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第14話
しおりを挟む夜が明けた。
カナは客間で眠ったままだ。
掛け布団に寝返りを打った形跡はない。
昨夜、エレナ先生と2人でカナを寝かせたときに比べれば、遥かに落ち着いた表
情をしている。
「すー……」
わずかに聞こえる安らかな寝息が、緊張と不安を和らげてくれる。
掛け布団の隙間から、部屋の隅3箇所にある壁コンセントに向かって、6本のコードが伸びている。
充電が必要だとカナが言っていたことを思い出し、エレナ先生に見てもらい、カナの部屋から持ってきたコードを繋いでもらった。
布団で見えないがカナの左右のわき腹あたりに差込口があるのだと先生は教えてくれた。
「ふぁ~はよ~、いつき~」
大あくびをしながらエレナ先生が部屋に入ってくる。
「おはようございます」
「少しは寝た?」
一睡もしていないが、頷く。
「枕が違うと、眠りが浅いわねー」
俺の隣に座り、壁を背に寄りかかる。
「贅沢言わないでください」
「文句じゃないわ。この家は好きよ。質素で。嫌みったらしい装飾品や家具もないし。所々に飾ってある絵画がSHINってのも、いい趣味してる。伊月のお父さんが集めてるの?」
SHIN。
俺の親父、伊月進也の芸名だ。
「……いい趣味? あんなもの子どものお絵描きです」
「私の知る限り、いま世界で5本の指に入る芸術家よ。SHINは」
世界で5番目以内……?
毎日毎日、ひとり引きこもって落書きや粘土遊びばかりしてる、あの親父が?
「あんな堕落人間のこと褒めないでください」
「知ってるの? SHINのこと」
話していいものかどうか躊躇う。
だがこれだけ世話になった先生に隠すのにも気が引ける。
「……親父です」
「は? お父さん? SHINが? 前に私が来たとき、なにも説明してくれなかったじゃない」
先生が驚くのも無理はない。
親父は、マスメディアに姿をまったく現さないので、顔を知る人は少ない。外国人説まで囁かれているほどだ。
「いつもなら聞かれても言わないですよ。一族の恥なので」
「なに言ってんの。誇らしいことじゃない」
「ただの変人です」
「天才には変わり者が多いのよ」
エレナ先生しかり。
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「庭の奥にアトリエがありますから、見たければ、適当に入っていいです」
「……すっごい興味があるけど、今はやめとくわ」
カナを見つめながら、エレナ先生は申し出を断る。
「ねえ伊月」
「なんですか?」
「ひとつ質問。SHINって、ある時期から大きく作風が変わってるでしょう? あれが怪我のせいだって言うのは本当なのかしら」
母さんの精巧な胸像。
わけのわからない粘土の塊。
俺も疑問に思っていたことだ。
「怪我、ですか?」
「むかーしそんな噂を聞いたことがあるのよね。写実的な絵画と造形芸術家として知名度が上がってきた矢先、方向転換しちゃうんだもの。まー、私は以降の抽象的な作品のほうが好きなんだけど」
「その噂、嘘です。俺が生まれてから、親父は風邪だって滅多に引いてませんし」
「それなら、どうしてなのかしらねー。心境の変化、ってやつかしら」
「……」
ハカナが居たとき、家族四人で親父の個展に行ったことがある。そのときはまだ、親父の作品は、動物や昆虫や魚など自然の生物を忠実に模したものだった。
写真。
標本。
実物。
どれを見るのとも違う、新しい、リアリティを超越した世界。親父が創りだした造形物と絵画は、言葉を使うことができない生物を通じて、見る者に何かを訴えかけてきた。
しかし『見た者が感じる何か』は、皆多様で、Aという人が懐かしさを感じた作品に、Bは深い悲しみを感じ、Cは激しい怒りを感じたりする。
具体的に形のあるものが、ひどく抽象的な印象を与える。
