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そして銀の竜は星と踊る
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イーズがニールゲンに来て、半年が過ぎた。一時期げっそり痩せていたイーズだったが、ニールゲンの生活や言葉にもだいぶ慣れ、以前と同じ体型にもどっていた。
暇のあるときは部屋に貝のように閉じこもっているのが常だったが、今は城内を探検のつもりでうろつく心の余裕もできている。本人も安心していたが、シャールはそれ以上に安堵していた。
「本当に良かった。一時は、このままやせ細って死んでしまわれるのではと、本気で心配しましたから。いつ倒れるかいつ倒れるかとハラハラしていました」
「私も胃に穴が開くかもって、何回も思ってた」
イーズは苦笑いしながら、卵の白身を泡立てて焼いた菓子をかじった。イーズに食欲があるのが嬉しいらしい、シャールはにこにこしながら、皿に菓子を追加する。
「皇帝陛下とは相変わらずですけれど、悪くもなっていませんし。まあ、よしとしましょうか」
「本当はよくないんだろうけど」
淡い緑色のお茶を飲み、イーズはため息を吐いた。
あの天体の授業の日から三ヶ月が経っているが、レギンからはなんの連絡もない。レギンとも会っておらず、レギンとの仲も進展していない。向こうの部屋に遊びに行こうと思ってはいたのだが、なんだかんだ忙しく、行けなかったのだ。一度、部屋の前までいったが、例の年嵩の厳しそうな侍女が立っていて、怖気づいてしまったのもある。
「せっかくのチャンスだったのにな」
イーズはぼやきながら、新しい菓子に手を伸ばした。
そのとき、部屋にノックがあった。シャールが応対に出る。訪ねてきた侍女と二、三言交わし、戻ってきたとき、手紙を手にしていた。
「誰から?」
「レギン殿下からです」
イーズはタイミングのよさに驚きながら、手紙を取った。青い封蝋に、王家の印が押されている。レギンからのものに間違いない。開けてみると、前にいっていた乗馬の誘いだった。遅くなったことを詫びる言葉も書かれていた。
「やりましたね、アルカ様」
「でも、問題はこれからだよ」
「久しぶりだからって、馬から落ちるようなことはしないでくださいよ」
「腐ってもティルギス人だよ」
イーズはさっそくペンを取り、手紙に返事を書いた。
ところが約束の日、待ち合わせの厩舎の前に行くと、レギンの姿が見当たらない。戸惑っていると、先に来ていたシグラッドがいった。
「レギンは急に熱を出したから、今回はこない」
「え!」
シグラッドに声をかけられたことも衝撃的だったが、それ以上に衝撃的な事実だった。イーズは内心、半泣きになった。レギンという緩衝材があるからこそ、誘いにも乗ったのだ。なお悪いことには、ブレーデンもいる。計算が完全に狂った。
「ここにいる馬は、王族専用の馬だから、好きに選んでいい。先に選べ」
「ど、どうもありがとう」
イーズはうなだれたが、すぐに気を取り直した。予想しなかった事態ではあったが、馬に乗れるのは久しぶりで心が躍っていた。それに、チャンスであることには変わりがない。レギンの心遣いを無駄にしないために、シグラッドと仲良くとはいかなくとも、知り合いくらいにはなろうと決意する。
厩舎には、ティルギスの馬たちには及ばないが、良質の馬がそろっていた。ティルギスの馬たちは、天馬の血を引いている。ニールゲンが竜の国ならば、ティルギスは天馬の国だ。イーズは故郷を思い出しながら、厩舎を一回りした。
「その馬は兄上がよく乗る馬だよ。兄上がいいっていったらいいと思うけどね」
