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見舞客

第116幕

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 患者がシャワーを浴びている間に、病室は整えられていた。汚れたベッドは、洗い立ての白いシーツに取り換えられ、床に散らばった白い花弁は片付けられていた。
 そうして、ベッドの脇には医療器具が並べられており、その傍らに佇むのは、長身の白衣の男であった。
 綺麗な病衣を着込んだ薫が、脱衣場から現れれば、医療器具を準備していた男は振り返る。

「…………ぇ、」
「内診を行いますから、こちらに、」

 目を細めて微笑んでいるであろう男に、薫は酷く動揺し、後退った。その背中を優しく押したのは、同性の看護師であった。

「大丈夫だよ。宮沢先生は、婦人科が専門だし、番もちゃんといるから、」
「……でも、」
「感染症を起こさないように、治療するだけだから、ね?」 

 子供をあやすように語りかけられて、薫は俯きながらも、どうにか頭では納得しようとした。
 促されるままに検温すると、ベッドに仰向けに寝そべり、自ら下着を脱いだ。
 それでも、足を開いて股を露にすれば、動悸がして、息が浅くなる。
 薄手のゴム手袋を手に嵌めているアルファの男と目が合って、薫は羞恥と恐怖に顔を強張らせた。
 汗に濡れた冷たい手に、不意に温かい手が重ねられて、薫は視線をベッドの脇に流した。

「カオルくん、僕の顔を見てて、」

 男に乱暴された直後に、医師とは言えアルファ性の男に性器を晒すことは耐え難い苦痛であろう。
 それでも医療行為を行えるのは、医師免許のある者以外には許されていなかった。
 本条看護師は、自分のできる限りのことを勤めようと、被害者であり、患者である少年の手を握り、微笑みを貼り付け続けていた。

 見つめ合う美しいオメガたちの横顔を一瞥すると、婦人科の医師は、患者の患部を指で触れた。
 薫は、ぴくんと身体を震わせたが、笑みを浮かべているオメガを見つめたまま動かなかった。
 医師は患者の様子を見ながら、オメガの男特有の生殖器官である穴を拡げて、内部を探った。裂傷から血が流れて、紙のカバーを汚したが、想定よりも傷口は酷くはないようであった。綿棒を差し入れ、中の粘液を採取する。
 婦人科の医師は、手慣れたように的確に触診と検査を終えると、タブレットに指を滑らせ、電子カルテに結果を書き留めていった。

「内診は終わりました。他に痛むところはありますか?」

 事務的な問診に、薫は首を横に振った。

「…………肩と、腰の辺りに痣があります」

 患者の裸体を目にした看護師は、代弁するように答えた。

「見せてもらえますか?」

 神崎薫は俯いたまま、自ら青い病衣を開いて肩口や腰の辺りを見せた。酷いものではなかったが、白い肌にくっきりと青い痣が浮き出ていた。

「あの男は誰ですか?」

 カルテに追加の情報を書き込みながら、医師は問診を続ける。けれど、答えは返ってこなかった。
 宮沢医師は顔を上げて、俯いている患者に目をやった。

「この病室に入れる者は限られています。知り合いではありませんか?」

「カオルくん?」

 本条看護師は、怯える薫に答えを促した。

「合意、なので、」

 薫は震える声で、精一杯の言葉を絞り出す。
 結城博己は、運命の番である。
 苦痛を強いられたとしても、身体を重ね合わせることは、薫自身が望んできたことでもあった。

「そんなわけないでしょう。膣が裂傷していたんですよ」

 宮沢医師は、苛立ちを隠しきれずに責めるような言葉が溢れた。
 薫は俯いていたまま、ぎゅっとシーツを握り締めた。

「…………合意、だったんです」

 オメガの看護師は、見ていられなかった。
 薫の肩を抱き留めると、くしゃりと頭を撫でてやる。薫は促されるままに、薄い胸板に頭を預けた。消毒液の臭いに混じって、どこか懐かしい甘い匂いがする。優しくも温かい体温に、身体の力が抜けていくような気がした。

「宮沢先生、これ以上は、」

 看護師は、薫の頭を撫でながら、医師を上目遣いで見上げた。まるで、幼い我が子を守る母親のような威嚇を思わせる目付きに、宮沢医師は、深い溜め息を吐く。

「あとは、本条さんにお任せしますね」

 看護師に咎められた医師はタブレットを片手に病室から立ち去っていく。
 彼には、加害者を庇おうとするオメガの患者が、どうしても信じられなかった。そうでなくとも、どこか生きる気力を失っている陰鬱な患者が歯がゆかった。
 神崎薫と過ごしてきた3週間で、宮沢医師は思い知らされていた。

 これがアルファ性の医師である自身の限界なのだ。

 婦人科医の立場上、診察や施術には絶対的な自信があった。その反面、異性の患者を扱うのは、肉体的な構造を知っているだけでは難しい面があることも痛感している。だからこそ、看護師の存在が不可欠であるのだ。

 神崎病院に在籍する看護師たちの中で、オメガ性の男性である本条看護師に452号室を担当させることは、最適解であったろう。
 アルファ性の自身では、あんな風には、オメガの患者の心に寄り添うことは、決してできはしないのだから。


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