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弥生
第三話
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いつもアラームが鳴る十分前に目が覚めてしまう。眠気眼でスマホを手繰り寄せて、画面に映り込む時間に息を吐く。土曜の朝だというのに、平日と同じ六時に目が覚めてしまった。寝返りを打てば、隣には泥のように眠っている男の横顔があった。
牧原貴俊は、いい男なのだろう。彫りの深く凛々しい顔立ちは、年を重ねるごとに深みを増して、四十代手前の彼からは、大人の色気のようなものが漂っている。眠っている間に伸びた無精髭ですら、野性的な男らしさを引き立たせているようであった。
あばたもえくぼ。
惚れた欲目というやつだろうか。
ぐっと伸びをして、布団から抜け出すと、カーテンを少し開いて朝の光を浴びた。雲一つない清々しい春の陽気に、目を細める。洗濯日和だ。部屋に差し込んだ日光に、貴俊が煩わしそうに寝返りを打ったので、カーテンを閉めた。音を立てないように、部屋から抜け出して一階におりる。脱衣場にある洗濯機を回しながら、タイル張りの寒い風呂場で、シャワーを浴びるとサッパリとした。
手狭な台所の冷蔵庫には、料理人の彼が作り置きしてくれている常備菜が並んでいる。特に決まりはなく、好きに食べてよいことになっている。好物の肉じゃがを見つけて、口元が緩んだ。
適当に選んだおかずを電子レンジで温めて、フライパンにベーコンを並べて玉子を割った。ジュージューと香ばしい油の匂いに、腹が鳴る。そうして居間のちゃぶ台に、一人分の食器を並べた。
「いただきます」
手を合わせて、一人きりの朝食を。貴俊の作った肉じゃがも、いつもの優しい味付けで、ほっとする。早々に食べ終わって、「ごちそうさま」と手を合わせようとしたところで、ギシギシと階段の軋む音が響いた。
「おはよう」
居間に現れたのは、寝癖をつけたまま眠そうな顔の男。
「おはよう。……今日は早いんだな」
「……たまにはな」
掛け時計を見上げて八時過ぎであることを目に留める。十時まで寝ているつもりだと思っていたが、随分と早起きだ。俺の隣に、どしりと大きな身体で座り込んできたので「朝食を用意しようか?」と尋ねた。けれど、貴俊はあくびをしながら、首を横に振った。
遠くで洗濯機の終わったことを告げる電子音が聞こえてきた。空になった食器を重ねて立ち上がろうとするも、腕を掴まれる。
「……真人は今日、家に居るよな?」
「うん、まあ、出掛ける用事はないけど」
「そうか」
俺は休日だが、貴俊にとっては、一週間で最も仕事の稼働が上がる日である。
「ランチ、手伝おうか?」
「助かる」
貴俊は、くすりと小さく笑った。つい、仏心で手伝いを申し出てしまった。
最近「だんや」では、週末限定でランチを始めた。メニューは一つだけ、三十食限定の売り切り。
「じゃあ、バイト代はツケと相殺で」
「はいはい、」
冗談めかして笑いかけると、頭をポンポンと叩かれた。ツケもバイト代も、どんぶり勘定で適当なものである。
ふと奥の襖が目に留まった。牧原貴俊の両親が使っていた寝室は、今は使われていない。小さな仏壇には、牧原夫妻の遺影が飾られている。
牧原貴俊は、天涯孤独の身であった。幼い頃に母親を亡くし、成人を迎えた頃に父親を亡くした。兄弟のいない貴俊は、この家に独りで住んでいた。店で酔い潰れた常連客を居間に転がすことはあっても、あの広い寝室に入れることはない。謂わば、この家の聖域なのだ。
俺は、生前の貴俊の両親に会ったことはない。貴俊は高校を卒業すると、板前修業として京都の料亭に住み込みで働いていたらしい。そんな最中に、定食屋を営んでいた彼の父親が亡くなった。
それから数年後に、彼はこの場所に「だんや」の看板を出したのだ。ランチを始めることにしたのも、定食屋の頃から付き合いのある馴染み客からの「親父さんの定食をもう一度食べたい」などいう酔っ払いの戯言が切欠である。