赤毛の馬の手綱を取ろうとすると、ブレーデンが嫌みったらしく忠告してきた。そんなことも知らないのか、といった口ぶりだ。
イーズは口をとがらせながら、馬を選び直した。今度は月毛の馬だ。やさしげな容貌が気に入って選んだ。すると、ブレーデンは、へえ、と褒めているのか貶しているのか分からないつぶやきをもらした。イーズはげんなりする。
「それにするのか?」
「どれもいい馬で迷ったけど、この子が一番相性がよさそうだから」
「……ふうん」
シグラッドもなにかいいたげな返事だった。イーズは何かまずかったのだろうかと心配しながら、シグラッドとブレーデンが馬を選び終わるのを待った。
「森の奥に泉があるから、そこまで行こう。ここは皇家の狩場だから、使いたかったら、好きなときに使っていい」
「ありがとう」
門の外には、青草の生い茂るゆるやかな丘があり、丘の上には森が見えた。イーズは待ちきれない思いで、馬に飛び乗った。
ところが、馬はなかなか走り出したがらない。困っていると、馬体が揺れた。ブレーデンの馬がぶつかったのだ。少し右に寄るが、またぶつかった。二度、三度と、ぶつかってくる。さすがにわざとだとイーズも気がついた。ブレーデンがにやにやと口元に笑いを浮かべている。
「ティルギスの民は幼少の頃から馬に乗るっていうけど、そんなものなんだ」
イーズは奥歯を噛み、馬に鞭をあてた。ようやく、馬は素直に走り出した。ブレーデンが後を追ってくる。ジグラッドがブレーデンの名を叫んだが、ブレーデンは気づかないふりをしたようだった。
「たいしたことないな、ティルギスも!」
追いついたブレーデンが息を弾ませながら哂った。イーズはきっと前を見据えた。野原は終わり、木立が迫ってきていた。表情を引き締め、速度を落とさず木立に突っこむ。木にぶつかりそうで恐ろしかったが、遠ざかっていくもう一つの足音を励みに、懸命に目を開きつづけた。ティルギスの馬より走りが遅い、と自分を落ち着かせる。
「ブレーデンの完敗だな」
先に泉で待っていたイーズに、シグラッドが感嘆した。ブレーデンはおもしろくなさそうにふてくされている。イーズを無視して泉に寄り、水を飲みはじめる。
「馬が悪かったんだ。いつもの馬じゃなかった」
「素直に負けを認めろ。相手が悪かったんだ」
シグラッドが赤毛の馬から下りると、馬はイーズの選んだ月毛の馬へ寄っていった。二頭は仲睦まじく、たてがみを噛み合う。
「あの二頭、仲がいいんだ。一緒に出すと離れたがらない」
「そっか。だから、なかなかいうこと聞いてくれなかったんだ」
自分の腕が落ちたかと懸念したイーズは、なんだ、とほっとした。
「私のニールゲン語がへたくそすぎて、馬に通じないのかと思った」
「それもあるかもしれないが」
イーズのおどけに、シグラッドが意地悪く応じた。しかし、本当に悪意はなく、口の端が笑っていた。イーズは酷い、と悲しがって見せた。
「飲むか?」
「ありがとう。久々に乗ったから、すごく疲れちゃった」
飲みかけの水筒にイーズが口をつけると、ブレーデンの視線が突き刺さってきた。召使がブレーデンの水筒を差し出すが、いらない、と払いのけてしまう。シグラッドのものがいいのだろう。イーズは飲みづらくなった。
「そういえば、陛下。レギン殿下、大丈夫? 熱は高いの?」
「分からないが、あっても、たぶん微熱程度だ。ここのところ調子がよかったし、急激に気温が変化したりもしてないからな。レギンが大丈夫と言い張っても、取り巻きのやつらに無理矢理ベッドに押し込んでいるんだろう」
「無理矢理? どうして」
「私とレギンが仲良くするのが気に食わないのさ。レギンの取り巻きたちは、レギンこそが正統な王と思っているから、私のことを遠ざけたくて仕方ない」
シグラッドは苛立たしげにいった。