今はその逆だ。
歪で抽象的な作品が、直接的な衝撃を与える。普段は飄々としている親父が、作品を通してのみ感情を露にしている。
そして、その感情の根源が何であるのか、俺にはわかる。
──ってよ。
──父さん、──を──って。
「……俺は、」
そいつを抱え上げ、床に落として壊したんだ。
生まれて初めて、親父にぶん殴られた。
俺は痛みも忘れて親父を振り解いて、そいつの欠片さえ残らないように、踏み潰し、床に転がっていた工具で、粉々になるまで砕いた。
親父は立ち尽くしていた。
半年かけて創ったそれを壊されたことよりも、俺の行動に驚きを感じているように思えた。
「お父さんのこと、好きなんでしょう?」
エレナ先生は、俺の頭をかき混ぜるように撫でる。なんだか小学生くらいまで子どもに戻された気分になる。
「……嫌いです」
「素直じゃないわねー。まあいいわ。カナちゃんも目覚めたことだし」
「え、」
カナの瞳が俺を見つめている。
『おはようございます。進さま』
「……おはよう」
『どうしました?』
「ごめん」
『……』
「あなたは倒れたのよ。覚えてる?」
『……宇佐美、さま?』
「調子はどうかしら」
『思い出しました。わたし……』
「ごめん、カナ」
『いえ、わたしが悪いんです』
エレナ先生が俺たち2人のあいだに割って入ってきて、
「どっちも悪くないわ。カナちゃん、私があなたの枷を取り除いてあげるから」
『……不可能です』
「凡人にはね。私、天才だし」
不敵な笑み。
エレナ先生らしい、自信に満ちた笑みだった。
「伊月。悪いけど、しばらくカナちゃん借りるわね」
有無を言わさぬ口調。
先生は俺が嫌だと答えても連れて行くだろう。
『無理です、宇佐美さま』
「本当は、伊月に伝えたいことがあるんでしょ? あなたは、何のために生きてきたの? ここまで来て、あきらめるの?」
『……』
「大体予想はついてるわ。ひとまず私に任せなさい」
「先生……?」
次から次へと疑問が湧いてくるが、エレナ先生はそれを遮るように、
「約束して伊月。なにも聞かないで、今は。あなたの出番は、まだ先だって前に言ったでしょう?」
先生は1人、何を知り、何をしようとしているのだろうか。
「わかりました」
『進さま。わたし……どこにも行きたくないです』
ハカナとの、あのシーンとダブる。
今度は帰ってくる。
カナは必ず、帰ってくる。
心の中で繰り返す。
「嫌なことされたらすぐ家に帰って来い。いつだって、待ってるから」
あのとき、まだ幼くて、言えなかった台詞。
今度は言うことができた。
「大げさよ、あなたたち」
カナは静かに立ち上がる。
その際、繋がっていたケーブルが何本か抜け落ちる。
「車、家の正面に回すから。着替えとか、必要なもの、準備しておいて」
エレナ先生は部屋を出て行く。
カナは、自分の体と壁のコンセントから抜け落ちなかったプラグを抜いて、束ねていく。
「手伝うことあるか?」
『進さまにお貸しいただいた絵本、まだ読んでいないんです』
「いいよ。持っていって」
カナは、何着かの洋服と電源ケーブルの類と固形燃料が入っている小さなケースを
先生の車のトランクに入れ、胸の前に白い絵本を抱えながら助手席に乗る。
『それでは進さま。伊月カナ、行ってきます』
いつものカナだった。
昨日倒れた影響は見受けられない。
「またな」
『はい』
「先生、カナを頼みます」
「恋人との別れみたいね」
「どこがですか」
エレナ先生は、否定する俺に笑いかける。
「ちゃんと学校に行くのよ。私は、休むかもしれないけど。何かあったら、携帯に電話して。あと、私の番号、誰にも教えない事」
「わかりました」
「1、2週間ほどで帰せると思うから」
けたたましいエンジン音とともに、カナを乗せた車は走り去っていった。
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