たぶん、きっと、貴俊の父親は、いい父親だったのだろう。この生家も、この店の味も、貴俊は守りたいと思っているのだから。
牧原貴俊は、いい男なのだろう。彫りの深く凛々しい顔立ちは、年を重ねるごとに深みを増して、四十代手前の彼からは、大人の色気のようなものが漂っている。眠っている間に伸びた無精髭ですら、野性的な男らしさを引き立たせているようであった。
あばたもえくぼ。
惚れた欲目というやつだろうか。
ぐっと伸びをして、布団から抜け出すと、カーテンを少し開いて朝の光を浴びた。雲一つない清々しい春の陽気に、目を細める。洗濯日和だ。部屋に差し込んだ日光に、貴俊が煩わしそうに寝返りを打ったので、カーテンを閉めた。音を立てないように、部屋から抜け出して一階におりる。脱衣場にある洗濯機を回しながら、タイル張りの寒い風呂場で、シャワーを浴びるとサッパリとした。
手狭な台所の冷蔵庫には、料理人の彼が作り置きしてくれている常備菜が並んでいる。特に決まりはなく、好きに食べてよいことになっている。好物の肉じゃがを見つけて、口元が緩んだ。
適当に選んだおかずを電子レンジで温めて、フライパンにベーコンを並べて玉子を割った。ジュージューと香ばしい油の匂いに、腹が鳴る。そうして居間のちゃぶ台に、一人分の食器を並べた。
「いただきます」
手を合わせて、一人きりの朝食を。貴俊の作った肉じゃがも、いつもの優しい味付けで、ほっとする。早々に食べ終わって、「ごちそうさま」と手を合わせようとしたところで、ギシギシと階段の軋む音が響いた。
「おはよう」
居間に現れたのは、寝癖をつけたまま眠そうな顔の男。
「おはよう。……今日は早いんだな」
「……たまにはな」
掛け時計を見上げて八時過ぎであることを目に留める。十時まで寝ているつもりだと思っていたが、随分と早起きだ。俺の隣に、どしりと大きな身体で座り込んできたので「朝食を用意しようか?」と尋ねた。けれど、貴俊はあくびをしながら、首を横に振った。
遠くで洗濯機の終わったことを告げる電子音が聞こえてきた。空になった食器を重ねて立ち上がろうとするも、腕を掴まれる。
「……真人は今日、家に居るよな?」
「うん、まあ、出掛ける用事はないけど」
「そうか」
俺は休日だが、貴俊にとっては、一週間で最も仕事の稼働が上がる日である。
「ランチ、手伝おうか?」
「助かる」
貴俊は、くすりと小さく笑った。つい、仏心で手伝いを申し出てしまった。
最近「だんや」では、週末限定でランチを始めた。メニューは一つだけ、三十食限定の売り切り。
「じゃあ、バイト代はツケと相殺で」
「はいはい、」
冗談めかして笑いかけると、頭をポンポンと叩かれた。ツケもバイト代も、どんぶり勘定で適当なものである。
ふと奥の襖が目に留まった。牧原貴俊の両親が使っていた寝室は、今は使われていない。小さな仏壇には、牧原夫妻の遺影が飾られている。
牧原貴俊は、天涯孤独の身であった。幼い頃に母親を亡くし、成人を迎えた頃に父親を亡くした。兄弟のいない貴俊は、この家に独りで住んでいた。店で酔い潰れた常連客を居間に転がすことはあっても、あの広い寝室に入れることはない。謂わば、この家の聖域なのだ。
俺は、生前の貴俊の両親に会ったことはない。貴俊は高校を卒業すると、板前修業として京都の料亭に住み込みで働いていたらしい。そんな最中に、定食屋を営んでいた彼の父親が亡くなった。
それから数年後に、彼はこの場所に「だんや」の看板を出したのだ。ランチを始めることにしたのも、定食屋の頃から付き合いのある馴染み客からの「親父さんの定食をもう一度食べたい」などいう酔っ払いの戯言が切欠である。
たぶん、きっと、貴俊の父親は、いい父親だったのだろう。この生家も、この店の味も、貴俊は守りたいと思っているのだから。
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