そして銀の竜は星と踊る

サモト

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そして銀の竜は星と踊る

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 限りなく草原が広がっていた。草原と対をなす空の下では、羊たちが綿雲のように群れ、のんきに草を食んでいた。そのそばを風のように馬が駆けてゆく。空と草原の交わりを引き裂くように、ティルギスの国の馬たちが雄々しく疾駆していた。

 イーズは木の棒で地面に文字を書きながら、時折、その光景に目をやった。のろのろと手を動かし、気のない手つきで字の練習をする。いかにも渋々といった体で、時々落書きをして遊ぶこともしていた。

「今日の分は終わったか」

 草の生えていないわずかな土地に、イーズがすべての文字を三十回ずつ書き終えたころ、イーダッドが様子を見にやってきた。イーズの父親だ。木の杖にすがり、不器用な歩き方をしている。幼い頃に落馬して以来、足が不自由なのだ。

 イーズはとっさに父親の身体を支えたが、目が合うとすぐにそらした。イーダッドは異様な風貌をしていた。表情にとぼしい白い面《おもて》は、高い鼻があっても平坦な印象を与える。曲がった背は奇妙に盛り上がり、人とは異なった。

 イーズはいつも父親におびえていた。きちんと勉学に勤しんでいたにもかかわらず、まるで悪いことをしてしまったかのように萎縮する。

「終わったなら馬に乗ってきてもいい」
「いい。アルカはとっくに、あっちまでいってしまったから」

 イーズは羊の群れの向こうにいる馬たちを指差した。馬の中に赤い帽子が見え隠れする。親友のアルカは大人顔負けの手綱さばきで、馬を縦横無尽に駆っていた。

「どうして私だけ他の国の言葉まで習うの? 他の子はこんなことしないで済んでるのに」

 イーズは地面に書いた文字を棒先でつつきまわした。同じくらいの年の子供たちが、木の棒を振り回してじゃれあっているのを羨ましげにする。

「棒で打ち合うのは嫌いだけど、そっちの方が文字を書くよりは楽しいよ」
「黙って書きなさい。おまえには、もっともっと教えることがある。そのうち、私が習わせた意味が分かるようになる」
「父上はそればっかり。そのうち、そのうちって」

 イーズは木の棒を振り回した。アルカが遠くから手を振っていた。自由奔放に走り回っている親友の姿に、イーズは少しむくれながら手を振り返す。

「そのうちって、具体的に、一体いつなの?」
「二ヵ月後だ」

 イーズは振っていた手を止め、意外な眼で父親を凝視した。今まで“そのうち”か“大人になったら”のどちらかでしかなかった答えに、はじめて明確な形が与えられて驚いた。

「二ヵ月後に、おまえはニールゲンの国に旅立つことになる」
「どうして?」
「アルカの代わりだ」

 イーダッドはこちらへ向かってくる馬の群れを見据えた。頑丈にしてしなやかな筋肉を躍動させ、馬は駆けてくる。それを率いるのは、ティルギスの国王が亡き息子の忘れ形見と溺愛する孫、アルカ=アルマンザ=ティルギス。十になったばかりのはずの彼女は、しかし屈強な馬たちをしっかりと従えて、イーズたちの方へ一直線に向かってきていた。

