そして銀の竜は星と踊る

サモト

文字の大きさ
上 下
20 / 20
そして銀の竜は星と踊る

20.

しおりを挟む
 レギンに地面に降ろされると、イーズは緊張の糸が切れて、その場にへたりこんだ。シャールが駆け寄り、慌ててその背を支える。

「ご無事で……良かった。本当に」
「ごめんね、心配かけちゃった」
「無事なら、もうなんでもいいです」

 寝巻き一枚、帯はゆるみ、裾は破れ、土と埃で汚れ、髪もぐしゃぐしゃという淑女にあるまじき姿の主人を、シャールは強く抱きしめた。

 そのままなかなか顔を上げないシャールに、バルクが意外そうにいう。

「姉サン、ひょっとして泣いてます?」
「黙れ」

 シャールは手首に巻いてあったハンカチで目元をぬぐった。失踪する前に、イーズが精油をしみこませたハンカチだ。

「願掛けです。あなたが無事にもどってくるようにって。もう、外していいですね」
「姉サーン、ちょっとそのハンカチ貸してもらえませんかネ。手の甲から血が。ドクドクと」
「あ……」

 近寄ってきたバルクに、イーズが身を固くする。つけてしまった傷に申し訳なさそうにしながらも、警戒の浮かんだ目を向ける。

「バルク、この役立たずが。本当に首を刎ねるのは勘弁してやるが、その代わり、クビだ」
「い、いやいやいや、カンベンしてくださいヨ、陛下。狩りのとき、お姫サマ助けたじゃないですカ。その後、警備場所も近くに変えて。宰相サンにもちゃんと探りいれてましたし。ネ?」
「役に立ったのは一度だけだろう。使えんやつだな」

 皇帝陛下は腕組みして、バルクを睥睨する。イーズは二人を見比べた。

「バルクってクノル卿の味方じゃ……」
「やっぱ、あの夜、聞いてたのか。ごめんなあ。びっくりさせちゃって。オレは陛下に頼まれて、クノル卿を密偵してたの。あのおっさんの味方じゃないの。
 ゼンゼン、ベツに、拾ってもらったこと恩に思ってないし。いったでショ、オレがニールゲンに住もうと思った理由は、菓子がおいしかったからだって」
「ごめんなさい。誤解してた」
「いーよ、いーよ。――姉サンの方は全然よくないみたいすケド」
「貴様のせいかッ!」
「暴力ハンタイッ!」

 シャールは問答無用でバルクの尻を蹴り飛ばした。

「オーレック、大丈夫? ごめんね。いっぱい傷ついちゃってる」
「気にするな。久々に大暴れで楽しかった」

 オーレックは土ぼこりを払い、豪快に笑った。大暴れの表現に相応しい惨状だった。彫像は砕け、芝生は燃え、地面はえぐれ、累々と兵は倒れ、皇帝陛下も軽傷ではあるが負傷している。

「もう地下には戻らなくて済みそうか?」
「……たまに行くかも」
「ふふ、いつでもおいで、私のかわいい娘」

 黒竜は娘の頬にキスした。

「お帰り、アルカ。本当に地下通路の番人に食べられちゃったかと思って、びっくりしたよ」
「ごめんね、レギン。薬持っていくのも遅くなっちゃって。そういえば、どうして私が生きてるって思ったの?」
「上着についてた血、舐めてみたら人間の血じゃなかったから。オーレックが細工したんでしょ?」
「そうだ。まさか舐めてまで確かめるとは思わなかった」
「僕もなかなか勇気が出なかったけど、シグラッドがね。死体を見るまでは絶対納得しないって言い張るから」

 レギンはうえ、と舌を出した。シグラッドは当然だ、と澄ました顔をしている。死体に二度剣を突き立てるまでは納得しない性格だ、とイーズは震え上がった。逃げられるわけがない。上目遣いに、びくびくしながら謝る。

「……どうも、お騒がせしました」
「逃げ出すから、話がややこしくなっただろう。なんで相談してくれなかったんだ」

 シグラッドはむすっと口をとがらせる。縮こまる婚約者を見下ろし、迷うようなそぶりを見せた。レギンがくすりと笑った。

「大丈夫。アルカはきっと、もう逃げないよ」

 顔の汚れを袖でぬぐってやり、レギンは弟の背を押した。シグラッドはイーズの前に立ち、ためらいながら手を差し出す。

「どうする。今なら、考え直してやってもいいぞ」
「逃げないよ」
「じゃあ、もう逃がさない」

 シグラッドはイーズを立ち上がらせると、強引にキスをした。

「私の妃はアルカで決まりだ」

 決めると、シグラッドはイーズの手を引いて、館の方へ足を向けた。キスをされたのが初めてだったイーズは、ろくな反応もできないで、なすがまま皇帝の後についていく。腕をしっかりと掴む手の熱さまで気恥ずかしく感じられ、イーズは気を紛わそうと、視線を上向けた。満天の星空が広がっている。

「――きれい。星の河ができてる」
「本当だ。珍しい」

 イーズの一言で、全員が夜空を仰いだ。濃い紺色の空に、星たちが群れ集まって川を作っていた。今夜は月が細いおかげで、淡い星の光もはっきり見える。

「こういう夜は、空を銀の竜が泳いでいるかもしれないな」
「銀の竜? 銀色もいるんだ?」
「世界に一頭しかいない幻の竜だ。竜王よりも偉い、運命を司る神竜。その竜を見るのは宿命だ。見た者は、望む望まないに関わらず、神意を得る」
「ふうん……」

 地上の景色はいくら違っても、星空はティルギスと同じだ。イーズは故郷まで続く空を見上げた。河の中に銀色の軌跡を残して飛ぶものを見つけて、瞠目する。結び目がゆるんでいた帯から、札が落ちた。

「アルカ様、何か落ちましたよ」
「あ……ありがと、シャール」
「どうなさったのですか? それは」
「借りたの。お守り代わりに」

 藍色の地に銀箔の散らされた裏面は、改めて見ると、夜空のようだった。銀箔は渦を巻くように散らされ、円を描いて踊る竜のように見えなくもない。

 札を表向け、イーズは戦士の絵も改めてよく見た。札の背景には、道のりの困難さを暗示するように険しい山が描かれていた。それも、一つでなく、いくつもだ。不吉な暗示に、引っこんでいた臆病さが誘われ出てきて、イーズはたちまち情けない顔つきになった。

「……早まったかなあ、私」
「大丈夫ですよ、アルカ様なら。きっと素晴らしい皇妃になられますよ」
「ちゃんと守るから。逃げるな」
「そうそう。僕も協力するし。安心して」
「暗殺される前に、胃に穴が空いて死ぬ心配をしないといけないねえ、姫サンの場合」
「アルカ、いつでも私のところに来なさいね」

 もう一度、空を見上げたときには、銀の軌跡は消えていた。イーズは札を握りしめて、首を振る。

「流れ星だよね、きっと」

 高く聳え立つファブロ城の背後で、銀の竜が星の河を泳ぎ、どこかへと飛び去っていった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...