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11月24日(土)
第27話
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熱めのシャワーを浴びて一息吐くと、矢口が用意してくれたルームウェアに袖を通した。部屋に戻ってみると、旨そうな匂いが鼻をくすぐる。急に腹が減ってくる。匂いの元を辿ると、ローテーブルに並べられた綺麗な料理に辿り着き、目を丸くした。
「簡単なものですが、」
ワンプレートに収まっているのは、白米の上に肉そぼろが乗せられ、その上に半熟の目玉焼きが乗っている料理だった。その上、レタスやミニトマトが散らされていて、見た目にも華やかだった。
「なんだこれ」
「タコライスですけど、苦手でしたか?」
「いや、そうじゃなくて、旨そうだなと」
コトンと手作りらしき野菜スープが追加される。ここはカフェか何かだろうか。確かに矢口はカフェでのバイト経験があるらしいが、キッチン担当だったのだろうか。それとも、この料理はバイトとはなんの関係もないのだろうか。
ソファを背凭れにして、並んでラグに腰を落として、いただきます、と二人で手を合わせる。
タコライスという料理を初めて口にしたが、しっかりとした肉の味と、トマトの酸味、ピリっと辛いスパイスが食欲をそそる。外食とはどこか違う家庭的な優しい味付けに、自然と顔がほころんだ。
なるほど。家めし派というのはこういうことなのだ。俺には、とてもこんな洒落た料理は作れないけれど。
「矢口くんって一人でも生きていけそうだな」
スプーンを口に含もうとしていた矢口の手が止まり、無表情でこちらに視線を向ける。
「どういう意味ですか?」
「あ、いや、生活力があるから、結婚しなくても困らないんだろうなと。深い意味はないんだけど」
矢口の眉がぴくりと動く。
「瀬川さんは、結婚したいんですか」
「今すぐしたいってわけじゃないけど、この歳になったら周りもうるさいし、人並みに焦りもあるよ。まあ、相手がいないから、したくてもできないんけど」
「相手がいれば、結婚したいってことですか?」
矢口の顔が曇っていく。不味いと思ったが、言葉を続けるしかなかった。
「矢口くんだって、いつかは結婚するだろ?」
「俺は、結婚なんてしたくないです」
「若いなぁ」
苦笑いを浮かべてしまった。確かに、俺だって二十五の頃は、結婚なんて遠いものだった。真面目に考えたことがなかった。
いつかは結婚したい。
けれど、今ではない。いつか。そのうち。
いい人に出会えたら。
ずっとそんな気持ちでいたし、今だってそうだ。何も変わっていない。けれど、周囲はそれを良しとしない。
仕事に忙殺されれば、そんな雑音を紛らわせることもできたが、友人から結婚報告がある度に、少しずつ焦燥感が募っていく。これから付き合う相手は、きっと結婚を前提として考えるべきなのだろう。
二十五歳の俺だったら、ただ好きだという気持ちだけで、恋愛ができただろうか。後先など考えずに、飛び込んでいけただろうか。けれど、三十二歳の俺には、もうそれが難しくなっている。
矢口の輝くような眼差しが、盲目的な情熱が、妬ましいとさえ思う。
「これは、別れ話ですか?」
矢口が俯いて、震える声で問うてくる。
「そんなつもりじゃない。……それに、俺から別れるなんて言えないだろ?」
「それって、別れたいって言っているようなものじゃないですか」
空気が凍りつく。肩を震わせ、言葉を振り絞る矢口に、かける言葉が見つからず、ただ背中を擦ってやることしかできない。
俺には矢口と前向きには付き合えない。終わせ方ばかりを考えてしまう。
いつか、必ず、矢口は目が覚める。
明日なのか、半年後か、一年後か、もっと先なのか、いつかは、わからないけれど、その日は確実に訪れる。そして、矢口は、ちゃんと素敵な女性と結婚するだろう。矢口暁斗は男が好きなわけじゃないんだから。瀬川佑介が女であればよかった、というぐらいには、女の身体の方がいいのだから。
「瀬川さんが俺との未来を考えられないのは、わかりました。…………でも、せめて、ちゃんと諦めるための時間をくれませんか」
Yシステムのリリースが完了すれば、俺はプロジェクトから離脱する。他社に常駐すれば、矢口と顔を会わせることは、ほとんどなくなるだろう。そうなれば、きっと時間が解決してくれるはずだ。
期限が定められたことで、急に肩の力が抜けた。心の底から安堵した。
すでに矢口の存在が心地好く感じ初めている自分が怖くて仕方がなかったのだ。重ねた肌の温もりだとか、与えられる快楽だとか、甘く囁かれる言葉だとか。そんなものに、少しずつ絆されて、ふとした瞬間に、全て明け渡してしまいそうになる。
今は、まだ、矢口の「好き」言葉の重みに追い付いている気がしない。けれど、そう遠くはないうちに、そうなってしまうような予感がしていた。このまま矢口と離れられなくなるのではないかと思うと、不安で仕方がなかった。
けれど、今ここで、矢口が引き返してくれるなら、きっとまだ、お互いにやり直せるだろう。
「矢口くんが気が済むまで付き合うよ。楽しい思い出つくろうな」
