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そして銀の竜は星と踊る
7.
しおりを挟むシグラッドの部屋は皇帝の部屋であるだけに、城のどの部屋よりも豪華だった。カーテンの布を一つとっても、クッションの房飾りを一つとっても、物のよさがすぐ分かる。しかし、イーズは一人で使うには広すぎるなあ、といささかずれた感想を抱いた。
「この棚は気軽に触るなよ。毒薬がおいてあるんだ」
シグラッドが壁に飾られた肖像画を持ち上げると、隠し戸棚が現れた。乾燥した葉や木の実や鉱物、丸薬や粉薬が瓶に入って並んでいる。
「全部毒薬?」
「そうだ。一般的に出回っているものから、そうそう手に入らない貴重なものもある。まずはこれを一日一枚だ」
小さな葉の入った瓶を開けると、シグラッドがさっそく口に一つ入れてきた。味はしなかったが、イーズは苦そうな顔をして噛んだ。
「この絵、シグのお母さん?」
棚を隠しているのは、女性の肖像画だ。深い赤色のショールを身に巻きつけ、くびれた腰を優雅によじり、金の椅子に腰掛けている。高い鼻梁に、長い睫でけぶる琥珀色の目。微笑は優しく上品で、少しうつむき、細いうなじをさらす姿は、はかなげ美しかった。イーズは感嘆の息をもらす。
「このお城に来てからたくさん綺麗な人を見たけど、この人が一番綺麗」
「実物はもっと綺麗だ」
シグラッドは誇らしげだった。大陸一と謳われるほどの美貌の持ち主だったらしい。それは、その子供であるシグラッドを見れば、よく納得できた。母親のようなたおやかさがないせいで印象は違うが、シグラッドも整った容貌をしている。
「ただ、その代わり、美貌を妬まれて毒を盛られ、二目と見られないような顔になってしまったがな」
イーズは驚きに口をつぐんだ。毒のせいで肌が焼け爛れたようになり、この美貌は見る影もなくなってしまったのだという。世にも稀な美姫ということで、王城に呼ばれたシグラッドの母親は、毒で姿が醜くなると、当然のように城を追われたらしい。
「今は生まれ故郷のグリーンシャルデで静かに暮らしてる」
「そうなんだ……」
イーズは嫉妬の恐ろしさに背筋を震わせた。シグラッドとその母親の美貌を目にしたときは、自分の十人並みの容貌が少し恨めしくなったが、話を聞いた今では、自分の平凡さに感謝した。
「陛下、失礼いたします。今日の予定ですが――」
ノックと共に、小太りの男が部屋に入ってきた。頭髪はうすく、赤褐色の髪には白いものがまじっていたが、頬はつやつやと血色がよい。上着のボタンがはちきれそうなほど恰幅がよかった。勢いに乗っている人間といった雰囲気が漂っている。イーズと目が合うと、おや、と大仰な身振りで驚いた。
「これはこれは。アルカ殿下もご一緒でしたか。おくつろぎのところ、失礼いたしました」
「い、今からお仕事なんですね。もう、失礼します」
「そんなに慌てなくてもいい。まだ時間はあるはずだから」
慌てて退出しようとするイーズを、シグラッドが引き止めた。だが、男は困った顔をした。上着から時計を取り出し、これみよがしに時刻を確認する。
「アルカ、宰相のクノルだ。最初の会見以来だから、覚えてないだろうけど」
「顔だけは覚えてるよ。――よろしくお願いします」
「どうぞよろしく、アルカ殿下」
イーズはニールゲンの貴婦人らしく、ドレスの裾をつまみ、丁寧にお辞儀した。クノルの方も胸に手を当て、ゆっくとと丁寧に返してくる。が、完璧で慇懃すぎて、イーズにはどこかよそよそしく感じられた。
「お二人が同じ部屋で遊ばれるほど仲が良いとは存じ上げませんでしたな。いつからそんなに仲がよろしくなったのです?」
「つい最近」
シグラッドはそっけない態度で答え、ボードゲームで使う駒を手に取った。足を組み、黒色の駒を掌中でもてあそぶ。
「今日の予定は?」
「地方の使者からとの謁見が五件。午後から治水工事に関する会議がございます。その後、語学の講義が」
「ふうん」
シグラッドは、どうするとははっきりと答えなかった。しばらく手の中で駒をもてあそんだ後、白と黒に塗り分けられた盤を手元に引き寄せる。クノルは忍耐強く待っている。
「アルカ。この遊びは知ってるか? この盤と駒を使って遊ぶんだが」
「見たことある。駒の形は少し違うけど」
「じゃあ、大丈夫だな。こっちの駒がアルカのだ」
シグラッドは白色の駒をイーズの方へおいやり、盤の上に黒い駒を並べはじめた。駒は王や兵といった六種に分かれている。イーズは見よう見まねで、盤の上に駒を整列させた。