「今日のことは、レギンも楽しみにしていたんだ。本当に。今度はこっそり、気づかれないように計画する。悪かったな」
「う、ううんっ。楽しみにしてる」
また誘ってくれる気があることに、イーズは驚倒しそうになった。帰ったらさっそくシャールに報告しようと心に決める。
「ティルギスの民は幼少の頃から馬に乗り、弓を引くというが、本当なんだな。すばらしかった」
「でも、私、武術は得意じゃないんだ。戦いになったら、逃げるか避けるの専門」
「なのに、竜化したレギンに立ち向かったのか?」
「だって、シャールが危なかったし、おじいさんも危なかったし」
「レギンに聞いたときも思ったが、勇気があるんだかないんだか、よく分からないやつだな」
シグラッドはくすくすと笑った。レギンから色々話を聞いているらしい。改めて、イーズは心の中でレギンに礼をいった。
「レギンの部屋って、私が訪ねていっても大丈夫?」
「いいに決まってる。レギンはいつも退屈しているから、絶対喜ぶ。なんなら、今度一緒に行くか? レギンも会いたがっていたし」
「行く! 前、行ってみたんだけど、怖そうな女の人がいて、入りづらかったんだ」
「ああ、あのババアだろう。厚化粧の侍女の。無視して押し入れ。それで無理だったら、窓から忍びこめ。レギンが窓を開けてくれるから」
「素敵な助言をありがとう」
イーズがおかしくてくすくす笑うと、笑いすぎだ、とシグラッドに背中を叩かれた。話してみると、意外と気さくだ。イーズは胸をなで下ろした。
「ねえ、シグラッド兄さん。そろそろ戻ろうよ。早く帰って、料理長の作ったタルトが食べたい」
「おまえが勝手についてきたんだろう、ブレーデン。戻りたかったら、先に戻っていろ」
ブレーデンは口をへの字に曲げて、不満そうにした。イーズは慌てて口をはさむ。
「皇帝陛下、そろそろ戻ろうよ。私、帰って宿題しないといけないから。たくさんあるんだ」
「熱心だな。教師たちからも聞いていたが」
「普通だと思うけど」
「宿題を出しても、言った以上に勉強するって、感心していたぞ」
「あー……それは」
言葉がうまく聞き取れず、範囲を間違えているせいにすぎないのだが、うつくしい誤解をあえて訂正することもないだろう。イーズは黙っておいた。
「呼び方、名前でいいぞ。陛下っていうのは堅苦しい」
「ええっと、じゃあ、シ、シグラッ――」
発音しようとして、緊張に舌を噛んだ。シグラッドが吹き出す。
「そんなに呼びにくかったか?」
「ちゃんと呼べるよ。ちょっと失敗しただけ。もう一回!」
「いい、いい。それなら、シグって呼べ。これだけ短かったら噛まないだろう。やっぱりまだ苦手なんだな、ニールゲン語」
「だから、呼べるってば!」
イーズは叫ぶが、相手は笑いっぱなしでまったく聞いていなかった。完璧にからかわれている。イーズはむくれながら、月毛の馬の手綱を取った。
途端、ブレーデンが帰りはその馬に乗りたいと駄々をこねはじめた。シグラッドは諌めようとしたが、イーズは大人しく馬を渡した。
「悪いな」
「いいよ、私もああいう弟がいたから。慣れてる」
「? アルカはアデカ王の長男の、一人娘じゃなかったか?」
イーズはぎくりとした。本物のアルカに兄弟姉妹はいない。冷や汗をかきながら、そういう弟みたいな男の子がいたから、といいつくろう。
「甘やかされて育ったから、わがままなんだ。許してやってくれ」
「馬くらいいいよ。気にしない」
「兄さん、早く早く!」
「おまえの用事で話してるんだ。少しくらい待て」
といっても、ブレーデンはしつこく急かす。シグラッドは呆れながら、イーズは苦笑いしながら馬にまたがった。
「シグのこと、大好きなんだね。かわいい弟だね」
「……そうだな」
