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第45話
しおりを挟む今朝もカナの部屋のドアを開け、キリンのぬいぐるみに挨拶する。
カーテンが揺れていた。
秋も深まり、晴れた日でも肌寒い日も多くって来た。徐々に冬が近づいている。
母さんはいつカナが帰ってきてもいいように、晴れた日は部屋の空気を入れ替えや掃除を欠かさない。
「おはよう」
その言葉は、昨日と同じように、相手を探して虚ろに無人の部屋をさまよい、消えてしまう。
カナはきっとこの家には帰ってこない。
そんな、確信的な予感がした。
**********
休日に早起きするのが久々だったせいか、思わず制服に着替えそうになったけれど、すぐに気がついて私服に着替える。
一階に降りると、珍しく親父が朝飯を食べていた。
「お早う、進」
「おはよう。早いわね」
機嫌の良さそうな母さん。親父はがつがつと山盛りのオムライスを食べている。
「終わったのか?」
「そうみたい」
「お疲れ」
返事は返ってこない。食事の邪魔をするとやかましそうなので、洗面所に向かう。顔を洗って戻ってくると、親父はもう朝食を平らげていた。
「うまかったぞ、母さん」
「そんな食い方してると体壊すぞ」
「おお。進ではないか」
「さっき挨拶したっつの」
「そうだったか?」
真剣に数分前のことを思い出そうと考え込む。しかし、その表情は、仕事中の鬼気迫るものとは打って変わって、温和だった。本当に作品作りは終ったみたいだ。
「あなた、これを見てください」
我慢しきれない感じで、母さんが写真を差し出す。それは、俺が先生からもらってきたカナの写真だ。
仕事に没頭していた親父を気遣って、見せずに隠していたらしい。
「手術、成功したそうです」
「……そうか。それは良かった」
「大変な手術だったようですね……可愛そうに」
写真には、ひまわりの大輪が並ぶ前に、松葉杖をついて立っているカナの姿が写っている。首や両手足、顔を除いた部分には包帯が巻かれ、不機嫌そうな表情でカメラを見ている。
「進はカナさんに会いに行ってきたのか?」
母さんがこちらを向く。
「まだ行ってねーよ」
「……念のため、もう一度聞く。カナさんには、会って来たのか?」
「行ってねー」
「さっさと行って1000年分謝罪して来いッ!!!」
「母さん、メシ」
テーブルの上に置いてある楕円形の大皿を渡す。
「はいはい」
終始親父の言葉を無視し続け、作りたてのオムライスを食べて、椎奈との待ち合わせ場所に向かった。
**********
集合時間は、朝の9時。
駐輪場に100円で自転車を止めて、駅前にやってくると、既に椎奈の姿があった。
「よー」
「あ、おはようございます!」
「おはよう。早いな」
「頑張りました」
自慢げにそう言う椎奈。
「朝、弱いんだっけ?」
「はい。かなり」
そうは見えない。
どちらかと言うと、目覚まし無しでも決まった時間にきっちり起きそうだ。
「もしかして、目覚まし時計を2個持ってるとか?」
「5個持ってます」
「……そりゃ難儀だな」
想像を超えていた。
椎奈は苦笑しながら、腕時計を見て、
「あと5分で電車が来ちゃいます」
俺たちは駅への階段を足早に上る。
椎奈に言われるままに切符を買って、電車に乗り、隣駅で降りる。女物の靴がどこで安く売ってるかなんて俺が知るわけもなく、黙って後ろを着いて行くだけだった。
隣駅の北口を出て、そのまま大通りを真っ直ぐ進み、2番目の交差点を左に曲がるとそれらしい店があった。
専門店らしく、靴の類しか置いてないようだ。
狭い店内にサンダルやヒールや運動靴が乱雑に陳列してある。
「サイズ、わかりました?」
「ああ」
エレナ先生に電話で聞いてメモした紙を渡す。
「……」
「小さいですね」
「そうなのか?」
他人の足のサイズなんて気にしたことも無いからわからない。
「サイズ、あるかなぁ……」
椎奈は、店員に聞きに行く。俺は一人残されてしまったので、なんとなく視線を外に移すと、ショーウィンドウを眺める女の子がいた。
ガラスに両手をつき、一点を見つめている。
──時間が、凍りつく。
カナだった。
髪は短く切られ、とても痩せていたが、間違いない。どこにも包帯は巻かれていない。松葉杖も持っていない。朝の柔らかな日差しを浴び、淡い黄色のワンピースが輝いていた。
「……」
声が出ない。
入り口に向かって歩み寄ることもできない。
状況をうまく認識することができず、意識に体が反応しない。
何秒経っただろう。カナは、食い入るようにその靴を見つめ、店には入らず、最後にため息をつき、その場を去っていった。
「伊月先輩?」
椎奈に声をかけられ、ようやく振り向くことができた。
「これなんてどうでしょう?」
小さな水色の靴を、冷静を装いながら受け取る。
シンプルで好感の持てるデザインだった。
「このサイズだとなかなかいいのが無くて。涼しい感じで夏用っぽいですけど、服との組み合わせで、フルシーズン平気だと思います」
「凄くいいと思う」
感想を言うと、椎奈はとても嬉しそうに微笑み「あっちにも一足あるそうですよ」と、ショーウィンドウの方を指差す。
ついさっきまで俺が眺めていた方向だ。
「……」
椎奈が指差した先は、偶然にもカナの視線の先と一致していた。
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