「イーズ! 勉強は終わりっ!?」

 眼前に迫った馬に、イーズは悲鳴を呑みこんだ。轢かれる、と、強く目を瞑り、木の棒を握りしめる。

 だが、予想した衝撃はなかった。砂がイーズの足にかかり、高く馬のいななきが響く。イーズは恐る恐る目を開いた。

「あはは、びっくりした?」

 馬から身軽に飛び降りて、アルカはいたずらっぽく笑った。黒くつぶらな目は爛々と輝き、笑う口元は弾けるような快活さを発散している。イーズは口をへの字に曲げた。

「こんにちは、イーダッドおじさま」
「こんにちは、アルカ。今日も元気だね」

 イーダッドにうながされ、馬たちは馬飼いの元へ戻っていく。イーズが跳ねる心臓を落ち着けていると、親友の腕が腕に絡まってきた。

「勉強は終わった? 終わったなら、あれしよ。取替えっこ」
「また? もうやめとこうよ。怒られちゃう」

 答えながら、イーズは父親を上目遣いにした。助けを求めてのしぐさだったが、イーダッドは黙っているだけだった。ならんだ二人の姿をよくよく見比べている。

「父上?」
「どうかした、イーダッドおじさま」
「二人は本当に似通った部分が多いな、と」

 観察する目も、感想も、淡々として温度がない。イーズが不安そうにすると、イーダッドは黒い小さな頭を撫で回した。撫でられた方は、少し驚いた顔になった。

「イーズ――いや、アルカにも話しておこう。重大な話だ」
「何?」

 真っ向から尋ね返すアルカと違い、イーズは黙って父親の言葉を待った。大事な話をするとき、父親の声は一段低くなり、わずかに身がかがまることを知っていたからだ。早くも事の重大さを悟り、木の棒を強く握る。

「今、ティルギスは、糧食が尽きかけている。急速に勢力を伸ばしている我々を警戒して、ニールゲンが各国に圧力をかけ、食糧を渡りにくくしているせいだ」
「ニールゲンって、赤竜の末裔が治めているっていう大きな国でしょ。昔から強くて、豊かな国で。最近おじい様に教えてもらったわ。意地が悪い国だよね」
「『ニールゲンがくしゃみをすれば、小国が一つ吹き飛ぶ』という喩えまであるほどだ。ニールゲンの不興を買うのは賢くない。だから、我々はニールゲンに敵意がないことを示すために、ニールゲンの国王を縁故を結ぶことにした」
「エンコ?」
「ニールゲンの王と、ティルギスの王女を結婚させることにした」
「ティルギスの王女って、つまりはおじい様の娘だから、おば様たちのことだよね? でも、みんな、もう結婚してるよ?」
「だから、ティルギスの王族ということになった。ティルギスの王族――つまりはアルカ、君だ」
「私?」

 思わぬところで自分の名前が出てきたので、アルカは面食らっていた。ブラブラと揺らし、地面を擦っていた足を止める。その横でイーズは固唾を呑んだ。

「私がニールゲンに?」
「ニールゲンの王と年も近い上、血統としても申し分ないのは、王の孫であるアルカしかいない」
「……嘘。絶対、いや! ニールゲンなんて。遠いじゃない。イーズともおじい様とも友達ともお別れってこと?」

 アルカは地面を蹴飛ばした。全身に力をこめて怒る。
 が、イーダッドは、アルカの反応を予想していたのだろう、落ち着いたものだった。祖父である国王に直訴しに行こうとするアルカを、肩をつかんで止める。

「まだ話は終わってない。最後まで聞きなさい」

 イーダッドのアーモンド形の大きな眼は、強い光を宿していた。その光の強さに、イーズは身をちぢめる。

 武術も馬術も人並みにこなせず、奇怪な歩き方から“木偶人形”と揶揄される父親は、それでも王から重用されている。たとえ思うとおりに身体が動かなくとも、すんなりとした、円錐形の手はたったの一振りで屈強な戦士たちを思いどおりに動かす。聡明な頭脳は万の兵に勝る。

 だが、イーズは、父親に尊敬よりも恐れに似たものを抱いていた。明晰すぎる頭脳と奇怪な外見は、時折、肉親だということすら忘れさせる。背の曲がった姿はさなぎを思わせて、イーズはさなぎが羽化するように、いつかこの父親の背が割れて、何か飛び出してくるのではないかと、根も葉もない想像してしまうのだった。

「アルカはニールゲンには行く。だが、アルカが本当にニールゲンに行くことはない」
「意味が分かんない」
「ニールゲンに行くのは、イーズだ。アルカのふりをして、アルカの代わりに行く」

 アルカはさっきよりももっと驚いた顔をした。首を右に回す。イーズは棒を握る手をゆるめ、呆けた。

「アルカとイーズの背格好はよく似ている。ニールゲンの使者は、以前アルカを見たが、遠目に見ただけだ。二人を入れ替えても、確実にごまかせる」

 緊張にイーズの息が浅くなった。ぐるぐると、父親の言葉が頭の中を回った。父親が二ヵ月後、といった意味をようやく悟る。

「二人は入れ替わる。アルカは私の娘に、そして、イーズ=ダイル=ハルミットは、アルカ=アルマンザ=ティルギスに」 
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