「陛下」
「適当にやってくれ。今日はアルカと遊ぶ」
「しかし」
「今日の私の仕事は外交だ。ティルギスとの。後で結果だけ教えてくれればいい」
「……かしこまりした」
クノルは一礼し、退室していった。イーズは閉まった扉と皇帝を見比べる。
「いいんだ。ああはいうが、結局、すべてクノルが決めるんだから。私とアルカと仲良くさせたくないから、渋っただけだ」
「王宮で一番偉いのって、シグじゃないの?」
「一応な。でも、実権はクノルが握っている。私はまだ成人していないから、政治は宰相や側近たちが代行しているんだ。私にはまだ実際に国を動かすだけの力はない。ただの飾り物だ」
シグラッドは王の駒を冷めた目で見下ろした。それから、騎士を表す駒に目を向け、憤然とつぶやく。
「ゼレイアめ。行くこともないのに、クノルの口車に乗せられて北に行って。だから宮廷がクノルの独壇場なんだ。頓馬め」
「ゼレイアって?」
「皇国軍の将軍だ。ゼレイア=フォン=パッセン。今は北の王国エルダの侵略を抑えにいっている。当分帰ってこない」
「シグは将軍さんと仲がいいの?」
「私の教育係の一人だった。クノルも味方ではあるが、油断ならないし。レギン派はまだ王座を諦めていないし、ブレーデンの母親は遺言状を盾に何かと口出ししてくるし。成人しても楽じゃないな、これは」
シグラッドはブツブツと、イーズに聞かせるでもなく王宮内の勢力図を語る。大人の世界にまだ疎いイーズは、シグラッドのいっていることがあまり理解できなかった。彼らの思惑が、自分にどういった影響を与えるか想像できないのだ。王城の勢力図を漠然と頭に浮かべ、ふうんと相槌を打つ。
「面倒なことが多いんだね」
「でも、手に入れようと思えば、すべてが手に入る」
シグラッドは腕を組み、椅子の上にふんぞり返った。不敵で傲慢で、闘争心がむき出しの態度だった。イーズは露になった牙に気おされる。まだ幼くとも、王は王らしい。
「王座ってそんなにいいものなのかなあ」
「アルカは欲しくないのか?」
「だって、海の上には草原が、草原の上には生き物が、生き物の上には空がある、だからこの世のものはすべて空のものだって、アデカ王はおっしゃってたよ」
シグラッドは口をへの字に曲げた。納得したような、納得してないような、中途半端な表情だ。
「それに、王座なんてなければ、シグはレギンと気兼ねなく仲良く出来たじゃない。二人がなかなか仲良くさせてもらえないのは、王座のせいなんでしょ?」
「そうだが、それとこれとは話が別だ」
「シグはレギンと喧嘩するかもしれないの?」
「私だって、王座争いなんて無益なことはしたくない。王座を争うたびに隙ができて、他国から侵略されて、昔より国土が小さくなってしまったからな。私はそんな失敗を繰り返したくない」
シグラッドは固い決意に満ちた口調でいい、盤上の女王の駒を人差し指でいじった。
「子供同士が争わないように、妃は絶対に一人だ。何人も妃を娶ると、ろくなことにならない。女同士で余計な争いを起こして、城の中を険悪にしてくれる」
「ふ……ふーん?」
シグラッドのいっていることが半分理解できず、イーズはあいまいに返事をした。レギンと争いたくないのかという問いにも、正確に答えられていないので、すっきりしなかった。
「アルカはバカなのか? さっきから、よく分からない顔をしているが」
「バ、バカって……酷いよ。理解できてないのは、事実だけど」
なぜ王冠を争わなければいけないのかが、イーズにはそもそも理解できないのだ。指先で王の駒をこねくりまわしていると、シグラッドが居丈高に組んでいた足を解いた。楽しそうに、屈託なく笑う。無邪気で無防備な少年の顔だった。
「いい。アルカに野心とか下心がないということはよく分かった。安心して付き合えそうだ」
シグラッドは駒を一つ取ると、身を乗り出してきた。イーズは急に近寄られて驚き、少し引け腰になったが、同じく盤をのぞきこむ。この少年皇帝に近づくのは自分にとって危険な気がしたが、故国の命運が懸っているのだ。逃げられない。
「準備は?」
「いつでもどうぞ」
「じゃあ、はじめよう。手加減は一切なしだ」
シグラッドは自信に満ちた手つきで、最初の一手を打つ。イーズと対峙する黄褐色の瞳は、新しい宝物を手に入れたような喜びでかがやいていた。
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