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第60話
しおりを挟む「先輩、何かください!」
週末に借りた本をすべて読んでしまった俺は図書室に来ていた。相変わらずここは校内の賑わいから切り離され、静かで、本の匂いが沈殿している。
「話が見えないのだけれど」
やや不機嫌そうに、読んでいる本に落としていた視線をこちらに向ける薙先輩。
金曜ではないので椎奈はいないし、放課後になった直後に図書室に来る物好きは少ないので、狙い通り、二人の状況を作ることができた。
「卒業するなら何かください、という意味です」
「私が? もしかして先週末の宇佐美先生の放送?」
「話が早い、さすが先輩」
「伊月くんにあげるものなんてないわよ。それに……」
「制服のボタン全部ください。いやむしろ制服をください」
「警察呼んでもいいかしら」
「とまあ冗談はさておいて。先輩、何でもいいので何かください」
「……話が変わってないわ」
「いえ、制服もボタン全部も冗談です。ボタン1個でいいですから」
最初に大きく出て、譲歩を引き出す作戦だ。
「嫌よ。もう先約がいるし」
「え? 誰ですか?」
「私の可愛い妹たち」
「たち? 椎奈はわかりますけど」
「カナちゃんよ。あと二院さん。それでおしまい」
「そんな! じゃあ俺はスカー、」
言った瞬間、肘打ちを食らう。
「どれだけ変態なのかしら。伊月くんってそんな後輩だったっけ」
「ここのところ先輩に恋煩いをしていただけで、だいたいこんな感じですよ。1年の頃から。忘れました?」
「はいはい」
「で、何をくれるんですか?」
「どうしてあげることが前提になっているの?」
「他ならぬ先輩ですから。きっと俺に何かくれる筈です。いまも頭の中で何をあげようか考えてくれている筈ですし」
「……まあいいわ。卒業式までに何か考えておく」
「よしっ!」
「なんだか楽しそうね。先週までとは明らかに雰囲気が違うし。伊月くん特有のダークサイドのオーラが出てないわ」
「勝手に闇落ちさせないでください」
いつもの下らないやりとり。
これも来年の春で終わってしまう。3年生の姿を見かけることが少なくなったせいか、このところ、どうも感傷に浸りがちだ。
「進! ここにいた!」
「……あら、カナちゃん。図書館では静かにね」
「ごめんなさい、薙。ちょっと進に用があって。借りていい?」
「……ススム」
薙がニヤつく。
そしてジト目を向けてくる。
「おい、その目をやめろ」
「伊月くんがご機嫌の理由がわかったわ。カナちゃん、こちらの用は済んでるから連れて行って頂戴」
「うん、ありがとう。ごめんね、薙。大好きな進との大切な時間を奪っちゃって。この埋め合わせはするから」
「……言っている意味がわからないわ」
「いいよ。私はわかってるから。じゃ、進もらっていくね」
「人をモノのように扱うな」
さらに文句を付け足そうとしたが、強引にカナに手を引っ張られ、図書室から引きずり出されていく。
しっしっ、と、手の甲をぱたぱたさせている薙。
「おい、そろそろ離せ」
「ダメ」
「どこに行くんだ?」
「屋上で作戦会議」
「なんのだよ?」
「今日、誕生日だから」
「カナが?」
「薙」
「は? 薙先輩?」
屋上へと続いていく階段を上りきり、カナがドアノブを掴んで押し回す。
「進を発見・捕獲したわよ!」
「やっぱり図書室だった?」
「うん。さすが清乃」
「でしょでしょ。さすが私」
屋上には、白貫と多川と二院と椎奈が集まっていた。俺とカナを合わせると6人になる。
「全員集合できたね」
「はい」
「これって何の集まりなんだ? よくわかってねーんだけど」
多川が質問する。
「椎奈から話す?」
「はい。私が言い出したことなので。私から皆さんに相談があります。今日は薙先輩の誕生日なんです。だから、サプライズでお祝いをしたいと思います」
知らなかった。
先輩の誕生日なのに、逆に何かくれとせがんでしまった……。
◇ ◆ ◇
「ということで、また来ました」
俺は再び図書室にやってきていた。室内に薙先輩しかいないことを確認し、背後に合図を送る。
先輩は文庫本の小説を読みながら、
「まだ帰ってなかったの? 今度は何?」
じゃんけんで負けたせいで時間稼ぎ係になってしまった。既に1回ここに来ているので、なんとなく気まずい。
「おめでとうございます」
「……誰から聞いたの?」
「目が怖いですよ、先輩。お祝いの日なんですし、いつもの笑顔で」
「いつもの伊月くん専用の作り笑いで良ければ」
とげとげしい返答と、冷たい微笑みを向けられる。実に損な役回りだ。
「みずくさいですね。誕生日なら誕生日だって、さっき来た時に教えてくれれば良かったのに」
「……教えてどうするの? プレゼントでもくれるの?」
「俺が祝辞を述べます」
「新手の罰ゲームかしら」
「泣きますよ」
「誕生日なんて、ただ私が生まれた日。それだけ。それ以上の価値も、それ以下の価値もないわ」
「ちなみに、俺の誕生日は4月2日です」
「聞いてないから」
「前に先輩、『あと一年、遅れて生まれたかったな』って言ってましたけど、俺があと1日早く生まれていたら、先輩と同学年でしたよ。凄くありませんか?」
「……そうね」
「今日はいい天気ですね」
「朝から一日中曇天なのだけれど」
「だからですよ。晴れじゃなくて良かった」
