上 下
67 / 95
12月21日(金)

第65話

しおりを挟む
「瀬川さん、どんな魔法を使ったんですか?」

 給湯室でコーヒーを淹れていると、ぴょこんと小柄な女が顔を覗かせた。いつもはストレートの黒髪だが、今日は少しウェーブかかり、花柄のスカートも華やかで、一段と可愛らしい。そんな彼女の言葉の意味がわからなくて、小首を傾げた。

「佐々木さんですよ。佐々木さんが、今日の打ち上げに参加するんです」
「そうか。よかった。参加することにしたんだ」

 佐々木の参加は諦めていたが、どうやら前向きに考えてくれたらしい。

「私から声かけても、全然ダメだったんですけど、瀬川さんに誘われたからって」

 大きな瞳をキラキラと輝かせて、有沢は俺のことを見上げてくる。小動物のような愛らしさで、思わず顔がゆるんだ。

「佐々木くんは、人見知りだから、女性に誘われても照れ臭くて断ってしまったんじゃないかな?」
「んー、そんなもんですかね。でも、飲み会にイケメンが増えるのは大歓迎です」

 ふふっと楽しそうに笑う有沢に、釣られて笑ってしまう。

「有沢さんって、矢口くんみたいなのがタイプだと思っていたよ」
「あー、まあ、そうですね。矢口さんは、鑑賞用です」

 鑑賞用、とはなんだろうか。
 シューシューと音を立て、蒸気を発するコーヒーメーカーが、最後の一滴をマグカップに落とした。有沢に場所を譲ると、彼女は自身のタンプラーをコーヒーメーカーの下にセットした。カフェラテモードに切り替えながら、有沢は話を続ける。

「矢口さんは、目の保養って感じですね。あんなに隙がない人だと、付き合ったら気後れして、疲れそうじゃないですか? スッピン見せられない感じって、わかります?」
「そうなんだ?」
「そうですよ。それに、好みのタイプが年上のバリキャリなんですって。よほど自分に自信がある人じゃないと矢口さんとは、付き合えないと思います」

 なるほど。完璧すぎるイケメンも、女性からすると難ありなのだろうか。暁斗の散々な言われようと、自分が直面している気後れを言い当てられたようで、思わず、笑ってしまう。

「でも、瀬川さんも、なかなかの地雷だと思いますけど」
「え?」

 有沢が、振り返って、じーっと見つめてくる。急に矛先が自身に向けられて、思わず一歩、後退る。

「瀬川さんは『みんなの瀬川さん』ですもん」
「なんだよそれ」
「瀬川さんは、誰にでも分け隔てなくお優しいですよね。でも、人によっては自分に気があるのかもって、勘違いしちゃう人もいると思いますよ」
「勘違い?」
「ほら、しかも、自覚ないじゃないですか?」

 有沢は、俺の鼻先を指差してきた。

「私、第二グループに配属されてすぐに他の部署の女子会に参加したときに、優しい先輩方に『瀬川には気を付けなさい。口説かれてそうな雰囲気を出してくるけど、真に受けると痛い目を見るわよ』とご忠告をいただいたんですよ」 

 女性間のネットワークは恐ろしい。まさか、俺の遠い過去の失敗なんかも、未だに語り継がれていたりするのだろうか。

 まだ若手社員だった頃、仲良くしていた女性の先輩に誤解されたことがあった。俺の言い分としては、同僚と呑みに行っているだけのつもりだったのだけれど、誘われるままにサシで呑んだのが悪かったのだろう。あるときに、話の流れで、彼女がいることを口にした瞬間、顔を真っ赤にして、責め立てられてしまった。

 それから、女子社員とはサシで呑みに行くことはしなくなった。当時は、リスク管理など頭になかったのだ。深い溜め息を吐く。

「もしかして、女子社員に嫌われてるのかな?」
「違いますって」

 有沢は手を振って否定した。

「ただ、瀬川さんの彼女さんになる人は、気が気じゃないだろうなぁとは思います。彼氏には『私だけが特別』であって欲しいじゃないですか? それなのに、全然、安心させてくれなさそうですもん」

 俺の繊細な心を、無遠慮にグサグサと刺してくる有沢に、思わず苦笑いしてしまう。

「それは、俺に対するアドバイスと受けとればいいのかな?」
「いえ、私的にはそのまま『みんなの瀬川さん』でいてもらいたいです」
「でも、地雷なんだろ?」

 苦笑いしたまま小首を傾げる。

「んーでも、私は瀬川さんの、そういうところ、嫌いじゃないですよ」

 有沢が、厳しい表情から、悪戯っ子のように微笑んだ。十歳も年下の女の子に叱られて、小馬鹿にされているこの状況が、案外、悪くない。

「あはは、ありがとう。俺も有沢さんの明るくて、歯に衣着せぬストレートなところは好きだよ」

 有沢が「そういうところですよ」と、すかさずツッコミを入れてきた。本当に彼女はここ数ヵ月で素顔を見せてくれるようになったなぁ、なんて感心する。

 ガシャンと乾いた破裂音が響いた。

 驚いて有沢と音のする方に顔を向ければ、給湯室の入り口で、呆然としている矢口と目が合った。けれど、矢口は、直ぐに視線を逸らす。足元には、矢口が愛用していた割れたマグカップの破片が飛び散っている。

