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第34話
しおりを挟む最初の手紙は、今から10日前──
エレナ先生が突然自宅にやってきて、俺に封筒を手渡し、これから毎日カナの手紙を届けに来ると言った。
「私には、これくらいしかできないから」
先生の去り際の言葉が気になって、俺は玄関先で封筒を開けて便箋の文面を眺め──唖然とした。
俺の知るカナの字とは、かけ離れていた。
カナは一度だけ、母さんと一緒に、夕飯の買出しに行ったことがある。
その時、カナが書いた夕飯の献立と材料のメモを見た。
綺麗な楷書体だった。
一方、エレナ先生が持ってきた手紙は。
子どもがふざけて書いたような、書いた本人さえ何て書いたかわからないような、文字らしきものだった。
まったく読めない。
まるで地震体験車に乗りながら書いたような、汚い字。
漢字なのか、平仮名なのか、カタカナなのか、それすら判別できなかった。
こんなものに対して、どうやって返事を書けばいいのかわからず、そもそもカナが
書いたものとも思えなかった。
俺は悩んだ挙句。
『読めない。口ででも書いてるのか?』
という返事を、封筒の中に入っていた返信用の便箋に書いた。
翌朝、予告どおりにやってきたエレナ先生に手紙を渡すと、その日のうちにカナから返事が来た。
『バカ』
ただその一言だったけれど今度は読める手紙が来た。
しかし、前回と変わりない、震えながら書いたような筆跡だった。
……。
会いに行きたかった。
言葉の枷を取るだけの手術だったはずなのに。
どうしてこんな、文字すらまともに書けない状況になってしまったのだろうか。
手術は、失敗してしまったのだろうか。
《一生懸命考えて、決めたことなんです》
《わたしが会いに行くまで、ここには来ないでください》
エレナ先生は何も答えてくれない。
ただ事務的に、素っ気なく、手紙を届けてくれるだけだった。
どんなに目的地が遠くても。
時間はかかるかもしれないけれど、少しずつでも歩き続けていれば、やがて目的の場所にたどり着く。
レスポンスの悪い掲示板のような、気長な言葉の往復。
交互に一言ずつ言葉を投げる。
ところが全く会話が噛み合わず、カナが俺の書いた内容に反応してくることは滅多になかった。
時間が経つにつれて、
手紙とは呼べないものになっていた。
互いの一行日記のようになってしまったけれど、毎日カナに対してやれることがある、そのことは嬉しかった。
カナとの手紙交換は、小学生のときのラジオ体操のように、夏休みの俺の日課となっていた。
エレナ先生は日に2度やってきた。
朝、手紙を届けに来て、夜、俺が書いた返事の手紙を取りに来る──記録的な猛暑の日、台風が上陸した日、夜遅くなることもあったけれど、一日も欠かすことはなかった。
申し訳なかった。
だけど、やめてくれなんて言えなかった。これが俺の責任なんだ、と自分をどうにか納得させる。
夏が進む。
茹だるような暑さが続く。
たまに多川たちと遊びに行き、図書室や図書館に通い、そこや家で課題をやったり。読書量と遊ぶ時間が増えただけで、休み前とそれほど変化のない日々だった。
手紙のことがあるので、泊まりでどこかに行くことはしなかった。
2週間も経つと、カナの下手だった字は、普通に読めるようになっていた。(画数
の多い漢字は、平仮名で書かれていたけれど)
それ自体は、カナが回復している証拠だし、喜ぶべきことだった。
だが。
気になることがあった。
最初の手紙のことだ。
いい加減に書いた落書きのようで、文でなければ文字ですらない、始めはそう思っていた。
ところが、手紙を整理していたときに、よくよく見直してみると、いくつかの文字が重なっていることがわかった。
何度何度も書き直して、便箋を無駄にして。
そのとき用意できる最後の一枚だったのかもしれない。
それでも上手く書けなくて、間違えて、重ね書きして、仕方なしに送ったのかもしれなかった。
『はじめまして かな』
手紙には、そう書かれていた。
これは。