シグラッドはそっけなく答え、馬にまたがった。その後を、遅れないようにブレーデンが一生懸命ついて行く。
イーズはシグラッドの態度に小首を傾げながら、二人の後を追いかけた。
暇のあるときは部屋に貝のように閉じこもっているのが常だったが、今は城内を探検のつもりでうろつく心の余裕もできている。本人も安心していたが、シャールはそれ以上に安堵していた。
「本当に良かった。一時は、このままやせ細って死んでしまわれるのではと、本気で心配しましたから。いつ倒れるかいつ倒れるかとハラハラしていました」
「私も胃に穴が開くかもって、何回も思ってた」
イーズは苦笑いしながら、卵の白身を泡立てて焼いた菓子をかじった。イーズに食欲があるのが嬉しいらしい、シャールはにこにこしながら、皿に菓子を追加する。
「皇帝陛下とは相変わらずですけれど、悪くもなっていませんし。まあ、よしとしましょうか」
「本当はよくないんだろうけど」
淡い緑色のお茶を飲み、イーズはため息を吐いた。
あの天体の授業の日から三ヶ月が経っているが、レギンからはなんの連絡もない。レギンとも会っておらず、レギンとの仲も進展していない。向こうの部屋に遊びに行こうと思ってはいたのだが、なんだかんだ忙しく、行けなかったのだ。一度、部屋の前までいったが、例の年嵩の厳しそうな侍女が立っていて、怖気づいてしまったのもある。
「せっかくのチャンスだったのにな」
イーズはぼやきながら、新しい菓子に手を伸ばした。
そのとき、部屋にノックがあった。シャールが応対に出る。訪ねてきた侍女と二、三言交わし、戻ってきたとき、手紙を手にしていた。
「誰から?」
「レギン殿下からです」
イーズはタイミングのよさに驚きながら、手紙を取った。青い封蝋に、王家の印が押されている。レギンからのものに間違いない。開けてみると、前にいっていた乗馬の誘いだった。遅くなったことを詫びる言葉も書かれていた。
「やりましたね、アルカ様」
「でも、問題はこれからだよ」
「久しぶりだからって、馬から落ちるようなことはしないでくださいよ」
「腐ってもティルギス人だよ」
イーズはさっそくペンを取り、手紙に返事を書いた。
ところが約束の日、待ち合わせの厩舎の前に行くと、レギンの姿が見当たらない。戸惑っていると、先に来ていたシグラッドがいった。
「レギンは急に熱を出したから、今回はこない」
「え!」
シグラッドに声をかけられたことも衝撃的だったが、それ以上に衝撃的な事実だった。イーズは内心、半泣きになった。レギンという緩衝材があるからこそ、誘いにも乗ったのだ。なお悪いことには、ブレーデンもいる。計算が完全に狂った。
「ここにいる馬は、王族専用の馬だから、好きに選んでいい。先に選べ」
「ど、どうもありがとう」
イーズはうなだれたが、すぐに気を取り直した。予想しなかった事態ではあったが、馬に乗れるのは久しぶりで心が躍っていた。それに、チャンスであることには変わりがない。レギンの心遣いを無駄にしないために、シグラッドと仲良くとはいかなくとも、知り合いくらいにはなろうと決意する。
厩舎には、ティルギスの馬たちには及ばないが、良質の馬がそろっていた。ティルギスの馬たちは、天馬の血を引いている。ニールゲンが竜の国ならば、ティルギスは天馬の国だ。イーズは故郷を思い出しながら、厩舎を一回りした。
「その馬は兄上がよく乗る馬だよ。兄上がいいっていったらいいと思うけどね」
赤毛の馬の手綱を取ろうとすると、ブレーデンが嫌みったらしく忠告してきた。そんなことも知らないのか、といった口ぶりだ。
イーズは口をとがらせながら、馬を選び直した。今度は月毛の馬だ。やさしげな容貌が気に入って選んだ。すると、ブレーデンは、へえ、と褒めているのか貶しているのか分からないつぶやきをもらした。イーズはげんなりする。