「すみません、落としてしまいました」
「大丈夫か?」
「ええ、」

 俺に見向きもせずに、矢口はしゃがみこんだ。有沢が給湯室の奥から、ホウキとチリトリを取り出した。

「ありがとう。自分で片付けるから、気にしなくていいよ」

 片付け始めようとする有沢から、矢口はさりげなく掃除用具を受け取り、気が利く後輩に優しく微笑みかけた。俺は手持ち無沙汰で、後輩二人が、肩を寄せ合って、ガラスの破片を片付けていくのを、眺めるしかない。どこか落ち着かなくて、手の中の温かいマグカップを撫でた。

 矢口は、昨日から俺と目を合わせてくれない。



    
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

投了するまで、後少し

イセヤ レキ
BL
※この作品はR18(BL)です、ご注意下さい。 ある日、飲み会帰りの酔いをさまそうと、近くにあった大学のサークル部屋に向かい、可愛がっていた後輩の自慰現場に居合わせてしまった、安藤保。 慌ててその場を離れようとするが、その後輩である飯島修平は自身が使用しているオナホがケツマンだと気付かないフリをさせてくれない! それどころか、修平は驚くような提案をしてきて……? 好奇心いっぱいな美人先輩が悪手を打ちまくり、ケツマンオナホからアナニー、そしてメスイキを後輩から教え込まれて身体も心もズブズブに堕とされるお話です。 大学生、柔道部所属後輩×将棋サークル所属ノンケ先輩。 視点は結構切り替わります。 基本的に攻が延々と奉仕→調教します。 ※本番以外のエロシーンあり→【*】 本番あり→【***】 ※♡喘ぎ、汚喘ぎ、隠語出ますので苦手な方はUターン下さい。 ※【可愛がっていた後輩の自慰現場に居合わせたんだが、使用しているオナホがケツマンだって気付かないフリさせてくれない。】を改題致しました。 こちらの作品に出てくるプレイ等↓ 自慰/オナホール/フェラ/手錠/アナルプラグ/尿道プジー/ボールギャグ/滑車/乳首カップローター/乳首クリップ/コックリング/ボディーハーネス/精飲/イラマチオ(受)/アイマスク 全94話、完結済。

振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話

雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。  諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。  実は翔には諒平に隠している事実があり——。 諒平(20)攻め。大学生。 翔(20) 受け。大学生。 慶介(21)翔と同じサークルの友人。

ゴミ捨て場で男に拾われた話。

ぽんぽこ狸
BL
 逃げ出してしまった乎雪(こゆき)にはもう後が無かった。これで人生三回目の家出であり、ここにきて人生の分岐点とも思われる、苦境に立たされていた。    手持ちのお金はまったく無く、しかし、ひとところに留まっていると、いつの間にか追いかけてきた彼に出くわしてしまう。そのたびに、罵詈雑言を浴びせられるのが、心底いやで気力で足を動かす。  けれども、ついに限界がきてそばにあった電柱に寄りかかり、そのまま崩れ落ちて蹲った。乎雪は、すぐそこがゴミ捨て場であることにも気が付かずに膝を抱いて眠りについた。  目を覚まして、また歩き出そうと考えた時、一人の男性が乎雪を見て足を止める。  そんな彼が提案したのは、ペットにならないかという事。どう考えてもおかしな誘いだが、乎雪は、空腹に耐えかねて、ついていく決心をする。そして求められた行為とペットの生活。逃げようと考えるのにその時には既に手遅れで━━━?  受け 間中 乎雪(まなか こゆき)24歳 強気受け、一度信用した人間は、骨の髄まで、信頼するタイプ。  攻め 東 清司(あずま せいじ)27歳 溺愛攻め、一見優し気に見えるが、実は腹黒いタイプ。

ハメられたサラリーマン

熊次郎
BL
中村将太は名門の社会人クラブチーム所属のアメフト選手た。サラリーマンとしても選手としても活躍している。だが、ある出来事で人生が狂い始める。

理香は俺のカノジョじゃねえ

中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

上司と雨宿りしたら、蕩けるほど溺愛されました

藍沢真啓/庚あき
BL
恋人から仕事の残業があるとドタキャンをされた槻宮柚希は、帰宅途中、残業中である筈の恋人が、自分とは違う男性と一緒にラブホテルに入っていくのを目撃してしまう。 愛ではなかったものの好意があった恋人からの裏切りに、強がって別れのメッセージを送ったら、なぜか現れたのは会社の上司でもある嵯峨零一。 すったもんだの末、降り出した雨が勢いを増し、雨宿りの為に入ったのは、恋人が他の男とくぐったラブホテル!? 上司はノンケの筈だし、大丈夫…だよね? ヤンデレ執着心強い上司×失恋したばかりの部下 甘イチャラブコメです。 上司と雨宿りしたら恋人になりました、のBLバージョンとなりますが、キャラクターの名前、性格、展開等が違います。 そちらも楽しんでいただければ幸いでございます。 また、Fujossyさんのコンテストの参加作品です。

処理中です...