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12月29日(土)
第90話
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他者をカテゴライズするのは、難しくはない。目に見えるものを、或いは対象者がそう見せたいものを見て「たぶんこういう人間なのだろう」と定義付ければいいのだから。それはほとんどの人間が無意識に行っていることだ。
けれど、対象者に強い興味を持ってしまえば、目に見えないものまで知ろうとするならば、定義付けたはずのカテゴライズは呆気なく崩れ始める。本来、人間は多面的で多角的な生き物であるからだ。
矢口暁斗という人間に深く関われば、関わるほどに、彼がどんな人間なのか、何を考えているのかが、理解できなくなってくる。
いや、理解とは、点と点を結ぶために、それらしい線を脳内で描いているだけの、そんな誤解の上で成り立っているものなのかもしれなかった。
コートとジャケットを脱いで、ワイシャツとスラックスのままベッドに横になると、後ろから抱きすくめられた。背中いっぱいに男の体温を感じて、軽く身体を強張らせた。
「祐介」
暁斗は掠れた声で、小さく俺の名前を呟いて、首筋に顔を埋めた。右手の上に暁斗の右手が、左手の上に暁斗の左手が重なって、足の間に暁斗の膝が差し込まれる。首の辺りに暁斗の息遣いを感じて、くすぐったい。
互いにスーツのままピタリと身体を密着させていると、少し妙な気分にならないこともないけれど、暁斗は黙って、俺の右手に嵌められた指輪を撫でるばかりだった。
「営業、やりたいのか?」
暁斗の反応は鈍かった。
この状況で聞くのは躊躇われたが、喉元に感じた引っかかりを無視し続ければ、後から深刻な問題となって自身に突き刺さる、というのは経験上、痛いほど知っていた。
「今は営業なんて考えていません」
「じゃあ、いつ考えていたんだ?」
なるべく、なんでもないことのように尋ねた。
「去年、第一グループの仕事をしていたときに、SEは自分に合わないような気がして、その頃に、篠田さんに少し不満をぶつけてしまっただけです」
「俺が神戸に常駐していた頃だな。篠田さんは、なんて?」
「今やってることは無駄にはならないから、いずれタイミングが来て、そのときに営業に興味があれば、異動も考えようって」
「そうか」
俺自身も第一グループに配属していた頃があったから、暁斗が言わんとすることはわからなくもなかった。けれど、俺はそれでもSEを辞めたいとは思わなかった。
暁斗はそうではなかった。「営業」というワードが彼の頭に浮かんだのなら、それは、俺とは違う未来を想い描いたのだろう。
「営業って、うちの会社の営業でもいいのか? 確かに営業SEやコンサルなら、今やってることは活かせそうだな」
「だから、営業はもういいんです」
暁斗は苛立ったように語気を強めた。少し身動いで、顔だけ振り返った。怪訝な顔つきの暁斗に、責めるつもりはないのだと、微笑みかけた。
「SEが本当にやりたい仕事なのか?」
「瀬川さんと一緒に働けるなら、それがやりたい仕事ですよ」
薄く笑って唇を重ねられる。何か誤魔化しのようなものを感じて、唇を押し退けた。
「暁斗に告白されたとき、俺は確かにプロジェクトが破綻しないようにって、それを真っ先に考えた。でも、それだけじゃなくて、俺のせいで暁斗に好きな仕事を辞めて欲しくなかったんだ。けど、俺のせいで、暁斗が、やりたい仕事を諦めるようなことになるなら……」
「そんなこと、ありませんよ」
「誤魔化すなよ」
暁斗は溜め息を吐いて、上半身を起こすと、俺に背を向けた。
「祐介と働きたいから、側にいたいからって理由じゃ、納得してくれませんか?」
「暁斗の人生なんだから、ちゃんと自分のキャリアプランを考えるべきなんじゃないのか?」
「みんながみんな、祐介みたいに『仕事が一番』って人間じゃありませんよ。食べるために、やりたくない仕事をしてる人の方が多いんじゃないですか? 仕事より大切なものがあったとして、それを否定する権利なんて、祐介にはありませんよね?」
苛立ちを露にする背中に手を伸ばした。
暁斗の口にする言葉は正論に聞こえた。
「後輩の矢口」の言葉であれば、それで納得することもできただろうし、上司として優秀な部下を手放すなど愚策でしかない。けれど、「暁斗」に対しては、それで引き下がるわけにはいかなかった。
「俺は、暁斗にも、純粋に仕事を楽しいって思ってもらいたいんだ。仕事って一日八時間も時間を消費するだろ? それなら、その時間を楽しいものにしたいじゃないか」
「それは、祐介の哲学ですよね?」
暁斗は振り返って、俺の腕を掴んだ。眉を曇らせながら、睨み付けられる。
「俺にまで、その価値観を押し付けないでください」
吐き出した言葉と、俺の腕を掴む手は、僅かに震えているようだった。
「一緒には、もう、働けない」
暁斗の眉がピクリと揺れた。
「Yシステムをリリースしたら、俺はプロジェクトを離脱する」
「それは、知っていますよ。でも、いつか、また一緒に仕事できますよね?」
暁斗は俺の頬に手を伸ばして、親指で唇を撫でた。
「できない」
唇が重なる前に、言葉が飛び出した。暁斗は固まって、それから、じっと俺の瞳を覗き込んだ。
「俺は、暁斗と仕事を続けていく自信がない。だから、このプロジェクトを最期にするつもりでいる」
ブラウンの瞳が揺れた気がした。暁斗は俯いて、それから俺に触れていた手を離した。
「…………シャワー、浴びてきますね」