「それにするのか?」
「どれもいい馬で迷ったけど、この子が一番相性がよさそうだから」
「……ふうん」
シグラッドもなにかいいたげな返事だった。イーズは何かまずかったのだろうかと心配しながら、シグラッドとブレーデンが馬を選び終わるのを待った。
「森の奥に泉があるから、そこまで行こう。ここは皇家の狩場だから、使いたかったら、好きなときに使っていい」
「ありがとう」
門の外には、青草の生い茂るゆるやかな丘があり、丘の上には森が見えた。イーズは待ちきれない思いで、馬に飛び乗った。
ところが、馬はなかなか走り出したがらない。困っていると、馬体が揺れた。ブレーデンの馬がぶつかったのだ。少し右に寄るが、またぶつかった。二度、三度と、ぶつかってくる。さすがにわざとだとイーズも気がついた。ブレーデンがにやにやと口元に笑いを浮かべている。
「ティルギスの民は幼少の頃から馬に乗るっていうけど、そんなものなんだ」
イーズは奥歯を噛み、馬に鞭をあてた。ようやく、馬は素直に走り出した。ブレーデンが後を追ってくる。ジグラッドがブレーデンの名を叫んだが、ブレーデンは気づかないふりをしたようだった。
「たいしたことないな、ティルギスも!」
追いついたブレーデンが息を弾ませながら哂った。イーズはきっと前を見据えた。野原は終わり、木立が迫ってきていた。表情を引き締め、速度を落とさず木立に突っこむ。木にぶつかりそうで恐ろしかったが、遠ざかっていくもう一つの足音を励みに、懸命に目を開きつづけた。ティルギスの馬より走りが遅い、と自分を落ち着かせる。
「ブレーデンの完敗だな」
先に泉で待っていたイーズに、シグラッドが感嘆した。ブレーデンはおもしろくなさそうにふてくされている。イーズを無視して泉に寄り、水を飲みはじめる。
「馬が悪かったんだ。いつもの馬じゃなかった」
「素直に負けを認めろ。相手が悪かったんだ」
シグラッドが赤毛の馬から下りると、馬はイーズの選んだ月毛の馬へ寄っていった。二頭は仲睦まじく、たてがみを噛み合う。
「あの二頭、仲がいいんだ。一緒に出すと離れたがらない」
「そっか。だから、なかなかいうこと聞いてくれなかったんだ」
自分の腕が落ちたかと懸念したイーズは、なんだ、とほっとした。
「私のニールゲン語がへたくそすぎて、馬に通じないのかと思った」
「それもあるかもしれないが」
イーズのおどけに、シグラッドが意地悪く応じた。しかし、本当に悪意はなく、口の端が笑っていた。イーズは酷い、と悲しがって見せた。
「飲むか?」
「ありがとう。久々に乗ったから、すごく疲れちゃった」
飲みかけの水筒にイーズが口をつけると、ブレーデンの視線が突き刺さってきた。召使がブレーデンの水筒を差し出すが、いらない、と払いのけてしまう。シグラッドのものがいいのだろう。イーズは飲みづらくなった。
「そういえば、陛下。レギン殿下、大丈夫? 熱は高いの?」
「分からないが、あっても、たぶん微熱程度だ。ここのところ調子がよかったし、急激に気温が変化したりもしてないからな。レギンが大丈夫と言い張っても、取り巻きのやつらに無理矢理ベッドに押し込んでいるんだろう」
「無理矢理? どうして」
「私とレギンが仲良くするのが気に食わないのさ。レギンの取り巻きたちは、レギンこそが正統な王と思っているから、私のことを遠ざけたくて仕方ない」
シグラッドは苛立たしげにいった。
「今日のことは、レギンも楽しみにしていたんだ。本当に。今度はこっそり、気づかれないように計画する。悪かったな」
「う、ううんっ。楽しみにしてる」
