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傍観者のジレンマ

第41幕

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 降り頻る雨は手を緩め、シトシトと濡れた雨音が室内に響いていた。蒸し暑く湿ったベッドの中で、若い二人は身を寄せるように向かい合っていた。隼人の腕は、薫を抱き込むよう背中に回されて、薫は隼人の胸に額を当てて、心地好く微睡んでいた。隼人は糸が切れたように眠りにつき、静かな寝息を立てている。
 薫は隼人の息遣いやトクトクと穏やかな心臓の鼓動に耳を傾けていた。

「……薫………」

 ふいに名前を呼ばれて、顔を上げる。隼人の閉じた瞼から、つーッと涙が溢れ落ちた。 薫は目を見開いて、夢現から現実に引き戻される。

 成熟した逞しい肉体を持っていたとしても、男を悦ばせる性技に長けていたとしても、彼等はまだ十七歳であった。世の理の大半を理解して、妥協や諦め方を覚え始めた大人でありながら、教師という大人から教育を受け、親に庇護されている子供であった。彼等にとって、半年先の未来は遥か遠く、卒業後の未来などは現実味のない空想のようなものであろう。彼等にとっては「今」「この瞬間」を生きていくことがやっとであった。

 それでも薫は、隼人と共に歩んでいくような未来は、この先にないことを知っていた。隼人は閉塞された箱庭のような学園で、薫を唯一の雌だと思い込んでいるに過ぎない。この学園を後にして、広い世界に飛び立てば、「なぜあんなものに固執していたのだろう」と悪い夢から醒めたように、薫の存在は緩やかに忘却されていくに違いなかった。

 隼人は、ベータとしては稀に見る美貌と溌剌とした肉体を持ち合わせている。そんな彼をベータの女性たちが放っておくはずもない。

 隼人にとって、薫に向ける想いなどは淡い幻想でしかない。そうして、隼人の心の移ろいを推測して、薫は自分を納得させようとした。それは、隼人の淡い幻想につけこんで、隼人を盾として利用としていることへの罪悪感を、ほんの僅に紛らわせる言い訳でしかなかった。

 薫は隼人に対して友情以上の何かを感じてはいたけれど、恋慕の情は持ち合わせてはいない。

 だからこそ、薫は隼人と向き合うことを恐れた。それは、隼人との決定的な絶縁を意味するからである。

 そして、それは、隼人も同じであろう。隼人もまた、正面から薫と向き合うことを恐れた。名前のつかないこの曖昧な関係をできうる限り続けていきたかった。


 ブーンブーンと微弱な音を立てて、ディスクの上でスマホが震えた。薫は、やんわりと逞しい腕から抜け出して、スマホに手を伸ばした。そうして、届いたメッセージを目にして固まった。

 薫は目を伏せて、ベッドから起き上がると、物音を立てないようにクローゼットを開いた。黒いパーカーに袖を通して、身支度を始める。飼い主から呼びつけられれば、薫は何よりも優先して博己の元に向かわなければならなかった。

「……隼人、」

 準備を終えて、ベッドに視線を投げれば、隼人は静かに眠りながら、涙を流している。薫は胸を締め付けられる。けれど、その涙を指で拭い去ると、足元に丸まった掛け布団を肩まで掛けてやり、いつものように、窓から抜け出していった。


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