そして銀の竜は星と踊る

サモト

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そして銀の竜は星と踊る

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 数百年の歴史を誇るニールゲン皇帝の居城、ファブロ城。天を突くようにそそり立つ城は、訪れる人々を圧倒する。一方で、内部は何度も改修され、豪奢にして典雅。来賓たちをことごとく魅了し、ファブロ城を訪れる者は各国の羨望の的だった。

 しかしながら。

 イーズはその例から外れていた。巨大な壁のようにそそり立つ城は、見渡すかぎり平原のつづく地で育ったイーズに不安を与えた。豪華ではあるが、四方を壁で囲まれ、風も光も感じられない部屋は、イーズの心を味気なくさせた。

「アルカ様、じっとしていてください。髪が結えません」

 ことあるごとに窓の外を見やるイーズの顔を、ティルギスから付き添ってきた女戦士が両手で挟んだ。これから共にティルギスで暮らすことになる女性で、シャールという。

 ティルギスの若者の中で十指に入るほど優秀な戦士で、イーズの護衛である。始終そばにいるため、イーズの身の回りの世話をするのも、彼女の役目の一つになっていた。

「不安そうですね。今朝も食欲がなかったようですし」
「これから王様と謁見だから……。昨日からずっと緊張しっぱなしなんです」
「ニールゲンの王は、アルカ様と同い年だそうです。きっと仲良くできますよ」

 シャールは熱のこもらない口調で淡々と励まし、ニールゲンの侍女に教わりながら、手際よくイーズの髪を結っていった。準備が着々と進むのに比例して、イーズの心はどんどん重くなっていく。流暢にニールゲンの言葉を操り、ニールゲンの侍女たちと会話を交わすシャールを、羨ましそうに見上げた。

「礼の仕方は覚えていらっしゃいますよね?」
「……一応」

 話すと記憶が飛んでいきそうで、イーズは額を押さえた。シャールが最後の仕上げに、白い花を髪に挿す。イーズは切実にだれかに代わって欲しいと思ったが、時刻になると、控え部屋の扉は無情に叩かれた。謁見の主役は世にも悲壮な顔をした。

「あの……王様に話しかけられたら、私、何を話せばいい?」
「もっと自信を持って。あなたは、勇猛果敢なアデカ王の血を引いているのだから」

 あなたはイーズでなくアルカだと、シャールは暗に強調した。礼儀正しく、するべきことはこなすが、シャールの態度は冷淡だ。イーズは心の中でため息を吐く。将来有望な、優秀な戦士が、第一線をはなれてこんな遠くまで連れてこられ、年下の、元を正せば普通の子供の侍女の役まで負わされているのだ。不満の一つも言いたくなるだろう。イーズはしょぼくれた。

「一つ聞いてもいいですか? 私をアルカにするなんて、どうしてそんなことを思いついたんでしょうか。気が強くて賢いアルカの方が、きっとこの国でうまくやれるのに」
「だからです。本物のアルカ様と同じく、ニールゲンの皇帝も気の強い方だそうですから、王様と喧嘩してしまうかもしれないと、イーダッド様が心配なさったのです」

 シャールの答えに、イーズは「父上のバカ」と心の中でつぶやいた。ティルギスの大使の後について、花の活けられた回廊を渡る。回廊から見える庭園は水と緑にあふれている。人工の滝まであった。ニールゲンの財力を思い知らされ、イーズは感嘆のため息をもらした。

 やがて見えてきたのは、竜が彫られた重厚な扉だ。扉の向こうが謁見の間で、中には壁に沿ってニールゲンの家臣と衛兵がならび、アルカ=アルマンザ=ティルギスの到着を待っていた。精一杯、背筋を伸ばして歩く少女の姿を、部屋中の目が追った。

「お初お目にかかります。ニールゲン皇帝、シグラッド=カナン=フレイド陛下。ティルギス国王の孫、アルカ=アルマンザ=ティルギスです」

 たどたどしいニールゲン語で、教えられたとおりの口上を述べ、型どおりに礼をし、イーズは顔を上げた。シャールの言っていた通りだった。ニールゲン皇帝は、大きな王座に、まだ不釣合いな小さな身体を預けていた。あちらも代役ではないかと思うくらい、玉座が似合っていない。赤い髪に濃い色の肌、とがった爪といった赤竜の末裔らしい特徴があるだけで、イーズが想像していたような竜の恐ろしさはなかった。