何を意味しているのだろうか。
俺はこれまでの手紙を机の上に並べてみる。
『はじめまして かな』
《読めない。口ででも書いてるのか?》
『バカ』
《ごめん。手を怪我したりしたのか?》
『天井にえをかいたらいいのに』
《大丈夫なのか? いつごろ帰ってこれるんだ?》
『エレナはりょうりが上手です。おいしい』
《なあ、ちゃんと手紙読んでるか? いつごろ帰って来れそうなんだ?》
『はれ、きらい。あめ、すき』
《本読んだりDVDで映画見たりしてる》
『ひまわり、まだ咲きません』
《今日は夕焼けが綺麗だったな。キリンは今日も元気だったぞ》
『星がくもで見えないです。目をとじて星をそうぞうしました』
《台風が近づいてるな。結構大きいらしい》
『ひまわり、心ぱいです』
《いくら心配でも、危ないから外に出るなよ》
『エレナが守ってくれました。エレナは本当はやさしいです』
《よかったな。またしばらく晴れるみたいだから、今週中に咲くかもな》
『らーめんを少し食べました。おいしかった』
《俺も今日の昼はラーメン食ったぞ。カップラーメンだったけど》
『走るゆめを見ました。気持ちよかった』
《図書室で本を借りてきた。結構面白い。タイトルは「闇に眠る姫君は、世の平穏と自らの死を祈る」》
『ひまわりが咲きそうです』
《スイカを食った。種が多かったけど美味かった》
『咲きました。私もひまわりが好きになりました。綺麗で、嬉しくて、涙が出ました』
《よかったな咲いて》
「カナはね、その日に最も強く思ったことを手紙にしているのよ。自分の中にある強い気持ちを書き表すことで、自らを奮い立たせているの」
ある日、手紙を届けに来てくれた際、エレナ先生がそんなことを言った。俺は意を決して訊いてみる。
「そんなことをする必要があるのは、手術のせいで、カナの体に障害が出たからじゃないんですか」
「概ね正解ね。だけど手術は成功したし、手術後にこうなることは予測の範囲内」
「あんな字しか書けなくなったのにですか?」
「ええ。大成功」
「……」
「とにかく、あの子が『普通』に戻るためには、強い意志が必要なの。カナとの手紙、これからもよろしくね」
「……先生の説明はいつも肝心な部分が抜けてます」
「そうかしら。あなた、ホントは色々なことに気づいているのでしょう? でも、怖くて聞けないだけなんじゃない?」
「……」
「一度、裏切られたから。がむしゃらに突っ走って、日常を捨てて追いかけて、心の底から願って、祈って、それでもあの子を救うことができなかった」
「そうですよ。だから何ですか?」
「2度は無理?」
《二度と御免だ。あんな思いをするのは》
《だけどな、もう一度だけ、願うことにした》
カナに伝えた言葉を思い出す。
「つらいことなんてそこら中にあるのよ。これから先も。その度に、目を伏せて耳を塞いでやり過ごすつもり? あなたはそんなに弱くない」
「……」
「誰かのためにあそこまで懸命になれた強いあなたを閉じ込めてしまった、その分厚い殻をぶん殴って壊してみたら?」
「……俺は強くなんてなかったです」
「あなたは充分やったわ。結果も、悪くない」
「どこがですか! ハカナは死んだんですよ! あの歳で!」
「その子に対しては、まだそんなに必死になれるのね。カナのことは嫌い?」
「……そんなわけないじゃないですか」
「あの子はね、いつだって悩んでいたわ。あなたにまた悲しみを与えることに対して。それでも縋るしかなかったの。あなたしかいなかった」
「なんで……また俺なんですか」
「偶然よ。偶然、伊月だっただけ」
「……」
「せめてあの子の、一番の友だちになってくれないかしら。あの子が一人で歩けるようになるまで、支えて欲しいの」
「先生に言われるまでもないですよ。約束しましたから」
「ありがとう。じゃあこれ、渡しておくわね」
エレナ先生は、小型のICレコーダーを白衣のポケットから取り出して、俺の手に握らせる。
「カナちゃんの遺言よ。心して聞きなさい」
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