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第54話
しおりを挟むエレナの書斎の本棚には難しい本が隙間なく押し込められている。
本棚に入らない分は、窓際のデスクに1メートルほどの高さで積まれていた。それが3つある。地震が来たら大変なことになりそうだ。
学校から帰ってきたカナは、エレナの車が駐車場に入ってくるのを見計らって書斎を訪れた。昼間の伊月進とのやり取りを詳しく説明して、腕を組んで考え込むエレナの言葉を待つ。
「エレナ、どうしたらいい?」
「選択制緘黙というやつかしら。普段は問題なくこうして話ができていても、特定の場面──カナの場合は伊月の前に立つと言葉が出てこない」
「それって病気なの?」
「まあそうね。あなたの場合、手術が終わって伊月を拠り所にして頑張ってきたから伊月が神格化されたというか──とにかく彼の存在が過剰に大きくなってしまった。あと学校に対する憧れもあったから、そっちも影響しているのかも」
「……明日から学校行きたくない」
「それはダメよ。逆効果。スモールステップでいきましょ。いま伊月に話しかけるのが難しいなら、まずは毎日学校に通うことを目標にするの。伊月と同じクラスで過ごすことに慣れるて、次は彼と仲のいい友達と仲良くなって、それにも馴染んできたら直接本人と話してみる。どうかしら」
「それでうまくいくのかな」
「さあ。でもこれが緘黙治療の基本のはず。最初のうちは、伊月なんていない、空気だと思って、なるべく意識しないでクラスの中で過ごしてみなさい。他のクラスメイトとは問題なく話せるのよね」
「うん。近くの席の仁科さんと山川さんが、色々と話しかけてくれるの」
「それはよかったわ」
「あの、エレナ」
「なに?」
「私、伊月のことが好きなのかな」
「うーん。今日が初対面だから、恋愛的な好きとは違うと思うけど。どちらかというと憧れのスターに会った感じかしら。それが極限に達して目が合っただけで気絶する人もいるくらいだし」
「……極限の憧れ」
「でも伊月は見た目たいしたことなかったでしょ」
「うん、全然普通。エレナの言った通り」
「許して頂戴。私が意図して伊月を大きく見せってしまったから。だけど、あなたがあのリハビリの苦しみを乗り越えるためには必要なことだったの」
「エレナは何も悪くないわ」
「ありがと。最近、体の調子はどうかしら。薬は毎日ちゃんと飲んでる?」
「うん。学校に通い始めて、少し身体がダルい感じがするけど平気」
「あなたはまだ完調じゃないのだから無理しないでね。気になる体調の変化があったらすぐに教えて」
「わかった」
「それと、意識しないようにと思うほど、逆に意識するようになるものだから注意して」
「ありがとう、エレナ」
「一応、私から伊月にも言っておくから。学校に慣れるまで話しかけないように」
「うん」
「前にも言ったけど、あなたは宇佐美カナ。前のカナのことや伊月のことなんて気にしないで好きにやっていいのよ」
「わかってる。でもカナに頼まれてることがあるから。それは叶えてあげたいの」
「そうだったわね。手紙があるんだっけ?」
「うん。それを伊月の前で読み上げて欲しいって」
「何が書いてあるのかしら。カナちゃんは伊月にもボイスメッセージを残しているから、話したいことは伝えたと思っていたんだけど……」
「さあ。私にもわからない」
「勝手に見るのもあれだし、その時を待ちましょう。まずはクラスに馴染んでから、かしら」
「うん。頑張ってみる」
◇ ◆ ◇
エレナ先生は早々に帰ったらしい。
それから御堂先生は、カナちゃんのことなら図書室に行くといいわと俺たちに教えてくれた。
で。
言われるまま図書室にやってきた。
俺と多川、白貫、二院。一気に大繁盛だ。
「カモ」
片瀬薙が俺を指さす。
「よかったな。今夜は鍋パーティーだ」
「二人とも皆さんに失礼です」
「あれ、椎奈」
今日は火曜日だ。珍しい。
「どうしたの、そんな大所帯で」
「薙先輩こんにちは。エレナ先生を探してたのですが、職員室で御堂先生に聞いたらここを案内してくれて」
二院が口を開く。
そういえば、二人は面識があるんだっけ。
運よく、図書室内には俺たち6人しかいない。今なら片瀬姉妹の仕事を邪魔しないで質問ができそうだ。
「ということは、カナちゃんのことね」
「そうですね。何かありましたか?」
俺は簡単に朝の状況を説明する。
「恥ずかしかったからですよ」
椎奈が即答する。
「私、朝カナ先輩に会ったんです。そのとき急に抱きつかれて。伊月先輩に会うことに、とても緊張している様子でした」
「だとよ」
多川が不満そうに言う。
「単にノロケか」
白貫も続く。
「そうね」「ですね」
と、片瀬姉妹も追い打ちをかけてくる。
「ちょっと待て。俺と宇佐美カナは初対面だ。みんなで手術前に会いに行った時の──あのカナとは違う。」
「……伊月くん、しばらくカナちゃんと距離を取ったほうが良いかも。これは選択制緘黙だから」
薙が断定的にそう言ってくる。
「は? せんたくせい……かんもく?」
「はい。一般常識です。」
当たり前のように椎奈も頷く。
この二人は本当に何でも知っている。
「そうそう。俺もそんな感じだと思ってた」
多川が無理に便乗してくる。コイツは絶対に何もわかってない。
「かんもくって?」
白貫が聞くと、
「家族や親しい友人とは話せるのに、特定の状況下では喋れなくなってしまう症状よ。今回の場合、特定の状況は──伊月くん」
「どうして?」
「愛されてるから、じゃない?」
意地の悪い笑みを向けてくる片瀬薙。
「やっぱりただのノロケね」
「だな」
「ですね」
白貫と多川と二院が三段活用のように立て続けに言ってくる。……こいつらは。
「結論。伊月くんからはカナちゃんに話しかけない事。あと、カナちゃんが話しかけてきたときは、優しく丁寧に話を聞いてあげる事」
「ああ。そうする」
これまではカナのことを一人で抱え込んできた。でも今はこうして仲間がいる。口には出さなかったけれど、なんだか嬉しかった。
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