や腕や足、全身にこれが広がっている人もいます。村の人たちが包帯を巻いていたのは神事とは関係ありません」

 神主さんは、はだけた着物を着なおして首筋や胸元部分などを整える。
 様々な気持ちを抑え、俺はもう一度向き直った。 

「呪いは恐ろしいものです。この地で加護を受けていてもなお、その苦痛は想像を絶します。詠や彩は、あなたの知らないところで痛みと苦しみに耐えながら、毎日を懸命に生きています。御神木──土地の加護がありますので、なんとか私たちは死なずに済んでいるのです」

「……」

「私たちは努力をしなかったわけではありません。努力を続けて、結局どうにもならなかったのです。いつからこうなったのかはわかりませんが、少なくとも200年以上もの間、私たちは足掻き続けました。しかし、誰にもこの呪いを解くことができませんでした。村人は、この土地とともに隔離され、そしてもう子どもも生まれなくなりました。未来への希望は断たれ、このような──皆がただ死を待つだけの、諦めにも似た状況に行き着いてしまったのです。村はあと10年も持たないでしょう。私が死に、詠が死んでしまったら月使の血も絶え、村人の拠り所がなくなります。そうなれば村は終わりです」

「……」

「安心しなさい。私はあなたに何も望んでいません」

 神主さんは、表情を和らげる。

「俺は、彩や沙夜……村で世話になった人たちの役に立ちたいんです。沙夜のこと、神主さんはどう考えているんですか?」

 神主さんは、静かにお茶を口に含み飲む。

「沙夜には、自分の好きなようにするよう伝えてあります」

「好きなように?」

「村を出るか、それとも留まるか。あの子は残ることを選びました」

「残らざるを得なかった、のでは」

 理由は、彩がいるからだ。

「……そうかもしれません」

「たとえ一時的でも村を出る手段はないのでしょうか。それにさっき神主さんは例外だと言いましたが、どういうことなんですか」

「苦痛には周期があるのです。人によって差がありますが……だいたいは2、3日のうちの数時間くらい。症状が重い人は、常に苦痛と戦わねばなりません」

「でもあなたは、村を出て教師をしていた」

「ええ。私は本当に特別で──過去に例がないのですが、私の周期は約1年なのです」

「その周期の差が村を出ることを可能にした、と」

「そうです。ですが、ここまで周期の間隔が長いのは私だけです」

「沙夜たちの母親は何年も村を出ていたと聞きました。それはやはりあなたと同じように……」

「いえ、あの子は違いました。あの子の症状は、村人の中でも重いほうの部類に入っていました」

「……では、どうして村を出ていられたんですか」

 神主さんは目を伏せ、

「わかりません。あの子が村を出たとき、誰もが死んでしまったと……」

「でも実際に帰って来たのでしょう」

「ええ。それも幼い沙夜と夫まで連れて……とても驚きました」

「村に戻ってきた理由を聞いていますか?」

「彩です。あの子のお腹の中には、彩がいました。自分の本当の子どもが普通の体で生まれてくるのかが不安で、それで村に戻ってきたのです」

 本当の子ども。
 神主さんに他意はないのだろうが、その言葉は、俺の胸に刺さった。確かに血は繋がっていないけれど、あの2人は姉妹だ。

「結局、彩は……」

「ええ。彩も私たちと同じでした。母親は彩のために村に留まることを決めました。そして彼女は夫に沙夜を連れて村を出て行くように言いました」

 彩の母親が村に残ることを決断したのなら、呪いの苦痛を和らげる方法など無いのかもしれない。

 だが、なぜ母親は大丈夫だったんだ?
 それだけが疑問として残る。

「それで?」

「夫はその提案を拒みました。ですがあの子にはわかっていたんです。外の人間がこんな何もない村で暮らしていくことなどできないことを」

「でも沙夜が今も村にいるということは、父親は村を出なかったんですよね」

「……いいえ。彩が生まれて一ヶ月ほど経ったある日、父親は、彩も沙夜も、自分の妻も捨てて村を逃げ出しました」

「……なんで」

「別に不思議なことではないと思います」

「どうしてですかっ!」

「落ち着きなさい。これはもう起こってしまったことなのですから。あなたの気持ちもわかります。ですが、十年以上も前に終わってしまったことなのです」

「……」

「まだ続きがあります。父親は、逃げ出してから一週間後に、御神木の近くの河原で死体となって見つかりました」

「……死んだ?」

「おそらく山道で足を踏み外して川に落ちたのでしょう」

「……」

「沙夜だけは村を出たほうがいいのかもしれません。あの子には悲しいことが多すぎました。あの子は、ずっと自分が父親の連れ子だとは知らなかったのです。両親に連れられてこの村に来て、呪われた妹が生まれ、父親は逃げ出して。そして死んでしまい──その後、自分が母の子では無いことを知らされ、母親も彩の出産で体を壊して早くして亡くなってしまいました……」

「……」

 胸が締めつけられる。
 なぜ一人の人間に対して、これだけ多くの不幸が降りかかるのだろうか。

「沙夜は強い子です。ですがこれだけのことがあって、平気でいられる人間などいません。ましてや女の子です。きつく心を閉じることで、どうにかやり過ごしてきたのでしょう」

「……」

「あなたに、あの姉妹を引き裂くことができますか?」

「……でき……ません」

「そう思ったからこそ、一時期、村を出ていた私のところに来たのですね」

 俺は頷く。

「周期は神がお決めになるものです。どうすることも……」

「あなた方は、沙夜たちの母親が外の世界で生きていられたことについて、調べたのではありませんか?」

 これはあくまで推測だ。
 しかし、可能性は高い。村人たちは、沙夜たちの母がどうやって生きて帰って来たのかに強い興味を抱いたに違いない。

 もしそうなら、村の中心人物である神主さんが関わっているはずだ。

「……ええ。私が皆の代表として何度も話を聞きにいきました。しかし、結局なにもわかりませんでした」

「そうですか…」

「あなたにできることはありません。外にお帰りなさい。これ以上村にいても帰りづらくなるだけだと思います」

 口調は穏やかだが、それ以上話しかけるのを許さない、という厳しい表情をしていた。だが、俺は立ち上がりかけた神主さんに、

「彩は。彩は沙夜の幸せを、沙夜は彩の幸せを望んでいます。でも、2人の願いは、今のままでは相容れないんです」

 だから呪いを解く──もしくは苦痛を軽減させる方法が必要なのだ。
 しかし、村の人たちが200年以上もどうすることもできなかった問題を、俺に解決できるのだろうか。

「きっと、沙夜は彩が呪いで死んでしまうまで、村を出ようとしないでしょうね」

「……」

「私はあの2人を自分の娘のように愛しています。2人が望むのであれば、村から出してあげてもいいと思っています。ですが、」

 一旦、言葉を止め、

「外の世界は、あの子たちを受け入れてくれるのでしょうか」

 俺を見つめる黒い瞳は微かに潤んでいた。
 それは神主さんが初めて見せた、深い悲しみの感情だった。

「俺ができる限りのことをします」

 神主さんは一呼吸おいて、

「……その言葉、信じましょう。しかし、あくまで2人が望むなら、です。ゆっくり話し合って結論が出たらまたここに来なさい」

「わかりました」

「でももし、彩がここを出た直後に死んでしまったとしたら──誰もあなたを責めないでしょうが、それは紛れもなくあなたの責任です。あなたは人の命を背負おうとしているのです」

「……」

「よく考え、決断なさい」


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