コンコンと図書室の窓を叩く音。
俺はその合図と同時に、端から遮光カーテンを一気に開けていく。窓の外では、みんな――俺を除いた5人が画用紙を掲げて立っていた。
『お』
『め』
『で』
『と』
『う』
画用紙一杯に、大きな文字で、お祝いの言葉を書いた。それに白貫たち女子が思い思いにハートを描いたり色を塗ったりしてデコレーションをした。
俺は一か所だけ窓を開け、Vサインを出す。腕を出したまま、タイミングを合わせるために、2、1、0と指を折っていく。
「「「「「「誕生日おめでとう、薙先輩!!!!!」」」」」」
俺を含めた6人の声が重なる。
薙先輩は、驚いた表情で、その場に立ち尽くしていた。
「やばい! 先生が来る! みんな解散、逃げるわよ!」
カナを先頭にして校舎裏に消えていく5人。
多川と白貫はともかく、椎奈や二院までこういう無茶に付き合ってくれるようになるなんて。
俺は窓を閉め、カーテンを閉めていく。
「バカね、全員」
「俺はさっき先輩の誕生日を知ったばかりですけど、この先ずっと、毎年の今日はいい日になる気がします」
「……そうかしら。その感情は今だけよ。私は卒業するし、来年の今日は、あなたたちにとって、取るに足らない普通の日になるの」
「1年でそこまで変わらないと思いますけど」
「あなたたちは、そうかもしれない。でも、私が変わってしまう、とは考えないの? ここを去った私は、新しい居場所を見つけて、そちらに傾倒してしまうかもしれない」
「悪いことではないですよね。寂しいですけど」
「私の寂しさも、あなたの寂しさも、時間とともに薄まっていく。読み終えた小説の内容を、徐々に忘れていくようにね」
「昨日カナが言っていました。『生きているだけじゃ物足りない。世界は面白い』って。寂しいは薄まっていく。その通りだと思います。でもそれは、薄まっていくのを何もせずに眺めていたら、という条件つきなんじゃないですか。俺たちは学校という場所で知り合って繋がったのかもしれませんけど、学校を挟まないと繋がれない訳じゃないです。世界は、人と人の繋がりです。繋がりを望むなら、世界の色は濃いままですよ。小説の内容を忘れかけてしまったら、また読み返せばいいんですよ」
「……伊月くんらしくないコメントね」
「先輩が寂しがるからです。しかもなかなか言葉に出さないから分かり難いし。これは卒業式の時に伝える予定だったんですけど、先輩が俺のことを見守ってくれていたこと、すごく感謝しています。椎奈を通じてでもいいですから、卒業しても面白い本を教えてください」
「見守る? 私が伊月くんを?」
「片瀬椎奈と先輩って、血縁関係はないのかもしれませんけど、戸籍上の繋がりがあったりしませんか? 珍しい苗字だし、どうも俺には、先輩たちがまったくの他人とは思えないんです」
「面白いわね、それ。何か根拠はあるのかしら」
「まず先輩ほど勉強ができる人が、特に家が近いわけでもないこの高校に入学してきたことが怪しいです。それと椎奈と名字が同じことも。ハカナには椎奈の他に、もうひとり姉がいたんじゃないか、勝手にそんな想像をしています」
「すごい想像力。伊月くん、小説家に向いているかも」
「違いますか?」
「椎奈と私は、去年この学校で初めて出会った。本当に偶然に。私が言えるのは、そこまでかな」
俺はハカナの件があって入学してから人目を避けるために図書室に通っていた。いつ行っても、先輩は受付で黙々と本を読んでいた。俺は適当な本を取って読み、図書室が締まる少し前に下校する日々を繰り返した。
「すみません、先輩。妄想が過ぎました」
「そうね」
「ついでに、はじめて先輩と話した時のことを思い出しましたよ」
「『毎日ここに来ないで、それ借りて家で読めば?』でしょ」
「はい。俺は『嫌です』って答えましたけど、執拗に図書室から追い出そうとしましたよね、先輩は」
「毎日図書室なんかにいたら、心が病んでいくもの」
「先輩のように?」
「そうね、私のように――と言いたいところだけど、私はどこにいても本を読んでいるから平気」
「俺は結局、何週間か図書室に入り浸りましたけど、先輩がちょくちょく声をかけてくれたから、病まずに済んだのかもしれません」
「単に毎日来られて迷惑だったから。それだけ」
「そういうことにしておきます」
「……ひどい後輩」
俺が笑って返したところで、下校のチャイムが鳴る。
「帰ります?」
「ええ、そうね」
先輩は読んでいた文庫本を鞄に入れる。
「今はどんな本を読んでいるですか?」
「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という小説よ。この前、カナちゃんの家に遊びに行ったときに借りたの。エレナ先生の蔵書だけれど」
「アンドロイドの小説なんてあるんですね」
「人の想像力は果てしないから、探せばどんな小説だってあるわ」
「そうだ。先輩って、アンドロイドを生で見たことありますか?」
「アンドロイド? あるわけないじゃない」
「俺はあります。一緒に住んでいたことも。興味があるなら、歩きながら話しますよ。いや。やっぱり、ぜひ先輩に聞いて欲しいです。真夜中に、空からアンドロイドが降ってきた時の話」
「……ちょっと面白そう。聞かせて」
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