また誘ってくれる気があることに、イーズは驚倒しそうになった。帰ったらさっそくシャールに報告しようと心に決める。
「ティルギスの民は幼少の頃から馬に乗り、弓を引くというが、本当なんだな。すばらしかった」
「でも、私、武術は得意じゃないんだ。戦いになったら、逃げるか避けるの専門」
「なのに、竜化したレギンに立ち向かったのか?」
「だって、シャールが危なかったし、おじいさんも危なかったし」
「レギンに聞いたときも思ったが、勇気があるんだかないんだか、よく分からないやつだな」
シグラッドはくすくすと笑った。レギンから色々話を聞いているらしい。改めて、イーズは心の中でレギンに礼をいった。
「レギンの部屋って、私が訪ねていっても大丈夫?」
「いいに決まってる。レギンはいつも退屈しているから、絶対喜ぶ。なんなら、今度一緒に行くか? レギンも会いたがっていたし」
「行く! 前、行ってみたんだけど、怖そうな女の人がいて、入りづらかったんだ」
「ああ、あのババアだろう。厚化粧の侍女の。無視して押し入れ。それで無理だったら、窓から忍びこめ。レギンが窓を開けてくれるから」
「素敵な助言をありがとう」
イーズがおかしくてくすくす笑うと、笑いすぎだ、とシグラッドに背中を叩かれた。話してみると、意外と気さくだ。イーズは胸をなで下ろした。
「ねえ、シグラッド兄さん。そろそろ戻ろうよ。早く帰って、料理長の作ったタルトが食べたい」
「おまえが勝手についてきたんだろう、ブレーデン。戻りたかったら、先に戻っていろ」
ブレーデンは口をへの字に曲げて、不満そうにした。イーズは慌てて口をはさむ。
「皇帝陛下、そろそろ戻ろうよ。私、帰って宿題しないといけないから。たくさんあるんだ」
「熱心だな。教師たちからも聞いていたが」
「普通だと思うけど」
「宿題を出しても、言った以上に勉強するって、感心していたぞ」
「あー……それは」
言葉がうまく聞き取れず、範囲を間違えているせいにすぎないのだが、うつくしい誤解をあえて訂正することもないだろう。イーズは黙っておいた。
「呼び方、名前でいいぞ。陛下っていうのは堅苦しい」
「ええっと、じゃあ、シ、シグラッ――」
発音しようとして、緊張に舌を噛んだ。シグラッドが吹き出す。
「そんなに呼びにくかったか?」
「ちゃんと呼べるよ。ちょっと失敗しただけ。もう一回!」
「いい、いい。それなら、シグって呼べ。これだけ短かったら噛まないだろう。やっぱりまだ苦手なんだな、ニールゲン語」
「だから、呼べるってば!」
イーズは叫ぶが、相手は笑いっぱなしでまったく聞いていなかった。完璧にからかわれている。イーズはむくれながら、月毛の馬の手綱を取った。
途端、ブレーデンが帰りはその馬に乗りたいと駄々をこねはじめた。シグラッドは諌めようとしたが、イーズは大人しく馬を渡した。
「悪いな」
「いいよ、私もああいう弟がいたから。慣れてる」
「? アルカはアデカ王の長男の、一人娘じゃなかったか?」
イーズはぎくりとした。本物のアルカに兄弟姉妹はいない。冷や汗をかきながら、そういう弟みたいな男の子がいたから、といいつくろう。
「甘やかされて育ったから、わがままなんだ。許してやってくれ」
「馬くらいいいよ。気にしない」
「兄さん、早く早く!」
「おまえの用事で話してるんだ。少しくらい待て」
といっても、ブレーデンはしつこく急かす。シグラッドは呆れながら、イーズは苦笑いしながら馬にまたがった。
「シグのこと、大好きなんだね。かわいい弟だね」
「……そうだな」
シグラッドはそっけなく答え、馬にまたがった。その後を、遅れないようにブレーデンが一生懸命ついて行く。
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