暁斗の右の手首を掴んだけれど、左手がやんわりと俺の手を、ほどいていった。バスルームに消えていく後ろ姿が、どこか心許なくて、けれど、追いかけようにも身体が硬直して動けなかった。
けれど、対象者に強い興味を持ってしまえば、目に見えないものまで知ろうとするならば、定義付けたはずのカテゴライズは呆気なく崩れ始める。本来、人間は多面的で多角的な生き物であるからだ。
矢口暁斗という人間に深く関われば、関わるほどに、彼がどんな人間なのか、何を考えているのかが、理解できなくなってくる。
いや、理解とは、点と点を結ぶために、それらしい線を脳内で描いているだけの、そんな誤解の上で成り立っているものなのかもしれなかった。
コートとジャケットを脱いで、ワイシャツとスラックスのままベッドに横になると、後ろから抱きすくめられた。背中いっぱいに男の体温を感じて、軽く身体を強張らせた。
「祐介」
暁斗は掠れた声で、小さく俺の名前を呟いて、首筋に顔を埋めた。右手の上に暁斗の右手が、左手の上に暁斗の左手が重なって、足の間に暁斗の膝が差し込まれる。首の辺りに暁斗の息遣いを感じて、くすぐったい。
互いにスーツのままピタリと身体を密着させていると、少し妙な気分にならないこともないけれど、暁斗は黙って、俺の右手に嵌められた指輪を撫でるばかりだった。
「営業、やりたいのか?」
暁斗の反応は鈍かった。
この状況で聞くのは躊躇われたが、喉元に感じた引っかかりを無視し続ければ、後から深刻な問題となって自身に突き刺さる、というのは経験上、痛いほど知っていた。
「今は営業なんて考えていません」
「じゃあ、いつ考えていたんだ?」
なるべく、なんでもないことのように尋ねた。
「去年、第一グループの仕事をしていたときに、SEは自分に合わないような気がして、その頃に、篠田さんに少し不満をぶつけてしまっただけです」
「俺が神戸に常駐していた頃だな。篠田さんは、なんて?」
「今やってることは無駄にはならないから、いずれタイミングが来て、そのときに営業に興味があれば、異動も考えようって」
「そうか」
俺自身も第一グループに配属していた頃があったから、暁斗が言わんとすることはわからなくもなかった。けれど、俺はそれでもSEを辞めたいとは思わなかった。
暁斗はそうではなかった。「営業」というワードが彼の頭に浮かんだのなら、それは、俺とは違う未来を想い描いたのだろう。
「営業って、うちの会社の営業でもいいのか? 確かに営業SEやコンサルなら、今やってることは活かせそうだな」
「だから、営業はもういいんです」
暁斗は苛立ったように語気を強めた。少し身動いで、顔だけ振り返った。怪訝な顔つきの暁斗に、責めるつもりはないのだと、微笑みかけた。
「SEが本当にやりたい仕事なのか?」
「瀬川さんと一緒に働けるなら、それがやりたい仕事ですよ」
薄く笑って唇を重ねられる。何か誤魔化しのようなものを感じて、唇を押し退けた。
「暁斗に告白されたとき、俺は確かにプロジェクトが破綻しないようにって、それを真っ先に考えた。でも、それだけじゃなくて、俺のせいで暁斗に好きな仕事を辞めて欲しくなかったんだ。けど、俺のせいで、暁斗が、やりたい仕事を諦めるようなことになるなら……」
「そんなこと、ありませんよ」
「誤魔化すなよ」
暁斗は溜め息を吐いて、上半身を起こすと、俺に背を向けた。
「祐介と働きたいから、側にいたいからって理由じゃ、納得してくれませんか?」
「暁斗の人生なんだから、ちゃんと自分のキャリアプランを考えるべきなんじゃないのか?」
「みんながみんな、祐介みたいに『仕事が一番』って人間じゃありませんよ。食べるために、やりたくない仕事をしてる人の方が多いんじゃないですか? 仕事より大切なものがあったとして、それを否定する権利なんて、祐介にはありませんよね?」
苛立ちを露にする背中に手を伸ばした。
暁斗の口にする言葉は正論に聞こえた。
「後輩の矢口」の言葉であれば、それで納得することもできただろうし、上司として優秀な部下を手放すなど愚策でしかない。けれど、「暁斗」に対しては、それで引き下がるわけにはいかなかった。
「俺は、暁斗にも、純粋に仕事を楽しいって思ってもらいたいんだ。仕事って一日八時間も時間を消費するだろ? それなら、その時間を楽しいものにしたいじゃないか」
「それは、祐介の哲学ですよね?」
暁斗は振り返って、俺の腕を掴んだ。眉を曇らせながら、睨み付けられる。
「俺にまで、その価値観を押し付けないでください」
吐き出した言葉と、俺の腕を掴む手は、僅かに震えているようだった。
「一緒には、もう、働けない」
暁斗の眉がピクリと揺れた。
「Yシステムをリリースしたら、俺はプロジェクトを離脱する」
「それは、知っていますよ。でも、いつか、また一緒に仕事できますよね?」
暁斗は俺の頬に手を伸ばして、親指で唇を撫でた。
「できない」
唇が重なる前に、言葉が飛び出した。暁斗は固まって、それから、じっと俺の瞳を覗き込んだ。
「俺は、暁斗と仕事を続けていく自信がない。だから、このプロジェクトを最期にするつもりでいる」
ブラウンの瞳が揺れた気がした。暁斗は俯いて、それから俺に触れていた手を離した。
「…………シャワー、浴びてきますね」
暁斗の右の手首を掴んだけれど、左手がやんわりと俺の手を、ほどいていった。バスルームに消えていく後ろ姿が、どこか心許なくて、けれど、追いかけようにも身体が硬直して動けなかった。
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