矢口は俯いたまま、自分自身をぎゅっと拳を握りしめて「はい」と小さく頷いた。
今、初めて、この歪な関係を大切にしたいと思えた。矢口暁斗という男に、ようやく向き合える気がしたのだ。
「簡単なものですが、」
ワンプレートに収まっているのは、白米の上に肉そぼろが乗せられ、その上に半熟の目玉焼きが乗っている料理だった。その上、レタスやミニトマトが散らされていて、見た目にも華やかだった。
「なんだこれ」
「タコライスですけど、苦手でしたか?」
「いや、そうじゃなくて、旨そうだなと」
コトンと手作りらしき野菜スープが追加される。ここはカフェか何かだろうか。確かに矢口はカフェでのバイト経験があるらしいが、キッチン担当だったのだろうか。それとも、この料理はバイトとはなんの関係もないのだろうか。
ソファを背凭れにして、並んでラグに腰を落として、いただきます、と二人で手を合わせる。
タコライスという料理を初めて口にしたが、しっかりとした肉の味と、トマトの酸味、ピリっと辛いスパイスが食欲をそそる。外食とはどこか違う家庭的な優しい味付けに、自然と顔がほころんだ。
なるほど。家めし派というのはこういうことなのだ。俺には、とてもこんな洒落た料理は作れないけれど。
「矢口くんって一人でも生きていけそうだな」
スプーンを口に含もうとしていた矢口の手が止まり、無表情でこちらに視線を向ける。
「どういう意味ですか?」
「あ、いや、生活力があるから、結婚しなくても困らないんだろうなと。深い意味はないんだけど」
矢口の眉がぴくりと動く。
「瀬川さんは、結婚したいんですか」
「今すぐしたいってわけじゃないけど、この歳になったら周りもうるさいし、人並みに焦りもあるよ。まあ、相手がいないから、したくてもできないんけど」
「相手がいれば、結婚したいってことですか?」
矢口の顔が曇っていく。不味いと思ったが、言葉を続けるしかなかった。
「矢口くんだって、いつかは結婚するだろ?」
「俺は、結婚なんてしたくないです」
「若いなぁ」
苦笑いを浮かべてしまった。確かに、俺だって二十五の頃は、結婚なんて遠いものだった。真面目に考えたことがなかった。
いつかは結婚したい。
けれど、今ではない。いつか。そのうち。
いい人に出会えたら。
ずっとそんな気持ちでいたし、今だってそうだ。何も変わっていない。けれど、周囲はそれを良しとしない。
仕事に忙殺されれば、そんな雑音を紛らわせることもできたが、友人から結婚報告がある度に、少しずつ焦燥感が募っていく。これから付き合う相手は、きっと結婚を前提として考えるべきなのだろう。
二十五歳の俺だったら、ただ好きだという気持ちだけで、恋愛ができただろうか。後先など考えずに、飛び込んでいけただろうか。けれど、三十二歳の俺には、もうそれが難しくなっている。
矢口の輝くような眼差しが、盲目的な情熱が、妬ましいとさえ思う。
「これは、別れ話ですか?」
矢口が俯いて、震える声で問うてくる。
「そんなつもりじゃない。……それに、俺から別れるなんて言えないだろ?」
「それって、別れたいって言っているようなものじゃないですか」
空気が凍りつく。肩を震わせ、言葉を振り絞る矢口に、かける言葉が見つからず、ただ背中を擦ってやることしかできない。
俺には矢口と前向きには付き合えない。終わせ方ばかりを考えてしまう。
いつか、必ず、矢口は目が覚める。
明日なのか、半年後か、一年後か、もっと先なのか、いつかは、わからないけれど、その日は確実に訪れる。そして、矢口は、ちゃんと素敵な女性と結婚するだろう。矢口暁斗は男が好きなわけじゃないんだから。瀬川佑介が女であればよかった、というぐらいには、女の身体の方がいいのだから。
「瀬川さんが俺との未来を考えられないのは、わかりました。…………でも、せめて、ちゃんと諦めるための時間をくれませんか」
Yシステムのリリースが完了すれば、俺はプロジェクトから離脱する。他社に常駐すれば、矢口と顔を会わせることは、ほとんどなくなるだろう。そうなれば、きっと時間が解決してくれるはずだ。
期限が定められたことで、急に肩の力が抜けた。心の底から安堵した。
すでに矢口の存在が心地好く感じ初めている自分が怖くて仕方がなかったのだ。重ねた肌の温もりだとか、与えられる快楽だとか、甘く囁かれる言葉だとか。そんなものに、少しずつ絆されて、ふとした瞬間に、全て明け渡してしまいそうになる。
今は、まだ、矢口の「好き」言葉の重みに追い付いている気がしない。けれど、そう遠くはないうちに、そうなってしまうような予感がしていた。このまま矢口と離れられなくなるのではないかと思うと、不安で仕方がなかった。
けれど、今ここで、矢口が引き返してくれるなら、きっとまだ、お互いにやり直せるだろう。
「矢口くんが気が済むまで付き合うよ。楽しい思い出つくろうな」
矢口は俯いたまま、自分自身をぎゅっと拳を握りしめて「はい」と小さく頷いた。
今、初めて、この歪な関係を大切にしたいと思えた。矢口暁斗という男に、ようやく向き合える気がしたのだ。
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