 イーズの全身から力が抜けた。挨拶が終われば、イーズの出番は終わりだった。後はずっとティルギスの大使の出番だ。鉛を呑んだように重かった胃がようやく軽くなる。身体を締めつける衣服――ドレスが煩わしいなと感じながら、イーズは深呼吸をした。

「意外と大人しいのだな」

 すっかり安心してティルギスの大使の口上を聞き流していたイーズは、はっと我に返った。幼い声は王座の少年皇帝にちがいない。驚いたことに、ティルギスの言葉だ。ティルギスの大使は話をさえぎられて戸惑ったが、皇帝はそれを無視した。

「ティルギスの民は武勇にすぐれ、男も女も豪胆な性格だと聞いたが」

 皇帝は立ち上がると、緋色のマントを払った。靴音を響かせて段を降り、婚約者の前に立つ。

 イーズも大使と同じく狼狽し、わずかにのけぞった。先ほど抱いた愚かな私見を撤回する。皇帝の背はイーズよりも指一本分ほど低かったが、黄褐色の眼は強い意志を秘め、イーズよりも大人びていた。眼は光を受けると金に変わり、鋭い光を放った。

 ティルギスの大使がためらいがちに唇を開いた。だが、皇帝に一瞥されると喉に言葉を詰まらせた。ただ気位の高い我侭な少年に思えるのだが、逆らえない雰囲気があった。地面を踏みしめる様、堂々と開かれた胸、高慢にそらされた顎。身体の部分の一つ一つが威厳に満ちている。

「ニールゲンへようこそ、アルカ=アルマンザ=ティルギス。道中、この国を見てきたことだと思うが、どうだった?」

 たずねられたが、唐突な事態に戸惑ってイーズの思考は空回りした。答えを求めて道中の記憶をひっくり返すが、何も思い出せない。無為に時間を浪費するばかりだ。やがて少年はつまらなさそうな顔になった。

「ティルギスの民は、風のように草原を駆け、誇り高く勇敢だと聞いて楽しみにしていたが、期待はずれだな」

 イーズは何かいおうと口を開いたが、緊張で舌が凍って声が出なかった。皇帝は無表情にイーズを見つめていたが、ふと、髪に飾られた白い花に目を留めた。不快そうに眉をひそめ、髪から乱暴に払い落とす。結った髪が乱れ、一筋、二筋、髪がイーズの顔にかかった。あまりにぞんざいな扱いに、イーズは怒りが湧いたが、それでも声は出なかった。

「興が冷めた」

 皇帝は踵を返した。大使が弁明しようとしたが、皇帝はすっかり興味を失ってしまっていた。早く終わらないかといわんばかりに王座に頬杖をついている。

 イーズはいたたまれなくなって、うつむいた。謁見の間に集まっていた人々は、主の態度を見て、警戒心を軽侮に変えていた。

「アルカ様、気になさる必要はありませんよ。初めてですから、緊張するのは当たり前です。これからですよ」

 謁見の後、シャールは落ち込むイーズをそういって励ました。さすがに気の毒そうにしている。部屋の中を歩き回っていた大使も足を止め、肩を落とすイーズに助言した。

「そうですとも。これからです。本物のアルカ様になりきってしまえばいいのですよ。できるでしょう? アルカ様とは大の仲良しだったのですから」

 イーズはためらいがちにうなずいた。頭の中は、やはり最初から本物のアルカがこればよかったのだという考えでいっぱいだった。もしくは、人選を別にするべきだった。イーズはティルギスの子供たちの中でも際立って気が小さいのだ。期待にこたえられなかったことに、深くうなだれる。

「今更、後には引けません。こうなったら、何事もニールゲンの王の気に添うようにして、不興を買わないようにだけお願いします。もし、お二人の仲が険悪にでもなられたら、ティルギスは困りますから」
「……はい」

 イーズが自信に比例したか細い声で応えると、大使は不安そうな顔をしながら部屋を出て行った。大使はこれからティルギスに帰る。大使がどんなふうに報告するかを考えると、イーズはさらに気分が重くなった。 
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